<FUJI ROCK FESITIVAL>(以下フジロック)降臨、そしてバトルス(Battles)のオープニングアクト出演と、平沢進を長年追いかけてきたファンにとって2019年は、嬉しくも驚きのニュースが立て続けに舞い込んできた年だった。これまで所謂「シーン」というものに一切属せず、音源の販売ルートまで独自の方法で切り開いてきたインディペンデント〜オルタナティヴの化身のような彼が、「ロック」の最前線に乗り込みパフォーマンスを行う。それは、これまで平沢進というアーティストを知らなかった人たちにとっても、大きな衝撃だったはずだ。

そんな平沢進+会⼈(EJIN)による<会然TREK 2K20>ツアー、アナウンスされていた東京・大阪の計4公演はすでに完売。4月19日(日)にNHKホールで追加公演を開催することが決定している。会⼈(EJIN)とは、平沢のライブ・パフォーマンスを支えるSSHOとTAZZの2人組。マスクをかぶった彼らの異様な姿を苗場で目撃した人も多いだろう。彼らを従え、テスラコイル、レーザーハープといった独特の楽器を操る平沢の、唯一無二のステージ。昨年ノックアウトされた人も、未見の人も、この絶好の機会を是非ともお見逃しなく。

今回Qeticでは、そんな平沢にメール・インタビューする機会を得ることができた。昨年の振り返りやライブの装置、テクノロジーに関する考察、未来を担う若者へのメッセージなど、示唆に富んだ非常に濃厚な言葉の数々。筆者がCINRAでインタビューをしてからちょうど1年経ち、あのときに話していた「未来」のイメージは今、彼の中でどう変化したのかについても訊いてみた。

INTERVIEW:平沢進

━━まずはフジロックについて伺います。最初は会人のお二方を前に出すつもりで企画書を書いたところから始まったと聞いています。最終的に「平沢進」としてフジロックへ出演されてみて、その光景はどのようなものでしたか?

想像を上回る「歓迎」にある意味拍子抜けしました。80年代のフェスはヘタをすればビールの缶が飛んでくるような緊迫感の中で処刑されるようなものでしたから。

━━“ジャングルベッド”のあとに演奏していたインスト曲は新作でしょうか。この曲からは、「ロック」の要素をとても強く感じました。これまで平沢さんは、いわゆる「ロックのイディオム」を嫌い、それを避けていたように思います。それが今回、このようなアプローチの楽曲を生み出したのは、フジロックという「ロックフェス」に出演することが影響していたり、大きなモチベーションになっていたりしましたか?

曲名は「牛人(ぎゅうじん)」です。あの曲は非常にシンプルなので聞く人の投影を受けやすいでしょう。ロックが好きならばロックのように聞こえるでしょう。ですが私の意図はそこにはありません。あれはエレキギターのクリーントーンに再度注目した結果出来上がった曲で、私としてはいわゆるロック的なギターサウンドの読点の後に設けた行替えのようなものです。

━━平沢さんは、2019年を「10周年期」という言葉で表現されています。昨年フジロックへの出演やバトルスのオープニングアクトとして出演を決めたのは、この「10周年期」の節目であったことも影響していますか?

黄金の十年周期は、それ以前の周期の間に置かれた布石を一気に踏み進める時期です。一見動機と行動が直結されているような単純な判断の結果のように見えるものでも、複雑な点の連結が隠れています。私はそれらの要素をドラマチックに見えるようアレンジしているにすぎません。ですから一口に「来るものは拒まず」と表現される選択でも、実は「何故それを選択したのか」を説明するのは簡単ではありません。

━━フジロックで演奏していた「テスラコイル」(落雷マシーン)は、David Nunezという人物により制作されたプラズマ・スピーカーをカスタマイズしたものだそうですね。他にもレーザーハープや、農業用の道具などを「楽器」として使用する発想はどこから来るのでしょうか。

音楽を形作る道具の意外性が私を鼓舞してきました。かつてはエレキギターやシンセサイザーの外見が、そこから生まれる音楽の意外性と協調していました。音楽が意外性を体現するのが困難な時代にあって、楽器以外の道具にかつて楽器が担った役割を負わせようとする悪あがきを御覧ください。

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──ちなみに「テスラコイル」や「レーザーハープ」はどういった仕組みなのでしょうか?

「テスラコイル」は放電電圧を変えることによってメロディーを奏で、「レーザーハープ」はセンサーに当たるレーザーを遮ることで音源を鳴らします。

──平沢さんのルーツやクリエイティビティについてもお聞かせください。幼少期に初めて出会ったのが鍵盤だとおっしゃっていたのを覚えております。楽器に夢中になり音楽を制作し、アーティストになると考えたのはいつ頃でしたか?

