――なにかを大きく変えようとか、自由に表現しようとかってすごく難しい事ですね。それが実際に感覚でできるっていうのは、いわゆる天才、芸術家やダリのようにどこか狂ってしまっているかのような感覚が必要なのでしょうね。
ダリは感覚的に、決まりごとを狂わせてその後に初めてマニュアルに戻ろうとするところが凄いよね。歌舞伎でいえば、書き方やルールを変えてみても基本という背景が後からでも分かっちゃう。だからダリみたいに逆に狂ったものからセオリーやシステムが分かる方がいいような気がする。最初は遊んでいればいいのに、セオリー通り行こうとする、そうすると人生はつまらなくなる。
――昔に読んだインタビューで、シーザーさんが天井桟敷時代の事を語っていたのを思い出しました。毎日稽古があって、でも稽古をしながら夜通し飲んで語って過ごしていたと。朝まで飲んで、みんな仕事にいって、その後にまた稽古→飲む・・この繰り返しだったと? その中でディスカッションしたりもしたんですか?
ほんと、いつ寝てたんだっていうね(笑)。魚と一緒ですからね、泳ぎながら寝るしかないんですよ。人間のセオリー通り生きようとしたら6時間8時間とか寝ちゃうでしょ? 日が落ちたら寝て、日が昇ったら起きる。そんなことやってたら逆に身も細る気がするよね。
でも飲んでる時は楽しそうに見えても、実は寝てる時と同じような状況でね。ただ飲んでいたいだけの時もあれば退屈な時もある。話というのはついでにあるようなもので、内容がないような会話。お互いに信号を送り合っているようなもんでしたね。
人間は15歳で一番宇宙に近づく。
自分に一番近づくということ、この瞬間に「自分」を見つけて掴みきれるならば
本当に「自分」というものでいられるような気がする。
――なるほど、面白いですね。話は少し現在に戻りますが、シーザーさんが30年ぶりに表舞台へと出たミニコンサートを昨年の5月に開催しましたが、これはどうしてやってみようと思ったのですか?
ひとつの「壊しのルール」ですよね。自信があったとかではなく、なにか壊れた世界にポンと立つには、若い力に引っ張ってもらうしかなかったんですよ。特にアジアン・クラック・バンド、彼らに出会えた事がキッカケになっていると思います。それからコンサートやろうという風になって、スタッフも動いてくれた。
やりたいと思ったことは実はあったりしたけれどね、老けた同士で慰安会しててもしょうがないとも思ってましたね。年齢を超えてね、僕の様な生き方が合うんであれば、若い子のエネルギーで持っていってもらうとか、そういうやり方もいいんじゃないかとね。ただファンだから来てもらったら困るというのもあったりしたけれど、でも音楽が好きっていう意味では同じだっていうことを感じれたので、じゃあやろうかと。それが「劇団」てなったらやっぱり、寺山演劇という形をどんどん引き継いでいかない限り、なかなか出来ないものもある、けれど音楽はまた違うと思いましたしね。
――「エネルギーと時代」。これについてシーザーさんに聞きたいです。
今から45年前、1967年に天井桟敷が結成され、その時代は学生運動も過渡期を超え、終りに向かっている時代でもあったと思いますが、その時代が持っていたエネルギーとはシーザーさんから見てどういったものだったと思われますか? 怒り?それとも悲しみだったりするのでしょうか。
いや、混沌…でしたね。むしろ、その混沌とした世界っていうのが個々を作り上げるには一番良い時代だったと思う。それこそ自分にとっての「良い狭め方」を見つけられる、よく聞く「自分探し」っていうのはこの狭め方の後に始まるのです。
