暗闇の中、目を瞑る。
意識を研ぎ澄ませると、ひんやりとした空気が肌の上を撫でるように、
右から左、上から下へ通り過ぎていく。そして目の前に捉えていた響きは背面へとまわりこみ、
気がつけば身体ごと包み込まれて、目には見えない景色を立ち上がらせる。

立体音響システムを楽器として用いながら、「耳で視る」新たな聴覚体験を創出するプロジェクト「See by Your Ears」をはじめ、“空間的作曲”によって先鋭的な作品を発表している音楽家・サウンドアーティストのevala

2021年1月にリリースした空間音響アルバム『聴象発景 in Rittor Base – HPL ver』では国際賞プリ・アルスエレクトロニカ2021 Digital Musics & Sound Art部門で栄誉賞を受賞するなど、国内外での活躍が注目されている。

今回Qeticでは、奈良・法相宗大本山 薬師寺を舞台に開催された<meme nippon project>を訪問。食堂(じきどう)で展開された新作『Alaya Crossing』にも触れながら、evalaの「音」と「音楽」に対する視点、空間的作曲について話を聞いた。

INTERVIEW:evala

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『Alaya Crossing』(奈良県 薬師寺食堂, 2022年)
Photo by Harumi Shimizu

言葉以後の音の世界と
識別不可能な「阿頼耶識(アラヤシキ)」

──<meme nippon project>では屋外も含め、薬師寺の敷地全体でプロジェクトを展開しています。中でもevalaさんは「食堂(じきどう)」で“共振空間”を制作されていますが、今回どのようなことを起点に作品を考えられていったのでしょうか。

evala ふだん「See by Your Ears」などで意識しているのは「言葉」以前の音の世界なのですが、展示会場になっている「食堂」は仏教がどのように伝来したのかを壁画で伝えている建造物です。そこで今回は「言葉」以後の音の世界をテーマに、言葉らしき音が共振している空間を作りたいなと思い、制作しました。食堂はいわゆる音楽施設と違い、音を鳴らすのに適した建物ではないので吸音もされず、発された音がとにかく響いてしまう。「See by Your Ears」のこれまでの作品の多くは、フィールドレコーディングした音を使って作品を構成していくのですが、今まで録りためた複雑な自然環境音を使っても輪郭がぼやけてしまうので、この空間の良さを最大限に生かすためにも、今作はコンピュータのAIで生成した声のようなものを音源にしています。

作品名の『Alaya Crossing』は仏教の「八識」という考え方にヒントを得ています。五感で捉えられる五つの意識に加えて、第六が自意識、第七が執着心、そして第八にあたるのが「阿頼耶識(アラヤシキ)」と呼ばれる、何かわからない、無意識の中にある説明不可能なもの。今回作品上ではすべてコンピュータ上のAIで生成した「(人の)声らしき」音で構成しているので、人間ではない、けれど人間らしき存在を意識できる。そうすることでなにかわからない、識別不可能な感覚が交錯する場所にしようと考え、作品に落とし込みました。

──言葉以後の音の世界を扱った新作『Alaya Crossing』に対して、「See by Your Ears」では言葉以前の音の世界をテーマにされています。言葉以前の音、というのは具体的にはどのようものなのでしょうか。

evala 「See by Your Ears」はその名のとおり、「耳で視る」ということをコンセプトに作品を制作しています。「視る」というのは可視化するという意味ではなく、聴覚だけで立ち上がるものがあるということ。2020年に初演したインビジブル・シネマ(音だけの映画)『Sea, See, She – まだ見ぬ君へ』を鑑賞してくれた方へのアンケートの回答を読んでいてとても面白いなと思うのは、作品自体は70分間、自分の手元も見えないくらいの暗闇に音があるだけなのに、不思議と視覚的な情報についての感想が多いんです。照明は一切使っていないのに「最後真っ黄色になったけれど、あの照明ってどうやっているんですか?」と書かれていたり、感想だけ読むと、ドラッグの体験談のようにも思える具体的な物語を書いている人もいたり。同じ作品を体験しているのに人それぞれ視えているものが全く違うというのはなかなか視覚表現ではできないことだと思いますね。

