――〈ブルーノート〉には老舗のイメージがあって、僕はリアルタイムで通過してきたリスナーではないんですけど、「温故知新」的な要素があるレーベルだと思っていて。でも、松浦さんがHEXでやろうとしていることは、やっぱり昔のものがいいよね、ということを言いたいのではなく、それを現代に落とし込んだときに、どう面白く見えるのかっていう側面がすごく重要なんじゃないのかな、と思うんです。

そうですね。でなければやる意味がないと思うところがありますね。僕はミュージシャンとして関わっていないから、昔の楽曲を扱うにしても、何故これを取り上げたのかという部分が大きい。となると、その“The Tokyo Blues”という敢えて50年前の曲を取り上げるのも、やっぱり東京という街に暮らしていて、何か考えることってあるじゃないですか。暮らしづらい街なんだけど、例えばどこか海外から戻ってきたときに、飛行機の窓とか列車の窓から東京の明かりが見えると、ほっとするみたいな。僕は東京の人間じゃないですけど、そういったものが何か元にあるのかなっていう気はしますよね。

――HEXを語る上で、「現在進行形のジャズ」というキーワードがありますが、松浦さんの考える現在進行形のジャズとは、どんな言葉に置き換えられますか?

まず、ジャズとは何なのかを考えたときに、それは人それぞれでいいかなというのはあって、ジャズのコーナーで売っているからジャズだと思っているだけであって。それがロックのコーナーにあったら買うのか、っていうようなことだったりもすると思うんですよ。

僕が言っている現在進行形のジャズは、ジャズの歴史みたいなものを振り返ってみても、どんどん形が変わって、色々な要素が入り込んで来ているわけじゃないですか、川のように。それが太くなっていって、途中で細くなって、左にそれたり右にそれたりして、色々な形になっていったと思うんですけど、一本貫いている部分がジャズにはすごくある。そこは精神的なところというか、前に進めようとする気持ちみたいなものが大事だなと思っていて。今2013年にジャズって何なの? と敢えてもう一度自分が立ち返ったときに、模索した答えがここに行き着いたという感じでしょうかね。

――冒頭に「U.F.O.から10年以上開いている」というお話がありましたが、リスナーの反応についてはどう考えていますか?

U.F.O.のアルバムを最後に出したのが2002年なので、もう11年経っている。実際に作っていたという意味ではその前の年なので、12年経っているんですよね。リスナーの人たちは12年前の音を求めている人たちもすごく多いと思うんですけど、12歳年をとっているわけであって、前に進んでいくしかないかなと。でないと、新しいものを作れない。多少混乱はするかなと思っているんですけどね。HEXはiPhoneやコンピュータのような画期的なものを作ったと思ってないけど、自分としては一歩なり半歩なり前に進めた気がするので、10年間流れが止まっていた所謂クラブジャズシーンというものも、作り手側がこれじゃいけないなって思うところがあって。何様だって話なんですけど(笑)。シーンをクリエイティヴで活性化していこうっていう気持ちが盛んになってくれればなっていうのが一番の想いですよね。

――〈ブルーノート〉75周年というトピックについて、松浦さんにとって〈ブルーノート〉は、やはりジャズやご自身の音楽の見識を広げる入り口になった存在ですか?

やっぱり〈ブルーノート〉無くして今の自分は無いだろうなと思いますよね。それは音楽だけじゃなくて、いわゆる作り方も含めて。当時リード・マイルスというアートディレクターの存在が大きかったと思うんですけど、90年代のアシッドジャズブームといわれたときにも、ああいったグラフィックのモチーフがデザインの潮流を生み出していた部分もあったので、大先輩って感じじゃないですかね。だからその大先輩の所でやるのにあたって特に気をつけた部分というのが、ジャズを逸脱しない、しちゃいけないっていうことよりも、どうすれば前に進めることが出来るのかということでした。結果的に今の時点で聴いてくれた人が伝統的な部分の香りも残っていると言ってくれるのは、非常に良かったかなと思いますね。ひっくり返して全然違うものにもしてないし、敢えてある特定の時代、例えば今だと70年代の〈ブルーノート〉のムードみたいなものが、もう一度再現されている部分ってすごくあると思うんですけど、それにだけはしたくなかった。答えとしては限りなく正解に近いかもしれないけど、だったら自分がやらなくてもいいんじゃないかなって。敢えてそこから軌道を少し外す具合が一番難しかったですね。

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