これは私だけの歌だ。そう思う瞬間のある音楽に、人は一生で何度出会えるのだろう。

昨年、日本で1度目の緊急事態宣言が発令され、少し時が流れ聴いたLil’Leise But GoldAenaiya”は私にとってそんな1曲だった。(sic)boyをはじめBAD HOPや田我流、C.O.S.A.やJJJといった数々のアーティストのプロデュースを手掛け、今や日本を背負って立つプロデューサーのひとりとなったKMによる表情豊かなビートの上でも、しおれることなく自由に伸びていく歌声。そこに乗せられて届く、優しさに満ちていながらも孤独感をまとったリリック。それは1人狭い部屋の中で思いを巡らせる私にそっと寄り添ってくれた。正直な話をすれば、その歌にある抽象性はたくさんのリスナーから様々な解釈を呼び込み、事実として私だけのものではないのだけれど、それを承知の上で敢えて言いたい。これは、私だけの歌だ。

そんな“Aenaiya”を含め5曲が収録された、Lil’Leise But GoldによるEP『Sleepless 364』が先日リリースされた。KMがプロデュースしたバックトラックと、ときおりアンビバレントなまでに火花を散らし、ときおり惹かれ合うように溶け合う歌に、全編を通して漂うのは“Aenaiya”にもあった、優しさと孤独感、抽象性とそこに潜むリアリティ。人と人が物理的な距離を取らざるを得なくなった今、私たちを包み込む歌たちだ。加えて、日米を繋ぐヒップホップ・レーベル〈Frank Renaissance〉とのプロジェクト「A- Teamʼs Fables」への参加や、自身のアーティスト活動だけでなく、こちらもKMと手を組み、lyrical schoolやD.Y.Tといったアーティストにも楽曲を提供。現在、Lil’Leise But Goldの持つ詩情はシーンに囚われず注目を集めている。

ここまで、さも当然のように書いてきたが、実のところこのシンガーであり作詞家でもあるLil’Leise But Goldについて知られていることはとても少ない。だからこそ今回のインタビューではそんなベールに包まれた彼女のルーツから現在へと迫るわけだが、その前にわずかに露出している重要な情報を事前に共有しておく。それは彼女が歌っている曲のプロデューサーを全てKMが務めていることから察していらっしゃる方もいるであろう、彼女とKMは夫婦の関係にあり、すでに2人の子どもを持つ家庭を築いているということだ。私だけの、あなただけの歌がどこから来たのか、パートナーとして、母として、そしてひとりの人間であり表現者として、いささか無礼ながらプライベートな部分にも踏み込みつつ話を伺った。その足跡を共にたどってみよう。

INTERVIEW:
Lil’Leise But Gold

インタビュー:Lil'Leise But GoldがKMとの生活からつくり上げた寄り添うような音楽 interview210422_lileisebutgold-06

嬉しいことも嫌なことも、
全部暗号のようにして書いていた

──まず、音楽活動をするきっかけについて伺えますか?

3歳からピアノを始めて、右手と左手をお箸持つ方とお茶碗持つ方という覚え方の前に、こっちの手は高い方の音、こっちの手は低い方の音みたいなことを覚えて。言葉を覚える前に音楽がある環境でした。別に両親は音楽関係の仕事をしているわけじゃなくて、ただ習い事として早くに始めさせてくれただけなんですけど。なので、音楽は近くにあるのが自然だったんです。でも毎日練習しなきゃいけないし、遊べないし、嫌いだった時もあります(笑)。当たり前すぎて、音楽が家族同然のような存在でした。

──その頃からすでに歌うことも意識していましたか?

そのときは歌うより弾く方だったので、あまり意識してなかったですね。小学校の時に『天使にラブソングを 2』を観て「すごい!」と思ったことは印象に残っています。中学3年生で習い事としてのピアノは終えました。高校生になって遊びたいし(笑)、もうやめようって。だけど、それまでずっとやっていたからなのか、やっと解放されたはずなのに、何をすればいいのかわからなくなってしまった。そしたら高校で出会った友達がHipHopやR&Bにすごく詳しい子で。それまで割と厳しい家庭に育ってゲームや漫画もダメだったので、そういうカルチャーに触れる機会が少なかったんですけど、ピアノを辞めて解放されて、その子からそういうものが一気に入ってきました。「ラップってなんか面白いね」って、行き帰りのバスの中、2人でイヤホンを片方ずつして、聴いた歌詞を書き出したりしていました。

──自作も始めていたんですか?

