ソ連の支配が続いた冬の時代を越え、近年ストリートファッションやテクノミュージックの聖地として注目を集めている東欧のジョージア。日本でもビザの取得しやすさや物価の安さから旅人やノマドワーカーたちの熱視線を浴びている。

そんなジョージアを知る上で避けては通れないのが現在26歳のマックス・マチャイゼ(Max Machaidze)という存在だと思う。

彼には数え切れないほどの名前と肩書きがある。ラッパーのLuna997、ヒップホップユニットKayaKataのMax、ファッションデザイナー、事業家……。モーターバイクのシェアリングサービスをはじめたり、ホテルやスケートパークの空間デザインを手がけることもある。とにかく首都トビリシで起こる面白いことには、たいてい彼が関与していると言っても過言ではない。

あなたは百姓のように100の肩書きを持ってますね」と言ったら、「そのコンセプトいいね」と彼は笑った。

名付けられることを嫌い、捉えようとすると逃げ水のように遠ざかる彼。ドラッグ中毒や友人の死など、日本に生きる若者とはまったく異なる運命を歩んできた彼の半生を辿りつつ、全体像に迫ってみたいと思う。

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ギャングスタ・ラップと日本のアニメが融合して僕のスタイルが生まれた

──まずは生い立ちを聞かせてください。

1995年、首都のトビリシにあるソ連時代に建てられた病院で生まれた。この世代の僕らは、崩れ去ったソ連の残骸の亀裂から出てきた芽のようなもので、僕らの成長とともに国中に花が咲きはじめたんだ。

ミュージシャンだった僕の父は、ダイヤルアップ接続のパソコンにあらゆる海賊版ソフトをインストールして音楽をつくってた。タバコの煙で充満した部屋に、でっかいソ連製のウッドスピーカーからくぐもったドラムや不機嫌そうなシンセサイザーの音が響いてたのを今もよく覚えてる。

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僕の家族はアートの分野でみんなそれぞれ成功していて、家中におじいちゃんが描いた絵、母の油彩画、叔父の写真、ひいじいちゃんの建築スケッチ、ひいばあちゃんの活けた花が飾ってあった。夕方になると彼らはタバコを吸ったり太極拳の練習をしてた。

1990年代にアブハジア戦争があって、当時の街には終戦ムードが漂ってた。周りの子全員に僕のように親がいたわけじゃなかったからめちゃくちゃな時代だったよ。

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幼少期のマックス

──子ども時代に、どんなものに触れて影響を受けましたか?

ときどき、僕は自分がカーゴ・カルト信仰の部族なんじゃないかと思うことがある。海の向こうから何か信じられないほどすごいものが到来するって信じてるところがあるんだ。

小さい時からアメリカのギャングスタ・ラップを聴いてたのが僕の原点。いつもダボダボの服を着て、おもちゃの銃を持ち歩いてた。長いことソ連に占領されてた未開の地で育った僕にとって、アメリカは映画の中の夢の国って感じだった。両親も祖父母もみんな憧れてたよ。

その頃、エレクトロニカの音楽をやってた僕の父がNikakoiという名前でだんだん有名になってきて、ギグをしに日本に行ったんだ。で、お土産に日本の本やおもちゃをいっぱい買ってきてくれた。その中にライト付きのちっちゃい顕微鏡があって、あれはほんとかわいかったな。

そこから、日本のアニメをいっぱい観るようになった。『鉄コン筋クリート』『パプリカ』『カウボーイビバップ』『サムライチャンプルー』『秒速5センチメートル』、ジブリの作品…とにかく観れるものは全部観たよ。

そこで、僕の中で大好きだったギャングスタ・ラップと日本のアニメが融合して、今までにないほど強固な世界観になったんだ。

KayaKata – Drons Dronze

マックスの所属するユニットKayaKataの代表曲「Drons Dronze」のPVは任天堂のゲームにインスパイアされている。歌詞にも日本語が登場。

ドラッグと、友人の死

──人生の転換期と言えるような出来事はありましたか?

10代になるとスケートに熱中しはじめて、学校の外の社会を知るようになった。そこは同じ趣味の仲間がいる最高の場所だった。

14歳のときにKung Fu Junkieというバンドのメンバーになって、その一員だったグリンチって奴とネットでドラッグを買いはじめた。それからはDJをやってお金を稼いではクスリを買ってた。そのとき僕は、地球上に存在するあらゆるドラッグを試し尽くしちゃったと思う。大いなるパワーにはリスクがつきまとうってヒーローの話でよく言うけど、ほんとに岩底にぶち当たるような悪夢も体験したよ。

17歳のとき、友達が僕のところに目が見えないカラスの赤ちゃんを連れてきた。その赤ちゃんカラスと黒猫、そしてマジックマッシュルームを育てながら、彼女と一緒に家を借りて暮らしてた。

そこで僕はシャーマニズムやトランスヒューマニズムを研究しながら、服をデザインしたり曲をつくったりレイヴやデモに参加したりと、不眠続きのハードな日々を過ごしてた。そんなふうに僕は、より深淵へ、岩底へと漕ぎ出していったんだ。

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10代の頃のマックス

僕が19歳のとき、グリンチが死んだ。彼のアパートメントの部屋がある17階まで上がったら、窓から彼が首を吊っているのが見えたんだ。

彼は壁に「俺を燃やしてほしい」というメッセージを残してた。それから「愛してる」とスマイリーフェイス。だから僕は彼の体を連れてウクライナのキーウに飛んだ。当時のジョージアには火葬場がなかったから。

