今年デビュー40周年を迎えたヒカシュー。国内を始め海外でも数多くの公演やフェスへの参加もあり国外のファンも多い。その即興性を大事にした音楽性はとてもユニーク。あくまでもポップスの枠の中ながらも、そこに毎度の偶然性や突発性、瞬間性が加わり、その同居や共存を楽しむことが出来る。

そして、そのボーカルでリーダーの巻上公一の活動も一貫してユニークだ。ボイスパフォーマーとして、喉や口、発声と声帯を駆使した、瞬発力溢れる「声」という楽器からは、原初性も踏まえ無限の可能性すら感じる。また彼はテルミン、口琴、ホーメイ(倍音の高音部を強調させ、舌や口腔を駆使し美しい倍音を紡ぎだす、ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる喉歌)の使い手としても国内外で名高い。中でも口琴での彼の影響力と普及力、ホーメイに於いては海外での評価も高く、起源トゥバ共和国での国際的なホーメイコンテストの審査員も務めている。

加えて、音楽祭やフェスティバルの運営やプロデュースにも数多く従事。今年からは新たに彼の地元・熱海での<熱海未来音楽祭>(9月20日(金)~21日(土))も加わった。中でも今年の<Jazz Art せんがわ>(9月12日(木)~15日(日))は、市の主催から共催へと移行された関係上、その開催金の調達をクラウドファンディングで実施。先日見事目標に達成したのも記憶に新しい。

ヒカシューとしての活動、ソロ活動、海外との積極的な文化交流や各種フェスやイベントのプロデュース等々、ここにきて更なる活発性を魅せる巻上の活動。その理由やバイタリティの源を探るべくインタビューを行った。

彼の理想とする音楽家の環境や海外との文化交流等々の話を訊くうちに浮かび上がったのは、幾つもの「現在の日本が今後の芸術活動に対して施さなくてはならないこと」であった。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61941-fix-1440x958

INTERVIEW:巻上 公一(ヒカシュー)

ヒカシューの登場以降、あまり扱わない題材を扱えるようになった。
それが僕らの特性だから

━━ヒカシューデビュー40周年おめでとうございます! 今年は1月より1年間に渡るマンスリーライブを始め、恒例の年末の主催イベントも含め動きがかなり活発ですよね。加えて、昨年発売された2枚組2種のベスト盤『ヒカシュー20世紀ベスト』『ヒカシュー21世紀ベスト』は、その内容しかり、かなり驚喜しました。

あれは40周年ということで一区切りをつけ、また新しいステップへの気概も含め、あのような形でまとめました。ちょっとしたサービスも含め。そう考えたら昔より少しはサービス精神も芽生えたかな(笑)。

Monthly HIKASHU ヒカシュー2019年2月ダイジェスト

━━特に初期の曲を聴き返した際に、ヒカシューが世に出たことで、後のナゴムレコードのアーティスト等、今日までかなり多くのミュージシャンにその活動の励みや勇気を与え、その後の道筋への先鞭付け的な役割を担っていたことに改めて気づかされました。

僕らの登場以降、他のミュージシャンがポピュラーミュージックという範疇の中で、あまり扱わない題材を扱えるようになったというのもあるかもしれません。それが当時の自分たちの特性でもありましたから。

━━当時はまだそのあたり、タブーだったり、臭いものにふたをしていた時代だったのでは?

いや、それはなかったです。逆に今より全然ないかも(笑)。今の方が変にコンプライアンスがキツいんじゃないかな。

━━そんな中、当初ヒカシューはどのような目的を持って活動を?

当時はアンダーグラウンドとポピュラーなシーンとがかなり明確に別れていたので、その2つをどう繋げるかが、当初の活動の課題の1つでした。

「アンダーグラウンドで活躍する」だけの決意なら、テレビには出ていなかったでしょう。そういった色々なものと繋がることができるものをやっていきたかったんです。ヒカシュー自体、元々は芝居の音楽をバンド化したようなものだったので、既にその時点で充分特殊でしたね(笑)。

初期はそれこそ演劇の劇中歌的なスタンスで曲も作っていたので、設定づくりの時点で他のポピュラーミュージックとは違いました。

━━それはいわゆるポピュラリティへのアンチみたいな?

