結成10周年を迎えた今年、ニューアルバム『クモヨ島(Kumoyo Island)』のリリースとともに、無期限の活動休止を突如発表した幾何学模様(Kikagaku Moyo)。2012年の結成以降、独自のフェス<TOKYO PSYCH FES>の開催や諸処の海外フェスへの出演を経て、リーダーであるGo(Dr./Vo.)とTomo(Gt./Vo.)はオランダ・アムステルダムへ拠点を移すなど、日本を含む世界中のファンから受け入れられた彼らは各地でその才気を遺憾なく発揮してきた。『クモヨ島』のリリースを記念したアメリカ〜ヨーロッパツアーはほとんどの公演がソールドアウト。そして今年、念願の<FUJI ROCK FESTIVAL>(以下フジロック)出演も決定し、これからの活動にいっそう期待が高まっていた中、突然の休止の発表に戸惑ったファンも多いはずだ。休止の背景には、どんな心の葛藤や真摯な決断があったのだろうか?
世界中のフェスを巡る活動をしながら、バンド初期にはマネージメントをサポートし、2016年にQeticで実現した日本初インタビューの際にも彼らと向き合った津田昌太朗(Festival Junkie/Festival Life)が今回リーダーのGo、Tomoとともに対談を敢行。2人が海外移住を果たした2017年以降の活動についてや、ラストアルバムにして新境地を拓くニューアルバム『クモヨ島』の制作過程、そして活動休止をめぐる彼らの想いに迫る中、見えてきたのは彼らを突き動かす純粋な初期衝動だった。
INTERVIEW:Go、Tomo
from 幾何学模様(Kikagaku Moyo)
駆け抜けた3年間で再発見した「遊び場」としての幾何学模様の在り方
──日本初インタビューから6年経ちました。まずついに<フジロック>初出演ですが、心境はいかがでしょうか?
Go 心境はやっと来たなって感じで、嬉しいです。地元の国で一番大きなフェスに出れることは光栄だし、思い出にもなるし。バンドとして最後に母国でやる上ではこれ以上ないフェスだし。
──幾何学模様って、日本のフェスに出ようとしたら台風になったりして全然出れてないよね。2019年の<朝霧JAM>も中止で、<全感覚祭>がフェスとしては中止になって、ライブになり。2020年は<GREENROOM FESTIVAL>に出演が決まっていたけど、延期と。
Tomo 地震とか台風とか、自然現象に巻き込まれて吹き飛んじゃったね。フェスの会場で、お客さんのほとんどが日本人って場所であんまりやったことなくて。個人的にはライブが終わった後のお客さんの雰囲気が結構楽しみ。<フジロック>がすごく好きな人っていっぱいいるから、自分は行ったことない分、特別なものがあるのかなと感じてる。
幾何学模様(Kikagaku Moyo)- Green Suger@SHIBUYA全感覚祭
──みんな<フジロック>行ったことない?
Go Daoud(Gt.)だけモヒートバーみたいなところで働いたことあるよ。ボランティアとして働けるのあるでしょ? うちらが初めて会った時ぐらいの話だけど。
──バンドとしてメンバーで見に行ったみたいなことはなくて、<フジロック>のイメージはあまり湧いていない感じ?
Tomo 全然わかんない。写真でしか見たことない。
Go 俺は映像。タワレコで<フジロック>に出るアーティストの特集コーナーがあって、それをチェックしたり。
──最初出会った頃、なんか日本のフェス出たいねって2人と話してて。やっぱり<フジロック>じゃない? みたいな話をしてた。ルーキー枠(ROOKIE A GO-GO)があるって話をしたら、2人は何か違うかもっていう反応で。海外メインで活動し始めてた時だから、<フジロック>に出るんだったら、ルーキーじゃない枠で呼ばれたいなって。
Tomo ルーキー出たくないとかじゃなくて、オファーを受けたかった。自分らの活動を見てくれて、オファーが来て出演できたら一番いい形だと思ったから。せっかく<フジロック>出られるならって思ってたし。
──それが今回実現して。もちろん作品やライブがいいからオファーがあったわけだろうけど、呼ばれるきっかけになったひとつの要因が、世界中のフェスに出演してきたという実績があるからだとも思う。世界中のフェスに出演してきて、どういう経験があった?
