今年3月、依然として終わりの見えない「コロナ禍」の中で、「音楽」という名の夢を見続けるための「旗」のような一曲――“音楽のすゝめ”をリリースした日食なつこが、今年2作目となる3曲入りのシングル“真夏のダイナソー”をリリースした。爽快な夏の青空を想起させる“真夏のダイナソー”、軽やかな曲調に乗せて世界の現状をシニカルに歌い上げる“ワールドマーチ”、そして香港の電子ユニット・Ruby Fataleがプログラミングで参加した“泡沫の箱庭”。
その中でも特筆すべきは、やはり本作のリード曲となった“真夏のダイナソー”だろう。ヨルシカとしての活動も目覚ましいn-bunaをアレンジャーに迎えたこの曲。一見、意外にも思える起用だが、日食自身、実はn-bunaがボカロPとして活動していた頃からの熱烈なファンであるという。果たしてその制作過程では、両者のどんな思いが交わされていたのだろうか。さらには、まったく異なるシーンから登場した両者の知られざる共通点とは。そして、2人の対談から浮かび上がる、それぞれの特異性とは。日食なつことn-bunaの2人に、大いに語り合ってもらった。
対談:
日食なつこ
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n-buna(ヨルシカ)
“風景を昇華する”n-bunaのメロディと日食の“匂いのする”歌詞
──そもそもおふたりは、これまで面識や交流があったのですか?
日食なつこ(以下、日食) ないです。
n-buna なかったですね。
日食 もちろん、ヨルシカというかn-bunaさんのことは、前々から存じ上げていて……というか、私はただただファンだったんですけど。n-bunaさんにお願いしたら絶対映えるだろうと思い、面識はなかったんですが、ダメ元というか当たって砕けろ精神で、お願いしたっていう感じです(笑)。
──その「n-bunaさんにお願いしたら絶対映えるだろう」というのは?
日食 ひと言で説明するのはすごく難しいんですけど、n-bunaさんは、風景を音楽に昇華することがすごく上手な方だなって、ずっと前から思っていて。で、この“真夏のダイナソー”という曲は、まさに風景から生まれた曲だったんです。何年か前の夏場のツアーで機材車に乗って移動していたときに、パッと窓の外を見たら、高速道路の向こうにものすごい雲が出ていて。それがすごくいいなと思って、その情景を落とし込んだのがこの曲なんですよね。
──まさに、情景から始まった曲というか。
日食 そうです。この前に出した“音楽のすゝめ”という曲は、私の心情をメインディッシュにして書いた曲でしたが、これは風景をメインディッシュにした曲だったので、風景を音にする人と言ったら、もう私の中ではn-bunaさんしかいないなって思って。
n-buna ありがとうございます(笑)。今、言ってもらったことは、すごく嬉しいですね。僕は、情景から曲を作っていくタイプというか、それこそ今までいろんな場所を旅して、そこで見た景色をもとに曲を作ったりもしているので。基本的な作り方が、そうやって情景から書き起こしていくタイプなんですよね。だから、今の話を聞いて「なるほど」って納得したというか。そこを理解した上で今回オファーしてくれたんだと思って、すごく嬉しいです。
──実際、日食さんからアレンジのオファーがきて、n-bunaさんは、まずどんなことを考えたのでしょう?
n-buna もちろん僕も、日食なつこさんのことは知っていて、独特な個性と信念を持って活動されている方だなっていうのは思っていました。それこそ最近また、日食さんの“水流のロック”とかの再生回数が伸びたりしているじゃないですか。そうやって日食さんの良さにみんなが気づき始めたのは、すごく嬉しいことだなって思っていたときに今回のオファーがきたので、「ああ、これはもう受けるしかないな」と。
日食 ありがとうございます!
日食なつこ – 水流のロック
──その後、日食さんと具体的な打ち合わせをして?
n-buna 最初に日食さんの弾き語りというか、ピアノと歌だけのデモが送られてきて……そのあと、なにか打ち合わせとかしましたっけ?
