今年も熱狂とともに幕を閉じた<FUJI ROCK FESTIVAL’23>(以下、フジロック)。そのフジロックにおいて「ROOKIE A GO-GO」と言えば新人アーティストの登竜門的ステージであり、今年は約3,800組の応募の中から15組が選ばれた。今回はその切符を勝ち取った──いや、インタビューをした結果、表現としては「切符が“舞い込んできた”」という方が正しいかもしれない。そんなアーティスト、Eminataを紹介しよう。
神奈川県逗子出身のソウルポップアーティストのEminataは、幼少期に父親の影響で60’s~70’sロック、ソウル、ポップス、レゲエ、ワールドミュージックといったさまざまな音楽とパフォーマンスに触れて育ち、その後は雑誌モデル、CM、シンガーとマルチに才能を発揮。そして近年は、SANABAGUN.の岩間俊樹氏が主宰するレーベル〈slugger PRODUCTION〉に所属し、現在はフランスを拠点に活動している。
そんな彼女がフジロックの「ROOKIE A GO-GO」(DAY3)に出演し、その直後の7月31日に3作目となる“Selfish”をリリース。今回はフジロック直前に行ったインタビューを公開。傍目から見たら激動の変化を迎えている今夏、Eminataはどのような状態で、どのような“色”の音楽に触れているのだろうか?
INTERVIEW:Eminata
音楽は絞り出すとJuicyな部分がなくなってしまう
──あえてだと思いますが、Eminataさんはこれまでインタビューをほとんど受けていないのと、プロフィールに関する情報があまりないので、まずは生い立ちや人となりの部分を聞きたいです。
逗子で生まれて、幼いころから葉山にあるオアシスという海の家だったり、オーストラリア出身のお父さんと一緒に行ったミュージカルだったり、自然と音楽やアートに触れる環境で育ちました。小さなころからいろいろな国に旅もさせてもらいましたし、家にいるときは常に音楽がかかっていて。60’s~70’sのロックはもちろん、アフリカンミュージックや、インドネシアのガムランというトラディショナルな民族音楽とかも聴いていたのを覚えています。15歳からの3年間は、オーストラリアのパフォーミングアートの高校に留学をしました。
──留学時代で印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
オーストラリアに留学したときは家族とではなくひとりで行って、最初はおじさんおばさんの家に住んでいました。ただ愛の鞭なのか厳しいところは厳しくて、インターネットを使えるのは1日2時間。そのときベッドの下にギターがあったので、仕方なく時間を潰すかのように触っていたら、少しずつ上手になってギターにハマりました。最初は語学学校に行っていたので、オーストラリア人の友達っていうよりは、南米からアジア、ヨーロッパの子までいて、すごいカルチャーショックを受けましたね。2・3年目はオーディションで入った学校でしたが、いきなり学校でミュージカルが始まるような自由な校風で、海に行ったりハウスパーティーをしたり、青春を味わいました。
──オーストラリアから帰国したのは何年ですか?
2014年です。帰国してからは、すぐ大阪に行ってテーマパークのパフォーマーをして、その後に東京のテーマパークでもパフォーマーをしていました。あまり詳細は言えませんが、ははは。
──あそことあそこですね。そこから歌うことや曲作りに興味を持つようになったきっかけは?
〈slugger PRODUCTION〉のレーベルメイトで、いつもバンドでベースを弾いているタケちゃん(pedestrian)がきっかけです。逗子で遊んでいた10歳ぐらいのときから知っていて、私がオーストラリアにいるときに彼はメルボルンにいて。日本に帰ってきたときに「Emiちゃん音楽やろうよ」って言われて、タケちゃんもトラックを作り始めていて、「これ歌ってみてよ」みたいな感じで始めました。“Spare time love”が最初に彼と作った曲です。
pedestrian – Spare time love feat. Eminata
Eminata – Mr. Heart
Eminata – PBJT
──では岩間さんと出会ったきっかけもpedestrianさんということですよね。岩間さんがEminataさんをレーベルに誘った理由や、アーティストとして感じる魅力などを教えてください。
(※同席していた岩間さん) 〈slugger PRODUCTION〉は僕とpedestrianだけが最初に所属していて。彼が紹介したいシンガーがいるっていうのでEminataを紹介してもらいました。最初に〈slugger〉は小規模なレーベルなので出来ることと出来ないことがあって、出来ることとしてはとことんアーティスト目線で制作に携われるっていうことは伝えて。僕より若い世代でやりたいことを明確に言える人がなかなかいない中で、Eminataはビジュアルも全部パッケージして、作品ごとにプレゼンしてくれる。なのでこちらとしてはそれをどこまで実現できるのかを考えて、スケジュールとかも基本的には本人ベースで進めています。
──お互いに合う形だったんですね。〈slugger〉に所属してからは、Eminataさんのペースで作品をリリースしている印象なのですが、アーティストとして大事にしていることはありますか?
〈slugger〉以外のレーベルに所属したことがないのでわからないし、メジャーとかであればもちろんビジネスとして曲をたくさん出さなきゃいけないっていうのもわかるんですけど。なんだろう、例えばピカソに今の状況を2週間で描いてって言っても描けないと思うし、ビートルズにアルバムすぐ出してって言ってもNOって言っていたと思う。強引にじゃないけど、音楽を絞り出すようにやると、やっぱり本当にJuicyな部分がなくなってしまう。そこを壊さないように、“小さな赤ちゃん“じゃないけど、大事な部分を守ってやっていけたらいいなって思います。
──とても素敵な表現ですね。今はパリが拠点ということですが、あちらでの暮らしはいかがですか?
