アルゼンチン、ブエノスアイレス出身のシンガーソングライター、フアナ・モリーナ(Juana Molina)。
1996年にデビューし、3rdアルバム『Tres Cosas(トレス・コーサス)』はビョークやカニエ・ウエストと並んで、ニューヨーク・タイムズ紙の<The Best Pop Album of 2004>に選出される。来日も多くほぼ毎年来日公演を行っており、レイハラカミや高橋幸宏、原田郁子(クラムボン)、相対性理論と共演を果たしている。
そのフアナ・モリーナが、本日4月28日(金)に約3年半振りとなるニュー・アルバム『Halo(ヘイロー)』をリリースした。
Teaser – HALO – Juana Molina
今回はコメディエンヌとして活躍していた異色な経歴をもつ彼女にインタビューを行った。今回3人編成とした理由やアルバム名の由来、各楽曲に込められた想いから、波乱万丈でユニークな人生、日本への思い入れについても語られている。
text by Qetic・Rina Tanaka
Interview:フアナ・モリーナ
——2013年、恵比寿ガーデンホール ホステス・ウィークエンダーでのライブと、2016年の代官山「晴れたら空に豆まいて」でのライブを見ました。いずれも、オーディン・ウリエル・シュヴァルツ(Schwartz Odin Uriel)(key,vo,g,b)とディエゴ・ロペス・デ・アルコート(Diego Lopez De Arcaute)(ds)との3人による編成です。3人でライブを行うようになった経緯を聞かせてください。それは前作『ウェッド21(Wed 21)』(2013年)の完成以後のことですか?
そう。あのアルバムは録音された音源を使うんじゃない限り、一人で演奏するのは不可能だったから、3人でやるようになったの。その前にもベース奏者と一緒にライブをやっていたんだけど、彼はもっと大きなバンドで演奏することになって辞めてしまったから、彼の代わりを探していた。ただ、彼はとてもユニークで、同じような人を探すのはとても難しかったから、彼とはまた違った独自のスキルを持った誰かを探すことにしたの。
オーディンとはまず、ライブで演奏するのが難しいこのアルバム(『ウェッド21』)をどうやって演奏すべきか一緒に試行錯誤しながら、同時に、例えば彼の得意なことは何か、どうしたら彼からうまくそれを引き出せるか、っていうことを含めて彼について色々なことを発見する必要があった。
そうしてアルバムの演奏の仕方は見つけ出すことができたけれど、その時点でまだ二人では演奏しきれない部分があったの。それで3ヶ月くらいした頃に、ドラマーを探すことになった。以前に一緒に演奏したことのあったディエゴに連絡を取ってみたら、彼はとても正確なドラマーである上に、とても面白くて気の合う良い人だってことに気がついた。彼との演奏はとてもうまくいったわ。
それで2013年頃にツアーを始めたから、多分あなたが(恵比寿での)ライブを観たときは、まだ3人で一緒に演奏し始めたばかりの頃だったと思う。それ以降の数年で私たちはよりずっと絆の強いバンドに成長したから、2016年に観てくれた時にはその違いに気づいてもらえたんじゃないかな。3年間一緒に演奏し続けて、一つのユニットとして一体となった変化はとても大きかったし、私自身今のバンドはとても強力なものになっていると思う。
Juana Molina – Full Performance (Live on KEXP)
——前作『ウェッド21(Wed 21)』は、完全にひとりですべての演奏を行なってレコーディングしたそうですが、新作『ヘイロー(Halo)』には、オーディン・ウリエル・シュヴァルツとディエゴ・ロペス・デ・アルコートも参加しています。レコーディングにも彼らを起用しようと思った理由を聞かせてください。
オーディンは私に違う場所でレコーディングするよう強く勧めてくれたの。アルバムのほとんどの曲はすでに出来上がっていて、演奏も半分以上出来上がっていたんだけど、普通ならそこで全部一人で完成させてしまうところを、一旦停止して沢山の楽器があるスタジオに行った。
