映画『うたのはじまり』は、ろうの写真家として知られる齋藤陽道(さいとう・はるみち)が、かつて嫌いだった「うた」と出会う過程を追ったドキュメンタリー映画だ。この作品には、人間にとって「うた」とは何であり、なぜ人は表現するのかという本質的な問いが込められている。

アルバム『triology』のジャケット写真の撮影など齋藤とも縁の深いクラムボンの原田郁子は、本作品を2回鑑賞したという。というのも、原田にとってこの作品は「自分がずっと言語化してこなかった領域だったから」だ。どういうことなのか?

そこで今回Qeticでは、監督の河合宏樹をモデレーターに加え、齋藤と原田の対談を実施。当日はまず、映画にも登場する齋藤の愛息子・樹(いつき)を幼稚園に迎えに行くところから始まった。冬の夕刻、かつて齋藤がおさめた『絶対』シリーズの作品のように圧倒的な夕陽が降り注ぐ街を歩く3人。手話やジェスチャーを交えながら談笑する3人の美しさは、以下の写真が示す通りである。

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樹と合流し、今度は齋藤の自宅のダイニングテーブルで、原田が映画完成記念にと持参したワインで乾杯。お酒を飲みながら和やかな雰囲気で、筆談による3人の会話が始まった。背中には笑い合い遊び合う齋藤のこどもたちの存在を感じながら、「うた」とは何であり、表現とは何であるかについて探った。

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Interview:齋藤陽道×原田郁子(クラムボン)×河合宏樹

“陽道くんの写真には音を感じる”

ーー今回、河合監督が齋藤さんの対談相手に原田郁子さんを選んだ経緯から教えてください。

河合宏樹(以下、河合) 今、(原田)郁子さんとたまたま別のお仕事でご一緒させていただいるんです。一緒に作業しながら話すうちに、郁子さんの音楽とうたは、この映画のテーマと本質的 に通ずると思ったからです。

原田 嬉しいなあ。

齋藤陽道(以下、齋藤) 郁子さんのうたってどんなだろうなーと、ずっと想っています。

原田 うん。

河合 郁子さんと(齋藤)陽道さんはいつ出会ったんですか?

原田 わたしが陽道くんを初めて知ったのは、坂口恭平くんが「郁子ちゃんきっと好きだと思う」って教えてくれたことがきっかけです。それでワタリウム美術館の写真展(2013年『宝箱 ー 齋藤陽道 写真展』)を観に行ったんです。その後、クラムボンの『triology』(2015年・9thアルバム)のジャケット撮影をお願いしました。

齋藤 びっくりしました。だって20周年の大事なアルバムですもんね。うれしかったです。

原田 日の出前からの撮影で寒かったけど、きれいだったよね。

齋藤 朝5時でしたっけ? 空気が澄み切ってましたね。

原田 (原田が持参した撮影時のスナップ写真を見ながら)懐かしいね。陽道くんと麻奈美さんがまだお父さんとお母さんになる前だ。『triology』のジャケットになったこの写真は、顔が写っていないけれど、3人のそれぞれをものすごく表していると思いました。身体全体がその人を表しているよね。すごく象徴的。

齋藤 何をいうでもなく、しぜんにみんなバラバラに動き、踊り出したんです。

原田 寒すぎて(笑)! 陽道くんはこの日がミトくんと大ちゃん(伊藤大助)と初対面だったんですけど、こういう写真を撮れるのはすごいなと思うし、この一瞬をこんな風に捉えられる人は誰もいないだろうなって。陽道くんと祖父江さんが一緒に本を作るようになったのも、この時がきっかけだったんだよね。

河合 やっぱり陽道さんは人間の生きた道をちゃんと写しますよね。この写真も、20周年のクラ ムボンのメンバーの生き方をしっかり捉えている。出会った時はどんな印象でしたか?