いや、アンチまではいかないけど、ある程度の教養がないとそれをキャッチできない、そのような類いのものですね。

それが「理解できない」と言われても堂々とやる。最初からみんなが歓ぶものをやろうとは考えていませんでした。

━━その「アンダーグラウンドとポピュラリティを結びつける活動」のスタンスに至ったのは?

元々、1960年代から70年代にかけてのアヴァンギャルドな活動が大好きだったんです。だけど、自分にできることはそれとは違うことだろうと思いました。その前の世代からの影響を受けたものを継承しつつ、自分たちなりにそれをどう昇華していくか? そこからでしたね。

ヒカシュー「うわさの人類」

リズムボックスの固定ビートにフリーミュージックの方法論を。
これが当初のヒカシューのコンセプト

━━当時、登場時にはかなりの衝撃を与えたと想像しています。

当時、あのような「暗い歌詞なんだけどメジャーな曲調に乗せて」といった類いが、これまであまりなかったでしょうからね。

その辺りは戦略的でした。「例えばリズムボックスを使って固定したビートで、そこにフリーミュージックの方法論を入れよう」というコンセプトから始めました。
それが当時の活動を始める際の自分の創作ノートに書いてあったんです(笑)。

━━巻上さんは即興性やインプロビゼーション等の偶然性を大事に活動していた印象があるので、そのようなプランを立てて行動や活動していたのが意外でした。

いやいや、きちんとプランは考えてますよ(笑)。
とは言え、大概は思った通りはいきませんでした。メンバーが2人も亡くなるなんて、ねぇ。10年目に谷口勝、24年目に野本和浩。ふたりとも才気あふれた音楽家でした。

さすがにその時は辞めようと思うほど落ち込みました。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61844-fix-1440x958

━━そのあたりはどのように乗り越えて、継続に至ったんですか?

やはり残されたメンバーはキツかったですよ。でも、瞑想して滝に打たれているうちに、「続けなさい」と天の声が聞こえてきて(笑)。そこからまたメンバーを探し始めたんです。

━━逆に「入りたい!」と言ってくる方々も多かったのでは?

かもしれませんが、それだとやはり想像の範囲を超えないじゃないですか。

なので、今のメンバーもそうなんですけど、とりあえず気になっていた清水一登佐藤正治と横浜のドルフィーで「メンバーに……」等も何も伝えずにセッションしたんです。

そこで確信をして、終演後「ヒカシューのメンバーに」ってお願いしていました。やっぱり合うとか合わないは、一緒にやってみないと分からないじゃないですか。

今のメンバーも15年以上ずっと一緒にやっていますが、やはり最初はそこからでした。考えたら今のラインナップは、ヒカシュー史上最も長いんですよね。

どうやったら同じメンバーなのに、
常に新鮮にインプロビゼーションが出来るか?を常に考えている

━━ところで、ずっと一緒にやっていることで、ある種のマンネリ化や予定調和的なものが出てくる懸念もありそうですが?

そこがプロデューサーの手腕の見せどころです。
どうやったら常に新鮮なインプロビゼーションが出来るか? それは常に考えています。
中でも一番効果的なのは環境を変化させることです。それもあって時々、国外のツアーも組んでいるんです。

急にシベリアでライブをやったり(笑)。未知の場所でのライブとなるとみんなのモチベーションも上がりますからね。向こうは英語すら通用しないので、シベリアでライブをやった日本人ロックバンドはあまりいないでしょう。過去にはアルハンゲリスクという街でライブをやったこともあります。

━━そこはどこですか?

モスクワから電車で24時間ぐらいかかる街です。当初はそれを「往復電車で」と言われたんですけど、「さすがに片方だけは飛行機にしてくれ」と(笑)。

そこは大きなジャズフェスへの出演でした。でも、そのように旅をすることで何かこれまでになかったものが生まれるんです。長い間の共同生活もですが、旅の様子を歌にしたり、共通の体験が持てる。=(イコール)バンドのステップアップにもつながる。

毎度、海外でレコーディングを行っているのもそれが理由です。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_62000-fix-1440x2165

━━そんな日本人がやったことのない土地ではどのような経緯でオファーが?