そういうのはまだ全然なかったです。だけど小学生の頃から詩を書いていました。自分はあまり感情が表に出る方ではなく、ちょっと嫌だなと思っても、その場では静かに笑っているおとなしいタイプでした。日記だと誰かに見られちゃうこともあるだろうから、全然わからないように抽象的な感じで書いていました。感情のはけ口ではないけど、嬉しいことも嫌なことも、全部暗号のようにして書いていました。

──その友人との出会いから歌う、曲を作るまでの過程はどのようなものだったのでしょう。

そのうち小さなライブバーでアルバイトを始めました。そこはジャズもやるしフォークもファンクもやるし昭和歌謡もロックもやる、毎日バンドが変わってやっているようなところで。「歌いたいなら歌えばいいよ」なんて言われて、遊びでやっていたんです。変化があったのはKMと20代前半あたりに偶然知り合ってからです。出会った時の彼はとにかくDJ命! という感じで、DJさえ出来ればもう何もいらないような人だったんですけど、その傍らDTMで自分の作ったものをDJ中に掛けたりしていました。

その頃、たまたま彼が知人から「洋楽ヒット集」的なカバー集の仕事をもらって、私にボーカルが必要だから歌ってと。彼がDJしに行っている間に、家で歌入れして納品するみたいなことをやっていました。2010年くらい、震災のちょっと前ですね。その時は「お金をもらったら美味しいもの食べに行こうね」くらいの感覚でした。特に私としてはラッキーというか、レコーディング・スタジオとかも行かず家のマイクでサクッと楽しく歌っていました。

──今回のEPでも様々なスタイルの歌がありますが、発声法などはどのように習得していったんですか?

もともとスタンダードジャズも好きで、バイト先のバンドでカバーを歌っていたりしたんです。だから特別ボイス・トレーニングに行ったことはないんですけど、往年のジャズシンガーを真似して歌ったりはしていたので、しいて言うならそういうところかな。完全に独学です。

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──言わば遊びの延長からアーティストとして曲を発表していくようになるまで、意識の変化はありましたか?

今思えば、歌を歌うという遊びの中にも発散があったんですよね。日々の感情やインプットしているものを吐き出すように、ノートに詩を書いていたのと同じで。カバーだけど歌を歌うことで、別に直接誰かの前でなくとも、ストレスもハッピーも全部発散していたんです。2013年の震災後、パーティー自粛のムードがあった頃、数少ない楽しみの一つがYouTubeのおすすめを見ることくらいだったんですが、たまたまビョーク(Bjork)の“Hyper-Ballad”を夜中にKMと観て。その時無性にグッと来て、その翌週くらいに彼から「ちょっと作ったから“Hyper-Ballad”歌って」って言われて。もちろんカバーなんだけど、そのときはより気持ちを込めてアレンジを入れたり、集中してやれて。震災後というのもあったと思うんですけど、今までやっていたのとは全然向かい合う気持ちが違いました。それでこれは何かしらで発表できたらいいねって2人で話して、密かにSoundCloudで”Progressive Hyper-Ballad”をUPしました。そしたら反応してくれる人がちょこちょこいて嬉しかったのを覚えています。

そのくらいの時期から曲を作るということへの意識が変わったと思います。ただその後子どもが生まれて、子育てと家庭の中で自分だけの時間が全く持てなくなったり、他にも経済的なこととかが重なったりして、2人ともいっぱいいっぱいパンク寸前のような状態になってしまいました。今思えば少し産後うつだったのかもしれないですが、身体と気持ちが追いつかなくて、でも明るく笑ってみんなを支えなきゃという一人勝手に思い込んでしまったプレッシャーもありました。彼は彼で稼いでも右から左へ通り過ぎていくお金、家の更新も迫ってるし、そのタイミングでDJをやっていたお店も営業停止になったりと焦っていました。昼と夜の両立が難しく、サラリーマンを辞めて、DJ一本で食べていく決意の直後だったので。

