旧東ドイツ出身のピアニスト、Henning Schmiedt(ヘニング・シュミート)。ジャンルレスでありながら音楽性の高いリリースに海外メディアでも定評のある、日本のインディペンデント・レーベル〈FLAU〉の代表的アーティストでもある彼が、今年2月、通算7枚目のソロアルバム『Schlafen』をリリース。本国以上に熱いファンの多いであろう日本へ3月から全国16都市を回る5度目のジャパンツアーを予定していたが、コロナウイルスの影響を考慮し、来日を止む無く中止した。

そこで急遽、彼にメールインタビューを要請し、ニューアルバムのことや現在の心境、今後のプロジェクトについて語ってもらった。Henning Schmiedtのマジカルなピアノの生演奏を心待ちにしていた人や、まだ彼の魔法にかかったことがない人たちと、底抜けに温かな音楽や彼のチャーミングな空気感を少しでも共有できたらうれしい。至福の時間へと誘うMVと共に、どうぞお楽しみください。

ゴルトベルク変奏曲を自分の変奏曲へ

ーー昨年2019年はMarie SéférianとのプロジェクトNous名義でのデビューアルバムやAki Ueda,Tara Nome Doyleとのシングル、また名作『Klavierraum』の続編『Klavierraum, später』とバラエティに富んだリリースが続きましたね。そして今年(まだ2月!)、ニューアルバム『Schlafen』をリリースされ、近年益々意欲的に制作活動に取り組まれていると感じられますが、そのモチベーションはどこから湧いてくるのでしょう?

はい、とても忙しい1年でしたが、プロダクションはそれぞれ全く異なる期間に遡り、時には何年も前に遡るものもあります。実際のところ、私はこの数年間ずっと作曲とレコーディングに没頭していました。創造的であることは、自分とつながる方法です。自分の心と共鳴することが、ハーモニーであり、至福なことなのです。アルバムや別のプロジェクトのアイデアを書くこともありますが、そういったすべての時間が、私にはただただ楽しくて仕方ありません。すべてのアイデアやスケッチがアルバムになるわけではなく、音楽の価値を見つけ出すために試行錯誤することもあります。ですから私の最近のリリースは、録音と制作の歴史の点でも非常に新しくもあり、同時にかなり古くもあるといえます。

NOUS (Marie Séférian and Henning Schmiedt) – O Heya

ーー様々なプロジェクトがそのように同時進行していた中で、『Schlafen』はどのような経緯で制作に至ったのですか?

12年前、ドイツのディレクターのGert Hofから、バッハのゴルトベルク変奏曲の録音を依頼されました。彼は、ハンブルクの港で開催される船の命名式で、光に焦点を当てた大規模なマルチメディア・パフォーマンスのイベントにその音楽を使おうと考えていたのです。

Gert Hofは数年前に亡くなってしまいましたが、当時巨大なライトショーのディレクターとして有名で、テクノやクラシックなど、さまざまな種類の音楽をこのイベントに使用していました。彼はゴルトベルクのテーマが好きで、この変奏曲を強力な電子音への静かなカウンターポイントとして使いたい、と考えていたようです。

ーーオリジナルのゴルトベルク変奏曲と比べ、『Schlafen』ではどういった点で新しい解釈の部分を表現していますか?

すでにとても素晴らしい古典的な録音物がたくさんあるので、純粋に古典的なものとは異なる、新しいアプローチをしたいと考えました。この作品には真偽は不明ですが、バッハがピアニストのゴルトベルクが演奏した、高貴な男の眠れぬ夜のために作品を作曲したというエピソードがあることを知りました。そこで、私はこのトピックに焦点を当て、自分の変奏曲を録音することにしたのです。

録音は非常に古いBlüthnerのグランドピアノで行い、サウンドも気に入っていたのですが、後で原盤権について問題が出てきてしまった。そこで、この作品をもう一度録音することにしました。録音の面でもアプローチを区別したかったので、マイクスタンドを使用せずにピアノの中にマイクを置いて演奏しました。庭や公園が周囲の風景に溶け込んでいるのと同じように、ピアノの音を周囲の音に溶け込ませることを考えたのです。時には窓を空けたまま録音したので、室外の音、街灯の騒音や周囲の音も少し入っています。

今回の録音では、いつも使っているスタインウェイのコンサート用グランドピアノではなく、非常にソフトなサウンドを備えたシンプルなアップライトのベヒシュタインを選びました。ピアノは数年間使用されておらず、チューニングは432 Hzぐらいで非常に低かったです。低いチューニングはそれほどアグレッシブにならず、ととても柔らかくて温かな音を作れるので、それが功を奏しました。

Henning Schmiedt – Und Ausatmen (OFFICIAL VIDEO)

ヘニングさんも不眠症に悩んでいる?

