豊間根 日高さんは、お客さんに「これは単なる野外イベントじゃないんだ」ってことを最初から認識されると思っていました?
日高 思ってないよ。だって俺、日本人だもん。よく知っているよ。おまけに台風が来ちゃったから。
豊間根 そうですよね、お客さんと(認識を)共有するチャンスも奪われたっていう感じですよね。
日高 台風さえなきゃなぁ。あの台風自体、はっきり言うと日本の観測史上あり得ないと言われた台風だったんだよ。9号ね、ナンバー9。台風って知っているよな?自分で動けないっていう。風がないと動けないから。最初九州寄りにあった台風がさ、西から偏西風が来ちゃったんだよ。それで石川県能登半島まで行っちゃったわけ。そこで風が無くなっちゃって、その辺に停滞したんだよ。そういう事ってあんまりない。その余波であんな台風になっちゃったんだよ。
豊間根 日高さんの中で、97年の良い思い出を教えてください。
日高 今でもよく覚えてるよ。<フジロック>で石のアートをやってるハンサムボーイのゴードン(スマッシュ・ロンドン)いるだろ?あともう一人アレックスっていうロンドンの友達と、前乗りで一週間以上前からあそこでキャンプをやっていたんだ。日本人は俺だけなんだけど。メインステージの近くにキャンプを張ってさ、そこに水道があったんだよね。毎晩料理してさ。ゴードンはフレンチのシェフなんだよ。楽しかったな。
木曜の夜中の3時くらいに、お客さんが来るかもってことで、テントを移したんだ。あそこは標高1300mから1500mぐらいかな。で、もっともっと上にテントを持って行って張らせたんだよ。そうとうキツイんだよ! 5合目付近だし、酔っ払ってるしね(笑)。「夜中の3時にこんなとこ歩くのかよ?」とか「誰だよ? こんなところにテント張れって言ったの!」って声が聞こえて来て、「俺だよ」って(笑)。
俺とロンドンのクルーと一緒にさ。一生忘れないだろうな、あの光景は。全部緑なんだよ、草が一面で。振り返るとさ、河口湖周辺からみんな見えて。それが全部月の光を浴びて、霧雨が降っていて。本当に涙が出そうなぐらい綺麗だったね。あの光景と、その後の<フジロック>の現実の光景が一緒になっているから、忘れられないんだろうね。それが2日経ってあの悲惨な光景になったわけ。
豊間根 それは本当にお客さんのお立場では想像出来ないですね。あの時、お客さんは台風しか経験してないですから。
日高 あの経験で(フジロックに)来なくなった人もいるだろうけどな。実はあの頃、朝霧アリーナも交渉しているんだよ。今の<朝霧JAM>の会場の上に宿泊施設の建物があるんだけど、あそこは実は県がやっていて、学校の先生が経営しているんだ。要は野外教育の施設なんだよ。そこに、今は引退されたけど当時の所長さんで田所さんという方がいて、話したんだよ。実はこういうことをやりたいって。<フジロック>をやりたいって。それが結果的に<朝霧JAM>になるわけだけど。一時間ほど説明したわけよ。キャンプを入れて、こういうのをやりたいって。で、音楽がメインだから音楽が好きな若い人に、都会ではない場所で、都会ではない楽しみ方で楽しんでもらって、将来の自立性に繋がっていけば、とかね。もういろんなことを話したわけよ。そしたら所長の田所さんが「分かりました。我々が出来ることはやります」って言ってくれて。その時に田所さんに言われたのが、「日高さんは我々と一緒ですね」って。「えー? 俺は学校の先生じゃないよ」って思ったんだけど。そうじゃなくてさ、なんかね、「自分達が生徒に教える時の気持ちと同じです」ってことだったんだよ。要は、「生徒に野外活動を通じて、いろんなことを知って欲しい」ってことで。「同じ気持ちですね」って言われた時に、俺は「えっ?」って思ったんだけど、もしかしたら、「そうとも言えるかもな」って。確かに「やろうとしていることは似てるかもな」って思ったんだよ。好きな音楽を通じて、ゴミは自分で片付ける、食料は自分でなんとかする、譲り合え、喧嘩するな、で、ちゃんと後片付けして帰ろうって。
豊間根 確かに、似ていますね。
日高 1年目は台風のこともあって、そういうことを全然伝えられなかった。上手く行かなかったことの原因に、台風が半分以上を占めているよね。で、あとはそうだな、俺たちの情報が伝わってなかったね。伝えきれていなかったんだと思う。ハイヒールで来るなって、そこまで言わなかったしね。でもまあ、お客さんに対する情報も万全じゃなかった。
で、あの日、日曜日か。日曜日はキャンセルした。でもね、俺はこういう風に思うことにしたんだよ。神様は信じていないけど、いるとしたら、神様は俺に雨をぶっかけて、「ザマアミロ」と言ったんだよ。要するに、チケットはソールドアウトだろ? そんなに上手く行くわけないよ、世の中。その洗礼だったんだろうなって思ったね。これを教訓にしないといけないって。だってさ、俺、ウチの会社が保険に入っていることを知ったのは一週間後だよ! その一週間どれだけ悩んだと思う? だって払い戻しだし、何億の損害だから、もう倒産覚悟だよね。俺としては、えーと、誰に借金しようかな? と。でも何億も貸してくれる人なんかいないから、ひたすら考えるだけよ。どうやって人を騙して、詐欺でもやって金を集めようか? とか(笑)。そんなことを考えていたら、一週間後に言われてさ、怒ったもんなー(笑)。
豊間根 保険は、日高さんに内緒で入っていたんですか?
日高 内緒も何も、俺が知ってなかっただけなんだよ。ばかやろー! って(笑)。でもまあ、あの時の台風が教訓だよね。お客さんにも教訓になったんだと思うよ。
そうそう、チリ・ペッパーズの話を補足すると、<フジロック>に来るにしても日本だけじゃ金にはならないんだ。だからアラスカを入れて、ハワイも入れていたんだよ。そしたらアンソニーが怪我をした。でも「ツアーはやる」って言っていたんだ。ところが彼ら、アラスカをキャンセルしたんだよ。で、日本とハワイはやるって。で、そのあとハワイもキャンセルしたんだ。その時は焦ったよね。日本もキャンセルするんじゃないか……? って。で、連絡したんだよ、「大丈夫なのか?」って。そしたら「日本には行くから」って。で、本当に来た。
97年の<フジロック>の会場で、台風の大雨の中で俺は彼らの楽屋に行ったんだよ。ドロドロで楽屋に入って行って挨拶して。そしたらアンソニーが四角い箱(ギブス)に手を突っ込んでいるんだよ。で、「なにしているんだ?」って聞くと「お前からそういうことを言われるとは思わなかったよ!」って。アンソニーは、医者からは絶対に止められているんだよ。それを押して来ているのに「どうしたの?」って言われるとは思わなかったって(笑)! あれは笑った。
豊間根 じゃあ、あの時アンソニーは基本的には医者にプレイすることを止められていた?
日高 止められていた。本来ならやっちゃいけなっかたんだよ。しかも雨の中だし。よく来てくれたよ。感謝したもん。それでアンソニーが俺に言ったんだよ。天神山の楽屋でね「マサ、オレたち約束守ったろ?」って。あの台風の中だよ。
★大雨の中、伝説のライブとなったレイジのステージを語る
インタビュー続きはこちら TALKING ABOUT FUJIROCK:日高正博
photo by 横山マサト
interviewd by Satoshi Toyomane
text by Shotaro Tsuda