完全に音楽を辞めるか、それともどこかに引っ越して心機一転、絶対成功するつもりでやるか、どっちにするか二人で何日も話しました。私はどちらを選んでも思いっきり応援しようという気持ちだったから割と聞き役だったんだけど、心の中では「彼から音楽を遠ざけたら彼の心が壊れるだろう」と感じていたので、実際にコンパスで地図に円を書いて(KMがDJをしている)西麻布から2時間以内でいけるところを探しました。ここなら週2くらいDJに通ってあとは家で制作できるよねって、見つけたのが今の千葉の家です。引っ越すと子供達ものびのびできて、家賃の呪縛も減って、その間に子どもたちも大きくなっていって。暮らしを立て直すことができました。その嵐が過ぎた頃、子どもたちが寝た後に「自分の内側を持て余してるなら自分で歌を書いてみれば」なんてKMに言われたんです。こう思うと彼に毎回促されてるな(笑)。でもオリジナルを歌うという事を不思議と考えたこともなかったし、ノートに書き溜めた詩を世に出すことへの気恥ずかしさもありました。

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──詩を書くのは継続していたんですか?

してました。携帯のメモとかに。子どもを寝かして、夜中に起きて感情や思考がウーとなったりしたときに汚かろうがどんな言葉だろうがわーっと書いて。ただ死んだときに見られたら大変だから、見た人が何パターンにも解釈できるような感じで書いてましたね(笑)。

──その表現力にも繋がっていると思うのですが、『オタク IN THA HOOD : KM』の中でKMさんが自宅の本棚を開けた時、小説は奥様のものと話していました。好きな作家さんや作品について教えてください。

寺山修司さんとか、漫画家だと江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』とかを書いている丸尾末広さんとか、そういうグロ系とか謎解き系が好きです。もともと父は常にいろいろな本を読む人で、五木寛之さんの本などもよく読んでいました。興味の有る無しに関わらず辞書や説明書すらとにかく活字が娯楽で、読んで妄想することが楽しみだった私は、父の本の影響を多く受けているのかもしれません。歴史物とかミステリー系、横溝正史さんや江戸川乱歩さん、松本清張さんとかも好きですね。

オタク IN THA HOOD : KM

──リリックでは英語詞と日本語詞がミックスされているのも特徴ですよね。

日本語で言ってしまうとダイレクトすぎるところを英詞にすることでちょっとまろやかにしたいのと、今は作ったものを世界中に飛ばして聴いてもらえるので、いくつかのキーワードでわかる言葉があれば、日本語で何を歌っているかがわからなくても、なんとなく内容を理解してもらえたら面白いなと思っています。そうしていたら海外からDMが来たりシェアがあったり、届いている実感もあるので、そういうところも意識してます。もちろん単純に韻の関係もありますね。

──ちなみに〈Frank Renaissance〉とはどのような経緯があって繋がったのですか?

最初にレンから連絡をもらったのは2019年の冬くらいで、まだ〈Frank Renaissance〉が立ち上がっていなかった時でした。〈Frank Renaissance〉はNYにいるフランクと日本とアメリカを行き来しているレンの2人が中心になっているレーベルなんですが、ある日レンから「“24Rules”がすごく好きで、計画していることがあるから協力してくれないか」と連絡もらったんです。その後「A-Team Fables」というプロジェクトが始まりました。バスケとファッションとヒップホップのプロジェクトで、本当はアーティスト達と直接会ってやりたかったんですけど、このコロナ禍で難しい状況になってしまって。なので完全リモートでzoomミーティングを重ねてみんなと完成させました。

“A-Team’s Fables” – RIKUTO feat. Lil’ Leise But Gold, Osteoleuco, Ettoman (Prod. by KM)

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単純な会いたいだけが人間関係じゃない

──自分がオリジナルを歌うことになったとき、葛藤はありましたか?

