日本の民謡とラテン音楽を融合し、国内のみならず世界中のお祭りに出演しては熱狂を生み出すバンド・民謡クルセイダーズMinyo Crusaders)。イギー・ポップ(Iggy Pop)やライ・クーダー(Ry Cooder)が賞賛を送り、米NPRによる人気企画『Tiny Desk(home)Concert』やブルーノート東京でのライブを成功させてきた彼らが、前作より6年ぶりとなる2ndアルバム『日本民謡珍道中(英題:Tour of Japan)』を11月24日にリリースした。

北は北海道の“ソーラン節”から南は長崎・平戸の“ハイヤ節”まで、全国津々浦々に伝わる民謡が電化してグルーヴしている本作。前作『エコーズ・オブ・ジャパン』にも増して、自由なアイデアに溢れており、今の民謡クルセイダーズがバンドとして円熟の域に達していることが窺い知れる。先日公開されたドキュメンタリー映画『ブリング・ミンヨー・バック!』で記録されていた6年間の旅路が、最良の形で結実したと言えよう。

今回はバンドより田中克海(ギター)と大沢広一郎(サックス)にインタビュー。独特な民クルサウンドを追求する2人に、6年ぶりのアルバム発表に至るまでの過程と、そこで出会った光景の数々を自由に語ってもらった。

INTERVIEW:
民謡クルセイダーズ
田中克海/大沢広一郎

足を動かし続けた6年間の珍道中

──6年ぶりのアルバムということで、まずはリリースに至った経緯を伺いたいです。

田中克海(以下、田中) 2017年末に1stアルバム『エコーズ・オブ・ジャパン』を出して、その翌年に<FUJI ROCK FESTIVAL(以下、フジロック)>に出演してから日本での活動が広がってる時にフレンテ・クンビエロ(FRENTE CUMBIERO)っていうコロンビアから来たバンドと会ったんですよ。それがきっかけで2019年にコロンビアでツアーをしたり、『エコーズ・オブ・ジャパン』がイギリスで発売されることになったりして、そのプロモーションのためのヨーロッパツアーを追加でやったんです。アルバムを作った効果が、思いもよらずに色んなところに広がっていったんですけど、そうこうしている間にコロナ禍になって。

──2020年ですね。

田中 それ以降は1stアルバムに入ってない新しい曲もライブではやっていたんですけど、メンバーチェンジなどもあり、次のアルバムをじっくり作る時間が中々取れなかったんです。それで気づいたら結構時間が経ってて、周りから「次のアルバム、どないすんじゃい」とか「早くリリースせい」みたいにも言われて。それでウンウン言ってたらコーちゃん(大沢広一郎)が「これは一生できない」と(笑)。

大沢広一郎(以下、大沢) 素材は既にあったんですよ、ただ録り出さなかっただけで。「いつかやろういつかやろう……明日頑張ろう!」って感じだったんです(笑)。

「民謡」というキラーチューンを携えて——民謡クルセイダーズ、6年間の『日本民謡珍道中』で掴んだバンドとしての型 interview231226-minyocrusaders4
田中克海
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大沢広一郎

田中 それでコーちゃんが作ったベーシックトラックを元に、1stアルバムと同じく福生の米軍ハウスに機材を持ち込んで録り出したのが去年末くらい。それまで至るところでアルバムについて聞かれるので「作ります」とは言ってたんですけどね、作る作る詐欺みたいな。

大沢 ただ、ツアーに出ちゃうと帰ってきてから日常に戻るのが大変で。去年なんかは1ヶ月くらいヨーロッパのツアーに出てたんですけども、そうすると普通の自分に戻るのに1ヶ月くらいかかっちゃうんです。

田中 それで戻ってくるとライブとかブッキングが入ったりして、スケジュールがどんどん先延ばしになっていって。そんな経緯で6年越しのアルバムになりました。実は今回、『エコーズオブジャパン2』みたいなタイトルで連作にしていくことも考えてたんです。『日本民謡大全集』の第2巻、第3巻みたいな。ただ、1stアルバムを出してから自分たちが色んな国に行って、思いもよらない方向に活動が広がっていくことによって、旅の中で日本の民謡を深く知ることができたんです。なので今回は「旅」がテーマで、自分たちのフィジカルを意識したタイトルにしました。

