2018年に夭折したトランペッター、ロイ・ハーグローヴ(Roy Hargrove)のドキュメンタリー映画『ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅』が公開される。映画は人生最後のツアーとなった2018年のツアーの映像を中心に、ロイ本人だけでなくエリカ・バドゥ(Erykah Badu)、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)、クエストラヴ(Questlove)、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)など、ジャンルの境目なく活動した彼を取り巻く人物のインタビューも収録している。
結論から言うと、この映画は単なるミュージシャンの足跡を追った映画ではない。
多くの関係者やミュージシャンがロイの死を悼み、彼の功績を語るなか、物語は中盤、ロイのマネージャーであるラリー・クロジアーの話へとシフトしていく。ロイが「父親のような存在」と語るマネージャーのラリーは、一番近くでロイを支える存在でありながら、傍目には決してそう映らないこともあった。そしてロイもまたその事に気づいていなかったわけではない。映画ではそのロイが抱えるアンビバレンスな感情が生々しく描かれている。
ロイの古くからの友人であり、この映画を監督したエリアン・アンリ(Eliane Henri)は、映画を通して何を描きたかったのだろうか。
偉大さとともに映される“未解決”の葛藤
──映画『ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅』エリアン・アンリ監督インタビュー
──日本へ来るのは初めてですか?
実は2回目なの。1999年に一度日本に来たわ。その頃は音楽業界で働いていて、詳しくは思い出せないけど、確かテンプテーションズ(The Temptations)のメンバーと一緒に日本に来たと思う。どこへ行ってもファンが『My Girl』のレコードを持ってきては「サインをしてくれ!」って頼まれたのを覚えているわ(笑)。
──それはロイと出会うよりも前ですか?
出会った後ね。ロイと出会ったのは90年代の初め、私がUCLAの学生だったときなの。それからずっと友達。大学を卒業してから私は音楽業界で働いて、その後PR会社で働いた。PR会社ではラグジュアリーブランドを主に担当していて、イベントのプロデュースもしていたわ。その頃もロイは私の秘密兵器だったの。パーティーで彼が演奏すれば、ゲストもクライアントもみんな喜んでくれることは間違いなかったから。
──ここまでの経歴を聞いていると、そこからどのようにして映画監督になられたのかが不思議です。
実は音楽業界にいたとき、私はクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の〈Qwest Records〉で働いていたんだけど、その時はディレクターをしていたの。そこでの経験と、その後のPR会社での経験も全部今に繋がっているわ。ビデオを作るのは2日間、イベントは一晩、映画の制作は数ヶ月におよぶけれど、どれも予算を管理して、スタッフをアサインして、クリエイティブの方向性を決める。必要なのは同じスキルセットなのよね。
──確かに〈Qwest Records〉はビジュアルやビデオにも凝っていましたよね。
Qwestでは音楽だけじゃなくCDのパッケージや、ビジュアル、ビデオ、広告の撮影までいろんなところに関わっていたの。だから90年代のQwestのCDをみれば私がクリエイティブ・ディレクターとしてクレジットされているわ。クレイトン・ブラザーズ(THE CLAYTON BROTHERS)のようなジャズミュージシャンもいたし、タタ・ベガ(Tata Vega)みたいなジャズじゃないミュージシャンもいた。クインシー自身もジャズミュージシャンだし、クインシーも元々はトラペットプレイヤーなのは不思議な縁ね。
──映画監督を志したのはいつごろなのでしょう?
実は昔から映画監督になりたくて、元々は大学も映画学校に行きたかったの。ただ家族がそれを許してくれなかった。当時は女性、それも黒人女性の映画監督なんていなかったしね。家族は普通の企業に務めて、40年勤め上げて退職金をもらって、退職金でペンションを買うみたいな普通の道を歩んでほしかったのよ。だからいろんなものが一周して、今やっと映画監督をやっているという感じね。
──あなたの初監督作品にロイ・ハーグローヴをとりあげたのはなぜですか?
