――様々な音源を聴き直し、写真や映像素材を見直して、当時の自分やバンドについて何か改めて悟ったことはありました?
もちろんよ! 人間誰にとっても、自分が歩んできた人生を直視しなければならない状況に追い込まれたら、何か発見があるわ。それって、この地球上で暮らす全ての人にとって同じだと思う。例えば赤ちゃんの時の自分の写真を見たり、小学校に初めて登校した日のことを考えたり、初めて付き合ったボーイフレンドのことを思い返したり(笑)……。本当にパワフルで深遠で奇妙な体験で、ぶっちゃけ、かつて負った心の傷とも向き合う羽目になる。自分が抱いていた疑念や不安といったことも全て、追体験する。でもそれと同時に、自分がいかに全エネルギーを駆使してそこから今いる場所まで辿り着いたのか、道筋が浮かび上がる。そんなわけで、当時の自分について色んなことを発見したし、ほかのメンバーについてはよく分からないけど、私個人にとっては、ひとりの若い女性として自分をひどく悩ませた不安や迷いを再認識すると共に、固い決意、ストイックな労働倫理、そして信じ難いほど強い自制心が見えてきた。そういう資質を自分が備えていたなんて、今回の作業を終えるまで気付いていなかった。おかげで、今はそんな自分自身への厳しさをしっかり認識していて、それがこういう素晴らしいキャリアを築く手助けをしてくれたんでしょうね、きっと。自分でもショックだった(笑)。これまで友人たちに散々「あんたはクレイジーだから」って言われてきたし、実際色々とおかしなところがある人間なんだけど、ここにきて少なくとも、「あたしはファッキン・クレイジーじゃない!」って胸を張って言えるようになったわ(笑)。
――クレイジーじゃなかっただけでなく、勇気もありましたよね。3人のメンバー以外誰も知り合いがいない、異国の田舎町にいきなり移り住んで、新しいバンドを始めたわけですから。
確かに(笑)。ほかの人には薦めないわ! ま、“勇気”と“自暴自棄”の間にはあまり差がなくて、当時の私はまさに追い詰められていたから、死にもの狂いでああいう選択をしたのよ。私には未来が必要だったから。そんなわけで間違いなくリスクを伴う選択をしたんだけど、それは勇気があったからじゃなくて、おバカさんだったからね!
――そういう意味でガービッジの成り立ちは非常にユニークですが、どの時点で、自分たちは真のバンドになれたと実感しましたか? ファーストのレコーディング中? それともツアーが始まってから?
えっと、正直に言うと、私にとってガービッジが“本当のバンド”に、ほかのバンドと同質のものになったと実感する瞬間って、最新作に着手するまで訪れなかったの。そんなに長い時間がかかったのよ! それまでの私は、自分たちに浴びせられた批判的な意見を振り払えなかった。そりゃもちろん、ユニットとしての私たちには何かスペシャルなものがあったし、ケミストリーもあった。男性メンバーたちと固い友情を結んでいた。でも私はネガティヴな言葉を真に受けてしまったのよ。自分にはどうにもできなかった。そればかり気になってしまって。ほかのバンドと比べて、自分たちはどこかが劣っていると感じて、そういう劣等感を最初の4枚のアルバムにわたって、ずっと抱いていたわ。ただ、悲劇的で情けない話なんだけど、ある意味ネガティヴな思考が私独特のメカニズムとして作用して、自分を奮い立たせ、前に進む力を与えてくれたんだと思う。クリエイティヴな人間にとって、不安感はいいエンジンになるのよ。おかしなことに。もちろん度が過ぎるとそれは破壊的な力を発するんでしょうけど、私たちの場合、ぎりぎりの線で効果絶大な自己嫌悪感に恵まれていたってわけ(笑)。
――アルバムに着手した当時、バンドとして目指す音楽性について話し合いましたか?