──その旅の6年間は映画『ブリング・ミンヨー・バック!』で丸ごと描かれていますよね。

田中 そうですね。1stのリリースの前に森脇(由二)監督が僕たちのライブに来てくれたんです。それで「なにか映像を撮りたい」ということだったんで、僕らがちょうど1stのアーティスト写真を米軍ハウスで撮る様子を見に来て、それが映画の冒頭になっています。そこから5〜6年くらい撮影してましたね。

映画『ブリング・ミンヨー・バック!』”Bring Minyo Back! ”(2023)予告編

それぞれが、それぞれの踊り方で

──6年間のトピックは映画の中で大方まとめられていましたが、それ以外の大きな出来事として『Tiny Desk(Home)Concerts』への出演が印象的でした。どういった経緯で出演が決まったのでしょうか?

田中 ニューヨークの<globalFEST>っていうワールド・ミュージックの音楽フェスティバルがあって、そのアジア枠として民クルが選ばれたんです。本当はニューヨークに行ってライブをする予定だったんですけども、コロナ禍の制限もあり叶わなくて。それで<globalFEST>が『Tiny Desk Concerts』のフォーマットを借りてインターネットフェスを開催することになったんです。出演者には『Tiny Desk Concerts』らしい縛り、例えば「画面の中に小さいテーブルを入れてくれ」とか「地球儀を置いてくれ」とか指定されて、それ以外は自由な状態で撮ることになりました。

Minyo Crusaders: Tiny Desk(Home)Concerts

田中 それで面白いシチュエーションを探していた時に、福生のさらに山奥にあるあきる野に移り住んでいたアースガーデン代表の南兵衛さんに相談したところ、山間にある公民館を紹介されて。そこに行ってみたら、部屋の奥の方にコタツが立てかけてあったんです。「コタツ……Tiny Deskか!」って(笑)。それでコタツを用意して、提灯なんかを吊り下げて撮影したんですよね。良い感じに日本らしさが出たんじゃないかと思います。

大沢 コロナ禍では他の海外フェスからも映像出演の依頼がありましたね。カナダのフェスにも誘われました。

田中 デトロイトのフェスに誘われたりもしたし、水原希子さんのライブイベント(<ONE WORLD HOME PARTY>)にも出ましたね。その時に「色んな場所でやるんだったら、ライブハウスじゃなくて民クルっぽい場所が良いよね」ということで、米軍ハウスで撮影をしました。

大沢 あの時期は、制限などある中でそれぞれが工夫しながらオンラインでの活動をしてましたよね。

田中 特に民クルは色んなジャンルのものに呼ばれたりすることが多くて。町の盆踊りから<フジロック>みたいなロックフェスにインターネットまで、振り幅は広いですね。

──世界中のフェスに出演してますもんね。場所によってお客さんのノリ方が変わることはあるんですか?

田中 海外のお客さんは、本当に音楽を楽しみに来てるという感じでした。サマーホリデーとかで1ヶ月くらい避暑地で遊んで、それでそこの修道院の跡地をフェス会場にして、その下にキャンプサイトなんかがあったり。そういう意味では、音を出しゃ盛り上がるというか(笑)。なので、やりやすいといえばやりやすいですよね。

大沢 イベントの内容によっても変わるよね。

田中 そう。1ヶ月のスケジュールで間を埋めるようにブッキングをするから、芸術鑑賞系のホールで演るようなものから町のお祭りまで色々あったんですよ。イベントの趣旨によってお客さんのノリ方が変わることもあります。

──映画の中でも客席がフォーカスされていましたね。ステージを観ないで、輪になって踊っちゃうようなお客さんがいたり。

田中 自由に踊ってますよね。人種も違うし、こっちでサルサを踊ってると思ってたらめちゃくちゃヘッドバンギングしてる人もいたりとか。かと思えば最前列で怖い顔して全然ノラないけど最後までステージを観てる人もいたりして、きっと楽しんでるんだろうな?みたいな(笑)。そういう楽しみ方がバラバラな感じも日本とはちょっと違いましたね。