それまでなかった楽器に出会うと、すぐにそれまでとは違ったものを演奏するようになるものだけど、それがなければ例えば“Paraguaya”のヴァイオリンとか、ドラムとかは存在しなかっただろうから、オーディンが勧めてくれたのはいいアイデアだったと思う。
(アルバムには)実際に私たちが一緒に演奏したものの一部しか入っていないけれど––私は基本的に孤独なタイプのミュージシャンで、自分一人で作曲するのが好きだから––でも、サウンドやアイデアの幅を広げるのはある意味で良い経験だったわ。それと友人であるディアフーフのジョン・ディートリックがスタジオの近くに住んでいたから、彼もレコーディングに誘って演奏してもらった。彼はいつもスタジオに来るたびにいいアイデアを持ってきてくれたの。
スタジオでのレコーディングの後にはブエノスアイレスに戻ってきて、一人でアルバムのまとめに入った。(スタジオでの)レコーディングは若干とっちらかっていたから。幾つかの曲は即興演奏が20分や30分も続く長尺だったのを、そこからベストな部分を選んで曲にしていったわ。
——ジョン・ディートリック(John Dieterich)(Gt/Deerhoof)が参加したのはどの曲でしょうか?
今アルバムが手元にないから正確には思い出せないんだけど、4曲目の“In the Lassa”で彼が作ったギターパートを演奏してくれているのと、“Ando”でも演奏してくれているわ。あともう一曲あったかもしれないけれど、今はちょっと思い出せないな。
——それから、彼らとレコーディングしたことにより、『ウェッド21(Wed 21)』のときと、心境と、実際の音作りという両面から、どう変わったのでしょうか。
他のミュージシャンと一緒にレコーディングするのには、一人でやるときと比べて、いい部分とそうじゃない部分があるんだけど、いい部分は他の誰かの意見が入ることで、楽器やカラー、アイデアの幅が広がること。
でも同時に、私一人でやるときは、1時間でも1日でも1週間でも、好きなだけ時間をかけられる分、全てのアイデアをより深く掘り下げて、自分の中に感覚としてあるけれどすぐには実現できないアイデアを形にすることができる。そこに到達するために必要なだけの時間をかけることができて、そこに至るまで止まる必要がないの。
スタジオで他の人と一緒にやっているときはそうはできない。そういうモードに入ったときは他のみんなをスタジオから閉め出さないといけないし、他の人の時間を無駄にしていると感じてしまうから。
だからレコーディングのあとに自分のスタジオに戻って、全てのレコーディングについて深く考えて、全てのパートをあるべき場所に収めるために時間をかけなきゃいけなかったの。それと付け加えておきたいのは、エンジニアのエドゥアルド・ベルガーリョもスタジオでのレコーディングに参加していたわ。
——『トレス・コーサス(Tres Cosas)』(2002年)以来、すべてのアルバムに関わっているエドワルド・ベルガージョ(Eduardo Bergallo)が、『ヘイロー(Halo)』でもミックスを手がけています。彼はあなたにとってどういう存在なのですか?
彼はこれまでのアルバムにおいて、マスタリングと最終的なミキシングを手伝ってくれた。初めて彼と仕事をしたとき、私はスタジオに出来上がったステレオトラックを持ち込むことを拒否したの。
というのも、私の作る音楽は、ときにマスタリングによって台無しになってしまうことがあるから。時々すごく複雑なベースラインを演奏することがあって、それは家で演奏しているときには良く聴こえるんだけど、それ以外の場所で聴くと変な風になってしまったりする。
だから曲のベース以外の部分がそれによって損なわれてしまわないようにするために、マスタリングの前にセッションのファイルを開いて、ミックスの中で邪魔になっている部分を取り除かないといけないの。
エドゥアルドはこの点でとても助けになってくれて、ただ曲を周波数として扱うだけにとどまらず、トラック全体を見て、「この部分のベースが邪魔になっている」とか「このギターは鋭すぎる」とかっていうことを見つけ出してくれる。そういうマスタリングの前段階のプロセスを経てから実際のマスタリングに取り掛かるの。
——ということは、彼が少しプロデューサーにも近い役割を担っている?