葛藤がなかったといえば嘘になるかな。ビートの制作は歌う前の段階からLogicとかをいじって好きな曲のDJミックスを作ってみたりしていて、あとは理論という程ではないですけど「808はこれで、スネアはこの位置」とか超基本的な事はKMが先生になって教えてくれました。それに自分の詩をのせたのが最初のEPLil’ Leise But Gold』(2018年)でした。オリジナルを歌う、自分の書き溜めていたノートを歌詞として昇華させるっていうことをしたのはそれが初めてで、そこから今に繋がっています。子供時代からだいぶ長くかかったなと思うんですけどね(笑)。

──最初のEPのタイトルにもなっているアーティスト名はどんな意味があるんですか?

本名か迷ったんですけど、意味を持たせた方が愛着も湧くと思って。クラシックも好きなのでドイツ語も入れてみて(笑)。「Lil」は小さい「Leise」も小さい「But Gold」は「でも金」という、完全に造語なんですけど、Lil’Leise But Goldで「ちっちゃくても金だよ」って意味です。SNSのDMで「どう読むんですか?」と質問がきて「悩ませてるな」と思ったのでインスタにカタカナ表記を入れました(笑)。

──KMさんとの制作はどのように行われますか?

大抵はビートができてから「好きにしていいよ」って渡されることが多いですけど、彼は忙しいので、私が歌を作りまくりたいときは先に仮歌を録って、こういうのを歌いたいから(KMの仕事の)優先順位の順番に並ばせてってお願いすることもあります。お家で完結できるのは便利です。よく見るヒップホップのクルーが部屋に集まってやるようなことが同じようにパートナーとできるし、四六時中そういう話ができるのはいいなと思いますね。

──ビートを聴くと歌を乗せるのが難しそうに感じるのですがいかがですか?

彼が普段やりたいけどできないものを、私とやっているという部分もあるのかなと思います。

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──KMさんの作るビートは歌い手にとって難しいものが多いように勝手に思っているのですが……。

私は他の方のビートで歌ったことがないのでちょっとわからない部分はあるんですけど、難しいと言われる事が多いとは思います。でもだからこそ彼から学ぶことはもちろん多いです。あと私は結構コーラスというか音を重ねたりとか、ハーモニーでワーといかせるのが好きなんですけど、「ここいっちゃうと当たっるからやめて」としっかり厳しいですね。

──lyrical schoolやD.Y.TなどKMさんとともに楽曲提供の仕事もされています。作詞においてご自身のソロと意識は変えていますか?

なるべくスイッチするようにしています。ただ当たり前だけど全力でやるから、当然自分で歌いたくなっちゃう(笑)。でも逆を言えばそのくらい本気のものを提供しています。例えるなら宝物を差し出すつもりで(笑)。制作は最初の段階で歌って頂くアーティストの写真を見たり、声がどのくらいの音程の方なのかとかいろんなデータから構想していって、こういうことも合いそうとか、こういうことを歌わせたら今の彼ら彼女らにとって説得力を持った歌にしてあげられるかもとか、普段暮らしの中でインプットしたものをアーティストのデータと混ぜて、3日間くらいかけて落とし込んでいきます。

──スキルやイメージを掛け合わせて当て書きしている感覚ですか?

スキルの面はみなさんプロの方だから心配はしていなくて、でもその方がなりたいイメージやキーワードに沿って描き進む感じです。その後はその楽曲を自分のものにしてほしいから、どうしたら私の世界と、彼らの世界がリンクできるかを考えます。まずは私がコーラスやチャントとかの部分まで一応入れて仮歌を録ってお渡しします。そこからは彼らが咀嚼してカラーを出すんですが、lyrical schoolの“TIME MACHINE” でも、「はいどうぞ」と歌詞を渡しただけだと抽象的な言葉も多く「どういう世界?」という感じになってしまうんじゃないかと思ったのでレコーディングの際にその場で具体的なイメージを伝えて、向こうからも「これはどういうこと?」とコミュニケーションを取りながら進めました。歌を通してだんだんお互いを理解し完成していくことは自分だけの制作と全然違って楽しいですね。

lyrical school /TIME MACHINE (Full Length Music Video)

──ご自身の今作EP『Sleepless 364』はどのような作品になりましたか?

