ロサンゼルス野外のグランドパークやシドニーのオペラハウス、アントワープの聖母大聖堂など、世界各地のシンボリックな場所で次々と開催され話題を呼んだ、8時間以上に及ぶ音楽家マックス・リヒター(Max Richter)のコンサート<SLEEP>。その全貌と裏側を、マックス・リヒターの素顔とともに映し出した珠玉のドキュメンタリー『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』が、3月26日に日本公開を迎えた。

今回、マックス・リヒター氏にインタビューを実施。本作の創作の動機や過程について、また新作『VOICES 2』にも紐づく、彼にとって音楽の役割とは何なのか、濃厚な内容を語ってくれた。

INTERVIEW:
Max Richter

インタビュー:“眠り”と“世界人権宣言” きっかけを与える音楽を生み出してきたマックス・リヒターが語る音楽の役割とは interview210408_max-richter-main-1440x964
Photo by Mike Terry

クリエイティヴな行為が
心を休める“休暇”になる

──『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』を視聴させていただき、非常に画期的で興味深い作品だと感じました。映画のなかでも語っていましたが、『SLEEP』への構想は、実は1995年から考えがあったと。この作品をつくる後押しとなったのがパートナーのユリアさんの発案がきっかけだったのですよね? 長い音楽キャリアのなかでこの作品に着手しようと決心した、その時の気持ちを聞かせてください。

『SLEEP』にはいくつかの出発点があるんだ。一つは2013年頃、4Gの登場で僕らがインターネットをポケットに入れて持ち歩く時代になったことだ。携帯端末のブロードバンド化で人間は1日24時間、どこへ行くにもインターネットについて回られることとなり、突如Facebookなどソーシャルメディアが僕らの生活に入り込んできた。この常にOFFじゃない状況が社会にもたらした変化はとても大きかったと思う。

それは便利な反面、心理的負担にもなる。その中で音楽、アート、本といったクリエイティヴな行為が、心を休める“休暇”になるんじゃないかと思ったんだ。それが『SLEEP』を作り始める最初の動機だった。休める場所、コンスタントな世界との関わりから一瞬離れ、引き込める場所。

もう一つユリアと話したのは“眠った状態と起きた状態の境界線上の音楽”ということだった。彼女自身がそれを僕が海外ツアーで行なうコンサートを時差の関係で(僕とは違うタイムゾーンで)聴いている時に経験したと言われ……そのことは二人でたくさん話し合ったよ。

──“睡眠導入”という意味合いでの音楽はこの世の中にたくさんあると思いますが、あなたは“眠っている間に聴く音楽”作られたということですよね?

そうだね、『SLEEP』は音楽と脳の間に起こり得る関係を追求するものだったんだ。就寝中の脳のスイッチはOFFにはなっておらず、意識が休んでいる間も、忙しく他のことをしている。神経科学的に言うなら、記憶を保存したり、並べたり、学んだり、統合したりということだ。

しかも近年は、音ーー特に低周波の反復的な音ーーがそういった脳の機能をサポートするという調査結果が出ている。それはまさに僕が作る音楽の一部じゃないか。だからもっと深く知ってみたいという気持ちになったんだよ。特に音楽で用いられる20〜40Hzの超低周波音が、あらゆる生理学的プロセスにとって有益だと証明されているんだ。

──そういった情報は神経科学者デイヴィッド・イーグルマンから学んだことですか? 彼がアドバイザリー・スタッフの一人だったと聞きましたが。

うん、でもデイヴィッドと話したのはむしろ作曲中だった。誰もがそうだと思うが、僕にも“眠りの音楽”に対する一種の直感的イメージがあった。きっと人間、みんなそうだよね? 話してみていろんなことがわかった。特に高周波音要素は眠りを妨げ、逆に目を覚まさせてしまうこととか。そしてさっき言った反復される低周波音はとてもいいということとか。僕のやってることが途方もなく馬鹿げていないことをチェックする意味で彼に話を聞いたのさ(笑)

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ユリア(左)/マックス・リヒター(右)

音楽はエモーショナルな言語

──この作品の核にあるメッセージは、“良い睡眠”をとりましょうということでなく、この作品やコンサートを体験する人たちに“自分自身へ向き合う時間”や“自己への気づき”をもたらせたかった?