僕の勝手な法則になりますが、宇宙の法則でいってみると「人間は15歳で一番宇宙に近づく」と思っているのです、変な宗教とかそういうんじゃなくてね。そういう気がするのです。宇宙に近づいた後、そこからまた地面に降りてくるんですよ、自分のもとにね。その時、混沌としたものに体験させられる。それでまた浮き上がるということは自分に一番近づくということ、この瞬間に「自分」を見つけて掴みきれるならば本当に「自分」というものでいられるような気がする。
僕は単なる革命も嫌いだし、だから絵を描こうと思って東京に出て来たんです。そこで、「絵以外のことを勉強することが絵を勉強することだ」と、誰かに言われたんですよね。絵を勉強することは絵を勉強しているだけだから、絵にしかならない。けれど人が見て「これって、どこどこの洞穴じゃない?」 なんていう風に現実的に旅行が好きとか、色んなことを知っていないと描けないと思うんですよ。それを記憶で描くから絵という媒体に使える、でも見たものをそのまましゃべるにはやっぱり写真を撮ったりした方が良い、とかね。けれど当時、宇野亜喜良さんや横尾忠則さん、及川正道さんとか色んなイラストレーターがいたので、自分の入る隙が無かったんだよね。だから次にいくなんてスタイルはもう遅れているなと思って、だったらその人達が廃れるかもしくはどこかに隙間が生まれない限り、絵以外の勉強をして絵を描こうといってチャンスを待つ度に諦めてくるのです。カメラというジャンルでも、長濱治さんとか秋山庄太郎さんとかね、色んなジャンルのカメラマンが居たんでこれも隙間が無いなと。そう簡単に隙間を作ってくれなかったの、当時のアーティストは。もう空いた所に自分の作品をガーンと投げつけていく時代だったから隙間を見つけるのが大変だった。
――隙間に作品を投げつけていくこと、これが当時のアーティストにとって表現を示すためのメッセージだったのですか? 空いているところがあればそこに表現をぶつけて、自分の地位を確立していくというような。
というよりも、自分が評論家的になってしまうこと。描いたものを評論してまた描いてくいくという作業ですね。というのも、人が客観的に評論するのなんて待ってられない、もし外れたら嫌だなっていうのがあるし、その評論するところが隙間を狙って入っていくことだと思うのです。描きながら自分自身を評価していく、それを両立できるかどうかだと思いますね。ただ漠然とどこかで習ってきたものを描いたりしている人はどうしてもそこで遅れを取るんです、だから習っちゃいけない。習わないために絵をどうやって勉強すればいいかって言ったら、町へ出て、あるいは空想にでも耽るかどっちかに行くしかない。集中して瞬間的に自分を評論していくっていう。筆を持ってこの筆はダメだとかそこも評論しないといけないんだよ、タッチも全部自分で考えて。その仕切り感やスピードだと思いますね、当時の70年代は。
――その中でシーザーさんも「絵を勉強してはいけない」、こういった言葉や時代のエネルギーにおいて現在のシーザーさんへと至ったといえるのでしょうか?
「人間というのは何らかの比喩にしか過ぎない」、寺山さんが言った言葉であるんですが、僕たちは何かの比喩なんですよ。だから、人間だったり、学んだ事を言葉で伝達しようとしている世界はダメだと思う。友川カズキ君の魂の叫びじゃないけれどね、禁断っていうものに触れちゃいけない、見せちゃいけないってものが実は基本なのに、そういったものは閉ざされてきている。当時でもアラーキーとかね、彼の写真展で自分の部屋のヌード写真を見せるというのがあったけど、実際本になった場合はそれを隠されていて。こういった見せ方の違いだと思います。当時、「エロス」に関しては相当揉めたけどね。美術家対社会派の人達の戦いっていうのは長く続いた、ほら映倫とかいっぱいあったでしょ?