アーティストになると考えたことはありません。そうならざるを得ないように環境が動いた結果です。子供のころからギターを弾いていましたが、それを職業にするなどとは微塵も考えていませんでした。

──平沢さんのこれまでの楽曲には、「旅」がキーワードとなっているものが多いと思います。過去にはタイへ行き、そこでインスパイアされた楽曲も多く制作されていますが、「旅」がご自身の大きなテーマになっていたり、楽曲作りに影響を与えたりしていると思いますか?

行為としての旅は私の活動にとって意味を持ちません。私がしばしば扱う概念の中には、流動、循環、変遷、帰還等があり、それらが比喩的に旅の形をとる場合はあります。ですから具体的にどこそこへ出かけて行った旅そのものに影響を受けることはなく、物事の背後に見えたり、あるいは隠されていたりする「変化する原理」のようなものに影響を受けているでしょう。

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──インターネットの可能性をいち早く見出し、音源の販売方法などを生み出してきた平沢さんですが、現在のテクノロジーの進化についてはどのような見解をお持ちでしょうか。むしろネットが主流となった今は、すでに興味を失っているところが多いですか?

テクノロジーの進化そのものは今でも純粋な動機によるものがあると信じています。ですから受け入れるべきものもあるでしょう。ですがそれは、動機の先にあるもの、つまり、人々がテクノロジーを使ってどうしたいかということよりも、テクノロジーを使って「人々にどうあって欲しいか」という意図による気づきにくい圧力にも応用されています。幸いTVが信用を失ったように、インターネットの一部の情報の傾向も信用を失いつつあります。人々はそれほどバカではないというところに希望を託します。

──では、AI技術の発達に対して期待していることはありますか?

文明を動かす力学の枠組み転換が起こり、人々や集団の善意が信用できる時代になった時、AIは人類を幸福にするという期待を受け入れるでしょう。

──今後ご自身がアーティストとして「自由」であるために、あるいは「好きなこと」を表現し続けるために必要だと思うものは何でしょうか。

ゲームチェンジです。「させられているゲーム」を次から次へとやめて行き、自分のゲームに置き換えることです。

──あえてお聞きしますが、平沢さんにとって“アート表現”とはどのようなものでしょうか。

何も無いところに一定の制限を設けることをアートだと感じています。その文脈でいうと“アート表現”とは制限をもって制限を超えようとする試みです。

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──2018年のCINRAでのインタビューで、今後は時代が大きく変化し「今まで信じられてきた歴史や常識がすべて見直されるような、まるでパンドラの箱が開いてしまうような出来事が起きる」とおっしゃっていました。その大きく変わる未来について、平沢さんはどんなイメージを持っていますか?

世界を動かす力と方法のゲームチェンジが起こり、歴史や世界の仕組みを学びなおす機会が共有され、人々は固有の差異と能力を尊重され、「奪取」や「詐取」より「信頼」によるより効率的な富の共有を学び、あるいはそうすると決意し、善意が文字通り善意のために行使される「あたりまえ」の世界へと向かおうとする意志が共有される世界のイメージです。これは人類史から見ても不可能で子供じみた妄想に思えるでしょうが、「理想のビジョン」に出会った時「子供じみた妄想」と定義するように条件づけられた思考傾向の終わりも意味します。人々の思考のゲームチェンジも必要とするため、長い年月を経て完成する世界ですが、2019年はその入り口だったと感じます。

──『ブレードランナー』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの多くの映画をはじめ、様々な芸術娯楽にて設定されていた未来社会に現実が追いつきました。これまで多くの未来的予見を活動のなかでされてきた平沢さんは、50年後、100年後の未来世界がどう変わっていくことを期待していますか?

『ブレードランナー』が描く多くのSFがテーマにしていた高度な管理社会と 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描くような未来が同時に来ることはありません。どちらも想像可能で実現の可能性には同意できるにも拘わらず共存できない未来です。その矛盾の間にある最も重要なSF娯楽作品をどうか忘れないでください。映画『マトリクス』です。『マトリクス』を「怖い娯楽」ととらえるか現実ととらえるかの分岐点に人々は到着し、タイムラインは後者の方へと舵を切りつつあります。ここで破局的な妨害や恐ろしい引き戻しが無ければ、あるいはそれらの抵抗を克服できれば、100年後には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が存在するでしょう。

──未来という文脈で、音楽はどのように進化していくと思いますか?

分岐点でどちらに舵を切るかによります。音楽が大量消費材でありつづけるならば製作は簡単にAIに置き換えられ、データベースに存在しない個性に対して人々が「きもちわるい」と反応するような感受性が育てられるでしょう。もう一方の分岐では今からでは想像もつかないタイプの良い音楽が生まれる可能性があります。それでこそ音楽なのですから。

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──平沢さんが描く未来には、ご自身の「夢」はありますか?