齋藤 郁子さんのことは、水みたいな人だと思いました。すーっと流れてくる。

原田 水かぁ。わたしは陽道くんにお逢いするより先に写真を観たんですけど、とても音を感じました。ひかりの粒や陰のラインが音楽みたい。

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河合 僕も同じことを感じます。初めて陽道さんを見たのは、映画のシーンにもある飴屋法水さん演出の聖歌隊・CANTUSの教会ライブに出演した彼を撮影した時で、ろう者だとも写真家だとも知らなかったんです。だから最初の 印象は「イケメン」。

齋藤 (笑)。

河合 でもあの公演で彼の生い立ちや境遇を知って衝撃を受けました。実際に仲良くなったのはそれから一年くらい経ってからでしたね。その時は、東日本大震災から1年経ったくらいだったのですが、陽道さんは『写訳 春と修羅』という作品をつくっていて、僕は作家の古川日出男さんたちが行っていた朗読劇『銀河鉄道の夜』を撮影していたんです(河合宏樹 映画『ほんとうのうた~朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って~』(2014))。宮沢賢治という同じテーマでふ たりとも作品をつくっていたこともあってメールをしてみました。そうしたら「なにか根底でつながっているような気がします」って返事をくれて、すごく嬉しかった。

原田 じゃあ初めて陽道くんに出会ったのはあの教会だったんだ。

河合 そうです。その後、高知県で七尾旅人さんが開催したライブの打ち上げで陽道さん と再会しました。陽道さんも偶然仕事で高知に来ていたんですね。その時に、奥さんの麻奈美さんにも初めて会いました。その時の陽道さんと麻奈美さんの手話での会話が美しくて、「撮りたい」と直感したんです。

原田 そっかぁ。飴屋さんと旅人の存在が大きい?

河合 そうですね。2人は今回の映画のキーパーソンです。

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ーー郁子さんは、この映画を2回鑑賞されたそうですね。

原田 はい。初めて観てから、陽道くんの家族がずっと自分のなかにいる感じがあります。とてもなまなましく生きていたから。本当は河合さんにコメントを頼まれたのですが、まとめられなくて……。

齋藤 どうしてまとめるのが難しかったんですか?

原田 うーん、ずっと言葉化してこなかったから……。

河合 (青葉)市子ちゃんも同じことを言ってました。

原田 ほんと? でも確かに、市子さんのコメントからそのことがとってもよく伝わってきました(「うたは、だれにでも。うたは、生きていることが。」)。

おもむろに河合が、齋藤家の棚にあった、作家の小指(小林紗織)のZINEをとりだし、原田に「うたのはじまり」絵字幕版取り組みの説明をする。
小指が劇中の”うた”や”声”を描画し、それを字幕として映画内に取り組む新しい試みだ。
齋藤はその様子を見て、その取り組みを原田に伝えられたことが嬉しそうに、ほほ笑みを浮かべていた。

※「うたのはじまり」絵字幕版とは?
本作の重要な要素である「音楽」を聴覚障がい者の方にも少しでも 理解していただく為に、「音楽」を「絵」で表現する「Score Drawing」 という手法を本編に取り入れた試みです。この<絵字幕版>は齋藤陽道の発案で制作が進み、本人も「完成した絵字幕版を観て感動した。 まったく新しい形による“うた”の表現となっているのではないかと思う」と感想を残しています。聴者にとっても <通常版>とは全く違った印象を残す筈ですので、是非2つのバージョンを見比べて頂きたいです。

詳細:齋藤陽道note

“理想と現実のはざまで”

齋藤 2人が覚えている一番古い「うた」の記憶って、何ですか?

河合 実はそれを思い出そうとしていたんだけど、出てこないんです。ただ、最近姪っ子をあやすようになって、陽道さんの気持ちが少しわかるような気がしました。実際に初めて音楽に触れたのは、たぶん幼稚園の頃のカセットテープだった気がします。『アンパンマンのマーチ』とか。記憶として言葉にできるのはそこなんだけど、その前にもある気がしていて、まだ考えている。

原田 おうちの踊り?

河合 ああ、三味線の音の記憶はすごくありますね。うちは日本舞踊の家系だったので、「ペンペンペンペン……」という音がずっと聴こえていました。その音は今でも聴こえているので、潜在意識にはあると思います。

原田 おじいさんと旅人の映像(『”蒼い魚”を夢見る踊り子~藤間紋寿郎の沖縄戦~』)観ました。

河合 ありがとうございます。現在98歳の日本舞踊家で(2020年2月時点)、沖縄戦を生き残った祖父のドキュメントと、旅人さんの”蒼い魚”という楽曲が自分の中でシンクロして作品化したんです。最近は家族の影響をかなり意識するようになりました。おじいちゃんおばあちゃんっ子だったから、彼らから聴いた音は残っているかもしれない。郁子さんはどうですか?