──スイスでのライブでウェーブが自然発生していたじゃないですか。『ブリング・ミンヨー・バック!』の中でもそのシーンがとても印象的で。というのも、映画の前半で民謡の自然発生的な側面についての解説があって、その後にスイスでウェーブが発生した瞬間を見ると一層感動したんです。民謡に備わっていた要素が体現された、記念すべき瞬間であるように感じました。

田中 そうかもしれないですね。みのミュージックさんが民クルのライブ映像を見た時に、「自由に踊っているのが衝撃だった」と語ってたんですよ。ロックもヒップホップも、日本では画一的なフリがあったほうがノリやすくて、でも海外だとお客さんが自由に楽しんでいる。そのことにみのさん自身が違和感を抱いている時に民クルのライブと出会って、新鮮に感じたと。その点、僕とコーちゃんはジャマイカとかラテンとかアフロビートとか、DJがそういう音楽をかけてみんなが自由に踊るようなシーンにいたんです。土着的な音楽で体を揺らしたりウェーブが起きるというのは、お客さんが前のめりにライブへと参加してハプニングが起こることを楽しもうとしてるんじゃないのかなと。そう感じています。

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国は違えど同じバイブスがある

──ここからは最新アルバム『日本民謡珍道中』の内容についてお聞きしたいです。先ほど大沢さんが「素材は既に揃っていた」と仰られていましたが、どのようにして選曲を進めていったんですか?

田中 みんなが知ってる、キラーな曲を演りたかったんです。それで「“ソーラン節”はやりたいよね」みたいにメンバーと話して決めたり、あとはライブに色々組み込んでいったりしましたね。テンションや生まれたエリアが違う曲を演奏していって、その中でもキラーなものを選びました。ただ、それでも曲数が足りないと思った時に、コーちゃんが鳥取の“貝殻節”を持ってきてくれたんですよ。

大沢 基本的にはボーカルのフレディ(塚本)さんに曲をいくつか挙げてもらうんです。その曲を聞いた後に自分が音を拾ってメロディに起こして、リハモ(注:「リハーモナイズ」の略)のようにコードをつけるみたいな。それでハマったので、持っていきましたね。

──今作はアレンジに驚かされる場面が多くて、例えば冒頭の“佐渡おけさ”はリズムマシンから始まるじゃないですか。

大沢 魔改造しちゃってますね(笑)。

──そういったアレンジのアイデアはどのように出すんですか?

田中 それぞれの曲調によってアレンジを引き出してますね。例えば“佐渡おけさ”はゆったりしてるから、アンビエントっぽい方向性のアレンジが合ってる。自分たちが聞いて良いと感じたワールド・ミュージックや色んな国のトロピカルなものを民謡と融合させることが、グループとしての大前提なんです。

──以前から掲げている「民謡+ラテン」というテーマの中で、1stアルバム以上に多様な音楽的要素が入ってるように感じました。

田中 1stアルバムの時は元ネタを割とそのまま演ってたんですけども、今回は元にした曲から自分たちなりのグルーヴを作ろうとして。そういう意味で、バンド感は増してるかもしれませんね。

大沢 ラテンっぽいところは残しつつ、今回は各々が好き勝手に演奏してるバンドサウンドになってます。

──以前から、田中さんは曲中でファズを踏んでギターを歪ませますよね。そういった音色のアイデアはどのようにして生まれたのでしょうか?

田中 僕はサイケデリック・ロックが好きだし、メタリカ(Metallica)とかが出てきた頃のヘビメタ全盛期を経験してるんです。だから、何を聞いてもロックっぽい解釈になっちゃうような気がします。1stの時はそういうイメージが浮かばなかったんですけども、段々と曲の中でもカラフルさが増してきたので、今回は自分が好きな要素を入れてみようかなと。

──大沢さんは元々どのような音楽を聞いていたんですか?