それは僕がトゥバ共和国と25年ぐらいの親交がある関係からですね。
向こうには大統領も含め100人以上知り合いがいるんです。周辺各国にも知り合いが多くて、僕1人でフェスティバルにも出てたりもしてます。

それもあって、バンドでも向こうでは1000人収容の会場や大劇場でライブがやれるんです。

━━その辺りの諸国では巻上さんはホーメイ方面でも著名ですよね。では、巻上さんのホーメイ経由で向こうでの認知やネットワークも広がっていったと。それにしても発祥国の方も認めるなんて、巻上さんのホーメイはかなり本格的なんですね。

とは言え、やはり向こうの方々にはかないません。
それよりも私の場合は、このボイスパフォーマンスの方面ですね。向こうでも日本とあまり変わらないボイスパフォーマンスをやっています。そんな私のステージを観て、彼らも「こんな声の出し方もあるんだ!?」と影響を受けています。

ホーメイコンテストで一位2017

あとホーメイに関しては20年近く現地のコンテストの審査員もやらせてもらってますね。

━━しかし日本人であるにも関わらず、発祥国でのコンテストの審査員を任されるのは凄い!

長いこと聴いていると、それが正しいホーメイか否か? も分かってくるんです。今だと、それこそ聴いて一瞬で判断できます。どういったテクニックを使っているかも含めて、舌の位置や鼻の締め方等々、技術点と芸術点とがあるんです。いかに伝統かつオリジナリティがあるか? みたいな点ですね。今年も自国を始め中国やアメリカからも多数の参加者がきてました。

ミュージシャンが持っている原石みたいなものを
一度見つめなおしてもらう為のフェスでもある

━━そのような国際的な巻上さん個人としての活動が自身に何かもたらしたことはありますか?

やはり新しい交流が生まれたり、芽生えたりすることですね。
その辺りは今もとても大事にしていて、それによってここまで得たことも沢山あります。

1995年ぐらいから、自分は色々な国に呼ばれるようになったんですが、そんな中でも、やはり自分がやっている中心はヒカシューだ、との自負もありました。

そのフォーカスがなんとか1つになるようにしたいと常々思って活動しているんです。トゥバ共和国の人たちも、僕のことは知っていても僕のやっている活動までは知りません。その為にも、バンドも連れて行かなくちゃいけないんです。僕個人の話でいうと、モスクワで<危険な声帯フェスティバル>というフェスにも呼ばれたりしましたね。

━━フェスと言えば、最近はご自身でも日本国内にてジャズフェスや音楽祭等のプロデュースでもご活躍されていますよね。中でも先日開催された、調布市の<Jazz Art せんがわ>。今年は巻上さんが旗を振り、クラウドファンディングで開催資金を調達する試みにも興味を惹きました。

これまで、<Jazz Art せんがわ>については調布市が主催のフェスティバルだったんです。

<JAZZ ART せんがわ>ダイジェスト 2018

しかし、市から「今年はやりません」的なお達しがあって。でも、こういうフェスティバルって一度無くなってしまうとずっと無くなったままになるケースが多い。
だから、せっかく10年続けたし、色々なミュージシャンやファンの方も「続けて欲しい!」との声も多くいただいて。「では!」と。

去年あたりには「10年やったから他の方にプロデューサーを変わってもらおうかな……」なんて考えていたんです。でも、やはり最後がこんな終わり方では納得いかなくて。調布市から予算は出ないんだけど、何とかできないものかと奔走した結果、今年は共催という形で開催することになったんです。

━━そのクラウドファンディングにしようとの発想は?