原田 4歳の時にピアノを習い始めたので、「うた」って認識するより先に楽器を弾いていたかもしれないです。合奏とか遊びの延長でピアノを弾いてるのは楽しかったんですけど、うたは、恥ずかしくて、人前で歌ったりできなかった。ひとりでちっちゃい声で歌うことはあったけど、誰かに聞かれたら嫌だから、こっそり……。将来歌うようになるとは思っていなかったです。

齋藤 いつから嫌じゃなくなったんですか?

原田 うーん、すごく閉じてしまった時期があって。周りに馴染めないし、目の前を見たくない。苦しかったんですけど、でも、そうなってから初めて、音楽がちゃんと聴こえてきた。自分に必要になったというか。もう渇望するようにのめり込んでいきました。現実逃避ですね。それでジャズを聴いた時に、なんて自由なんだと思って、心が躍るようで、自分もそういうことがしたいと思ったんです。音のコミュニケーションだけど、ことばみたいだった。

河合 なるほど、なるほど。

原田 でも、いざ、ジャズピアノを始めてみると、ものすごく難しかったんですね。理想があるのに追いつけない。「うーっ……」となってる時に、ほんとにたまたまピアノを弾きながら歌ってみたんです。ため息みたいに、「はーーーー……」って。そしたら、すーっとしたんですよね。胸のつかえが取れたような……。だから陽道くんの映画を観て、とても深くいろんなことを思い出したんです。

河合 今の郁子さんの話は、現実に向き合うことにおいて、陽道さんの子守唄の誕生にすごく近いと思いました。

齋藤 ぼくが「うた」や「音楽」に苦手意識を持っていたのは、郁子さんの言う「理想」と「現実」が噛み合っていなかったからなんだな、ということを今の話を聞いて思いました。ぼくの理想は「きこえる人のようになりたい」。でもそんなのはムリなことで、「うーっ……」となってしまう。聞くふりをして、楽しむふりして、でもぜんぜんわからない。だから、ぼくには「うた」や「音楽」は関係ないと思うようになりました。

でも、こどもをむかえたら、生活のあわただしさが良い感じに理想を見えなくさせてくれたんです。こどもという圧倒的現実があって、こどもの体温が、いろいろな思い込みをほぐしてくれた。そのこわばりが解けた時、目の前のたったひとりの名前をぽろぽろとつぶやいてみたんです。それこそ、ため息みたいにふーっと、「いつき、いつき」と。

“「うれしいからっぽ」から生まれたうた”

河合 本当に、こんな陽道さんは、こどもと出会う前は見たことがなかったなあ。

齋藤 そのため息のようなこどもの名前がほかのイメージをつれてきてくれて、それも声になりました。こどもを抱き抱えたまま、気持ち良いままにリズムも加えていたら、こどもが眠ってしまった。……あ、これが「うた」か!と気づいた瞬間です。これがぼくのいちばん最初の「うた」との出会いでした。

河合 これこそほんとうの「うた」ですよね。「うた」は言葉以前にあるもので、関係を修復するために生まれたものじゃないかと思っているんです。

ーー自分と世界との関係、ですか?

河合 そうです。以前、ある音楽家に教えてもらったんですが、『らくだの涙』というドキュメンタリー映画があって。出産のショックで子らくだを認識しなくなってしまった母らくだに向けて、モンゴルの遊牧民族が馬頭琴を奏でると、音楽を聴いた母らくだが涙を流すんです……。まさにそういうことだなと。

ーー齋藤さんと郁子さんにとって、「うた」は現実と和解させてくれたものだったのですか? 自分のなかから自然と「うた」がうまれた時、世界と折り合いがついたというか。

齋藤 和解!! そうですね、ほんとそうです。ただ、まだ続いている。

河合 うーん、すごい難しいですね……和解……解けて終わってはいないんですよね。根元に戻る、初心に戻るのであって、「世界と折り 合いがついた」というニュアンスとは少し違う気がする。