うーん、彼は素晴らしいテクニシャンで、プロデューサーっていうのが何か私ははっきりわからないけれど、サウンドのプロダクションっていう意味では確かにそう言えるかもしれない。
Juana Molina – “Lo Decidi Yo” (official music video)
——2011年の<フジロック>と渋谷クラブ・クアトロで、あなたも参加した<CONGOTRONICS VS ROCKERS>のライブを見ました。ここにディアフーフ(Deerhoof)も参加していました。ジョン・ディートリックとの出会いはこのときですか?
その通り、そこで初めて彼と出会ったの。あのプロジェクトでは前準備がかなりあって、お互いにメールを通して知り合ったんだけど、ジョンと私は音楽的に特に強いつながりを感じた。プロジェクトに関わっていたみんなが新しい曲のアイデアを送り合っていたんだけど、私はいつもジョンのアイデアを選んで新しい曲を作っていたの。
彼はとても変わっていて、普通のミュージシャンとは違っている。彼にしか演奏できないものを演奏する、唯一無二の存在だから、彼のことがとても好きなの。もちろんそれだけじゃないけど、彼のやっている音楽自体が素晴らしいだけじゃなくて、それが他に類を見ないものだから、より彼の作品を高く評価しているわ。
——具体的にどんなところが違うんでしょう?
彼はアカデミックなタイプのミュージシャンじゃなくて、彼の頭に浮かんでくるもの、彼の指が勝手に弾くものを演奏していて、それが完璧なサウンドになるようなやり方をしている。
そしていつもユニークなアイデアを持っていて、キャッチーっていう言葉を使うのはちょっと違うけれど、聴いてすぐに彼のものだとわかる、とても特徴のあるメロディーを作り出すから、曲の中でも彼が作ったパートはとても際立っていると思うわ。
——<CONGOTRONICS VS ROCKERS>に参加したことを今振り返って、どのような糧になったと思いますか?
私にとって最も重要だったことは、他のミュージシャンたち、そして全く違った文化的な背景を持つ人たちとの生活の仕方を学んだことだったと思う。日本に滞在することと似ていたかな。最初に日本に行ったときは3週間滞在したんだけど、最初の1週間は全く何も分からなくて、自分の普段のやり方通りに生活していた。でもしばらくすると人々の行動規範が全く違うことに気づいて、それを理解するようになっていったの。
最初に理解したことは、例えば「薬局がどこにあるか」という質問をしてはいけないってこと。「薬局はどこ?」と尋ねると、みんなが薬局を探そうとしてくれてしまうから(笑)。20人もの人たちに薬局を探させることは私の意図ではなくて、ただ近くに薬局があるかを聞いて、近くにあるって分かれば自分で探すつもりだったんだけど。
それと、「多分また次の機会に」っていう言葉は実は「ノー」を意味するってこと。「多分」っていう言葉自体が「ノー」っていう意味なんだよね。その当時私は別のトリオもやっていて、そのトリオでまた来日したい、と言ったら「多分、また次回に」って返事が返ってきたんだけど、それはつまり「今回は実現しないと思う」って意味だって気付いたわ。
コンゴ人のミュージシャンたちと仕事をするのもそれと同じようなもの。彼らはとても繊細で、何の気なしに言った言葉が彼らを傷つけてしまったりする。全員の言語を話せるのが私だけだったから、私が半分通訳みたいな役割を担って、英語を話す人たちとフランス語を話す人たちの間に立っていたの。
そのおかげで、このプロジェクトを立ち上げたマーク・ホランダーを除けば、私はプロジェクトに参加していた他の誰よりもよく全員を理解することができた。全てのミュージシャンと繋がりを感じることができて、一部のミュージシャンとは心に触れあうことができたと思うわ。
参加者の中には懐疑心が強くて、心を閉ざしていた人たちもいたけれど、その人たちとより良い関係を築くことができたのは、個人的な体験として素晴らしいものだったわ。それともう一つ素晴らしかったのは、自分と全く違うことをしているミュージシャンたちと一緒に仕事ができたこと。
特にコノノNo.1のリーダー的な存在であるオーギュスタンや、カサイ・オールスターズのメンバーの何人かとはとても良い音楽的関係を築くことができて、そのおかげで私にとってこれまでで最高の音楽的体験ができたの。
——『ウェッド21(Wed21)』の“Lo Decidiyo”の最後の方のトランス感覚みたいな展開や“Eras”のビートは、CONGOTRONICS VS ROCKERSに参加したことが影響しているのかなと思いました。そのトランス感覚みたいなものが、『ヘイロー(Halo)』ではより強まってきたような気がします。特に“Cosoco”とか、素晴らしい曲ですね。トランス感覚みたいなものをどのように意識しているのでしょうか?