大沢 元々は音大でクラシックの勉強したのでクラシックは好きだったのですけども、ワールドミュージックに関しては幼馴染から誘われてThe Silver Sonicsってスカのバンドをやっていた事があったり。あとはcopa salvoってラテンのバンドに参加したりして、ジャマイカやカリブ、ラテン音楽に興味を持っていくようになりましたね。

──その影響なのかもしれないですけど、映画の中のセッションシーンで大沢さんが「リフ」や「テーマ」といった言葉で曲の構成を練っていく過程が新鮮でした。演奏しているのは民謡だけど、そういった言葉で曲を捉え直すというか。

田中 フレディさんが歌う民謡の味付けを考えるためのミーティングでは、普通のバンドの会話になりますね。そういう時、フレディさんは目を閉じてジッとしてますね(笑)。

大沢 なので、最近は初めに完成形をメンバーに出してます。前はフレディさんが置物になっている時間もありました(笑)。

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田中 最初の頃は米軍ハウスに集まって、お酒飲みながら音楽を聞いて「こういうのいいんじゃねぇか」っていうノリで進めてたんですけど、コロナでそういうことができなくなったり、忙しくなって時間が限られるようになったんです。それでコーちゃんがアカデミックに、概観を見ることができる状態で持ってきてくれて、それに対して自分のイメージを当てはめて作るようになったのが今回のアルバムですね。

大沢 メンバーがお店をはじめたり、結婚して子どもが生まれたりして、それぞれのライフスタイルも変わってきてるんです。

田中 僕らはそれぞれの生活があって、それに合わせながらやっていく形になってます。ただ、これまで週末に地方へ行ってホリデーシーズンには海外で演奏することを何年も続けてきたんですけども、本当は日本の津々浦々をもうちょっとゆっくり回って地元の人と交流したいですね。最近はそういう欲が出てきてます。

──これから国内で訪れたい場所はありますか?

田中 東北の民謡をいっぱい演ってるけど、フェスティバルが中々開催されてなかったりして呼ばれることも少ないので、そういうところには行ってみたいですね。この前、ようやく蔵王に行けたくらいなので。それと、フレディさんが愛媛出身なんですけど、四国ってなると少し行きづらかったりもして。九州だとフェスが開催されていて呼ばれたこともあるんですけど、海の向こうの四国とか北海道にも行ってみたいです。“ソーラン節”なんかを演ってブチ上げたいですよね。

Minyo Crusaders – Soran Bushi(Official Music Video)

──その土地の民謡を演奏をすると、やはりお客さんの反応も違うのでしょうか?

田中 そうですね。その土地の人にとって思い入れのある曲だと、反応がより熱くなりますね。広島でライブをした時に今回のアルバムに入ってる“広島木遣り音頭”を演奏したらマイナーな曲にも関わらず、知っている人が少なからずいて、一緒に口ずさんでくれてるのが、ステージから見えて嬉しかったですね。

大沢 長野の<りんご音楽祭>で“木曽節”を演った時も「おぉ!」ってなってましたね(笑)。

田中 そう、それが楽しいんですよね。それとお年寄りの人とかはほとんど歌を知ってくれてるので、一緒に歌ってくれるんです。サザンオールスターズとかでもない限り、一緒に歌ってくれるなんて無いじゃないですか(笑)。

──でも、民謡も捉え方によってはヒットソングですし、スタンダードナンバーですよね。

田中 そうですね、だからお客さんが曲に参加してくれるんです。僕らの演ってる曲は引用だし、みんなが歌って踊ることが基本的なラインとして敷かれているんです。僕とかコーちゃんはルーツ音楽のシーンに元々いて、そこでの前のめりな姿勢とも近いですね。国は違えど同じバイブスがあるというか。自然とそういう状況になってくれるのが嬉しいですね。

「民謡」というキラーチューンを携えて——民謡クルセイダーズ、6年間の『日本民謡珍道中』で掴んだバンドとしての型 interview240116-minyocrusaders-1
Photo by Yukitaka Amemiya

INFORMATION

「民謡」というキラーチューンを携えて——民謡クルセイダーズ、6年間の『日本民謡珍道中』で掴んだバンドとしての型 interview231226-minyocrusaders6

日本民謡珍道中

2023.11.24
民謡クルセイダーズ
UCCJ-9248
¥3,300(tax in)
収録曲目:
1. 佐渡おけさ
2. 広島木遣り音頭
3. ハイヤ節
4. 南部俵積み唄
5. 大漁唄い込み
6. 木曽節
7. 貝殻節
8. 金毘羅船々
9. ソーラン節

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