私にとっての彼は本当に大切な友人であると同時に、彼はアメリカの黒人音楽の歴史を考えた時に、語らないわけにはいかない、語り継がれるべき存在だと思ったの。だからこれは私に与えたれた宇宙からの任務のように感じていたわ。「私がやらなきゃ」って。
──あなたが最初に思い描いていた映画と、実際に出来上がった映画はどのくらい違っていましたか?
もちろん最初に映画を作るために資金集めをはじめた時は、まさかロイが亡くなってしまうなんて思いもしなかったし、最終的にラリーが敵になるなんてことも思ってもいなかった。ロイは病気のことも隠していたから、資金集めをしていた時はみんな「なぜ今ロイ・ハーグローヴなんだ?」って言われたわ。亡くなってからみんな気づいたみたい。
ただ、その体調が優れない中で海外ツアーをまわって演奏をする彼に同行するうちに、本当に奇跡のような人だと思ったし、絶対にこの様子を捉えなければいけないという気持ちになったわ。もともとドキュメンタリーに脚本はあってないようなものだと思うの。どう転ぶかわからない人生を追うわけだから。撮影したフィルムを編集する中で自然とストーリーが浮かび上がってくるって感じね。だから改めてすごくクリエイティブで面白い仕事だって思えたわ。
──撮影、編集はどのぐらいの期間におよんだのですか?
撮影は2018年の1月にスタートした。まずロサンゼルスで2日間撮影して、4月にはパリ、5月にはニュヨークのブルーノートやスモールズでのシーンを撮って、ロイのインタビューも撮った。夏に3週間ヨーロッパツアーに帯同したわ。ウィーン、ペルージャ(イタリア)、ソレント(イタリア)なんかの都市ね。そして11月にロイが亡くなってから、テキサスやニューヨークに行ってエリカ・バドゥなんかのインタビューを撮った。最後に撮影したのがハービー・ハンコックとウィントン・マルサリスのインタビューで、これがその翌年、2019年の撮影ね。2020年の3月にあらかたの形は出来ていたんだけど、そこからコロナのシャットダウンが来て、コロナ禍はずっと編集作業をしていたわ。
実は最初に編集したものはロイの楽曲が使われていて、今回ロイの楽曲が使えなくなったのでもう一度すべての編集をやり直したの。だからみんなに見てもらっているのはリミックスのようなものね。
──ロイと撮影について何度もミーティングを重ねたとのことでしたが、印象的な出来事はありましたか?
最初のロサンゼルスでの撮影ね。それが一番はじめの撮影だったから、私も緊張していたし、知り合いの安くやってくれるカメラマンを雇って撮影に挑んだ。カメラマンは元々リアリティー・ショーの撮影していた人で、これは映画にもあったけど、「あっちの方を見て」ってロイにポーズさせて撮影して、ロイが「お前はクビだ」って言ったシーンがあったでしょ? あれは本当にクビにされちゃったの。
その後ロイが「話が違うじゃないか」って私のところにきて、「君が本当に作りたいものは何だ? それを信じろ」と言ってくれた。映画の中でたくさんのミュージシャンをロイが育てているって話が出てくるけれど、それと同じことを私も映画監督としてロイにしてもらったのかなと思ったの。「自分のビジョンを信じて貫くべきだよ」って。ものすごく柔らかな言い方だったけれど、それが印象的だわ。そこから先はロイと私で目線があったと感じたし、良い撮影ができた。ロイにポーズを付けさせるとかじゃなく、彼の生きているままを私達が撮ったの。
──元々友達だったところから、彼に密着して撮影してみて、監督の中でロイの印象は変わりましたか?