(CONGOTRONICS VS ROCKERSへの参加が及ぼした影響について)そうだとは思わない。“Lo Decidiyo”はずっと昔に作った曲だし、“Eras”はどうだろう……。影響があったとは思わないし、もしもあったとしても気づかないくらいの小さなものじゃないかな。
そのトランス感覚っていうのが、ヒプノティックなものを意味しているのであれば、『セグンド』がその一番良い例だと思う。『セグンド』は1998年にレコーディングしたアルバムだし、そういうヒプノティックな感覚は私が音楽を作るために必須のムードなの。私自身がそういう感覚を感じられなければ、曲には意味がないってくらい。
これはよく話すんだけど、私がまだ小さかった頃、よくおばあちゃんの家のエレベーターの中で一人で歌っていたの。エレベーターが「ブーン」っていう低音を発していて、その音が違う世界に連れて行ってくれるような感覚があった。
だからそういう風に、特定のリズムやシークエンスが違う場所へ連れて行ってくれるような、トランス感、催眠的な感覚こそ私が音楽をやる一番の動機になっているわ。もしかしたらそれを表現するのが前よりも上手くなったのかもしれない。いつも感じてはいたけれど、その感覚を外に出すのが上手くなったから、それをよりはっきり感じてもらえるようになったのかもね。
Juana Molina – “Eras” (official music video)
——『ヘイロー(Halo)』は、フアナがブエノスアイレス郊外に所有するホームスタジオだけでなく、テキサスのソニック・ランチ・スタジオでもレコーディングされたとのことです。ソニック・ランチ・スタジオでレコーディングしたのはどの曲ですか?
いや、全曲スタジオに行く前にすでにほとんどレコーディングしてあったの。スタジオに行く2年か1年半前から曲は作っていたし、私にとって作曲とレコーディングは同じ作業だから。スタジオではそれに手を加えて、より良いものにした。幾つかのサウンドを、スタジオにあった素晴らしい楽器を使った新しいサウンドと置き換えたりしてね。
私たちにとって一番刺激的だった楽器は、つまみが6つくらい付いているだけのすごく古いシンセサイザーで、オーディンと私の二人がかりで同時に両手を使ってそのつまみを調整しながらレコーディングしたのは、多分今回のスタジオで一番笑える場面だったと思う。
——ソニック・ランチ・スタジオでレコーディングした曲には、ブエノスアイレス郊外のホームスタジオとは違った感覚が反映されているのでしょうか?