ああ、僕は一種のプロテスト・ミュージックだと考えているんだ。気付くと僕らが作り上げたのは多国籍企業による生産と消費サイクルの上に成り立ったある種、一次元的な世界だった。その中で人間はいつも忙しさに追われている。特に今はインターネットが常にそこにある。自分のための時間が少なくなり、かつて感じていた心のスペースがないんだ。

例えば“何かに退屈する感覚”とか。忙しすぎて、より大きなもののことを考える時間がなくなっている。絶え間ない情報との関わりに異論を唱え、生産/消費社会に異論を唱え、すべてを一旦STOPさせるという意味で『SLEEP』は実はsubversive[破壊的、アンチな]な音楽なのだと思っているよ。日々の忙しさに紛れて考えずにいる大きな問題というのは、気付くと自然と表面化してくるものだ。

さらには音楽はエモーショナルな言語だ。『SLEEP』のパフォーマンスもエモーショナルだ。コンサートに参加者は初対面の見知らぬ他人を信頼し、一緒の場で眠るわけだから、エモーショナルな意味ではとてもオープンなパフォーマンスなんだ。一種のコミュニティ感も生まれる。そういった要素すべてが相まって、自分を見つめ直す、思考的な行為をオーディエンスに生み出すのだと思う。

──マックスさんご自身も“眠る”ことへの悩みをもったことはありますか?

ないんだ。それもあって『SLEEP』を作ったというのもある。僕の場合、眠ることが昔から大好きで、寝れないってことは一度もなかった(笑)。でも世界中で慢性的な睡眠障害が社会に急速に広がっていることは知っているし、そのことは危惧されるべきだ。『SLEEP』を作曲した理由の一つとして、睡眠をサポートする音楽的環境を僕が提供したいというのがあったよ。

──今回、この『SLEEP』を完成させる上で最も困難であったことはどういったところでしょうか?

残念ながら『SLEEP』にまつわるすべてが困難だった(笑)。作曲はとても大変だった。とにかく長い曲だからね。レコーディングも大変だった。パフォーマンスもものすごく大変だった。すべてが一種のXスポーツのようというか! 

皮肉な話だけど、僕らミュージシャンにとっては演奏するのがとても大変なハードな音楽なんだよ。オーディエンスやリスナーにとっては当然心を穏やかにする効力があるのだけれども、演奏するとなると本当に大変で、チャレンジしがいのある、要求されるものが多い音楽だ。パフォーマーとしてはなんとも皮肉な要素だらけさ。

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Photo by Rahi Rezvani

従来のクラシック音楽と
異なるヒエラルキー

──マックスさんの作品は、聴く人がクリティカルな考えを持つきっかけになることや、もしくは安らぎを感じる方もいると思います。マックスさんご自身がコンサートで眠る人たちの様子を見ている姿が印象的でした。この作品やコンサートを通して、マックスさんご自身が得たもの、学んだこと、価値観が変わったことがあれば教えてください。

通常のオーディエンスとはまるで違うオーディエンスであることだけは確かだ。普通のパフォーマンスで僕らはストーリーやテキストを投影し、直接的にその物語を語り、オーディエンスとコミュニケーションを図ろうとする。

ところが今回はまったく違う。ミュージシャンとして僕らは“眠りにつく人々のコミュニティ”の伴奏者としてそこにいる。彼らがその一晩、一緒に旅をするためのランドスケープ(風景)を提供するのが僕らの役目だ。パフォーマーとして受ける感覚も普段とはまるで違う。パフォーマーとリスナーのヒエラルキーが従来のクラシック音楽における関係とはまるで違うんだ。その意味で、非常に面白い。