ーーヒプノシス・セッションの流れを形成している、というこれらの曲名には、アルバムを通して聞くことで、リスナーにどのようにリラックスしてほしいという想いが込められていますか。

催眠のセッションのタイトルは実際のところ、私の個人的な経験から来ているのです。催眠は非常に心を落ち着かせ、リラックスできる経験になります。しかし、リスナーを操作したくはありません。私は自分の経験について伝えるだけです。音楽には共鳴があり、聴く人が望むならリラックスできる場合もあるかもしれません。

ーーヘニングさんも、不眠症に悩むことはありますか?もしくは、ご家族やご友人にそのような悩みを抱えている方は?

私もまた、さまざまな時期に不眠症を患っていました。多くの人が時々それを経験していると思います。目が冴えて眠りを探しているのは辛いかもしれませんが、時にはただふわふわとした感覚で晴れやかな夜もあります。Tara Nome DoyleとのシングルStille Nattで描いたものも、ほぼ同じテーマですね。

Tara Nome Doyle / Henning Schmiedt – Stille Natt

ーーバッハが伯爵のためにゴルトベルク変奏曲を書いたように、ヘニングさんも誰かのために、曲を書くことが多いでしょうか?(Klavierraumは妊娠中の奥様のために制作されたものでしたね)ご自身の音楽家としての探求心から、実験的な取り組みも多々されているかと思いますが、今回のアルバムについてはいかがでしょう。

(このアルバムに関しては)まったく異なりますね。Tara Nome Doyleの美しい声のための『Stille Natt』のように、たまに他のアーティストに捧げる曲を書くこともあります。

私の音楽からインスピレーションを得て、靴を作ってくれた素晴らしい靴職人・アーティストの三澤則行氏、またとても素敵な日本人カップルの結婚式のための『Hochzeitslied』など、私の人生の親愛なる人々のために曲を作ることもあります。しかし『Schlafen』のテーマは完全に睡眠に関する瞑想であり、自分自身との対話でした。

Project with Henning Schmiedt in Berlin (Full Ver.)

ーー日頃から創作活動に取り組まれ、たくさんの曲を録音されていますが、『Schlafen』を除けば、コンセプトは後にくることが多いのでしょうか?

はい、その通りですね。普段は録音した音楽を聴いて、いくつかの曲をプレイリストに接続します。曲にはその時点でまだ名前はありませんが、聴いている間にそれらを接続する特定のクオリティを見つけるんです。私が扱っているトピック、例えば『Spazieren』の適度なバランスの取れた動きであったり、『Walzer」の軽さと憂鬱のようなイメージでしょうか。

Henning Schmiedt – Im Baumesdunkel

ーーコンセプトに従って曲を選んでいますか?だとしたら、どのようにそのコンセプトを見つけるのでしょう?

曲がコンセプトを選ぶと思います。作曲したり演奏したりするときは、潜在的な意識と結びついているので、完全にコントロールされたプロセスではありません。実際に歌のメッセージとトピックが何であるかを、後から掴んでいますね。

日本は音楽の故郷であり、いつも戻ってきたい場所

ーージャパンツアーのキャンセルは、事情が事情ながら誠に残念でした。すでに何度も来日されていますが、日本はヘニングさんにとってどのような場所なのでしょう。

日本は私にとって、とても大切な場所です。私はいつも戻ってきたい友達や場所がたくさんあります。誠実な友情とホスピタリティ、芸術とスタイルに対する感覚があり、この美しくユニークな国に来るたびに感動します。そしてここに、私の音楽の故郷である首謀者で友人のausが運営するレーベルの〈FLAU〉もあります!

そのため、ツアーを延期するかどうかは非常に難しい判断でしたが、これらのコンサートに参加することは観客や友人たちにとってどれほど困難であり、危険でさえある可能性に気が付いたので、正しい決断であったと感じています。

ーーこれまでの来日公演で特に思い出に残っている場所や公演のエピソードがあったら教えてください。

これは難しい質問ですね。これまで私が日本で演奏した会場はすべて厳選されていて、主催者とプロモーターは私の音楽と個人的なつながりがあるからです。何人かは友人になるほど、強い絆で結ばれました。私はすべての会場で温かく迎えられ、来場者の和やかな雰囲気と愛のある視線にいつでも気持ちよく演奏することができました。

ーー来日公演を行うはずだった約一ヶ月間がすっぽりと空いてしまいましたが、何をして過ごされる予定ですか?

ベルリンで学生たちに音楽を教えているので、3月もそうしますね。あとは家族とバルト海で少し休暇を取ります。

Henning Schmiedt – Nach Hause

ベルリンで大きく開かれた人生と音楽の道

ーー東京とは人種も文化も異なるヘニングさんの故郷であるベルリンで、どのように音楽活動を行ってきましたか?