違う土地という面では、影響はなかったと思う。スタジオの中の環境は影響したと思うけど。スタジオでは当然あらゆることのやり方が違っていて、楽器やレコーディングの仕方が変わると、必然的に自分のやり方も変わるものだから。
——『ヘイロー(Halo)』は、どういう意味ですか? ネットで調べると、アメリカの競走馬とか、いくつか出てきますが。
違う違う(笑)、馬じゃないよ! ヘイローっていうのは、灯りから発されるぼんやりした光や、聖人の頭の後ろに浮かんでいる後光のこと。このアルバムの名前を決めるのにはすごく時間がかかって、幾つかアイデアはあったけど、アルバムを上手く代弁するタイトルがなかなか見つけられなかった。
『ヘイロー』っていうタイトルが必ずしもアルバムを上手く代弁しているとは思わないけれど、幾つかの偶然が重なってこの言葉がタイトルにふさわしいと思ったの。タイトルになりそうな良い言葉がどこかに見つからないかと思って、一度全部の歌詞を洗ってみたとき、“Lentisimo halo”が目に留まった。
この曲の中ではひし形をしたヘイローのイメージが浮かんでいて、それが何なのか不思議に思っていることを歌っているの。それでひし形のヘイローについて調べてみたら、それが出てくる伝説を見つけたんだけど、それは聖なる光ではなくて、夜に野原を漂う、緑色の邪悪な光なの。
それは人を追いかけてくることもあって、200年くらい前の田舎に住む人々はそれを恐れていたらしい。そして現代になって、それが腐った骨から発される蛍光性の光だって分かったんだそうなの。アルバムのジャケットは骨のデザインになっているから、それがぴったりだと思った。
それに「halo」という言葉は、意味や発音は違っているけれど、フランス語、スペイン語、英語の3ヶ国語に存在する言葉だから、それもちょうどぴったりだったし。だから、馬とは全く関係ないの、その馬が死んで骨になっているんじゃない限りね(笑)。
——言葉が分からないぼくは、フアナさんのヴォーカルも音楽(というか音響)の一部として聴いています。なので歌詞の翻訳を読むと驚きます。たとえば「Quemaras la ruda,prepararas la poción y en noches de luna repetirás la oración(ヘンルーダを燃やしてポーションを作ろう月明かりの夜には繰り返し呪文を唱えるんだ)」という歌詞で始まる「パラグアイの女性」という意味の“Paraguaya”は、神話的なストーリーのようです。これはフアナさんの空想ですか? それとも元になる物語りがあるのでしょうか?
あれは完全な私の空想だけど、神話みたいに聞こえるように書いたの。知らない言語で歌われる音楽を聴くときに歌詞を音楽の一部として聴くっていうのは、誰にでもあることだと思う。
私は英語で話せるけれど、英語で歌われる音楽を聴くときには大抵一つの単語も聞き取れない。そして多分、知らない言語の音楽を聴きながら成長したことが私の歌い方にも影響を与えていると思う。いつもメロディーが先に浮かんできて、歌詞が最初に浮かんでくることは決してないの。
だから歌詞がメロディーに合って、それに溶け込んで隠れるように作っていく。すでに存在するメロディーを歌詞が邪魔しないようにね。
この曲を“Paraguaya”というタイトルにしたのは、曲中にある間奏パートから、パラグアイの伝統的な音楽を連想したから。この曲の歌詞は少なくとも5つくらいの違う歌詞をつなげ合わせたもので、事前に「これについて歌おう」と決めて書いたわけじゃない。
ただ浮かんでくる言葉で言葉遊びをしているうちに、幾つかの単語の羅列から突然物語が姿を現したりする。それが起きるまでは、作詞は私にとってとても難しい作業なの。
——“Cosoco”の歌詞に出てくる「Ocampo」とは何ですか?
シルヴィーナ・オカンポっていう、私がすごく好きな作家の名前なの。
——“Cálculos y oráculos”は、電子音が心地よいアンビエントな曲です。こういうエクスペリメンタルな音は、機材を操る過程で偶発的にできるものなのですか? それともいろいろ計算して作るものなのですか?