日食 一回、顔合わせも兼ねて、オンラインでちょっとお話しさせていただいて……。
n-buna ああ、やりましたね。そこで全体の構成のイメージとか、曲の方向性みたいな話を聞いたんです。それで僕が、「じゃあ、ちょっとバンドっぽく編曲してみます」みたいなことを言って。多分、そんな感じでしたよね。
日食 そうですね。ただ、私個人としては、もうお任せでいいかなって思っていたんですよね。だから、曲のイメージも、「真夏の曲です。積乱雲を恐竜に見立てた曲です。あとはお願いします」ぐらいの丸投げ状態でお願いして。なので、具体的な打ち合わせというよりは、もう好きなようにやってくださいっていう(笑)。
──それを受けてn-bunaさんは、どのように今回のアレンジを組み立てていったのでしょう?
n-buna デモを聴いたときに、すごく夏の匂いがしていいなあと思いました。それでバンドっぽくしたいというか、夏フェスに合うような曲にしたいなって思ったんですよね。まず最初に浮かんだのが、夏フェスの情景だったので。となると、バンドサウンド、プラス、それこそサビとかはシタールだったり、ちょっとエスニックな楽器を後ろに重ねて厚みを作りながら、それによって非日常のダイナソー感みたいなものを出しつつ、疾走感も少しあるような……そういうイメージで作っていきました。
──歌とピアノを立たせたシンプルなアレンジで始まりますが、その後シタールの音が入ってきたり、後半につれて盛り上がっていく感じが、すごくいいと思いました。
n-buna ありがとうございます。まさに、そういうものにしたいと思って作っていったところがあって。基本的に日食さんは、ピアノがトレードマークじゃないですか。そうやって日食さんがピアノを弾いている周りに、だんだんバンドが集まってくるようなアレンジが、ホント理想だなって思ったんですよね。
──そんなアレンジを聴いて、日食さんはどんな感想を?
日食 ええと……実は、サビのコードをちょっと変えていただいたんですよね。私が全然使ったことのないコード進行に変わっていて。足がつきそうでつかない感じというか、絶妙に浮ついた感じの進行になっていて、「いや、さすがだな」って思いました。
n-buna ありがとうございます(笑)。サビの部分とかは、まさにというか、サビの折り返しぐらいから前半とはコード進行を少しずつ変えて、音の積み方も変えて、リハーモナイズしているんですよね。この曲は雲の曲だから、後半その雲がだんだん昇っていくような感じの音の流れが絶対似合うなって思ったんです。でも、ホントこれは、メロディの力があってこその編曲というか。すごくいいメロディだったからこそ、メロディの強度を失わずにできたことだったなって思います。あと、この曲は、やっぱり歌詞がいいんですよね。
日食 ありがとうございます!
n-buna (笑)。でも、本当にいい歌詞だなって思って。これは僕が昔から言っていることなんですけど、いい歌詞っていうのは、ちゃんと匂いがするんですよね。匂いがするし、人によっては、その景色が浮かぶっていう。この“真夏のダイナソー”は、まさにそういう歌詞じゃないですか。言葉もすごいわかりやすいし、情景描写もすごくシンプルで、すぐに理解できる。口をあけて唖然としながら、立ち上っていく雲を見ているっていうのが、誰の目にもわかるというか。
日食 うんうん。
n-buna で、その雲がだんだんダイナソーの形に変わっていくというか、この歌詞の主人公たちは、その雲に自分たちを重ねて、それが成長していく姿に、自分たちの可能性を乗せているわけですよね。それが一見してわかる、一聴してわかるところが、僕はこの曲のすごいところだなって思っていて。
日食「感情を消費する音楽」、ヨルシカ「アーカイブ主義」
──n-bunaさんがヨルシカの歌詞を書くときも、そういうことを意識しているのですか?
