レスポールはアイデンティティそのもの
レスポール生誕70周年記念/椎木知仁(My Hair is Bad)特別インタビュー
ロックミュージックのアイコンと呼ぶべきギブソンのレスポール。
唯一無二の形を貫きながら、音楽創造の発露に寄り添い続けたギターが生誕70周年を迎えた。
その祝祭の中心に、レスポールを弾き続ける一人のアーティストを招き入れた。
My Hair is Bad。
研ぎ澄まされたスリーピース“ロック”バンドのボーカル/ギターの椎木知仁は、
音を奏でたい衝動に突き動かされるのと同時に、
レスポールに憧れを抱いたという。
現行モデルを中心に数多のギターが並ぶ
ギブソン・ブランズ・ジャパンのラウンジで行ったインタビュー。
まだ誰も知らない、彼とレスポールの物語をたずねた。
貯めたお金を握りしめて出会った
憧れのレスポール
──まずは、ギターを始めた経緯を教えてください。
中学1年生のとき、友だちの家にあったエレキギターを触らせてもらったのが最初です。音楽は好きでずっと聴いていました。小学生の頃に住んでいたマンションの1階にレンタルショップがあったので、KICK THE CAN CREWからモーニング娘。まで、いろんなCDを借りまくっていたんです。めちゃくちゃ衝撃を受けたのは、中学2年生の時にライブ映像を見たELLEGARDEN。ボーカルの細美武士さんがレスポールを弾きながら歌っているのがとにかくカッコよくて、この人と同じギターがどうしても欲しいと思ったんです。
──それがレスポールとの出会い?
そうです。どうしても手に入れたくて、中学3年生の高校受験が終わる頃合いを見計らって、お年玉で貯めたお金を握りしめ、新潟から東京の楽器屋さんまで行きました。そこで選んだのがチェリーサンバーストのエピフォン・バイ・ギブソンのレスポール。
──ありましたね。比較的お手頃な価格帯でした。
そうなんです。当時の僕が買ったのはオリジナルではなかったけれど、それでもとにかくうれしかった。細美さんと同じ、憧れのレスポールじゃんって。
──そこからバンド漬けの日々が始まった?
受験が完全に終わってからバンドスコアを買い漁り、仲間と市民ホールの練習スタジオに入り浸っては、同じ曲を何度も飽きずに演奏していました。ただ、純粋にミュージシャンを目指したということとは、少し違っていたと思います。高校に上がる頃になって、言いようのないイライラを覚えるようになったんです。何かに反発せずにはいられないというか。少年時代から続けてきた野球を辞める口実を探していたところもあって、たぶん新しい自分の居場所を探していたのかもしれません。
──それがバンドだった?
スタジオで大きな音を出せるのが心地よかった。それに、何かに歯向かうにしてもバイクに乗ったりタバコを吸ったりするより、バンドをやるほうがカッコよく見えた。レスポールを背負って学校に行くのもカッコいいなと思って。
──音楽というよりバンドをやりたかった?
そうかもしれませんね。そのうちに軽音部があった別の高校の先輩からライブハウスに呼ばれるようになり、そろそろ自分のバンドをやってみたらと言ってもらえて、ドラムを叩いていた同じクラスの山田淳と、別の学校の軽音部でベースを弾いていた山本大樹とバンドを組みました。
──それがMy Hair is Badなんですね。
結成は2008年の3月です。以来3人でここまで活動を続けてきました。結成当時住んでいた新潟県上越市で活動している時も、いろんなアーティストの方から、ボーカルの僕がレスポールを弾いていることに対してよく褒めてもらえたんです。レスポールに出会えてよかったですね。ナヨナヨしていた自分の強力な味方になってくれているんだと思えましたから。
──自分で購入したレスポールはずっと弾き続けたのですか?
21歳まで使っていました。当時は年200本くらいライブをやっていましたが、ギャラはすべてバンド全体の活動費に充てていたので、新しいギターを買う余裕もなくて。でも、いい楽器があればもっと想像力が膨らむんじゃないかと思い始めたんです。そこで事務所の社長に直談判しました。新しいレスポールを買ってください!って。
──結果は?
ありがたいことに買ってもらえましたね。すぐにお茶の水の楽器屋さんに走って、いろんな種類をあれこれ弾き、汗をかきながら夢中になって選んだのが2014年製のヒストリックコレクション、1958年モデルです。やはりオリジナルは違いましたね。より弾きやすかったし、サウンドが温かった。
──やはりレスポール以外の選択肢はなかった?