私のすることはすべて幸運な偶然だと言えると思う。テキサスで使うのがすごく難しいキーボードをいじっていたときにたまたま、まるで誰かが指で触って私を蛙に変身させてしまう、っていうような感じの音が生まれたの。
その音をセーブしたかったんだけど、間違って消してしまって、そのあといくら試してもその音を再現することができなかった。消してしまう前に幾つかの音だけを録音できたから、それを編集して使ったんだけど、本当に少ししか録音できなかったからすごく残念だった。
大抵はパラメーターを変えたり、つまみをいじっているうちに面白い音が見つかるの。特定の使い慣れた楽器なら、ここをこう変えようとか意図的に音を調整することはできるけど、あのキーボードではそれが不可能だった。
——“Al Oeste”は美しい曲ですね。「A la mañana yo nunca me levanto, no veo el sol. Pasan las horas, lo veo, va llegando. (私は午前中にはほとんど起きないから、太陽を見る事がないけれど時間が経てば見る事が出来る)」と歌っているようですが、ここでの「太陽」は何かのメタファーなのでしょうか?
うーん、それはありえるかもしれないけど、特定の隠れた意味合いはないかな。私は基本的に結構ダイレクトだから。それに説明すればするほど、物事は面白く無くなってしまうものだと思う。
だからここ数年、どんどん自分のやっていることを説明するのは好きじゃなくなってきた。曲がその魔法を失ってしまうし、それに言葉で説明できないこともたくさんある。質問が私自身も知らなかったことに気づかせたり、自分の知りたくなかったことを理解させたりしてしまうこともあるし。
唯一この曲について説明する価値のあることは、私が南半球に住んでいるから、私が「北」と言うときは、それは(北半球に住んでいる人にとって)「南」を意味するってこと。
曲の始めに《They say the north is nice(人々は北は素敵だって言う)》っていう部分があるんだけど、それは北半球の視点から言えば「南」のことを話しているの。易経でよく北とか南が出てくるけど、もしかしたら北と南を入れ替えたら私にとってより的確な結果が出るんじゃないかと思って試したことがあったわ。
世界の人口のほとんどは北半球に住んでいるから、多くの人は南半球では太陽が逆の方向にあるってことに気づかないと思う。
Lentísimo halo (short film)
——ぼくが初めて見たフアナのライブは2006年の恵比寿リキッドルームでした。そのときは完璧なソロ・パフォーマンスだった。それ以前の、アレハンドロ・フラノフ、フェルナンド・カブサッキらと行なっていたライブは見ていません。今から振り返ると、彼らと制作した『Segundo』(2000年)『Tres Cosas』(2002年)と彼らとやっていたライブは、どのようなものだったと考えますか?
アレハンドロ・フラノフは音楽面で私が持った最良の友人なの。彼が私にキーボードの世界への扉を開いてくれて、プログラムの仕方とかを教えてくれた。
彼は素晴らしいミュージシャンで、とてもユニークだし、膨大な知識を持っているから、本当に出会えて良かったと思う。私たちはたくさんの曲を一緒に作ったし、いろいろなことを一緒にしたの。
彼の唯一の問題は、彼はリハーサル嫌いで、同じものを繰り返し演奏することが大嫌いなの。当時彼は何のプロジェクトにもコミットしていなくて、ツアーの一週間前とかに「悪いけど、このツアーには行かないよ」とか言ってきたりしたわ。
それはもう彼の性格だから、今も彼のことは大好きだけれど、それを理解するのには時間がかかったし、当時はすごく腹が立った。でも彼が「他の誰かをツアーに連れて行かなくてもいいように、自分一人で演奏する方法を見つけたら?」って言ったときに、まだ私は腹が立っていたけど、その日に自分一人で演奏し始めてみたの。そして彼のおかげで私一人で良いライブが出来るようになったから、今は彼にとても感謝しているわ。
——コメディエンヌだった頃のYouTube見ました。『Juana y sus hermanas-La profe de gym(3)』視聴回数多いです。『Juana y sus hermanas-Judith』ではコメディエンヌとしてギターを弾きながら歌っています。コメディエンヌ時代〜『Rara 』(1996年)でミュージシャン・デビュー〜アレハンドロ・フラノフ、フェルナンド・カブサッキらと制作していた時代から2006年のソロ・パフォーマンスときて、それからさらに10年あまり。このようなキャリアを経て『ヘイロー(Halo)』まできた道のりは波瀾万丈でユニークです。今から振り返ると、特に大きなポイントはどこにあったと思いますか?