僕は通算7時間以上ピアノを弾いていることになるのだけど、その間に何度かとるブレイクの間はオーディエンスの中を歩き回っているんだ。曲がどう聴こえているのかを自分の耳で確かめるため、そしてオーディエンスがどうしているかを知りたくてね。

実際かなり感動的なんだ。そこで感じられるのはオーディエンス同士の信頼感だ。そんなパフォーマンスの一部に自分たちがいられることは、アーティスト/パフォーマー冥利に尽きるという気分だよ。

──映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』をご自身がみて印象的なシーンなど感じたことを教えてください。

僕にとってはオーディエンスがすべての映画なので、人々がどう<SLEEP>を体験していたかを見られたことが一番だ。ブレイク中に少しは見てはいたが、あくまでも短い時間中だけだし、それ以外は常に演奏をしていたのでね。改めてじっくりとオーディエンスの様子を見られたこと、彼らがどう音楽と触れているか、それを知ることが出来たのが何よりだった。

──COVID-19で世界中のなかで人々の暮らしや価値観が激変した現在、本作を観る方々に、この作品を通してどのようなことを感じてもらいたいかメッセージをください。

僕が今作に願うのは クリエイティヴィティと音楽がポジティヴな実用性を持って世界の役に立つものになってくれればということだ。僕がミュージシャンとして、音楽を書くことに人生を費やしているのは、僕自身、音楽が世界にとってポジティヴな力になり得ると信じているからだ。

願わくば多くの人にも同じように『SLEEP』を体験してもらいたい。好きな本、映画、音楽に出会うことで人間は変わることもある。自分とは違う物の見方や考え方に触れることで自分自身を見直し、その本を読み終わる時、映画を見終えた時、自分の世界は一回り大きくなっている。そんな体験を『SLEEP』でしてもらえればいいなと思っているよ。

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Photo by Mike Terry

1枚目はマインド、
2枚目はハート

──『VOICES 2』について。これは構想10年以上という『VOICES』のパート2と考えていいのでしょうか? 2枚のアルバムの相関関係を教えてください。

『VOICES』は世界人権宣言の言葉を中心に出来上がっているが、まったく言葉を持たないインストゥルメンタルのパートもある。そこは人言宣言の言葉を聴き手が考え、省みるためのスペースだ。

その考えるための場所をさらに広げたのが『VOICES 2』だ。なので僕はこの2枚を一つのプロジェクトとして捉えている。『VOICES』は情報、人権宣言の言葉をそこに存在させることが目的だったが、『VOICES 2』ではその言葉について考えてほしいということだ。その意味では1枚目はマインド(頭脳)で、2枚目はハート(心)で聴くアルバムだ。

──今作では考える場所を提供する術は「美しいメロディー」ということですね?

うん、そうだね。

──ではあなたにとっての「美しいメロディー」の定義を教えてください。

(笑)。実に主観的なものだよね? 簡単な答えは、自分が聴きたいと思っている音楽を僕は書いている、ということ。誰も書いていないので自分で書くしかない。それが簡単な答えであり、真実でもある。まあ、それではあまりに簡略化し過ぎかもしれないが。

僕のメロディーを書くプロセスは、ミニマムなものから最大を引き出すということ。シンプルに美しく作られたものを集め、それらがなんらかの形でそれ以上のものになるようにする。素材を探求することでその素材の性質を発見し、最終的にこうでなくてはならないという必然性を感じられるようになる。それを僕は探しているんだと思う。

──「美しいメロディー」が人に与える効果は?