Tomo 2016年当時はまだうちら日本にいたんだよ。<DESERT DAZE>とか<Levitation>が<Austin Psych Fest>って名前でやってた時で。あの時は各地でサイケフェスが出てきて、サイケの流れからきてるバンドはそういうフェスに出れたの。うちらずっとそのジャンルのフェスにいたからさ。サイケロックだったり、メタルのサブジャンルごとのフェスにしか出てなかった。あと<OZORA>とか。とにかくサイケデリックで繋がるフェス。
Go ヘビー系だったんだよ。サイケトランスとか(笑)。
KIKAGAKU MOYO – “SMOKE AND MIRRORS” LIVE AT AUSTIN PSYCH FEST(2014)
Tomo うちらがオランダに行こうとしていた2017年くらいから、<Green Man Festival>とかもうちょっと大きいインディーのフェスにも出るようになった。あとは<Best Kept Secret Festival>や<Roskilde Festival>。<グラストンベリー(Glastonbury Festival)>ほどデカくないけど、その中間くらいのフェスに出るようになってから、金銭面でももっとツアーもできるようになって。2016年からは年間100本以上ライブをやってる状態がずっと続いてた。
Go 1年間でアメリカ公演3回とか、ライブやりまくって。2017年から2019年までは、本当にがむしゃらに。ライブが決まってなくてオファーが来たら「ここに予定入ってる人?」ってメンバーに聞いて。次の年の夏の予定なんて決まってるやついないじゃん、普通(笑)。
Tomo 『House in the Tall Grass』を作る時ぐらいから少しずつそうなったんだけど、アルバムが出る前にもうライブがブックされてたの。しかも新しいアルバムが出るツアーみたいなさ。だからその前にアルバムを作んなきゃいけないってルーティンに変わっていくんだけど、それがすごく大変だった。日本だったら珍しいけど、うちらの界隈だったら年間アメリカ2回、ヨーロッパ3回とか回っているようなバンドはみんなそれを普通にやってるもんね。
Kikagaku Moyo 『House in the Tall Grass』
──具体的にバンドでいうと、同じようなタイミングで同じようなフェスで一緒にいたのって、キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザード(King Gizzard and the Lizard Wizard)とか?
Go キング・ギザードもそうだけど、頭文字Kのバンドが多いの。幾何学模様、クルアンビン(Khruangbin)とか。フェスとか出ると、アルファベット順に上とか下とかに必ずいる(笑)。だからうちらもKを探すのよ、初めに。
Tomo クルアンビンも(当時は)年間4〜5回フェス出てるって言ってた。幾何学、クルアンビン、キング・ギザードとかめっちゃライブするバンドは、みんなから「Hardest working band」って言われてたよね。でもそのおかげもあって、みんなすごく有名になっていったけど。
Go アメリカのバンドだよね、基本的に。だからアドバンテージがある。
Tomo ヨーロッパや海外のバンドがアメリカでライブする時はUSビザが必要だから。アメリカのバンドは取らなくていいし、国内でめっちゃライブできるからね。逆にアメリカのバンドは海外でビザ必要ないから、ヨーロッパもどこでも行けるやん? その分、アメリカのバンドがそれくらいやると、大きくなるスピードがすごく速い。
──それでいうとクルアンビンはアメリカだけど、キング・ギザードはオーストラリアで幾何学模様は日本拠点。それなのに、2バンドはクルアンビンと同じように回ってたってことだよね?
Go キング・ギザードとうちらは、「やるぞー!」って感じだったと思うよ(笑)。
Tomo しかも拠点がオーストラリアと日本よ。もう世界で見たら辺境の島国なのに。オーストラリアなんて、ヨーロッパ行くのにどんだけかかんねんって。毎回15時間とか。それでうちらと同じ3〜4回やる。オーストラリアでもやるから、年間100本くらいやってると思うと、3日に1回くらい。でもそんな感じで、うちらもあんまり覚えてないくらいツアーの日々だったよね?
