つて、本業は何かと聞かれると「僕の職業は寺山修司です」と答えた男が居た。演出家、小説家、俳人、写真家、俳優など常にメディアを賑わせた寵児、寺山修司だ。著書『書を捨てよ、町へ出よう』で全国のくすぶる青少年に光を投じたと同時に、彼の率いる劇団「天井桟敷」はアングラカルチャーの象徴的な存在となり、小劇場ブームを巻き起こした。以来、寺山の功績は現在まで語り継がれている通りだが、あの熱狂の時代、まさに寺山氏と共に表現の未来を見据えていた男が居たことをご存じだろうか。「天井桟敷」において演出、音楽を担当し、現在は寺山氏の亡き後に引き継いだ劇団、「演劇実験室万有引力」を主宰するJ・A・シーザーである。

今年5月にはアジアン・クラック・バンドを引き連れ約31年ぶりにコンサートを、9月には自身初のライヴハウス公演を行うなど、来年の劇団結成30周年を前に活動は更なる新展開を見せているが、その中で彼の音楽作品集第3弾となる『天井棧敷音楽作品集vol.3 ある家族の血の起源』 演劇/映画篇・前編が遂に完成したばかりの今回、Qeticは彼にインタビューを敢行! 寺山氏との表現への追及から彼独自の「ルール」に至るまで、唯一無二の世界観に迫ります。

Interview:J・A・シーザー

狂ったものからセオリーやシステムが分かる方がいいような気がする。
最初は遊んでいればいいのに、セオリー通り行こうとする、そうすると人生はつまらなくなる。

【インタビュー】新作を発表したばかりのJ・A・シーザーに超濃密インタビューを敢行!!寺山修司、壊しの人生、天井桟敷の舞台裏。 music130108_j-a-seazer_8314-1

――日本において60年代以降のアングラ演劇や実験的な芸術パフォーマンスの土壌を切り拓いてきた人物として寺山修司氏は絶対的な存在として現代にも名が受け継がれてきていますよね。同時にJ・A・シーザーさんが作り続けた演劇音楽やその世界観は寺山作品を語るにおいて欠かせないものであります。『少女革命ウテナ』などアニメからJ・A・シーザーさんを知った人もいるかと思いますが、今のユースがどのぐらい寺山修司さんの事を知っているか? という事も含めて、改めて今回のインタビューを通して、寺山さんの残してきたものやJ・A・シーザーさんの想いを発信できたらと思っています。

寺山さんが亡くなって30年です。こういった時期を機に来年あたり、寺山さんの日常的な事――、僕が30センチ先、そう身近な距離で見てきた「寺山修司像」というものを本で出そうと思っているのです。でも暴露本という事ではなく、かといっていつまでも神秘的な存在というよりも、どういう人間でいたか? どうやって才能に結びついたのか? こういった流れを掴んでいくようなものにしたい。やはり僕は一番そばにいたので、それを思いだせるうちに残しておきたいと思っているのです。

――確かに寺山修司といった既にある象徴的なイメージとしての輪郭は浮かびますが、ルーツであったり、どうやって「寺山修司」に成っていったのか? という部分は知らない事が多いかもしれませんね。書籍という形で出されるのですか?

そう、みんな「寺山修司」としてキレイになっている部分が結果として知られている事が多いからね。もっと奥にある寺山さんのルーツを探る…なんていったら、本当は怒られちゃうけどやはり探ってみたいと思っています。まだ公表はしてない証拠になる文献資料が部屋に飾ってあるんですよ。河童伝説じゃないですけど(笑)。そういった文書や資料からや、あとは寺山さんが実際に書いた、演出の為のメモがあって時々子供じみたことなんかも書いてあるのが面白い。そういった生原稿も残っているのです。

――すごい興味深いです。またそのルーツから、寺山さんの今までとは全く違う世界が見えてくるかもしれないですね。

はい。寺山さんの話をすると、お風呂に一生入らなかった人です、「溶けちゃう」なんて言ってね(笑)。砂男かお前はっていうほどのね。実際にゴーレム(ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形)の話が好きだったりして、だからその辺ももしかしたら関係しているのかもしれないですね。

みんな普通は恐る恐る何かを得ようとする。でも寺山さんは自分の何かを壊すみたいにしていた。どこかを潰しておけば、どこかのエネルギーが強くなるっていう、そういう方法を考えたのかなって思います。あとは英語とかフランス語はめちゃくちゃ下手くそで。なぜかというと、寺山さん日本語がやたらと好きだったんですよ。それは短歌に象徴されるように、短い文章で世界観を出せるっていう意味で、『あ』という言葉とか『う』という言葉とか、全て単独。あと日本語にはカタカナとひらがなという、漢字(中国)には無い文字が足されている。その違いだけで言葉の表現が変わってくるでしょ? 「とけい」、「トケイ」――カタカナで書いた場合と平仮名で書いた場合、漢字で書いた『時計』と同じかどうか。それを見たときのニュアンス、印象が非常に大事になっているのと同じ。例えば15歳で体験した時と20歳で体験した時とやっぱり同じ体験でも違うって感じると思うんです、同じ人でもね。そういう意味で寺山さんは、「演劇に再演は無い、ただもう一つ新しい世界の台頭である」という言い方をしました。再演って言うとみんな見に来たがらないけど、もう一つの世界として出そうとすればまた観に来てくれる。彼の言葉の魔術性なのか、それとも本当にそういう言葉を使った方がいいのかっていうのはまだ分かってないけど、そういう事なのだろうと思いますね。

――今回リリースとなった『天井棧敷音楽作品集vol.3 ある家族の血の起源』ですが、作品集としては第3弾目となりましたね。こうして今、天井桟敷の作品、そしてシーザーさんが作ってきた演劇音楽が作品集という形で改めて世に出ることを受け、どんな風に想いますか?

