ELLEGARDEN/Nothing’s Carved In Stoneの生形真一さんと、SUPER BEAVERの柳沢亮太さん。ともにバンドの結成にあわせてギブソンを手にしたという二人が、互いのリスペクトを込めつつ、それぞれの人生の真ん中にあるギターへの思いを語り合った。
INTERVIEW
生形真一×柳沢亮太
僕にとってのウブさんは昔から憧れの存在だった
──まず、お二人の出会いからお聞きします。
生形真一(以下、生形) 最初にSUPER BEAVERを見たのは、一緒に出演した大阪のライブイベントだったんじゃないかな。
柳沢亮太(以下、柳沢) 2014年でしたよね。僕が病み上がりの時期だったので、ライブが終わったらすぐ帰ってしまい、ウブさんと話せなかったんです。
生形 俺はその前からSUPER BEAVERを知っていて、特に『ありがとう』がすごくいい曲だと思っていたんです。しかもバンドの詞曲のほぼすべてをギタリストがつくっていると聞いて、その珍しさにも興味を引かれていました。一緒に出演した大阪のイベントでは絶対に観たいバンドだったんですよ。
柳沢 僕も大阪でウブさんのライブを見るのを楽しみにしていました。中学生でELLEGARDENと出会って以来、ずっと聴いてきた人ですから。生で見たウブさんは、やっぱりウブさんそのままでした。
──その後はどんな接点を持たれたのですか?
柳沢 同じステージに立つ機会はあまりなかったんですけど、プライベートでお食事をさせてもらうようになりました。そこがバンドマンのいいところで、特にフェスやイベントで知り合えると、年齢やキャリアに関係なく、学生時代からファンだった人ともつながれるんですよ。
生形 それでヤナギからいろんな話を聞いて、彼らがとても苦労したことを知るんですけど、そういう経験もあるからこそメッセージを放てるバンドなのだと思い直しました。久しぶりに現れた感じでしたよ。バンドマンだからこそ好きになるライブバンドというのは。
柳沢 嬉しいです。ありがとうございます。僕にとってのウブさんは憧れの存在だったので、学生時代はオクターブ奏法から真似しました。聞き込むほどに驚いていくんです。ウブさんが奏でる裏メロ的でキャッチーなフレーズの素晴らしさに。それに影響された人間の多さは、ELLEGARDENの復活で証明されました。まさにカリスマだと思ったんです。
生形 ありがたい話だね。
柳沢 2018年でしたよね。何の前触れもなく活動再開が発表されたら、その日の音楽トピックスがELLEGARDEN一色に染まった。同じ日に新曲をリリースしなくてよかったと思ったくらいです。10年のブランクを経ても大注目されるところに、圧倒的なバンドの強さを感じました。
ギターを弾く道を見つけられたのが救いになった。
──音楽とギターの始まりについて教えてください。
生形一番のきっかけは、中学生のときのバンドブームでした。当時はそこら中にバンドがいて、みんなギターを手にしていたんです。俺も同じように弾き始めたけど、ブームが去るとやめるヤツが増える中で、自分は夢中でい続けられた。我ながら上達が早いと思えたのがよかったんじゃないかな。
柳沢 そういう感覚は大事ですよね。
──センスを実感できたのですか?
生形 それは自分じゃよくわからないですね。未だにやりたいプレイが完璧に弾けるわけじゃないし、バンドを長く続ける中ではギターを遠ざけたこともあった。けれど最近は、1周回ったのかよく弾いています。
柳沢 家でもですか?
生形 練習やフレーズをつくるためではなく、ただひたすら好きなギターを触っている時間が大半だけどね。
柳沢 やっぱりそうなんですね。僕がギターを始めたのは、親父がギタリスト(柳沢二三男氏)というきっかけもあるんですが、飯と風呂とトイレ以外はずっと弾いている人でした。家族旅行にもギターを持っていくくらいだったんです。
生形 それヤナギが酔うと必ず口にする話だね。
柳沢 そういう家庭で育ったおかげもあって、ウブさんと親父が被るんです。ギタリスト然としたイメージが。
生形 お父さんのギターは弾かせてもらえた?