Juana y sus hermanas-La profe de gym(3)
全ての瞬間が全体の一部だから一つのポイントを挙げることは難しいけれど、私に起きた最良の出来事を強いて挙げるなら……。
あるときシカゴでとあるバンドのサポートとして大きな観衆の前で演奏したことがあったんだけど、そのとき観客の一人として私のショウに注意を払っていなかったの。ステージに出たとき、まるでステージに誰もいないみたいな反応で、最初はすごく頭にきたし、動揺して狂いそうだった。
ステージを立ち去ろうかと思ったし、観客に向かって家に帰ってインスタントヌードルでも作ってろって言おうかとも思ったけど、そのまま演奏をして、結果的にそれが私にとっては最高のショウになったわ。
観客にとってはそうじゃなかったかもしれないけど、私個人にとっては最高のショウだった。すごく解放感があって、そこで肩からいくつものくだらない荷を降ろしたように感じたの。
Juana y sus hermanas-Judith
——最後に『ヘイロー(Halo)』に関して、日本のファンにメッセージをください
日本のファンは、私にとって最初のファンだった。私の本当の音楽的なキャリアは日本から始まったようなものなの。『セグンド』が日本でリリースされたことからあらゆるすべての物事が起きていったの。
私が当時やっていた音楽を日本の人たちが聴いてくれて、その頃私はまだ音楽的には生まれたばかりの赤ちゃんのようなものだったけれど、人々がそれに敬意を払ってくれたことで、私の音楽をもっと伝え続けていける、と思えるようになったわ。
最初の頃、大阪とかのすごく小さな会場で、10人や20人くらいのわずかな観客の前で演奏したときから、日本のオーディエンスとはとても強い繋がりを感じることができた。
誰も私のことを批判的に決めつけようとしたりせずにちゃんと聴いてくれたことをとても尊敬できたし、何事も先入観を持たずに素直にそのまま受け止めるっていうのは、何かを学ぶ上で最善の方法だから。メッセージを送るなら……。ただ、私が来るのを待っていて、ってことかな(笑)。すぐに行くから!
text & interview by 石田昌隆
RELEASE INFORMATION
Halo
2017.04.28(金)
フアナ・モリーナ(Juana Molina)
HSE-6388
¥2,490(+tax)
Hostess Entertainment
[amazonjs asin=”B01N9S8HAM” locale=”JP” title=”Halo”]
詳細はこちら
そんな、フアナ・モリーナが約3年半ぶりとなるニュー・アルバム『ヘイロー』を提げ、<サマーソニック(サマソニ)>出演&京都公演を行うことが決定! <サマソニ>ではEGO-WRAPPIN’の中納良恵を迎えたスペシャル・セットを披露する予定で、8月19日(土)の東京GARDEN STAGEに出演する。また翌日には、京都METROにて単独公演を行なうこともあわせて決定。こちらの公演は5月2日(火)より早割チケット(¥3,500)の受付が開始される。
EVENT INFORMATION
サマーソニック2017
2017.08.19(土)、20(日)
東京会場: ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
大阪会場: 舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
晴れ豆インターナショナル presents
JUANA MOLINA Japan Tour 2017 京都公演
2017.08.20(日)
京都 CLUB METRO
OPEN 19:00/START 19:30
チケット:05.13より一般発売開始
早割¥3,500 ドリンク代別途 [受付期間:05.02~05.12]
前売¥4,000 ドリンク代別途
当日¥4,500 ドリンク代別途
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