細かく話したことは無かったと思う。もちろん夜な夜なバーで、酔っ払って音楽談義を繰り広げてはいたけど。自分たちがこよなく愛するアーティストについて、そのアーティストを愛している理由について、色んな話をした。それって未だ続いているわ! だって全員が音楽を愛していて、音楽の話をするのがたまらなく好きで、音楽に興奮させられて、しかも4人とも途方もなく守備範囲が広いのよ。文字通り“20世紀初めから現在まで”って感じ。あらゆるジャンルの音楽が好きで、それが究極的にあのアルバムに影響を与えて、ああいう音を生んだんでしょうね。ただ私が思うに、本人は認めたがらないだろうけど、ブッチの頭の中にはかなり具体的な形で、ガービッジとしてどういう音楽をやりたいのかアイデアがあったんじゃないかな。途方もなく謙虚な人だし、民主的なユニットとして音楽作りを進めることにすごくこだわっていて、ただでさえ“ブッチ・ヴィグのバンド”と見做されていたプロジェクトだから、必要以上自分を主張したがらなかった。でも私は、彼がすごく賢明で思慮深い人間だと知っている。確固としたプラン無しにやったとは考えられないわ。ガービッジを始めようと決めた時点で、ソニック・ユースにニルヴァーナにスマッシング・パンプキンズに……と、オルタナティヴ・ロック界の大物たちのアルバムに続々関わって、すっかり有名人になっていて、大成功を収めていたでしょ? 自分がプロデュースした人と競合するような音楽をやろうとは思わなかったはず。少なくとも潜在意識のレベルで、それは避けるべきだと気付いていたと思うの。そうじゃなくて、力強く主張する独自のアイデンティティと独自の声を備えた、まったく違うサウンドを作らなければならないと。でないと、このバンドのキャリアはプロダクション・ワークの影に隠れてしまったでしょうから。
『ガービッジ』ジャケット
――ただ、ブッチがどんなアイデアを温めていたにせよ、あなたという存在なしにガービッジは成立しなかったわけですよね。究極的にあなたはこのバンドに何を与えたんだと思いますか?
まず、私たち4人はそれぞれに色んな貢献をして、バンドの均衡を保っているわけよね。だから確かに、私が参加しなかったら成り立ってなかった。とはいえ、こういう人間関係において誰が何を貢献しているのか、厳密に分けて考えるのは難しい。唯一私に言えるのは、自分がすごく強気なパーソナリティを備えているってこと。主張が強い人間なのよ(笑)。私がガービッジという足し算に持ちこんだ最大の資質は、それじゃないかと思う。ほかのメンバーが私と会った時には、そういう面に気付いていなかったはずだけど。私自身だって気付いていなかったから!バンドの枠組みに慣れてゆくに従って、自然に自分の中から現れたのよ。その点、彼らはすごく受け身で、優しい人たち。私がこういう力を自分の中に秘めていて、彼らのそんな資質と絶妙に噛み合ったことは、すごくラッキーだったと思うわ。全員にとって素晴らしい結果になったから。
――今では考えられないことですが、ファーストでは歌詞も共作でしたね。3人からも出たアイデアを、あなたが咀嚼するような作業だったんでしょうか。
そうね。これまた厳密には何が起きていたのか覚えていないんだけど、間違いなく彼らにもアイデアがあって、みんなで一緒に書き進めた詞もあるし、私が独りで書き上げたものもあるし、“As Heaven is Wide”は全編ほぼスティーヴが書いて、私はほとんど関わっていない。とはいえ、幸運にも4人とも世界観が似通っていたから、助かったわ。何しろ当時の私は、自分に全然自信がなくて、怖気付いていた。ガービッジに参加するまで曲なんか書いたことが無かったのよ。3人と最初に会った時に訊かれたの、「君、曲は書くよね?」と。彼らは対等なパートナーを求めていたから、「ノー」と答えちゃいけないって分かっていた。パートナーシップを求めていたのよね。そんなわけで、「もちろん書くわよ」って答えた(笑)。「そりゃ良かった!」って彼らも言ったっけ。で、全く疑いを挿まずに私の言葉を信じてくれたの。そしてある日、「明日までこの曲に何か言葉を載せてみてくれない?」と頼まれて、「お安い御用よ!」なんて応じたんだけど、ホテルに帰ってから独りで大パニックしたわよ(笑)。何しろ初めてだったんだから! ほら、例えば私があなたにいきなり、明日までに人生初めての曲を書いて来いって言うようなもので、本当にビビったわ。でも何が素晴らしいって、私はこのことを心底信じているんだけど、人間誰だって切羽詰まったら何でもできちゃうのよ。作詞なんてそんなに難しいことじゃない。正直に言葉を綴ればいい。でしょ? だから彼らにはすごく感謝しているわ。あのチャンスを与えられなかったら、私はクリエイティヴな人間になっていなかったかもしれない。泳げない私をプールに放り込んでくれなかったら、敢えて挑戦することはなかったし、自分に出来ると分からなかったでしょうから。
――じゃあ第一日目から完全に民主主義のバンドだったんですね。
ええ。現在に至るまでそれは変わっていないわ。そして、そういう関係を保つのは非常に困難だった。決して楽だとは言わない。どのメンバーにとっても、すごくハードな時期があったわけだけど、どうにかして困難を乗り越えて、今でもお互いを愛しているし、お互いと顔を合わせるのが楽しいの。いったいどうやってそういう境地に辿り着けたのか、自分たちでも説明できない。でもこうして実現して、それは本当にスペシャルなことだと思っているわ。
Garbage – You Look So Fine
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