Go そうそう、本当2017年にこっち引っ越してからパンデミックまでは、そんなに記憶にない(笑)。もちろん1個ずつ思い返せばちゃんと出てくるし、1年1年ツアースケジュールを見ていけばわかるけど、感覚的には本当駆け抜けていった。2020年に目覚めたらパンデミックになってた。
Tomo うちらが最近出したミュージックビデオ(“Cardboard Pile”)の感じ。年間100ショーって、90〜100都市くらいで、わけわかんなくなってくるから。夢見てもさ、3日前に会った人と1ヶ月前に会った人が同じ空間にいたり、国も違うわけ。そういうのを車の中でずっと経験してると、もうサイケデリックな感じになるやん。
Kikagaku Moyo – Cardboard Pile(Official Music Video)
──そういう中でメンタルは大丈夫だったの?
Tomo 楽しかったからね、単純に。
Go 俺とTomoは大丈夫だけど、他の3人やバンド全体でストレスを回避できてたかはわかんない。やっぱり全員初めての経験だからさ、訳わかってなかった。俺とTomoの盲目さが逆に自信になって、ついてきてくれてた感じだから。逆に「ちょっと疲れたな」「休もう」ってなると、みんながついてこないんじゃないかなって少し思ってたかも。そんな余裕なかったね。
──俺も横から見てて、よくみんな仲良くて元気だなってずっと思ってた。
Go それは本当に恵まれてたし、仲悪くならないように気にしてたかな。誰かの調子が悪い時、その人だけが負い目を感じないように。なるべくみんなで歩調を合わせるために、俺とTomoで引っ張ってるけど、みんなでやってる意識をずっと作ってた。
──そこがすごい。自分たちでちゃんとマネジメントできている。普通そういうのって事務所なり、マネージャーがやったりもすることが多いと思うんだけど、そういう意味でも、幾何学模様は会社みたいな感じがする。
Tomo まさにそうだと思う。現に「幾何学模様=会社」みたいにビジネスでやって税金も払っているし。例えば大きいレーベルに入ったりして、毎月給料をもらう安定したミュージシャンっていうより、マネジメントごとうちらのやり方で起業したような感じ。
Go 1人だけで引っ張っていくんじゃなくて、俺とTomoの2人でやってることも大きいと思う。1人が何か作業してる時に、もう1人がメンバーと話したり。そうやってみんなが固まっていく。会社っぽさも、うちらからすると、これを続けるためにはどうするかっていうマインドだった。金銭面においても、ツアーやっていくには家賃払ってちゃんと生活しなきゃいけないし、それを払っていくにはどうするか、俺とTomoで考えながらやってた。
──幾何学模様の活動を見てると、既存のバンドとかアーティストのビジネスモデルに対してチャレンジしているように見える。それがバンドの根底にあるような気がしてて。既存のものを疑って自分たちで仕組みを作ってちゃんと回せるようにする、みたいな。
Tomo 俺とGoちゃんの作る遊び場が欲しかったから。レーベルだったり、自分たちの好きなミュージシャンが集まる場所。うちらがフェスやったらそれで繋がったり、ミュージシャン以外の人とも集まれるような。レーベルに入ると、そのオーナーの遊びになる気がして。
Go やっぱりうちらの遊ぶ場所がないのよ。いきなり「イベントやろうぜ!」って無料で渋谷で好きな友達集めてできないじゃん。何十万もかかるし、お金もみんなで集めなきゃだし。そういう時にハードルを低くして、もうちょっと気軽に遊びやすい環境をね。「こういう作品を出したい!」「ツアーしたい!」って時にそれができたり。遊びの延長が仕事になるような「ずっと遊べる遊び場」を作る意味で、自然に俺とTomoが遊びながらできたのがバンドとレーベルだったって感じだよね?