空想できる人は隠されてしまっても構わないんだろうけど、そうじゃない人はイライラして殺人者になったりする可能性も出てくる。犯罪者になって、つまり歪んでしまう。するとDNAを歪めたまま子供を作っちゃうと歪んだ子供が生まれてくる。こういった悪循環を作っているような気もしましたね。その辺の猥褻ということに対しては、いい加減ですよ、芸術家も。とても個人的なものなので。
――紙一重な表現が危険を生むように紙一重な部分が多い…と。
どう体験するか? が芸術に変わったり、生き方に反映されていくわけですね。
そうなんですよね。おそらく結論が出ない裁判というか、だから強くも言える。今は笑っていられるけど、でもその時が来ると思えばちょっと狂っている方が良いのかもしれませんね。波瀾万丈、死ぬか生きるかとか、親がどうでこうで捨てられて、でも再会してとかね。こういった波瀾万丈というものの中でしかないような事。普通に生きてきたんじゃ書けないし、そういう絵も描けないと思う。想像でも歯を喰いしばって生きるとか、物事に対する価値観が全然違ってくるでしょ? 雪さえ降らなければ助かったのにとか、天気にも違和感を持ってしまうことだって出てくるじゃないですか。波瀾万丈のない人は敢えてそういう機会を作るべきですね。例えば、酔っぱらって裸になって大の字になって寝てみるとかね。警察に連れていかれちゃったよ、なんてね(笑)。でもただの面白半分だと、これまた違ってくるんですよ。波乱万丈とはまるで違う、これは不思議だよね。
――確かに、面白半分でやってみる事とそれを真剣にやってみている事は、同じ事であっても見ている人だって違う風に見えますもんね。
そうなんですよ。だから昔<ゼロ次元>っていう集団があったけど、彼らは裸になって街頭でカレーライスを食べたことあるんですよ。僕もそれに参加してね、あんな恥ずかしいことないですよ(笑)。そこで開き直った自分が居るんだなと思った時はちょっとビックリして。カレーライスを食べるだけ、最初は恥ずかしいけれど平気になる一瞬がある、だけどまたすぐ恥ずかしくなってしまうというわけ。
――カレーライスをただ食べるだけという行為なのに、そういう凸凹した気持ちになるって、なんか凄い体験ですね(笑)。
もう、そう簡単には食えないんですよね。彼らはね、寺山さんと一緒で「醒めて歌え」とか、「醒めて裸でいろ」とかそういう気持ちで居たのです。そして「何かが来たら逃げろ」って、そこのルールがハッキリしてなきゃ警察に捕まっちゃうんですよ。今程警察も厳しくなくて昔はのんびりしてたから、通報されてもなかなか来ないんですよ。だからその10分、15分の時間で表現っていうのは結構やれる。
そうやって法律とか緩い部分を縫いながら生きてみる。それを知らないとただの面白い遊びになっちゃう気がしますからね。
――カレーライスの食べ方や、表現方法ひとつそうですが、シーザーさんの言葉で印象的だったのが「壊しのルール」という言葉。敢えて波乱万丈に生きる事も、体験もそのキッカケを捉えることが大切なんだなと。
宮沢賢治が『注文の多い料理店』でも言っているようにね、やっぱり注文がなきゃダメなんですよね。食べ方を変えてみると、美味しくないはずのスパゲッティーも美味しくなるかもしれないんですよ。丸めてみて、ポーンと上げてパクリと食うとか。人から見たら変だと思うけど、電車に乗っていてもみんなと違う事をやってる人が居てもいいわけです。サーカス小屋は楽しいはずだよね? 疲れていてもそこにサーカス小屋があるみたいな、そう、みんなが同じである必要なんて絶対ないのですよ。
(text & interview by Asami Shishido)
(all photo by 横山マサト)
>>J・A・シーザーさんの貴重なインタビューは後篇に続く!!
「変わりゆく時代」についてや「自分を証明する」とは? そして「Twitterがあったなら寺山修司氏ならどう使う?」 など、演劇・音楽、表現そのもので時代を築いてきたシーザーさんによる心に響くメッセージが…!お楽しみに!!
Release Information
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