視覚は外側から情報が入ってくるのに対して、音による情報は内側から立ち上がります。匂いや記憶などと結びついている感覚を引き出すことに似ていると思うのですが、目に見えないもの、あるいは明確な定義を持たない「invisible(インビジブル)」なものにはとても大きな可能性がある。20世紀以降の産業において発展してきた、視覚的でオブジェクティブでロジカルな作品や消費文化の頭打ち感を感じているからこそ、言葉の前にある世界、音楽の前にある音の世界を、現代のテクノロジーで創作することを通じて「新しい言語」が生まれるかもしれないと感じています。

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『Alaya Crossing』(奈良県 薬師寺食堂, 2022年)
Photo by Harumi Shimizu

『Sea, See, She -まだ見ぬ君へ』(東京 スパイラルホール, 2020年)予告映像

世界を「耳で視る」ために
幼少期から続けるフィールドレコーディング

──もう一歩踏み込んで伺いたいのですが、evalaさんは「音」と「音楽」を明確に分けて考えられていると思います。具体的に作品制作でも重視されている「音」とはどのようなものなのでしょう。

evala 「音」は寝ている間も、拒否しようとしても聴こえているもの。気がつかぬうちに、その人の中に絶え間なく蓄積されていくものだと思います。言語的な情報や視覚的な情報はハードディスクに保存するように、どれくらい蓄積しているのかが認識しやすいと思うのですが、音や匂いなど目に見えない情報の方が、実はとてつもない量が蓄積されているのではないかなと。

元々幼少期から音楽は身近な存在だったのですが、それとは別に音を録るのがとても好きだったんですね。それでコンピューターを使って音楽制作をしていたあるとき、昔から録音してきた大量の音源を何か作品にできないのかなと考え制作したのが『acoustic bend』(2010年)。フィールドレコーディングで採集した音、誰でもどこかで聴いたことのあるような音を加工して、聴いたことのないような反射や響き方で鳴らすという試みを始めて、今に至ります。

──音を録りたいというのは具体的にはどのような感覚に近いのでしょうか。のこしておきたいのか、それとももっとその音に近づきたいという感覚でしょうか。

evala のこしておきたいという気持ちも少しはあるのですが、それよりも知っているはずの世界で目を閉じて耳を澄ますだけで、全く知らない風景が立ち上がることがとても面白いと感じています。たとえば渋谷の街中で「evalaさん!」と声をかけられたらパッと振り向くけれど、雑音に紛れているから周りの人たちは振り向かないですよね。カクテルパーティ効果と言いますが、ふだんの生活では音を情報として摂取しているので、どうしても不要な低音などをカットしてしまっています。なので、例えば新宿駅の音をマイクで録音したものを聞いてみると、とてもじゃないけれど聴いていられないくらいの轟音が聴こえてきます。ですがその中から低音域だけ取り出して聴くと、ジュークのようにとても複雑なダンスミュージックのような音が聴こえたりする。

特に印象的だったのはマンホールの音です。マッチ棒くらいのマイクロフォンがあるのですが、そのケーブルを持ってスルスルと下に垂らしてみる。たとえばみんながデートしている表参道の華やかな風景の隣で、マンホールの中では絶望的な音が鳴り響いています(笑)。「ゴーっ」と聴いたこともないおどろおどろしい低音が鳴っていて、「ぽん」と足でマンホールのふたを蹴ってみると聴いたこともない地底に潜るようなリバーブ(残響)が聴こえる。目で見ている景色と耳で視る景色があまりにも違うので「なんだこの世界は……」と。そもそも日常生活の中に人が一人下りられるくらいの太さの空洞が物凄く縦長で地下深くまで続いている空間なんて滅多にないので、聴いたことのない響きなんですよね。世界を耳で視たとき、目で見た時には気がつかないような色々な発見があるので、エキサイティングで飽きないですね。