柳沢 一度もないです。子供の頃から「仕事部屋には絶対入るな!」が言いつけでしたから。
──柳沢さんがギターを始めたのはいつですか?
柳沢 最初に触ったのは10歳くらいで、一旦飽きるのですが、小学6年生でバンドを組むんです。幼稚園から知っているSUPER BEAVERのヒロ(藤原”35才”広明)がドラムで。週一で学校の音楽室を貸してもらえたので、ランドセルと一緒にギターのスターターセットを担いで通っていました。
──その当時からプロになろうと?
柳沢 10代の頃は思いませんでしたね。親父の話に戻りますが、函館からギター1本担いで上京した父に、「プロは甘くねぇぞ。もっと弾け!」と言われると、返す言葉がなくなるというか。そこまで弾ききれない自分にコンプレックスを感じてしまって。ただ、『GLAY』と出会ったのが大きな転機になりました。ギタリストのTAKUROさんが曲をつくることを知って、そこから僕もギターを使った曲づくりに目覚めたんです。親父と同じではなくてもギターを弾く道を見つけられたのが救いになりました。
生形 ギタリストにもいろんなタイプがいるけれど、ヤナギは『Nine Inch Nails』のトレント・レズナーに似ているんだと思う。作る曲調とかではなく、作曲家としてのギターに対する姿勢が。彼は作曲もするしボーカリストでもあるので、ギタリストという見られ方をほとんどされないんだけど、実は曲にマッチした素晴らしいギターを弾くんだよね。
ギターに引っ張られ続けて今日まで来ている
──ギブソンとの出会いを聞かせてください。
生形 22歳のときにELLEGARDENを始めるので新しいギターが欲しいと思って、地元の楽器店で見つけたのが赤のES-335でした。ハムバッカーの音が好きでギブソンを選んだのですが、当時の335が手頃な価格だったのも大きかったですね。安くなってて14万円くらいだったかな。楽器店でガンガン試奏していたらアンプの音量を下げられたんですよ。あれは忘れられないな(笑)。それと、天邪鬼なので誰も弾いていないギターがよかった。ギブソンの代表格はレスポールだけど、パンクバンドのギタリストがこぞって使っていたし、一方で俺らのシーンで箱物を弾いている人はいなかったんです。それでこれにしようと。
柳沢 僕も335を持っていますけど、アンプをつながなくても鳴るのがいいですよね。それによって生まれる音もある。
生形 このギターを最初に選んだことでバンドの中で生まれた音があるし、箱物ならではのサウンドやフレーズが出せたおかげで自分のスタイルが確立していったところもある。やっぱり、ギターに引っ張られ続けて今日まで来ているんでしょうね。
Text:田村十七男
Photo:日吉”JP”純平
PROFILE
生形真一
1998年にELLEGARDENのギタリストとして活動をスタート。2008年のELLEGARDEN活動休止(※2018年に活動再開)をきっかけにNothing’s Carved In Stoneを結成。これまでに11枚のアルバムをリリースし、2018年10月には日本武道館公演を敢行。2019年にはNothing’s Carved In Stoneで自主レーベル”Silver Sun Records”を設立。2022年12月16日にELLEGARDEN として16年ぶりとなる6thアルバム『The End of Yesterday』をリリースした。
柳沢亮太(SUPER BEAVER)
東京出身4人組ロックバンドSUPER BEAVERのギタリスト。ほぼ全ての楽曲の作詞作曲を手がける。
ドラマ、アニメ、CMなど多数のタイアップや映画『東京リベンジャーズ』の主題歌を3作連続で務める。
2024年には日本武道館3Daysを含む4都市9公演のアリーナツアーを開催予定。
そのほか、楽曲提供やプロデュースも手がける。