もちろん変わったけれど、本当に大きく変わったのは彼が亡くなった時ね。もちろん長年の友人で、彼が音楽シーンの中で大きな存在だということはわかっていたつもりだったけど、亡くなってから改めて彼の偉大さを実感したわ。私が彼のドキュメンタリーを作っていると知ったたくさんのミュージシャンから「自分も出してくれ」って連絡が来たし、あっという間にジャズ・コミュニティが全部自分の知る世界になったの。こんなにすごい人だったんだって。
──確かに映画にはたくさんのミュージシャンのインタビューが出来てきますね。
でも少ない方よ。誰をインタビューすべきかっていうのは難しかったけれど、ロイとの打合せの中で自然に名前が出てきた人たちにしたわ。それでも全部を入れられてはいないから、後から「なんで俺がいないんだ」って不満を言う人はたくさんいたけれど。私は“トーキング・ヘッズ”(ニュースキャスターや解説者が上半身のカットで喋る映像を指す)ばかりの映画にはしたくなくて、リアルな足跡をおったドキュメンタリーにしたかったの。だってインタビューばかりだと退屈でしょ?
──ラリーとの口論のシーンは映画の中でもとても印象的でした。一方であのシーンなしでも映画を成立させることは可能だと思うのですが、なぜあの難しいシーンを映画に入れるという判断をしたのですか?
いい質問ね。映画というのはやはり映像で見せるもの。多くのミュージシャンがインタビューの中でラリーにクビにさせられただとか沢山の話をしていますよね。私自身もヨーロッパのツアーで一切クラブに入れてもらえなくて撮影が出来なかったり、いろんなことを禁止された。クインテットのメンバーにも本当はインタビューしたかったけれど、それも禁止されたのよ。海野(雅威)さんのシーンがないのは、そういう理由。私はその時にミュージシャンが受けたことと同じことをされたと思ったの。あの口論のシーンは、ラリーに撮るように言われて撮った映像なの。ミュージシャンたちが言っていることを映像で見せるには、これ以上はないっていう映像がとれたの。それが一つの理由。
あとは映画では(ロイの死後、ロイの楽曲の権利を管理するラリーが禁止したことによって)ロイの音楽が一切使えなかったわけだけど、普通ミュージシャンのドキュメンタリーで本人の音源が使えないなんておかしいじゃない? その説明のためにも必要だと思った。
最後の理由は、ロイとラリーの関係は今アメリカで起こっている人種的、経済的、政治的な問題を、象徴しているような気がしたの。これは私自身がアメリカに住むアメリカ人の黒人女性監督として、取り上げなければいけないことだと思ったし、これはロイの映画というだけでなく、アメリカの黒人たちの体験についての映画でもあるのよ。ロイとラリーの話は、古い体質の音楽業界の中でミュージシャンが搾取されるっていう、今現実に起きている問題を見せるためにいれたの。
確かにロイの輝かしいストーリーを語るためにはあのシーンはなくても良かったのかもしれないし、今でも自分でみるとあのシーンは心が痛む部分があるけれど、心が痛んだとしても見せるべき重要な問題じゃないかなと思ったのよ。
── 一方で、映画にはロイがラリーを擁護するシーンも入っています。
ロイとラリーの口論のシーンはツアーの途中で起きたことなの。で、ロイが「ラリーは父親みたいな存在なんだ」と話をしているシーンはツアーの最終日にマルセイユで撮ったものだった。だからロイもラリーを守りたい気持ちとそれに反する気持ちの間でずっと揺れていたんだと思うわ。
──あのシーンがあることで、映画は単なる告発映画にはならずに、問題の複雑さをすごくリアリティのある形で描けているんだなと思いました。
そうね。私は私の意見を押し付ける気持ちは全くなくて、見終わったあとにお客さんそれぞれが結論を出してくれればいいと思うわ。
──ちなみに、日本ではユニバーサル・ミュージックがバックアップしていますが、これはアメリカや他の国でもそうなのですか?
おそらくそうは行かないわね。だからサポートしてくれる日本のスタッフには感謝しているわ。こんなにロイの音楽を広めるチャンスはないと思うのに、後で後悔すると思うわ!(笑)
映画『ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅』予告編
Text:花木洸