Tomo 本当そう。<TOKYO PSYCH FEST>(幾何学模様主催のフェス)やるのだって、サイケ聴いてる人と東京で会いたいっていう俺とGoちゃんの想いからだもんね。〈Guruguru Brain〉(幾何学模様のGoとTomoが2014年に設立したレーベル)にいる人も、アーティストとレーベルオーナーの関係じゃなくて、みんな仲良い友達の延長線だしね。そこでようやくレーベルのアイデアとか、自分のバンドもそこから出せるねって繋がってきたから。
幾何学模様/Kikagaku Moyo – Tree Smoke
想像と現実をつなぐ『クモヨ島』の新鮮さとは?
──そんな中で遊び場を作って全力で走る3年間があってから、コロナ禍で初めてバンドは立ち止まったと思うんだけど、どんな状況だった?
Tomo すごくこれは幸運なことだけど、パンデミック前から2020年1月のオーストラリアツアーが終わったら、うちらは休もうと思ってたから。もう4年間走り続けてきたし、アルバムもツアースケジュールの中で、もう本当に頑張って作ったし。時間かけてアルバム作りたいって気持ちもあったから。<GREENROOM FESTIVAL>とかのフェスは出ても、その先大きいツアーはしないって決めてた。だから偶然だったけど、思ったより長かったって感じ。
──それで言うと、2018年の4枚目『Masana Temples』とその前のEP『Stone Garden』(2017)とかは走りながら作ってた?
Go 走りながらだね。
Tomo 『Masana Temples』とかやばかったよね?
Kikagaku Moyo『Masana Temples』
Kikagaku Moyo – Nazo Nazo
Go あれはインドネシアとか中国でツアーがあって、アメリカで1ヶ月、そのままポルトガルに1週間くらい行って。その後録ったから、本当ツアーの合間に作った。
──じっくり時間をかけて作った作品ではない、と。その前の『House in the Tall Grass』(2016)のリリース直前もそんな感じ?
Tomo あれぐらいから忙しくなった。
Go そのときは作り込むアイデアも、技術もないし。出来ることだったり、やりたいなって思える知識もないから。「もっとできたな」「こういうことできたな」って感覚よりは、とにかく毎回、その時あるものを全部出してた。消化不良ではないんだけど、アルバムを録る前にリリースが決まってる精神状態をなくして作りたい、って2019〜2020年の時に話してたのよ。
今回のアルバムは1年間ゆっくり曲作って、アイデアが出るのも楽しめたのね。みんなでオランダでやったり、日本の山の中で録音したり。あとはこういうプロデューサー入れてみようとか。今まではツアーのことしか考えてなかったから、音楽を作る楽しみをもうちょっと取り戻そうとしてたって感じかな。
──『クモヨ島』の話に移るんだけど、アルバムのコンセプトとかアイデアがどこから出てきたかを聞かせてもらえたら。
Go 当時はゆっくり作るつもりだったけど、2020年に入ってコロナが広がって。でも「パンデミックも夏までには終わるでしょ」って感じだったじゃん。<GREENROOM FESTIVAL>も出る予定だったし。そういうのもありつつ、集まる時に曲書いたりしようとしてたけど、それがいきなり遮断されちゃってさ。みんな(Go、Tomo以外のメンバー3名は日本に在住)もこっち来れるかわかんないし、うちらも簡単に日本行けないし。ライブどころの騒ぎじゃないってなった時に「ゆっくり作ろう」って思ってたのが、「別に作んなくても大丈夫じゃん」って。「来週までにやらなきゃ」とかそういうのもなくなって、余裕ができて。余裕ができるとスペースが生まれるから、みんな色んなこと考えたりして、一生懸命曲作ってた。
今まではツアーしながら3〜4割の出来の曲をライブで試してたんだけど、ツアーがなくなったからそれができなくなっちゃって。その作り方が自然に変わってきて、スタジオで合わせずにリモートで完成させるようになったのが違いだと思うよ。
Tomo 3作目と4作目を出して海外ツアーに行ってた時は旅行先の景色だったり、その時に聴いてる音楽だったり、ツアー中に得た経験がインプットになってたの。でも今回はそれがない状態でのインプットだから、自分の家の中のものや自分の好きなものがインプットになってた。それに全部想像で作ってた感じもあるから、アルバムのコンセプトもソファだったり、家で休める空間があったりするのかな。でも家なんだけど、ツアーしてた時の記憶を辿った自分たちの軌跡も落とし込んでたから、記憶と想像の世界と現実の行き来がアルバム全体を通してあるのかもしれない。リモートだったり想像であったとしても、あれだけツアーを回ってた分、うちらがツアーでやってきたグルーヴが共有できたと思う。
──今回のアルバムを聴いてて、日本語をもじったり言葉遊びが多いなと思ったんだけど、その辺はどんな意図があったの?“Monaka(もなかの中)”とか。
Go “Monaka”のリリックに関しては別に書かれてないし、Tomoのインプロだからさ。
Tomo みんなで音楽作ってた時に、自分の家でどの発音が気持ちいいかとか、「この音気持ちいいな」って出てきた。そこで割と言葉遊びをするみたいな。
──あと他の曲だと、ポルトガル語の歌詞を英語に翻訳して日本語に変換した曲(エラスモ・カルロス(ERASMO CARLOSERASMO CARLOS)のカバーソング“Meu Mar”)もあるよね。そういう発想は?