ときどき思うよ。彼が僕を救ったんじゃないかって。だって僕はずっとペダルを漕ぎ続けてて、それを止める気なんてなかったんだから。

彼が死んでから、僕は生きるペースをゆるめた。失った歯をチタンの義歯に変えて、外出を控えるようになった。コーラもタバコもやめて、食事は体のことを考えて摂るようになった。

グリンチの死は、自分が何者でどう形づくられているかに一瞬で気づかせてくれる出来事だったよ。

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この世の儚さを受け入れ、「今」という瞬間に感謝する

──今のマックスさんは、音楽やデザインだけではなく、ウクライナへの寄付を募ったりLGBTを支援したりなど社会的な取り組みにも積極的に参加し、ジョージアの若い世代を率いるリーダー的存在だと思います。自分の振る舞いで何か心がけていることはありますか?

いつもだれかを少しでも今よりマシにしたいと思って生きてる。だからこそ、いつも自分自身が疲れ切ってしまわないように気をつけてる。疲れてたら助けを求められても何もできないから。自分の中にいいムードをつくれると、周りの人にもパワーを与えられるんだ。

僕がいいムードをつくる方法は、ものと遊ぶこと。おもちゃをつくるのが趣味で、これは自分自身を”クラフト”する行為だと思ってる。おもちゃの素材には、スケートのローラーとかテニスボールとか、地球とたくさん会話してきたものを使うんだ。いっぱい転がったり跳ねたりして傷ついてきたものが好き。人間も同じだけど、その人をその人らしく魅力的にするものは、傷なんだと思う。

日本の金継ぎって技術があるでしょ。あのコンセプトには感動したよ。金継ぎは過ちを祝う行為だと思う。割れたところを黄金で祝福して喜びに変えちゃうんだ。

僕はわび・さびにも大きな影響を受けてる。この世のすべてのものは、いつか色褪せ、崩れ、消えてなくなる。そういう儚さを受け入れ「今」という瞬間に感謝すること。

これは誰でも気づく当たり前の感覚じゃない。でも日本人はそれをあらゆる文化に取り入れ、世代を越えて伝えてきた。僕には日本人の友達がいるけど、彼らの普段の振る舞いからも感じるんだ。彼らはわび・さびの概念を知らなくても、どんなものか分かってるんだよ。

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マックスがつくったおもちゃ。右端にかかっているのはデザイナーとしての作品”纏う彫刻(wearable sculpture)”

この街は永遠に僕のそばを離れない。僕の中に住んでるんだ

──ジョージアも日本と同じようにユニークな文化を持っていると思います。これからさらに世界に知られていくでしょうね。

でも、僕らの文化は大部分が消し去られちゃってるからね。ソ連時代に貴族や自由な思想を持った人たちは殺され、伝統料理のレシピや宗教建築の技法も失われた。ソ連崩壊後は、今度はジョージア人がソ連時代に建てられた美しい建物を大量に壊しちゃった。

さらに今は、ウクライナとロシアの戦争で、ロシアのネット環境が規制されてるから何万人ものロシア人がジョージアに来て物価が高騰してる。経済は潤うけど気分は複雑だよ。ロシア人は我が物顔で街を歩いてて、僕らがロシア語を理解できるからって当然のようにロシア語で話しかけてくる。ジョージア語を話そうとしなくてもいいけど、せめて英語でHelloにしてほしいよ。ロシア人はビザなしでジョージアにいられるけど僕らがロシアに行くのは難しいっていうのもフェアじゃない。

僕らの国は小さくて、ビジネスや生活のインフラの大部分がロシアに依存してるから、影響を直に受けやすい。だから、常にこういう混乱と隣り合わせなんだよね。

とにかく、ここが僕が生まれた場所なんだ。この破壊に破壊を重ねた残骸の上で、自分のできることを探し、見つけたもので遊び、新しいものを創っていくしかない。都会の鳥がゴミやワイヤーで巣をつくるみたいにね。

ロシアから脱却するシナリオは、3Dプリンター、ドローン、NFT、あらゆるテクノロジーにあると思う。そのうち、テクノロジーによって、山のてっぺんでも海の底でもどこにでも住める時代がやってくる。そうなれば政治家同士の争いに一般市民が巻き込まれることもなくなる。

僕も、いつでもこの国、この街を離れることができる。でも、この街は永遠に僕のそばを離れない。なぜなら、僕がこの街に住んでいるのと同じように、この街も僕の中に住んでるからなんだ。僕は、僕を形づくってきたすべての経験を愛してる。もちろん、僕以外の人には絶対おすすめできないけどね。

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取材・文/笠原名々子
写真/Takumi Yoshida
コーディネート/外薗祐介

INFORMATION

マックス・マチャイゼ (Max Machaidze)

別名Luna997。1995年、ジョージア・首都トビリシ生まれ。芸術一家に生まれ、エレクトロニカ音楽家のNikakoiを父に持つ。ラッパー、ファッションデザイナーとして活躍するほか、スケートパークの建設計画に乗り出したりオートバイのシェアリングサービスをはじめたり、役割とアウトプットを変えながら次々にアイデアを実現し、ジョージアの若者から絶大な支持を集めている。日本のアニメや漫画、伝統文化にも詳しい。

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