コロナ禍で1度目の緊急事態宣言が出ているとき最初に発表したのが“Aenaiya”です。キーワードは「会いたい」「会えない」、大切だけど程よい距離感が必要な関係性も含めて。だからストレートな「会いたい」「I Love You」だけじゃない絡まった部分を考えて書きました。単純な会いたいだけが人間関係じゃないから

──その後もシングルが続きますがEPとしてどのようにまとまりましたか?

気づいたら「眠れない」「会えない」だけじゃなく、「自分を見つめる、解放する」がテーマになっていました。実はこの一年で今までに無いくらいKMとじっくり話す時間が持てたんですよね。それは2人の関係どうこうではなくて、私自身の内面、日記は見られたくないから書かないけど、なぞなぞみたいな詩は書くっていう子どものころからの習慣とか、捨てられないエゴの部分、執着心や依存心について。長い間囚われていたことが、対話していく中でほぐされていくように感じました。そして少しだけ俯瞰して見れるようになった自分をようやく受け入れられるようになって書いたのが“Nonono”なんですけど、この曲は表向きカップルの別れと出発のような感じなんですが、自分の中では執着からの脱却とか、依存心から抜け出したいけど誘惑に引っ張られることを歌っています。抱えていたものがまだ完全ではないけどほぐされていく様というか、気づいたらいつの間にか全体的にそういう内容になっていました。

Lil’Leise But Gold, KM – Nonono

──タイトル『Sleepless 364』はそのようなイメージから繋がっていますか?

そうですね。何かしらに意識囚われて眠り浅い364日の為にというのと、1日くらい嬉しいことも心配なことも全部、自分すらも忘れて眠れる日があってもいいよねっていう。364日、何かしら夢を見てしまったり、引っ張るものがあっても、1日くらいは完全に無の状態で眠れる日がほしいなってところから。そういうメンタルヘルス的な意味合いがあります。

──全体を通して歌詞には孤独感が漂っているように思いました。

誰かと一緒にいても冷たい孤独を感じる瞬間はあるし、反対に孤独が時には心地よいときもあるし。心地よい孤独も黒い染みが広がるような孤独も、それっていつどこで感じるか襲って来るかわからないから。そういう瞬間ってみんなあるよねっていう。テーマが孤独じゃない歌も今後歌いたいなと思いますけどね(笑)。でもそれが昔から良くも悪くも私の原動力になっています。

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歌の中では自分だけの状態でいられる

──自分の偏見かもしれませんが、現状ではとりわけ女性アーティストの場合、結婚や出産を経て活動を止める方も多いのではないかと感じています。

そうですね。結果的に辞めざるを得ない場合は少なくないですね。私は結婚して子どもが生まれるまでは「ある程度は続けられるでしょ」と思ってたんだけど、実際生まれて育てていく日々、子どもは死なせちゃいけない守らなくちゃいけないし、自分がいないと生きていけない存在だから、活動に前のように注力することはとても難しくなりました。それでもあがいて子供も参加オッケーのパーティーでは抱っこ紐をしてDJしたこともありました。あとはパートナーや周囲の理解がかなり重要になってくるので、事実上続けられなくなってしまうというのはあると思います。そういう面では私の場合は逆に背中を押してもらえたのでありがたいなと思います。「母親なんだからやめるべき」と求められたことがないので、そういう部分も彼や周囲の人たちに感謝しています。

──今後も活動は続けていきますよね?

そうですね。まだアグレッシブにというのは実際なかなか難しいんですけど、バランスを取ってやっていきたいと思っています。仕事として、活動として、その自分自身や周囲とのバランスは、子どもがいる暮らしの中ですごく重要ですよね。いくら背中を押してくれているとはいえ音楽活動ばかりになったら自分が思う家庭のバランスが崩れてしまうし、だからそこを間違わないようにしなきゃと。もちろんはじめからそう思えたわけではないんですけど、子どもが生まれてからの何年間かでぶつかりながらやっとバランスが取れるようになってきました。