n-buna ヨルシカっていうのは、基本的にコンセプトバンドであって、コンセプトアルバムしか出してないんですね。つまり、「このアルバムの歌詞は、こういう人物が書いていて」というようなコンセプトで毎回作っているので、そのときどきに自分が見立てた人物に合わせて歌詞を書いていくっていう。
日食 そう、そこで一つ個人的に疑問なのが、そういうコンセプトというか、その引き出しみたいなものが、枯れる気配はないんだろうかっていうことで。もうすごいペースで、すごい深みのある曲が、どんどん出てくるじゃないですか。このままいったら、底が見えてしまいそうとか、出し尽くしてしまうかもしれないみたいなことって、今まで感じたことはないんですか?
n-buna ああ……僕はそういうのがあんまりないタイプかもしれないです。まあ、今のところはってことなのかもしれないですけど、枯れるっていうのは、つまり作りたい曲がなくなるっていうことですよね。僕はまだ、その気配はないですね。
日食 ああ、素晴らしい。
n-buna いざとなったら、どこかに旅行に行って、そこの美しい風景を見て、それを曲にしていけばいいというか。そういうことをやっていたら、ホントに一生曲を作れるなあって思いますし……逆に日食さんは、どうなんですか?
日食 私も結構、何からでも曲を作れるタイプではあるんですけど、17歳で「日食なつこ」を名乗って、今年で13年目なんですね。で、今はまだ大丈夫なんですけど、このままいったら、いつか書けなくなるんじゃないかという影のようなものが、チラチラ見え始めてきたような気がしていて……。
n-buna それは作りたいものがなくなってきたということですか?
日食 いや、作りたいものはあるんですけど、作らなくても済んでしまうような精神状態というか……。
n-buna ああ、日食さんは、自分の中の感情だったりを昇華して曲を作るタイプなんですね。
日食 そうです、そうです。
n-buna 自分の中にあるものを、消費して曲を書いているというか。
日食 そうなりますね。n-bunaさんは多分、自分の感情を消費しなくても書ける曲があるっていうことですよね。
n-buna そうですね。でも、日食さんのやり方は、シンガーソングライターとして、すごく正しいやり方だと僕は思いますけど。
日食 ありがとうございます。でも、どうなんですかね。やっぱり歳を重ねていく中で、自分の知識や経験が増えてきて、10年前だったら許せないことも、今はスッと回避できてしまうところがあるというか。そういう器用さっていうのは、もう否応なしについてくるわけです。
今までそうやって回避できなかった悔しさを曲にしていたんですけど、今はそうする必要がないからその曲も消滅してしまうというか。そういうケースが、これからちょっと増えてくる気配がして。なので、自分の感情以外のものから引き出して曲を書くやり方を、これから見つけいかないとなあとは思っているんですよね。
n-buna そうやって許せるようになったことを歌にすればいいんじゃないですか?