とにかくこの音とこの形が好き、という他にないんですよね。ギターにも流行がある中で、レスポールはどんなときも変わらずかっこよくあり続けてくれる。レスポールで音を出すのはスリーピースバンドで演奏する僕らの音楽性に合っていると思うし、これまでいろんな壁を共に乗り越えてきた大事な存在。レスポールで奏でる曲、それがMy Hair is Badらしさにもなっているから、レスポールは僕のアイデンティティそのものです。
僕はレスポールで
My Hair is Badでしか出せない音を出していく
──My Hair is Badの結成から14年が経ち、今はどの辺に立っている意識がありますか?
もうすぐ15年ですもんね。ロックバンドが主流ではない今の時代で、アリーナにはたくさんのお客さんが来てくれますし、感謝しかないです。一方で同世代のバンド、たとえばOfficial髭男dismがもっと大きなステージに立っている姿にはうらやましさも感じます。けれどまた一方では、各地のライブハウスでまだ高校生なのに5,000円のチケット代を払って来てくれて、さらにグッズまで買ってくれて、これ以上求めるものがあるのかなとも思います。何だろう、何だかんだまだ道の途中って感じですかね。
──My Hair is Badの中心にある歌、その刺激的な詞は多くの人を魅了している重要な要素だと思います。キャリアを積む中で、表現や伝えたいことは昔と比べて変化しましたか?
赤裸々な歌詞をあえて書くのは、あまり口にしちゃいけないことをステージで歌うと気持ちがいい衝動に駆られるからだと思います。ただ、嘘だけはつかない。偽った言葉を使うと自分が一番後悔しますからね。実際、みんなが普段経験している恋愛って実はけっこうグズグズで、それをいくらか美化していくのが僕の作業でもあるんですけど、よくない恋愛をしている子に中途半端な言葉で大丈夫だよって言っても伝わらないですよね。何より僕自身がカッコつけてもつかないタイプだから、適当な歌ではお客さんに見透かされる。だから真っ正直に、カッコ悪いところも見せてぶつからないとダメなんですよね。
──まず自分が赤裸々になると。身を削っていますね。
ありがとうございます。って言うのも変ですけれど。そのうえで何を伝えたいかというと、言いたいことって実は昔からほとんどないんです。別の視点に立てば、それは僕が音楽で何をすべきかまだ見つかっていないからかもしれませんけれど。ライブに足を運んでくれた人たちにとって、その日がいつもより少しだけいい日になったらと、そう思う部分のほうが大きい。僕らの音楽がみんなの生活の隙間に入り込んで、時に背中を押すような歌になれたらいいなと思います。
──レスポールは今年70周年の節目を迎えました。節目をキーワードにすると、自身が30歳という切りのいい年齢になって、何か感じるものはありますか?
生きやすくなった実感があります。以前は常に不安を感じていたんですけど、30歳を迎えてみたら、「逆にいつか死ぬんだし!」と開き直れるようになった。もちろん感情の波に晒されることもありますけど、いつ自分が落ちたとしても冷静に対応できる余裕を持てた気がします。その前兆みたいなものは、20代最後のアルバムになった『angels』の制作中にもありました。それまで楽曲制作ではまず曲が先に浮かんでいたのですが、メロディと歌詞が自然と同時に思い浮かぶようになって。伸び伸びと曲作りができるようになったのかもしれません。気持ちに余裕を持てている部分が手伝っているんだと思います。
──それが良い変化、あるいは進化の兆しとなれば、今後がさらに楽しみです。対して不変なのは、スリーピースバンドという形態ですよね。そこはこだわりとして変えませんか?
活動を続けていく中で、変えようかなと考えたことはありましたが、そうすると必ず周りの方が丁寧に止めてくれるんです。僕らの良さを理解していただいているからだと思うので、嬉しいですね。スリーピースの形態で最後までやり切っているバンドは少ないし、僕ら3人だからこそ出せる魅力があると思っています。3人の良さを突き詰めていける世界があるなら、僕はレスポールでMy Hair is Badでしか出せない音を出していく。それが今の、僕のもっとも嘘をつかないスタイルですね。
Interview, Text by 田村 十七男
Photo by 横山マサト
INFORMATION
椎木知仁(My Hair is Bad)
新潟県上越市にて2008年に結成された3ピースロックバンド・My Hair is Badでボーカル&ギターを担当。1992年生まれ。2013年に1st mini album「昨日になりたくて」で全国デビュー。 その後レーベルの社風で年間100本以上のライブを続ける。2016年5月にはシングル「時代をあつめて」でEMI Records からメジャーデビュー。2022年4月に5枚目のフルアルバムとなる「angels」、10月には配信シングル「瞳にめざめて」をリリース。ライブハウスを中心に活動しつつ定期的にアリーナ公演も行っており、2022年3月には神戸ワールド記念ホール・国立代々木競技場 第一体育館での2days公演も敢行。2023年2月には「アルティメットホームランツアー」ファイナルシリーズとなる日本武道館・大阪城ホール2days公演も敢行予定。