Go あれは〈LIGHT IN THE ATTIC〉っていうレーベルの企画でカバー曲を作ることになって。エラスモをやろうってなって全曲聴いたんだけど、ギターとか難しいからできる曲がアレくらいしかないのよ。あの曲だって宅録だからさ、みんなが離れた時にやったよね。
Tomo そう。ほとんどGoちゃんがやったんじゃないかな。ウワモノは後から乗せたけど。
Go 歌詞はまずポルトガル語を日本語にすると意味わかんなくなるから英語にして。そしたら意味がわかるから、なんとなく日本語で通じるように俺が解釈して、Tomoにその場で教えて録ってもらった。
ERASMO CARLOS – Meu Mar
──それはバンドとしては初の試みだよね? 聴いてて新鮮だった。勢いの中で作ってたら絶対出てこないような感じだし、ライブで試すような曲でもない。そういう幾何学模様のクリエイティブな面が聴けた気がして、普段とは違う過程を経てきたからできたんだなって今思った。
Go そうだね、録音も全部俺が弾くことは普段ないからね。みんなに弾いてもらう感じだから。
Tomo あの曲は締め切りもあったしね。
Go 本当は4分くらいなのよ、カットされてシングル用になる予定で。あれって6分くらいあるんだけど、後ろの方に伸びてるわけ。俺は後ろの方は使わないと思って録ってるからさ。デモの勢いで適当にやってるのをTomoが「最後のところいいじゃん」って。「笛入れたらいいんじゃない?」とか意見くれて、ぐちゃぐちゃな感じがもっとカオスになったかな。尺によって曲の印象って変わるから、新鮮さはそういうところからきてるかもね。
Tomo あとブラジル音楽って日本語で歌ってる感じが結構あるから、ちょっと歌謡曲ぽかったりもする。あとブラジルの歌は世界中の言葉でカバーされてるし。それもあったよ、日本語でやってみる案が出たのは。
Tomo 今練習してる! しかもツアーも5月からあるから、現地行って各自練習してそのままリハでやってライブする。
Go そもそも想像ってコンセプトの中で作った曲たちだから、ライブの演奏に関しても想像をしながらメイクセンスしてるかな。日本でやる頃には仕上がってるはず。最初の1〜2週間、アメリカで4、5回やってできるようになって、そこから「この部分ジャムしようぜ」ってみんな個人でアレンジし始めて、それからヨーロッパでやって、結構固まった状態で日本に来るから。
──じゃあ、<フジロック>ではさらにいい答えが見つかるってことね。
Tomo 全然できんかもしれんけどね。「あれ? 下手じゃね!?」って(笑)。うちらもライブでやってみて違うなって思うこともあるから。やってみてどうなるかは、うちらも楽しみなところ。
Kikagaku Moyo – Gomugomu(Official Music Video)
──アルバムタイトルの「クモヨ島」はどこから来たの?