僕にとっては全く予期せぬ出来事で。レコード会社の人がヒカシューの井上誠君達と何か進めているってことをあんまり深く知らなかったんだけど、去年くらいだっけ?

(レーベル担当者:去年の一月に栃木の倉庫でシーザーさんが保管していたオープンリールとかを全部こっちに持って来てデジタル化して、それを聴きました。)

元々ヒカシューの井上君と昔会ったことがあって、ヒカシューの巻上君達と井上君が色々やっていた頃は記憶にありますね。でも活動が全然違うので、そこからまた自然と離れて行ったのですが、ある日突然井上君からメールがきたのです、「こういうの出したいんだけど」と。それでテープをちょうど持って来てたから、「構わないよ」という感じで進んで、さてそこで「出ることになりました」と連絡が来たので、いざ聴いてみると、これがやばい下手さなんですよ。もうどうしようもないぐらいに(笑)。そういうのってまず避けて行くわけですよ。だから、よく取っておいてあったなっていうものばかりで。じつは全部聴かなかっただけで、僕が録音してるんですけどね(笑)。でもこれらのものは黙ってたらそのままもう消えてたんですね。そういった意味で井上君達の活動は発掘だと思っていますよ、本当に。

【インタビュー】新作を発表したばかりのJ・A・シーザーに超濃密インタビューを敢行!!寺山修司、壊しの人生、天井桟敷の舞台裏。 music130108_j-a-seazer_8253-1

【インタビュー】新作を発表したばかりのJ・A・シーザーに超濃密インタビューを敢行!!寺山修司、壊しの人生、天井桟敷の舞台裏。 music130108_j-a-seazer_8222-1

――シーザーさんにとっても発掘となった訳ですね。

偶然というか、本当そうだと思います。その辺の凄さは井上君達の意地が変えたかなって。あとよく出てきたと思う、色々と。取っておいてあったのも凄いけど、それを抜き取らなかったら取ってあっても意味ないですから。その辺なんですよね、持っていても結局しょうがないってなってしまうのは。

――そうですね。私たち、寺山ファンであり、シーザーさんの作品に影響を受けている者たちからしてみたら、どんなに手に入れたくても入らなかった音源がこの作品集で聴く事ができるようになった…。これはすごい画期的なプロジェクト! と思いましたよ。

どの辺りまで、どうなっていくのかなんて全く僕もわからない。こればかりは出してみなきゃ触れられない世界なのかなと。やらないよりも、この一本で人が変わったり、これを聴いた人がやがて総理大臣にでもなったらまた世界も変わってくるんじゃないですか。寺山さんもやっぱり「人の変革」が好きで芝居をやっていました。人数が減っても一人のお客が変われば、世界が変わり出すっていう考え方だったのですね。人が変わるということは、強烈なインパクトで変わるだろうと、それが芝居の仕事だと言ってましたね。一人でも二人でもお客さんが変化するということ、日常をひっぱって家に戻ってしまうだけじゃなくて、「やっぱり家じゃないんだ」とか「違うところで何かしなきゃいけないんだ」って想いを喚起させるような事を。

この間、たまたまテレビを観ていて、「才能って全てはDNAなんだよ」って話を聞いてね。自分は音楽のDNAなのか、絵なのか…まだ分からないと思ってしまってね。若い人たちはDNAの面白さを知るべきですよ。DNAを空想するということ、それは自分の本体を空想することになるので、DNAというものが出やすくなるような気がするんだよね。やりたいこととか、どんなに下らないことでもDNAというのは、「それしかできない」っていうのが一番合った仕事なんだと思います。だから自分の選ぶDNAと空想のDNAをぶつけあう方が、これから面白くなるんじゃないかな。

――「DNAの追求」、あまり考えた事もなかったです。本来持っている能力と、やってみたい・やれるんだと思って発揮する能力をぶつけあう事でDNAが出やすくなる…すごく興味深いです。
J・A・シーザーさんは自身の表現のはじまり、音楽や絵などを作ろうと思うそのルーツは何だったのでしょうか?

DNA、まさにルーツっていうのはそこにありますからね。僕は子供の頃に出会った親父の盆踊りの太鼓なんですよね。お袋が三味線を弾いていて、一番最初に聴いた歌がご詠歌の親子の声。ところがその覚えいているものも3歳か4歳に聴いたことなので正しく覚えてるのか、それとも勝手な誰かの記憶なのかもしれない。でもそれはある種DNAの記憶になりまよね。

「ハンドリガード」という言葉があります。「一つのものを他のものへ作り替える才能」、このパワーを人間は3歳まで持っていると言われてますね。つまり、視覚で捉えたものが音だったり違うものへと解釈するといようなパワー。でもその力というのは成長した後で通常なくなってしまう、けれどもそのハンドリガードが残る人がいるらしいのです。
例えばダリとか、ああいう絵描きってちょっと変ですよね。ダリやアインシュタイン、彼もやっぱり子供の頃からハンドリガードというパワーを持っていて、大人な知識、真面目な知識とは別に、子供みたいな幼稚的な感性を維持したまま創造することで大元をひっくり返してきた。例えば歌舞伎の演出で、新しいものを取り入れたとしても、歌舞伎を全く知らない絵描きが歌舞伎を演出した時の方が、その衝撃は違うものとなる。そんな風に決まりごとを狂わせないと、新しいものは生まれないですよね。

★J・A・シーザーさんの貴重なインタビューはまだまだ続く!!
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