お金がないからです(笑)。

出演してもらうミュージシャンにはきちんと出演料を支払うのもフェスティバルの目的としてあります。
あとは、同じような想いを持っているミュージシャンたちが1年間に一度みんなが集まれる場所の必要性ですね。

その2つがとても大事だと自分では考えています。

これは元々お祭りではなく、親密さを持った場所になることが狙いだったし。あと、もう1つは「音楽の持っていた原初的な力を取り戻す」というのが狙いです。それもあって、出演者には「即興を中心に、ありきたりのショーにしないで欲しい」ので、ありえない組み合わせも提案します。

━━さきほどの「原初的な力を取り戻す」の意味をもう少し詳しく教えて下さい。

いわゆる荒々しさみたいなものですかね。

その各ミュージシャンが持っている原石みたいなものを一度見つめ直してもらうというか、「BE WILD」って感じですね。
それでいてきちんとお金が入らないとダメ。英語でいうと「feral intimate alive」。発足当初からのテーマです。

野生の鳥を飼ってペットにする。
それがもう一度野生に還る(かえる)ような場所。
飼いならされていたものがもう一度野生に還れる場所。
音楽をもう一度野生に還す。

そんな意味ですね。なので、たとえハーモニーやリズムから逸脱してもいいんです。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61887-fix-1440x958

きちんとプロのミュージシャンたちにお金を
払ってあげないと彼らの生きる道も閉ざされてしまう

━━対して間もなく開催が近い、<熱海未来音楽祭>についてはいかがですか?

逆にこちらは静岡県からの助成金をいただいて開催します。

熱海未来音楽祭2019年9月

━━この<熱海未来音楽祭>は初めての試みかつ、巻上さんの地元・熱海で行われますね。

これは最低でも3回の開催を目指して始めました。
当初は<Jazz Art せんがわ>で海外から来たミュージシャンが、その後日本のどこかでライブをやって、またこの熱海に集う、そんなイメージでした。けど、<Jazz Art せんがわ>の開催がなかなか決まらなくて、そうはいかなかったです。

おかげさまで凄く忙しい月になりましたね(笑)。
当初は両方とも近い形にしようと考えていたんですが、熱海の方はまた違ったオリジナリティのあるものにしなくてはいけなくなりました。

それもあって、今熱海に住んでいる町田(康)くんあたりにも声をかけました。
こちらはこちらで街も巻き込んで、商店街に協力してもらったパレードがあったり、ビーチ等も使ったり、なかなか贅沢な内容になる予定です。
テーマは「不思議な世界」です。未来の扉とテーマで、ビーチに突然扉が置かれて、そこから楽団が出てきたりなど、演劇的な演出も考えています。

まぁ、色々な協力要請や使用許可を取るのにかなり奔走しましたが(笑)。すごく面白いものになりますよ。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61912-fix-1440x958

━━海外のアーティストを日本に呼ぶというそのコネクションも凄いです。

そのあたりは僕の海外の文化交流によるところが大きいですね。

逆に、日本は海外とそのような交流が少ない気がしています。
もちろんオリンピックも大事でしょうけど、こういった海外との文化的な交流活動も絶対に大切なわけです。

今まで自分たちがやってきたことをもう少し研ぎ澄まして、交流できるような場を設定する。僕はその交流こそが凄く大事だと考えています。さっきの<Jazz Art せんがわ>にしても<熱海未来音楽祭>にしても、そういった海外の素晴らしいアーティストの紹介や、海外のアーティストやシーンとの文化交流などそのあたりも狙いにあったりはします。

━━今の文化発信状況は、どこか唐突感や一方通行さがあり、けっして交流とは呼べないものですもんね。

やっぱり、お話してきたような海外での活動のなかで「交流」が広がっていきました。その分、相手の国へ呼んでもらえるのはそうなのですが、逆に今は「日本で何とかライブが出来ないか?」「日本であなたがやっているフェスに出れないか?」といった、日本のライブ、フェスに出れないかという打診も沢山あるんです。

しかし、その受け皿がなかなかない。来てもらう以上は、きちんと最低限の出演料は出すなどしてあげたいと思っています。

━━ノーギャラで呼んでいるイベントやフェス、ライブの招聘も沢山ありますが、それらとは違うんだぞと。

呼ぶ、いや、来て演奏してもらうからにはお金を払わなくちゃダメ。
あと、親父バンド(地元の名士たちで楽器をやったことのある、ある程度の地位の方々の余興的なバンドの類い)の同じステージでの出演は辞めて欲しいです。同じステージで他に出ているのは、それでごはんを食べているプロのミュージシャンたちなので。