Go クモヨはうちらのマーチを作ってくれたよしつぐ君(YOSHITSUGU OYA/オオヤヨシツグ)って人がいて、アートワークをデザインしてもらった時に、デザインを見たら幾何学模様を「KIKAGA・KUMOYOU」ってアルファベットで分けてたのね。その分け方いいなって思って。うちらの発想じゃ絶対出てこないなって思ったし。
あとCloudsとかTemplesとかForestとかこれまでのアルバムでもそうだけど、いろんな場所をリスナーに対して想起させたいんだよね。聴きながらいろんなところにトリップするみたいな。うちら島国の出身だし、アイランド(日本)から出てきてアイランドに戻ってくるっていう自分たちの境遇にも重なったのよ。それに「クモヨ」は“幾何学模様“ってバンド名のお尻の部分でもあるから。今作が一番最後のアルバムになるし、その意味で「クモヨ」を使った。サークルがちゃんと閉じて綺麗に収まるように。
Tomo アートワークも今までずっとイラストレーションだったけど、最終的に現実のものが入った写真になることによって、今まで記憶の中で作っていたものが「家」という現実に帰ってきたみたいな。でもやっぱり想像すれば、昔の記憶も蘇って来るし。だからそういう気持ちで聞いてくれると嬉しいです。
うちらの音楽を好きな若い人たちにスペースを作りたい
──最後のアルバムって話が出たから、そのあたりの話を聞かせてほしい。コロナ禍に入って、パンデミックになったけど、バンドとしては良い状態の中で作品づくりしていた最中なのに、突然の休止発表には本当に驚いた。
Go 去年パンデミック中にヨーロッパとアメリカでツアーしたんだけど、「本当にこれできんの?」っていう状態でツアーしてたのよ。毎回みんなPCR検査とワクチン受けなきゃいけないし、不安もいっぱいあったし。実際会場に来てみてライブやるってなっても、野外で椅子に座って鑑賞するみたいな。俺が風邪引いた時も「コロナじゃね?」って。すぐ薬局行ってセルフテストして、とかそういうストレスも大変だった。次のアルバムを考えた時に、これを続けていくってことは同じサイクルになっちゃうと思ったのね。今5枚目だけどアルバム作ってツアーしてっていうサイクルを今後10枚目までやるのか? とか考える時間もできたし。
Tomo Goちゃんと俺がバンド始めた時には世界中で出会えると思ってなかった素晴らしい人たちにも出会えて、いろんなことを共有できたし、勉強もできた。いろんなファンに愛されて、独立してもサポートしてくれて。やってきたなかで、全部自分たちの目標にしてたことを達成できたのが、活動休止の理由としては一番大きいかな。
Go 今まではこういうとこ出たいとか、キャパ大きくして、とかだったのよ。そこに100%向き合ってきたけど、それを今度は50、60%の向き合い方で生活できるのか、とか。そういうアジャストメントをした時、ロケットの状態であとどれだけ出来るんだろうと思った。アメリカだともう5、6回目だから新鮮味もなくなって、ルーティンに入ってくようになってるわけ。ルーティンになって、生活のため、仕事のためとかってやってると、どんどん遊び場がなくなってきて。ふざけながらトリッピーな感じで制作することが楽しかったのに、だんだん「何のためにやってるんだろう」……とまでは言わないけど、それに近いことも考えたし。自分たちのキャパを考えた時に、どれくらいのキャパが自分たちに合うのかもだんだんわかってきたんだと思う。
──これ以上大きくなったら自分たちが作ろうとしてた場所や遊び場より、そうじゃないことに向き合うことが増えてきたってこと?