人々が未来に託す「夢」はもう何十年も前に描き終わっています。私自身も過去に描かれた「良い未来」の夢に共感します。ですが今は分岐点にあり、何故それが実現されず、何度も後戻りさせられたり、突破口が見つかる度につぶされるかをめぐってこのまま進むか、その回答につながる分岐を選ぶかの瀬戸際にあります。良い分岐が選択されるのを目撃することがごく近い未来に描かれた私の夢です。

──日本にはメジャー、インディー問わず若手のアーティストが数多く存在しています。彼らが活動する上での根源的な価値観が、ここ数年で大きく変わってきていますが、世代間で「価値観の継承」をすべきだと平沢さんが思いますか?

継承するのではなく、時代時代に鋭敏な感受性を持ったアーティストが存在することに期待します。

──平沢さんは、悩める若い世代に対し「好きなことをやるべき」とよくおっしゃっています。誰かの評価を恐れている若者たち、自分の役割を教えてもらえないと前に進めない若者たち、大学を出ないと社会で評価されない若者たち、そんな若者たちが “恐れ”を振り払って前に進むためには、どういう意識を持つべきだと考えますか?

私の若い頃はカルチャーショックが跳躍や脱出の助けをしてくれました。現代は物や刺激が多くしかも均一的で、ある意味重要な感受性が間引きされたように見え、カルチャーショックが起こりにくい時代です。そんな時代に跳躍や脱出の助けになりそうなものは「ミニマリズム」だと感じています。我々は足し算によっておかしな世界とおかしな人間とおかしな価値観とおかしな思考を生み出してしまった結果、不要な不安や恐怖を抱え持つようになりました。それらのものが本当に必要なのかどうかをミニマリズムによる引き算によって考え直すことが脱出や恐怖の消去に役立つと思っています。

──膨大な情報が凄まじいスピードで、大量に手の平のデヴァイスに入ってくる現在、表現者として今後も永続的かつ濃度のある活動をしていくための心構えや、それを目指す人たちへのアドバイスがあれば教えてください。

あらゆる情報や出来事、あるいは人為的な傾向が自分を包囲していると考えるのではなく、自分のゲームの中にそれらの出来事が位置していると定義しなおすことです。

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平沢進
東京都出身。
1979年にP-MODEL結成。同年にワーナーブラザーズよりデビュー。テクノ・ポップ/ニュー・ウェイヴの中心的な存在となる。
89年にはソロ・アルバム『時空の水』をリリースし、P-MODELと並行してソロ活動を開始(現在、P-MODELは活動休止中)。
ソロ作品では、より歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民俗的世界)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような、 独自の音楽世界を確立した。
94年より自ら考案した、コンピュータとCGを駆使して観客との相互コミュニケーションにより展開する「インタラクティブ・ライブ」を開催。
99年には日本でいち早くインターネットによる音楽配信を開始するなど、常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のさまざまなアーティストたちへも影響を与え続けている。
2002年の(財)デジタルコンテンツ協会主催「デジタルコンテンツグランプリ」では、2000年に開催された“インタラクティブ・ライブ・ショウ2000「賢者のプロペラ」”が<作品表彰の部>の最高賞である「経済産業大臣賞」と「エンターテイメント部門最優秀賞」を受賞。
また、今敏監督のアニメ「千年女優」「妄想代理人」「パプリカ」のサウンドトラック、三浦建太郎作の漫画「ベルセルク」の劇場版・TV版・ゲーム版のサウンドトラックも平沢が担当している。
海外でもその評価は非常に高く、アニメーション映画『パプリカ』の主題歌「白虎野の娘」はアカデミー賞歌曲賞部門のノミネート候補となった。
2009年からはtwitterも開始。
音楽作品のみからでは汲みきれない平沢ならではの独自の世界観が人気を呼んでいる。
現在はソロ「平沢進」と、P-MODEL時代の作風を継承したプロジェクト「核P-MODEL」として主に活動中。
2020年現在、オリジナル・アルバムのみでも、P-MODELで12枚、平沢進で13枚、核P-MODELで3枚の作品を発表している。

HPTwitter

INFORMATION

平沢進+会人(EJIN)会然TREK 2K20ツアー

会然TREK 2K20▼04
2020.04.19(日)
OPEN17:30/START 18:30
¥7,150(全席指定・税込)
Info.03-3444-6751(SMASH)/03-5720-9999(HOT STUFF PROMOTION)

主催者先行受付:1/28(火)10:00 〜2/4(火) 23:59
主催者先行受付はこちら

2/15(土)下記にて一般発売開始!
ぴあ(P:176-195)英語販売あり、eプラス(pre:2/5 12:00 – 11 23:59)、ローソン(L:72528)
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