その舞台を奪っちゃいけない。敷居も含めてプロの仕事を尊敬して欲しい。
街の為や身内が盛り上がったりはするだろうけど、そこから音楽的な発展や展望はあまりないでしょうし。対して、きちんとプロのミュージシャンたちにはお金を払ってあげないと彼らの生きる道も閉ざされてしまう。そのあたりも含めて、ミュージシャンが音楽で食べていく。それに関してはなんとかしたいんです。それもあって、僕はJASRACの委員会の一員を務めています。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61889-fix-1440x958

これからも色んな国をめぐりたい。
そこからまた「交流」を生みだせるように。

━━結成40周年の話に戻りますが。結成30周年の際にはこの10年はどうなると予測されていましたか?

こんなに忙しくなっているとは思ってなかったです(笑)。
その頃に、今のメンバーが固定したので、その頃はライブが面白くて面白くて。もうずっといけるぞ! って気概でしたね。その頃からアルバムも再びコンスタントに出し始めて、あの時の充実感と勢いのまま、ここまで来ている気がします。

━━そこを経てのこの40周年以降は何かありますか?

より海外での演奏を増やしていきたいです。

色々とフェスに出ないと、知名度的に向こうから単独で呼ばれるのにはなかなか結びつかないので。
僕らもファンはいるけど、知られているわけではないですから。そうそう、不思議だったのはベルリンでライブをやった時に、中国人の子が自分たちのLP(日本製のオリジナル盤)を全部持ってきて「サインしてくれ」って。僕らはまだ中国でライブをしたことがないので、どこで手に入れたんだよ? って(笑)。

そんな感じで、これまで行ったことのない国やフェスにも出てみたいし、行ってみたいですね。
そしてこれからも、どんな場所でも「いい感じ」でやれるミュージシャンでいたいです。そこからまた「交流」を生みだしていけるように。

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_61972-fix-1440x2165

Photo by Madoka Shibazaki
Text by 池田スカオ

ヒカシュー
1978年に結成のノンジャンル音楽ユニット。
リズムボックスとメロトロンを使ったバックグラウンドに、地下演劇的な内容と軽快で色彩感ある歌声を加味した音楽で、スタート。
1979年にニューウェイブロック、テクノポップバンドとして一般に認知されたが、その後、メンバーを変えながらも、即興とソングが共存する方法論で、今なお、独自の活動を続けている。
そのライブは、陶酔と覚醒のアンビバレンツ。究極のノンジャンル。
………そして、形而超学音楽のロックバンドとして唯一無二。その即興性は魔法の領域にある。

HPTwitterFacebook

巻上 公一(ヒカシュー)
静岡県熱海市生まれ、在住。
ヒカシューのリーダーとして1978年から現在に至るまで作詩作曲はもちろん声の音響voice performanceやテルミン(という電子楽器)、口琴(こうきん)を使ったソロワークやコラボレーションも精力的に行っている。
類いまれな歌のセンス、声の可能性の追求、斬新な切り口と諧謔精神を備え、歌謡曲から歌ともつかぬ歌まで、そのパフォーマンスは縦横無尽且つ自然体。

最近はいくつかのシアターピース(代表は宇宙語「チャクルパ」シリーズ)にも着手している。
シベリアのトゥバ共和国に伝わる喉歌ホーメイの紹介者、第一人者であり、指導者としても多くの歌手を育てている。2017年 トゥバ国際ホーメイコンテストモダン部門で第1位獲得。

HPTwitterInstagramFacebook

EVENT INFORMATION

JAZZ ART せんがわ 2019

2019.09.12(木)、13(金)、14(土)、15(日)
調布市 せんがわ劇場
詳細はこちら

熱海未来音楽祭

ヒカシュー40周年を経て巻上公一が語る「世界をめぐる活動意義」。初フェス熱海未来音楽祭についても! interview190917_hikashu_makigami_atami

2019.09.20(金)、21(土)
熱海市 熱海起雲閣音楽サロン
詳細はこちら