Tomo それが悪いわけではないし、なろうと思ってもなれるかどうかはわからないけど、そこの魅力より、自分たちがいいなと思う場所を見つけられたことが素晴らしいことだと思うから。自分たちが一番最高の状態で終われると、うちらはすごく嬉しいし。バンド始めた当初から全員友達で、多少喧嘩しても仲直りできる関係のまま、これだけツアーやってきても続けられている状態で、ドラッグやアルコール中毒にもならずに健康でいれて幸せですよ。
Go 逆にいうと、このままずっと続けてたらその関係性が変わるかもって感じたこともある。大きくなっていって何千人っていう規模でやるってなると、変わらなくちゃいけない。やりたいことが一番最初のエネルギーと変わってるから。パンデミックの状況下だと、これだけ離れてて普段一緒に遊べてなかったり、1週間に1回電話したりするだけだし、バンドのこと以外話す暇ってなくて仕事っぽくなるから。その感じで進めていっても、また次の壁があるしさ。
2人(Go、Tomo)がこっちにいて、あと3人が他の場所にいる環境で、次の成長につなげていくためにもう一度メンバーみんなと合わせてやることになった時、続けていくのは相当なエネルギーが必要だと感じたのよ。そのエネルギーが俺とTomoの中から溢れて、もう1回出来るかってなると、気持ちだけだとどうしようもない部分があって。そんな時にちょっと立ち止まって気づいたらもう10周年じゃね? って。
Tomo 10年やれれば区切りとして気持ちいいし。ロックバンドとして10年やって次のステップに挑戦できるのもすごく楽しかったし、だからといってステイしたくないからね。うちら若い頃、上の世代に「早く交代しろよ」って思ってたから、自分たちがそこにステイするよりかはうちらの場所を空けて、うちらの音楽を好きな若い人たちがそれを原動力にして、空いた穴に入ってくるスペースを作りたい。それをここまで経験できたバンドとしてやるべきかなって俺は思う。若いバンドが出てくるのもすごく楽しみだし、応援したい。そうやって音楽はどんどん興味深くなっていくものだし、世代を通して化学反応が見られるのはすごく楽しいことだと思う。
Go うちらもそんなバンドが上にいて、教えて欲しかったよね。そういうバンドが当初いたら、もっと早く行けてたっていうのもあるし。
──初めは納得してなかったんだけど、こうやって改めて2人の話を聞いたら腑に落ちた。今後の2人の展望は?
Tomo 今って昔よりかは世界中の色んな地域の音楽がピックアップされるようになってるし、日本の音楽も昔と比べたらもっと浸透するようになってると思うのね。アジアの音楽もインターネットが普及してより世界に浸透してきて、海外に出るようなバンドも多くなってきているし。今後もっとそういう世界が広がるように、音楽とアートを通して何か新しいことをやっていければいいなって思ってる。いろんな文化が混ざり合って、いろんな音楽を見たり聴いたりできるような。でも具体的にはまだ分かんないかな。
バンドやめても5人でジャムしてるかもしれないし。幾何学模様っていうプロジェクトは終わって、また違う形でスタートしてるかもしれない。しかも、コロナも終わって時代も変わってくるから、新しい音楽もでてくると思うし、そういうのをこれから見たいと思ってる。それ以前に今年が楽しみかな。
Go バンドが終わるって言っても今年は一番ロケット乗らなきゃいけないから。実はガチガチでツアーがあるから、それが全部終わった時にスペースがみんなに生まれると思う。その時にもう1回この話をしたらまた違うビジョンがあるかもしれない。今はなんとなくやりたいことはあるけど、具体的なビジョンを考える余裕は今ないかな。
──<フジロック>でもしかしたら初めて聴く人もいるかもしれないし、今まで聴いてきてくれてる人も来てくれると思うから、そういう人たちに向けて何かメッセージを。
Tomo 楽しんでくれたら嬉しいよね。
Go “Don’t take it seriously.(重く捉えないで)”っていうのはある(笑)。バンドなんていくらでもいるし、10年以上やってるバンドもいくらでもいるし。いろんなバンドがあるから、バンドが終わるなんて日常茶飯事だし、そこまでシリアスなことじゃない。友達じゃなくなって喧嘩して終わるとか、誰かが病気になってとかじゃないからさ。最後だけど、こういうバンドがいたんだな、いるんだな、ぐらいでうちらはいいかな。この5人、友達でやってていいな、おれも友達とやりたいな、とか。素人で始めたんだ、素人でもこういう風にできるんだって思ってくれたらいいけど。それって始めた当初から変わってないからさ。最後だから、特別にこういう風に聴いてほしいっていうよりも、やっぱり楽しんで聴いてほしい。
Interviewed by 津田昌太朗
Text by 竹田賢治