いいですね。みんなオープンマインドだし、すべてにおいて品がある。人も、服も、お酒の飲み方も。新しい言語を学べるのもすごく楽しい。音楽に関しても、まだ向こうでライブはできていないですけどRECはやっていますし、自分の時間が増えたのでギターで弾き語りの曲は増えていますね。それは近々やりたいなって思っています。
後ろは情熱的なレッド、手前はまだネイビーブルー
──楽曲では3作目となる“Selfish”が、フジロック後の7月31日にリリースされますね。
あの曲は、仲間と遊んで始発で帰っているときに、けっこう雨が降っていて。ちょうどそのときに恋をしていたけれど、私の友達がそのときの状況を見てすごくいいことを言ってくれたんです。「私は青りんごだからまだ取らないでね」って。お付き合いの前の楽しい時期は、まだ赤いリンゴになってないから取らないでねっていう意味で。そんな気持ちのときに一気に書いた歌詞で、そのときにタケちゃんが曲を送ってくれて、歌ってみたらフィットしました。
──「いつもの黒猫 濡れずにいたの?」とか、「私もそんなでいれれば 6時前に布団に入れたのに」とか。情景が浮かびつつも、Eminataさんの素直な感情が伝わってくる表現がとても印象的でした。
そのあたりの歌詞は、すごくストレートな感情ですね。今がタイミングじゃないから、すごく感謝しているけど……という気持ちを可愛く歌いました。可愛ければ何でも許されるってわけではないけど、ごめんねって。
──70sのJ-POPを感じさせるpedestrianさんのトラックともすごく合っていて、Eminataさんが幼少期にご両親の影響などを通して元々聴いていた音楽ともリンクしているのかなと思いました。
そうですね。それに関しては、たぶん脳みその後ろの方にロックされているものが時々パンパンパンって開くような感じで、インスピレーションに繋がってくれているのかなって思います。
──そして楽曲のリリースに加えて、フジロックの「ROOKIE A GO-GO」に出演という大きなトピックが。実際にその知らせを最初に聞いたときはどのようなことを思いましたか?
岩間さんにこれやりましょうって言っていただいて応募しましたが、選ばれたときは……びっくりしましたね。
(※岩間さん) 僕も自分がサナバで出るのが決まったときよりびっくりしましたし、感動しましたね。Eminataに関しては海外に住んでいて、こっちのイベンターさんとかも立てていないし。本当に純粋に音楽が評価されてのフジロック出演だったので、自分もうれしかったです。
私は送ったあとに、いい意味で気にかけてなかった。受かりますように、通りますようにではなくて。
──でも「ROOKIE A GO-GO」に関しては、そういう人が選ばれているような印象があります。
それっていいですよね。本当に音楽が好きでやっている人って、すごいピュアじゃないですか。そういう人たちがチャンスをいただけて。コマーシャルミュージックよりも、ほかの人がどう思うとか関係なしに、本当に自分が好きなものをやっている人が出られるというのはうれしいですね。ミュージシャンとしてありがたいなって思います。
──初めてのフジロックのステージは、現時点でどのようなイメージをしていますか?
やっぱりマインドは大事にしたいし、出るときにどういうふうに歩いて出ようとか、何を持って出ようとか。出る前に気持ちをどうまとめるかはイメージしています。 エリカ・バドゥの1997年のライブ映像があるんですけど、それはインスピレーションの元になっているかも。エリカ・バドゥの堂々とした、“This is my home”みたいな雰囲気。フジロックのステージに立っている間、自分のhomeのようなイメージで、どれだけcomfortableにできるか。
──DAY3の深夜1時のステージということで、遊び尽くしたフジロッカーたちに染み渡る時間になりそう。
みなさんいろいろな1日の過ごし方をしていると思うんですけど、音もそうですし、ビジュアルでも気になるようなステージにしたい。頑張るっていう言葉は嫌いですけど、本当に全部を出し切りたいです。あとは本当に音楽が好きな人たちが集まる場っていうのが一番楽しみ。その場にジャッジもないし、音楽が好きという純粋な気持ちを持っている人たちが集まって、楽しんでいるフジロックという場所でできるのがすごくうれしい。
──楽しみですね。最後に、Eminataさんは自身のWebサイトで、ジョニー・ミッチェルがあるインタビューで語っていた”音楽は、その時の感情の状態を選ぶ色 “という言葉を、プロフィールの文言の中に引用されていました。移り変わりのあるものかもしれませんが、今、Eminataさんはどんな色ですか?
最近、新しいアー写になったんですよ。あまりディテールは語らないで、今はその色ですね。私は小さいころから夕日が大好きなんですけど、そんなイメージで、後ろは情熱的なレッドで、手前はまだネイビーブルー。なぜその色なのか──多分そのうち、曲で伝えられると思います。そのときはぜひ曲から探ってみてください。
Interview&Text by ラスカル(NaNo.works)
Photo by Kazma Kobayashi