またブラジルでレコードを作りたいと思ったよ
––––セウ・ジョルジとLAで録音したこともそうですが、イギリス在住のブラジル人ミュージシャンや、ショーン・オヘイガン(ハイ・ラマズ/一時期ステレオラブにも加入)のような人も参加していますね? 「国境を越えて広がるブラジル音楽の今を紹介したい」という気持ちもありましたか。
そうだね。そういう部分も多少あったと思う。例えば“サザン・フリーズ”は、イギリスのポスト・パンク的なアプローチでやってみたんだ。振り返ってみれば、エヴリシング・バット・ザ・ガールやシャーデーといったアーティストにしても、ブラジル音楽に傾倒して、そういったものから影響を受けてた。もともと僕がブラジル音楽に関心を持つようになったのも、イギリスのポスト・パンク・グループを通してだったしね。そして、その後に出てきたビョークやステレオラブにしたって、ブラジル音楽の影響が感じられる。それもあって今回ショーン・オヘイガンに参加してもらったんだ。彼はこれまで素晴らしい映画音楽を手がけてきて、トロピカリアへの造詣も深い。だから、ガル・コスタ(トロピカリアにおける女性歌手/ギタリストの第一人者)の作品にありそうなアレンジをするには彼が適任だと思ってね。彼の参加は作品に花を添えてくれたと思う。特に“ブラジルの水彩画”に。
––––収録曲の中で仕上げるのが大変だった曲は?
“ミステリー・オブ・マン”かな。あの曲ではマルチナーリという歌手を起用したけど、ブラジルで最も偉大なシンガー・ソングライターの一人であるマルチーニョ・ダ・ヴィラの娘なんだ。彼女自身も素晴らしい歌い手で、本国では既に大スターだ。でもこの曲の歌詞は英語で、彼女は英語を話せなかった。最初はポルトガル語でやろうとしたんだけど、上手くいかなくてね。それで時間がかかったんだ。でもロブ・ギャラガーが上手に指導してくれたよ。サラ・ヴォーンのカヴァーをやろうというのも彼の発案だったし、マルチナーリにどう歌えばいいのか的確に指示を出してくれたんだ。
––––全体の曲順はどんな風に決めていったんでしょうか。
それは自分が感じたまま、DJ的に決めていった感じだよ。今になって後悔している部分もあるんだけどね。デラックス盤にしか収録されていない曲の中に、後になって「本編に入れれば良かった」と思ったものが2曲ほどある。マルコス・ヴァーリによる“エリ・イ・エラ”と、“ザ・パラム・ブロッサム”がそうなんだ(※)。でも、CDに収められる曲は限られているし、出来上がりには凄く満足しているよ。
(※どちらも日本盤には収録!)
––––さて、ソンゼイラはポルトガル語で「キラー・サウンド」という意味の言葉ですね。色んな選択肢がある中で、このプロジェクト名を選んだ理由を教えてもらえますか。
ブラジルに行った時にいろんな人が口にするのを聞いたんだ。だからこのプロジェクトをよく反映していると思った。『ソンゼイラ:ブラジル・バン・バン・バン』というアルバム・タイトルにしても、街を出歩いた時によく耳にした言葉だよ。「超ヤバい」、「これ最高!」という意味で、みんな「バン・バン・バン(=bam bam bam)」って表現を使うんだ。あとは、ずっと探していたレコードがあってね。まだ見つけられてないんだけど、ジョゼ・プラテスの作品で『Tam… Tam… Tam…!』(58年)というタイトルなんだ。それに因んで『バン・バン・バン』を選んだというのも少しあると思う。
––––ソンゼイラをやってみて、新たに気付いたことなどもありましたか?
またブラジルでレコードを作りたいと思ったよ。既にパート2を考えているんだ。今回はリオデジャネイロを中心とした作品だったから、次はもっとブラジル各地を訪れたいね。今回参加できなかったアーティストもたくさんいる。ミルトン・ナシメントもそうだし、フローラ・プリム、エヂ・モッタ、エグベルト・ジスモンチもそうで、敬愛するアーティストが大勢いる。だから次はもう少し準備期間を設けて製作に臨みたいと思うんだ。
あと、今回市内のファヴェーラには行けても、市外のファヴェーラには行けないことがわかった。ワールドカップ開催に反対する運動が各地で行なわれていて、水面下で緊張が高まっていたんだ。大事にならなければいいんだけど。物事が平和的に解決されることを祈るよ。他の国と同じように、ブラジルにも社会不安が多く存在する。だから今回、観光地だけでは窺い知ることのできないブラジルの現実を肌で感じられたのは良かったと思う。それから、ファヴェーラのある地区で素晴らしいジャズ・クラブを発見したんだ。リオ市内のいろいろな地区を堪能できたのが良かったね。
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