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沖縄・久高島でのフィールドレコーディング

空間的作曲と音の共振。
新しい知覚に出会う

──レコーディングした音から今まで見えていなかった世界を発見し、さらにそれらを組み合わせたり加工することで新たな空間を立ち上げることについて、具体的にはどのような考え方で作品を制作されているのでしょうか。

evala レコーディングしてきた音をプレイバックするだけでも、VRなどの技術を用いて、ある種の臨場感を味わうことはできます。音自体は360度、環境音を録音しているので、逆に見ているところの音しか聴こえていないということに気が付くことの方が面白いんです。要するに新しい知覚や新しい感情に出会いたい。記憶の引き出しにある時間も空間もバラバラなもの同士を組み合わせて架空の空間をつくり出したとき、知らなかった世界を見出せる瞬間があります。たとえば立体音響の技術を使えば、水面が自分よりも上の空間にあり、下に風が吹いているという現実世界にあり得ない空間も音だとつくることができます。水面が上にあるということは、本来水中にいることになるので、風が吹いている状況はあり得ない。知っている音が未知の響き方をするだけで、奇妙な世界、新しい知覚に出会えるのではないかなと思います。

──evalaさんの中でこう想起してほしいというような音の世界やイメージはあるのでしょうか?

evala そういった青写真はないですね。いわゆる「音楽」を作曲する場合には、音の高さ・長さ・強さをもとに音階や拍という土台があり、一方向に進むシーケンス上で行ったり来たりを繰り返しながら音を組み立てていく形になると思うのですが、「See by Your Ears」は、たとえばちゃぽんと水面に石を落としたとき波紋が生まれますが、別のスポットにもう一つ石を落としたら波紋と波紋がぶつかりますよね。すると共振することで第三の波が生まれる。そうした波と戯れるようなイメージで制作しています。コンピューターの画面上でも構成する上でのタイムラインは走っているけれど、一つのシーケンスで考えていくというより、動く粘土細工や動く彫刻をみたいなものをつくるのに近い感覚があります。時間の流れよりも空間の中で弾けているものをずっといじっている。

空間上のレイヤーがたくさんある中でひとつの階層だけミュートされて宙に浮くように軽くなることがあったり、時間と空間の異なるもの同士が混ざり合った時に、自分でも予想できなかったようなものが生み出されていくんですよね。構想を描きながらそこに向かってつくっているときよりも、思いがけずに見つけた音の混ざり合いに心地よさを感じる。そんな瞬間も多くあります。これら作業は、時間に対する空間という二項ではなく、立体音響テクノロジーによって時間と空間のマクロとミクロを横断しながらつくりあげていく、これまで体験したことのない音場を探求しているのだと思います。

──建造物や空間の構造にもさまざまな種類があると思います。「空間的作曲」を通じて見えてくる音と空間の関係について教えてください。

evala 僕自身は街中で音を録りに行って、空間の音を解析するのが好きなのですが、いわゆる神聖だとされている場所やパワースポットって、音の反射が明らかに非日常的だったりするんです。日本の寺社仏閣も、実は音にとてもこだわって設計されているんですよね。巨石の上に手を置くとパワーを感じると言われているある有名な神社にも足を運んだのですが、巨石の下に川が流れていて、その周りに木々が生えている影響で水の音が耳の中で響くように感じる構造になっている。沖縄の御嶽などもそう。足元に白いサンゴの死がいが波打ち際に集まっているのですが、サンゴの死がいは小さな穴がたくさん開いていて、吸音効果がとてもある。その上、空が抜けている場所なので、そこに行くと突然音がスッと抜けたようになるんです。西洋の教会も天からふわっと音が降り注ぐような建築になっているのですが、ここで面白いのは、西洋では建物を建て、その内に神聖な音をつくるのに対し、日本の場合は音を外から見つけてくるということです。「音発」なんですよね。聞いたことのない、通常とは異なる響き方をする場所を見つけてくる。音で空間をつくるとまでは言わないですが、神聖な場所にとって音はそれくらい大きな影響力を持っているのかなと思います。

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『聴象発景』(香川県 中津万象園, 2019年)
Photo by Kenshu Shintsubo

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『-a』(東京 21_21 DESIGN SIGHT, 2021年)
Photo by Harumi Shimizu

情報からの解放。
「空(くう)」から生成されるイマジネーション

──「See by Your Ears」のプロジェクトはインビジブル・アート(見えない美術)、インビジブル・シネマ(見えない映画)、インビジブル・アーキテクチャー(見えない建築)と3つの柱があります。今、evalaさんが音を手掛けたいと思う空間や場所はあったりしますか?