原田 ……和解ってなんだろう? 矛盾してるかもしれないんですけど、音が鳴ると、自分のなかに深く降りていって、無音の世界に出る、みたいな感じがあるんですよね。そして、歌ったり演奏したりしていると、波みたいな、海みたいな感じがしてくる。……というか、もっとぜんぶ? 今日見た太陽の光にも似ているかもしれない。ぜんぶの一部、みたいな。うまく言えないから絵に描いてみます……。

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原田 「ひとり」ということが見えてくるんですよね。だけどまわりの空気は震えている。とても近くに振動を感じていて、自分とそうじゃないもののあいだが、遠いようで曖昧になってくる。

齋藤 こどもにうたっていて「あ、今とても気持ち良いなー」と思えた時、自分がからっぽになっているんですね。さみしいからっぽじゃなくて、うれしいからっぽ。

原田 うん! それだ。うれしいからっぽ!

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“水のように湧き続ける「生存本能の発露」”

ーー今の話は、表現の根本にある話だと感じました。劇中では「あらゆる表現は生存本能の発露」という齋藤さんの印象的な言葉もありましたが、みなさんが表現をする理由、続ける理由を知りたいです。

河合 とても究極な質問ですね……ずっと悩んでいますが……僕の場合は縁のような気がしています。生きていると、人や土地との出会いから自然と自分にテーマが降ってくることが多かったので、生活するうえで必然的に続ける必要がありました。これからもテーマが目の前に現れてくるかわからないけど、この映画を通して、改めて、「うた」をはじめとする「表現」と呼ばれるものがとても日常的なことから生まれることがわかり、自分の生活の一番身近なところからこれからも表現が生まれてくるのでは……と最近思います。

原田 わたしは、すごく永い時間だったり、水が湧いている感じかな。

河合 あっ、湧いて出る感じ、それすごく近いかも。『うたのはじまり』の「はじまり」を手話で表す時も、「はじめる」ではなく、水が湧いてくるような「うまれる」の手話で表現しています。陽道さんが考えてくれたんです。

原田 そっかぁ。ライブをしたり曲をつくったり、演奏したり、その度に毎回ゼロになるんだけど、少しずつまた湧いてくる。滝のようなイメージが自分のなかにあります。 そして、やればやるほどまた音楽が好きになる。遠くに向かって「おーい!」と叫んでみると、思いがけず返事が来たり、こうして誰かと出逢えたり。そうするとうれしくて、また音楽のなかに行きたくなるんです。ライブをしていると、時々、たくさんの人たちの、その前の、前の前の……ずーっと人が繋がってきたことが浮かんできて、歌うこともあります。

齋藤 すごい。シャーマンみたいですね。

原田 その分、きっと「今」や「瞬間」が際立つんだと思う。それは音楽も写真も同じかもしれない。0コンマ何秒で変化し続けるもののなかで、曲をつくったり、本をつくったり、映画をつくったりしている。そうせずにはいられないというか。昔々の人々がやっていたこと、踊ったり歌ったり、祈ったりすること、形は違うけれど、きっとそれらの営みと本質は同じなんだろうなと思っています。

河合 まさに祈りですね。それが陽道さんの「生存本能の発露」という言葉に繋がってくるんじゃないかな。とても近いと思います。

齋藤 SNSやネットの配信にはない存在としての重みが「作品」にはありますよね。1回限りとか、今その時じゃないといけない、あるいは、時間が何十年も過ぎてやっと見えてくるものがある。その重みあるものを自分の身体ひとつで生み出せるという喜びは、とても大変ではあるけれど、何にも替えがたい歓喜があります。まずその喜びがあるから、ぼくは表現を続けているのだと思います。

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Text by Sotaro Yamada
Photo by Naoto Kudo

映画『うたのはじまり』

2020.02.22(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開

監督・撮影・編集:河合宏樹
整音:葛西敏彦|字幕作成:Palabra 株式会社|Score Drawing:小指
出演:齋藤陽道、盛山麻奈美、盛山樹、七尾旅人、飴屋法水、CANTUS、ころすけ、くるみ、齋藤美津子、北原倫子、藤本孟夫 他
2020 年|日本|カラー|16:9|86 分|DCP|PG12|
配給:SPACE SHOWER FILMS © 2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

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