いま世界で最も注目され、勢いにのっているフィメールDJと言えば、ロンドン在住の26歳、マヤ・ジェーン・コールスをおいて他にいないだろう。ほぼ無名に近かった彼女の周辺が騒がしくなったのは2011年頃だから、まだたった2年ほど前の話だ。その後、彼女は異例のスピードでトップDJの仲間入りを果たすことになる。UKの「ミックスマグ」や「レジデント・アドヴァイザー」、USの「ローリング・ストーン」誌といった海外主要メディアが彼女のことをキラ星として大絶賛し、さらにはトップDJの証とも言える名物ミックスCシリーズ『DJ Kicks』へ参加、マッシヴ・アタックやゴリラズといった大物のリミックスを次々と手掛け、リッチー・ホウティンやファットボーイ・スリムといった重鎮たちがその才能に惚れ込み、その主催のビッグ・パーティに出演を果たすなど、まるでおとぎ話のようなシンデレラ・ストーリーを、ものの2年ほどで成し遂げてしまった。彼女の高い評価はDJだけに留まらない。彼女のブレイクのきっかけとなった<Real Tone>からの『What They Say』(10年)をはじめ、名門〈20:20 Vision〉や〈Hypercolour〉から発表しているダンス・トラックの数々は、常にアンダーグラウンドのリスナーたちのハートをしっかりと射止めてきた。
そんな彼女による記念すべきファースト・アルバム『Comfort(コンフォート)』がいよいよ本日、発売になる。ディープ・ハウス、テックハウス、ダブステップ、ジャズ……様々なサウンドをミックスする彼女のDJのように、本作ではフロアライクなダンス・トラックだけではなく、実に様々なヴァリエーションの楽曲を披露している。ブリストルの重鎮トリッキー、元ヘラクレス&ラヴ・アフェアのキム・アン・フォックスマン、スウェーデン人シンガーのカレン・パーク、ミス・キティンら豪華ヴォーカリストたちの参加も本作の聴きどころだ。
さっそくだが、先日、<BIG BEACH FESTIVAL’13>に出演するために来日した彼女のインタヴューをご覧いただきたい。彼女は日英のハーフで、実は日本語もかなり堪能。むちゃくちゃ小顔で色白。とても気さくでチャーミングな方でした。
Interview:MAYA JANE COLES
Maya Jane Coles Feat. Karin Park – “Everything”
――先日の<BIG BEACH FESTIVAL’13>はかなり盛り上がったそうですが、あなた自身も楽しめましたか?
もちろん! 日本であんなに大勢の人たちの前でプレイしたのって、はじめてのことだったし、本当にエキサイティングなパーティだった。私は早めの時間からだったけど、どんどん人が集まってきてくれて、嬉しかった。とても楽しんだわ。
――日本のオーディエンスにどのような感想を持ちましたか? 他の国と比べて、特徴などありますか?
どんな種類の音楽をかけても、それがよい音楽であれば、ちゃんと盛り上がってくれる。いろいろなタイプの音楽に対して、とてもオープンマインドな姿勢のリスナーが多いと感じたわ。私はいろいろな音楽をかけるから、リスナーが喜んでくれると、自分でも知らないようなところに導いてもらえたりする。そういう意味でも楽しかったわ。
――なるほど。それでは、まずあなたのキャリアについてお話をさせていただきたいのですが、もともとはDJよりも音楽制作のほうが先だったと聞きました。
うん。音楽を作り始めたのは15歳の時。もう10年くらい前になっちゃった(笑)。で、DJをはじめたのはその3年後くらい。最初に音楽に夢中になったのは、90年代初頭ころで、ヒップホップ、トリップホップ、ダブ、ブレイクビーツ……、当時のそういうレコードを聴きまくっていたわ。そうした音楽にインスパイアされて自分でも曲を作るようになっていったの。
――もともと楽器を演奏することができたんですか?
チェロ、ベース、ギターの経験があったわ。チェロは幼少期から母親が教えてくれて、キーは頑張って独学で勉強したの。学生の頃は放課後にみんなで集まってバンドみたいなこともやってみたりもした。楽しかったけど、その頃のはまだ純粋に遊びって感じだった。それから1年後、本気でやってみようと思うようになって、それからは1分1秒を惜しんで音楽に時間を費やすようになったわ。自分で積極的に音楽に詳しい人のところに足を運んで、学ぶようになった。ちょうどその頃、ウェスト・ロンドンのクラブに行くようになって、ハウスやテクノやエレクトロを聴き、クラブ・ミュージックにより深く関わっていくようになったの。DJをはじめたのはちょうどその頃ね。
――クラブ・ミュージックとの出会いについて、もう少し詳しく教えてもらえますか?
ウェスト・ロンドンのクラブに行って、ベルリン系のミニマル・テクノやディープ・ハウスを聴いた時、ものすごい衝撃を受けたわ。その頃、ラジオではものすごくチージーでポップなクラブ・ミュージックしか流れていなかったから、ハウスやテクノをダサいものだと毛嫌いしていたの。でも実際にクラブに足を運んでみたら、こんなにもアンダーグラウンドでかっこいいサウンドがあるんだってショックを受けた。クラブに行ってハウスやテクノに対するイメージが一変したの。そこでかかっている音は普段ラジオでは聴いたことがない音だったし、爆音で音を浴びるという体験やカルチャーそのものが自分にとってとて衝撃的だったわ。
――いろいろなジャンルのサウンドをミックスするあなたのDJスタイルは、どうやって生まれたのですか?
わたし自身がいろいろな音楽を聴くし、あとは両親の影響も大きいかもね。両親も音楽が大好きで、ジャズ、ファンク、ソウル、レゲエ、ダブ、ロック……、家には様々なジャンルのレコードがあったの。そんな両親の影響で小さい頃からずっと音楽を聴いてきたから、安っぽいメインストリームのポップ・ミュージックにはまったく興味が持てなかったわ。
★ビッグになってから環境は変化したのか?
>>インタビュー、次ページに続く!!