evala 今、都市のあちこちに”ヴォイド・スポット”を作りたいと考えています。仏教で言うところの「空」でしょうか。都市のパブリックスペースの音を抜き、何もない空間をつくりたい。何にしても次から次に足していく足し算の都市開発が進んできた中でも、「ノイズキャンセル」の技術を応用すれば、パーテーションがなくても、一歩そこに踏み入んだら音がしない空間をつくることができます。以前、海を見たことのない人が目隠しをされた状態で海岸まで行き、初めて海を見るところだけを映像にしたフランスのアーティスト、ソフィ・カルの作品『Voir la mer(海を見る)』が渋谷スクランブル交差点の街頭にあるビジョンをジャックしたことがありました。作品が上映されている間、スクランブル交差点がものすごく静かになったら、車の通り過ぎる音も潮騒のように聴こえてきて。サイネージの音を切るだけで街の表情が変わるんだなと感じましたし、静けさって人を惹きつけるんですよね。

──最後に。「見えない」ということ、「耳で視る」ことから立ち上がる世界について、今後身の回りの生活の中でどのような響き、音のある空間が生まれていくと良いと思いますか。

evala 以前、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」で長年アテンドを務められていた、先天的に視覚障がいを持つ檜山さんとお話する機会がありました。無響音室で音を10分間浴びる作品を体験していただいたのですが「情報ゼロの音がこんなに楽しいと思いませんでした」と感想をいただいて。彼にとって「音」は生活する上で必要不可欠な行動するための情報であり、言語に近い。音楽を聴いても高い音、低い音、こういうメロディー、と頭で聴いてしまっていたけれど、僕の作品を体験した時に、「身体に任せていい、情報から解放された音でしかない音を感じることができたのがエキサイティングでした」と話してくれました。そのとき、あらためてイマジネーションは情報を察知して受け止めるのではなく、自分自身からジェネレート(生成)していくものなのかもしれないなと思うと同時に、意味づけされた情報から解放することを可能にするのも、音かもしれないなと。そうした解放の先に、自分の中からイメージが湧き起こってきたりする。そのもっと先には身体の可能性を爆発的にひらくことだってありえる。今、音そのものをテクノロジーとともに創作していくことで見いだせる新しい地平があると僕は信じています。

目に見えないものを視る。意味や情報、誰かによって定義された価値観が溢れるこの都市で、それらを手放し、定義できない、何ものかがわからぬものに意識を傾けることは決して容易なことではない。しかし目を瞑り、意味や情報を遮断すること、そして「耳で視る」ことから、はじめて踏み込むことのできる新たな景色が、すぐ目の前にあるのかもしれない。街に何もない「空」を生み出すところから、どのような音空間が生成され、都市はどのように変容していくのだろう。evalaの音を通じた試みから、今後も目が離せない。

Text:西山萌

PROFILE

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Photo by Susumu Kunisaki

evala

音楽家、サウンドアーティスト。
新たな聴覚体験を創出するプロジェクト「See by Your Ears」主宰。立体音響システムを駆使し、独自の“空間的作曲”によって先鋭的な作品を国内外で発表。近作として、2020年に完全な暗闇の中で体験する音だけの映画、インビジブル・シネマ『Sea, See, She – まだ見ぬ君へ』をスパイラルホール(東京・表参道)にて世界初上映し、第24回文化庁メディア芸術祭アート部門にて優秀賞を受賞。2021年1月にリリースした空間音響アルバム『聴象発景 in Rittor Base – HPL ver』が、国際賞プリ・アルスエレクトロニカ2021 Digital Musics & Sound Art部門において栄誉賞を受賞。
また公共空間、舞台、映画などにおいて、先端テクノロジーを用いた独創的なサウンドプロデュースを手掛けている。 大阪芸術大学音楽学科・客員教授。

https://evala.jp
https://seebyyourears.jp

EVENT INFORMATION

「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」

evala / See by Your Earsのサウンドインスタレーション最新作が、9月23日(金・祝)より東京都庭園美術館にて展示予定。
会期:2022年9月23日(金・祝)-11月27日(日)
会場:東京都庭園美術館(東京都港区白金台5-21-9)
庭園美術館ウェブサイト