──ぶつかることもあったんですね。

妊娠したらイメージでは聖母マリアではないけど、お母さんに勝手になるものだと思っていました。極端なんだけど、妊娠した瞬間から全てに対して母性を持てて、「私」というよりは完全なるお母さんのマインドになれると。でも実際は身体の変化にもついていけないし、愛しい気持ちはあるのに、それとは別なところで「この身体はどうなっちゃうんだろう」とか「産むのは痛いんだろうな」とかからはじまって、産んだあとも「なんで泣いているの」という不安や、本で見てもネットで見てもわからない瞬間もあったりして。彼は彼で昼はサラリーマン、夜になったらDJ仕事で朝帰ってくるので、そこで「お母さん、わかった。奥さん、わかった。ところで私はなんだっけ?」と産後半年くらい戸惑ってしまっていたと思います。

そのマインドのバランスがここ何年かでやっと取れるように。それこそ落ちてる当時は、SNSで見る他のお母さんはこんなに綺麗にしてるしなんか楽しそうだしバリバリ仕事してて、なんで私はこうなれないんだろうとか。完全に空回りしてしまってました。出来る限り自分なりに頑張ってるのに、自分が理想とするいいお母さんに全然届かなくて自分を責めてしまってた。今思えば「そんな焦んなくて大丈夫よ〜」と思うんだけど、私だけ「自分」が残り続けているというか、なんで表現したいとか歌いたい、音楽やりたいって気持ちが消えないんだろうって。子どもが生まれて、愛を注いで、愛をもらって、やっと居場所ができた。なのにだからこそ完全に辞めることができない自分に罪悪感のようなものを感じていました。

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──それを肯定できるようになるまで徐々に変化があったんですね。

そんな私にきっと彼も戸惑って、だいぶぶつかりあったけど、最終的にその叫びみたいなものを受け入れてくれたことは大きかったです。

──自分には家族がいませんが、想像の及ばないところがあるかもしれず、不安に感じることもあります。

寂しさみたいなものはなぜか子どもの頃からどこかしらあったんですけど、子どもができてからは寂しさととはちょっと違う「取り残され感」というか、自分の家族ができて寂しくはないけれども世の中からはなんだか取り残されてしまったような。例えば6畳の部屋に昼間子どもと2人きりで、それはそれで幸せな視点なんですけど、テレビやネット上に浮かぶ「世の中」からすごく離れてしまって。自分自身仕事への復帰もその時はうまくいっていなくて、まるで街の中の光のひとつだった自分はもうその中にはいないんだと、社会の一部から少し外れてしまったような感覚がありました。

人肌の寂しさではなくてこの「取り残され感」を彼や周囲が理解してくれたことは大きかったです。逆に「俺の方が大変なんだよ」って拒絶されてしまっていたら、また全然違ったと思います。私自身、今は世の中との繋がりを歌で持てているんですけど、そこに行き着くまではもう、爆弾を持ってうろちょろしているような感じでしたね。

──“Nonono”では後ろ髪を引かれながらも先に進もうとしているのを感じますが、この先のイメージなどはありますか?

実は実際一年先もわからない未知な状態です。それは世の中がという意味もありますけど、今までの自分を考えると、去年の私はこうやってEPを出せるとは思っていなかったし、5年前も思っていなかった。だからこの先どうなっていくのかなって、ある意味逆にわくわくしてるかな。今はこれまでの「ノート絶対見せられない」っていう自分からちょっとずつ開いていって、作る歌の世界で聴いてくれる人に寄り添えたらいいなと思っています。みんな何かしらあるから。聴いて「そういう時あるよなー」とかホッとしてくれたら嬉しいなと思います。

──最後にリスナーの方達へメッセージいただけますか?

これからまた自分のも提供もリリースが続くのでチェックしてもらえたら嬉しいです。あと、今年はライブできたらと思っています。皆さんとの交流がDMとかSNS上なので、それはそれで嬉しいんですけど、早くライブで直接歌を通してコミュニケーションしたいです。

Text by 高久大輝
Photo by Yuki Hori

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INFORMATION

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Sleepless 364

Lil’Leise But Gold
2021年3月24日(水)
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収録曲
1.Sleepless (Pt.1 & Pt.2) (prod.KM)
2.Pearl (prod.KM)
3.Nobono (prod.KM)
4.Citrus (prod.KM)
5.Aenaiya (prod.KM)

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