僕は自分の音楽は会話の1/2でしかないと思っている。僕が作りたい曲を作るのが最初の段階だとすると、次の段階は曲がリスナーとそのリスナーの経歴(たどってきた人生)と出会うこと。そこで素晴らしい対話が生まれるんだ。

僕の作った音楽と、リスナーそれぞれの経歴と好みと経験、その両者の出会いはそのリスナーと同じだけの数がある。つまり曲が聴く人にあたえる効果も、それぞれに違うユニークなものだということさ。だからこそ面白いんだよ。

Max Richter – Prelude 2 (Official Music Video by Yulia Mahr)

──『VOICES 2』を聞いてほしい人はどんな人ですか?

全員さ(笑)。『VOICES』は本能から生まれたものだ。ここ数年、僕らはいろんな意味で道を失っていたと思う。20世紀の後半は第二次世界大戦の暗い時代からの脱却、復興、人類にとって素晴らしい世界を再構築するべく声明、つまり世界人権宣言という形で一歩を踏み出したわけだが、そのどこかで人間は道を失ってしまった。

近年、世界各国で見られるナショナリズムの台頭、ポピュリズム(大衆迎合)、ゼノフォビア(外国人排斥)といった動きはどれも民主主義、文明社会に逆行するものだ。ある意味、歴史を逆戻りしてしまっている。「僕らはこんなんじゃなかったのではないか?」「こここまで頑張ってやってきたのではなかったのか?」 それをリマインドする曲を作れないものかと思っていた時、この美しい(世界人権宣言の)言葉があった。そこで思ったのさ。一瞬この言葉だけを考える時間を持とう……とね。

ここで謳われているのは可能性、そして未来。それは人の心を鼓舞させる。誰の心をもだ。つまり僕を含め、あらゆる人のためのものなんだ。ライヴで演奏された曲を聴き「人権宣言の存在は知っていたが、その内容を初めて知り、なんと素晴らしいことが謳われているんだろうと知った」というコメントも多くもらった。実際、本当に素晴らしい内容なんだよ。だからこそ『VOICES』は存在するんだ。

──『VOICES』や『SLEEP』など、何かのきっかけを与える作品を多くリリースされています。マックスさんにとって「音楽」はどういう役割を持っているとお考えですか?

音楽にはいくつもの役割があると思う。世界にとって重要だと思える事柄を話す機会そのものが音楽だと僕は思う。これまで僕が作った曲はほぼすべて、現在僕らが生きているこの世界に関することだ。ミュージシャンやアーティストといったクリエイティヴな生業の人間にとって、それはごく自然なことだと思う。

なぜなら僕らは自分たちの周囲を見回した時、目に見えるものに反応するからだ。音楽は色々なことを語る上での素晴らしい媒介だと思う。言葉に縛られることのない言語、すなわちエモーショナルな言語だ。だから僕の作る作品が、今現在、僕らが生きている世界とつながっているのはごく当然のことなのだと思っているよ。

インタビュー:“眠り”と“世界人権宣言” きっかけを与える音楽を生み出してきたマックス・リヒターが語る音楽の役割とは interview210408_max-richter-03
Photo by Mike Terry

『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』予告

インタビュー:Qetic編集部
通訳&翻訳:丸山京子

INFORMATION

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『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』

3/26(金) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

監督:ナタリー・ジョンズ
製作:ステファン・デメトリウ、ジュリー・ヤコベク、ウアリド・ムアネス、ユリア・マール
撮影:エリーシャ・クリスチャン
出演:マックス・リヒター、ユリア・マール、(ソプラノ)グレイス・デイヴィッドソン、(チェロ)エミリー・ブラウサ、クラリス・ジェンセン、(ヴィオラ)イザベル・ヘイゲン、(ヴァイオリン)ベン・ラッセル、アンドリュー・トール
2019年/イギリス/英語/99分/シネスコサイズ/原題:Max Richter’s Sleep/映倫:G
配給:アット エンタテインメント
©2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin All Rights Reserved
公式HP

インタビュー:“眠り”と“世界人権宣言” きっかけを与える音楽を生み出してきたマックス・リヒターが語る音楽の役割とは interview210408_max-richter-09

『VOICES 2』

2021年4月9日(金)
Max Richter
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