ベルリンは私にとって絶え間ない挑戦でした。壁が崩れる前から私はここに住んでいて、音楽は秘密の言葉、自由と幸福のコードのようなものでした。ドイツ統一後、多くの変化がありました。お金はより重要になり、人々は時間が減り、コンサートはショーになりました。人生はもっと開かれ、多くのミュージシャンやアーティストが海外からやって来ました。大きな希望と大きな変化の時でした。

ベルリンは手頃な価格で暮らすことができ、非常に実験的な場所でした。私はここでソロピアノを初めて演奏したり、シリアスな現代音楽やワールドミュージック、ジャズ、ソウルを書くなど、多くの新しいプロジェクトやスタイルを作りました。

ーー日本からもたくさんの才能あふれるアーティストがベルリンに移り住んでいます。ここ数年で街の変化を感じることはありますか。

海外から多くのアーティストがベルリンに来てくれたことに感謝しています。ここには日本人アーティストの友人がたくさんいて、デザイナーのミズシマ・ナツコやフォトグラファーのミズキ・キンなど、私の最新アルバム『Schlafen』のために協力してくれた人たちもいます。私が思うに最近のベルリンでの生活は、他のヨーロッパの首都と同じようになってきています。東ベルリンのダウンタウンの家賃は高くなり、アーティスト、クラブ、スタジオのための手頃な価格の場所はなくなりましたが、同時に雰囲気は非常に国際的になりました。ダイナミックな都市であり、その精神は常に変化していると感じますね。

Henning Schmiedt – Wie War

散歩と瞑想、チーズにワイン。楽しみは尽きない

ーー音楽に限らず、今ヘニングさんが興味を持っていることは?

気候変動への反対、社会的およびジェンダーの正義のための新たなムーブメントがあり、これらの変化への動きは素晴らしいと感じています。私は常に音楽とアートの本質的なクオリティに興味があり、人生はまだ加速中です。ですから音楽を通して空間を開き、時間を遅くする魔法を、またSpazieren=散歩と瞑想、良いグリュイエールチーズとグラスワインを楽しんでいますね。

ーー現在、進行中のプロジェクトはありますか?もし、また新たなリリース情報があれば教えてください。

現在、映画監督の大澤未来氏と菅野賢治教授と一緒に映画「マリルカプロジェクト」の音楽に取り組んでいます。これは、第二次世界大戦中にドイツと東ヨーロッパから日本と中国を経由してオーストラリアにいたユダヤ人の脱出についてであり、この期間の最後の生存者を扱う非常に挑戦的で有意義なプロジェクトです。

そして、『Schlafen』や近年のアートワークを製作してくれているデザイナーの三宅瑠人さんのデザインで、新しいピアノの楽譜を発表する予定です。

ーーヘニングさんの新しい作品に出会えるのを楽しみにしています!最後に、日本のファンに一言お願いします。

stay strong and healthy! 日本に来るための新しい計画が立てられるように-ガンバリマス!

Text&Edit by 朝倉奈緒
Photo by flau

Henning Schmiedt

静謐な美しさを湛えた音楽が人々を魅了するベルリンのピアニスト、Henning Schmiedt緊急インタビュー interview_henning_schmiedt_03

1965年生まれ、旧東ドイツ出身のピアニスト、作曲家、編曲家。早くからジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開。80年代中盤から90年代にかけて様々なジャズ・アンサンブルで活躍後、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるミキス・テオドラキスから絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めている。これまでにドイツ・ジャズ賞、ドイツ・ジャズ批評家賞を受賞、名指揮者クルト・マズアーも一目置くという個性的なアレンジメントやピアノ・スタイルは、各方面から高い評価を受けている。昨年はフランス/ドイツ人のレバノン系シンガーMarie SéférianとのデュオNousを結成し、デビュー作「je suis」をリリースした他、シタール奏者Aki Uedaをフィーチャーしたシングル「Sitano」、ノルウェー/アイルランドの注目シンガーTara Nome Doyleとの「Stille Natt」などコラボレーションを活発化。11月には廃盤となっていたファーストアルバム「Klavierraum」の再発と、その続編となる「Klavierraum, später」を発表した。
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RELEASE INFORMATION

『Schlafen』

静謐な美しさを湛えた音楽が人々を魅了するベルリンのピアニスト、Henning Schmiedt緊急インタビュー interview_henning_schmiedt_02-1920x1920

2020年2月19日
Henning Schmiedt

tracklist:
01 aria
02 es geht noch nicht los
03 wie war
04 der tag?
05 vergessen sie
06 die Gegenwart
07 tief ein-
08 und ausatmen
09 pssst!
0 sie werden müde
11 und … schlafen
12 aria da capo
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