日食 うーん、それはそれで、あまり面白くなさそうな気がするんですよね(笑)。
n-buna なるほど。日食さんの中には、創作者としてこれが正しい、これがいいっていう基準があって……そう、さっき僕は、シンガーソングライターとして、すごく正しいやり方だと思うって言いましたけど、僕の場合自分を一度俯瞰して見るというか、そういう過程を一回挟むタイプなので決定的にシンガーには向いてないと思うんですよね。多くの人に求められるようなシンガーには向いてないなって思っていて。
なぜなら、自分の中から生まれたものをそのままアウトプットしているシンガーの人たちとは、説得力が違うから。日食さんの音楽は、そうやって自分の感情を煮詰めた形で生まれたものだからこそ、いろんな人の共感を集めてきたんだろうなって思うし。だからこそ、いい音楽になっているんだろうなって思います。
──n-bunaさんは、シンガーソングライター的な出し方とは、ちょっと違う出し方をしているってことですよね。
n-buna そうですね。もちろん、感情に任せて書いた曲もありますけど、僕はヨルシカの音楽において、言ってみれば、舞台とか小説を書いているような感覚なんですよね。もちろん、そこには自分の経験だったり感情だったりが盛り込まれているんですけど。あとはその登場人物や、それを歌っている人間に任せるというか。だから僕は曲を書いた後に、すごく穏やかな気持ちでいられるんです。
ヨルシカ – 春泥棒
日食 うんうん。
n-buna でも、シンガーソングライターの人たちっていうのは、そうやって何かを一度経由せず、そのまま生身の自分から出すわけですよね。だからこそ、ライブだったりのパフォーマンスが素晴らしいんでしょうし……そういう意味で、僕はアーカイブなんですよね。
日食 ああ、なんかその言い回しはすごいわかります。
n-buna そのアーカイブを見て、誰かが共感してくれたら、それはそれでいいことなんだろうなって思いますけど、基本的には「無」というか、何も感じないんですよね。僕は作品を作ることを主目的としているので、作った後は、意外と何もないというか。
日食 ああ、その感覚は、ちょっとわかるかもしれないです。私も、曲を作ったり、歌詞を書いたりしているときが、その曲に対していちばん感情が盛り上がっているときなので。変な話、それがリリースされて、自分の手を離れた瞬間に、「あばよ」っていう気持ちになってしまうところがあって。
──ただ、おふたりとも、作品そのものは、ものすごく誠実に作っていますよね。
n-buna それはもちろんですよ。僕は、僕の作品を本当に愛しているというか、その作品に対して誰よりも強い感情を持っていますから。ただ、それをアウトプットした後にその作品を誰がどう見るかっていうのは、まったく別の話じゃないですか。
──なるほど。
日食 n-bunaさんの曲って、追いかけても、追いかけても、作ったご本人がそこにいないような感じがすごくしていて……この感覚は何だろうなって、ずっと思っていたんですけど、今の話を聞いて、すごい腑に落ちました(笑)。
n-buna だから、日記みたいなものですよね。そこには間違いなく僕自身が反映されているんだけど、それは日記でしかないというか。
日食 うん、いつかの自分だったっていうことですよね。ただ、そこはちょっと、私は違っていて……。
──日食さんの場合は、自ら繰り返しライブで歌っていくわけで。歌っているときは、いつもその感情の中にいるんでしょうし。
日食 そうですね。でも、そのライブのスタイルみたいなものも、結構変わってきていて。自分がライブを観る側だったときは、ライブのアレンジっていうのがすごく好きじゃなかったんですよね。音源を聴いて、それを聴くために来たんだから、変えないでくれよっていう。
なので、自分も20代前半の頃までは、ライブでもアレンジを極力しない主義だったんです。でも、ここ数年はライブ側の人間としての「アーカイブ主義」みたいなところから、そこにいる自分が鳴らす音っていうことを優先して届けるべきかなって思ってきて。今はそういう感じなんですよね。
n-buna ああ、それはいい話ですね。それはファンへの愛があるっていうことじゃないですか。
日食 そうなのかな。
n-buna や、きっとそうだと思いますよ。
日食なつこ – 3rd LIVE DVD/Blu-ray「△Sing better△Tour」東京国際フォーラム ホールC 2020 / Trailer
コロナ禍の憂鬱を晴らす“真夏のダイナソー”
──ちょっと話が逸れてしまいましたが(笑)、今回の“真夏のダイナソー”という曲は、n-bunaさんのアレンジも相まって、これまでの日食さんの曲にはないような、とても爽快な一曲になりましたよね。
日食 そうですね。作ったときから、これは明らかに今までとキャラが違う曲になるだろうなとは思っていました。ただ、自分としては、ずっとこういう曲を書いてみたかったんですよね。自分の感情や言いたいことを押し出すような曲ではなく、こういう爽やかな情景を描いた曲を書きたいなっていう。
だから、これは結構、私にとって勝負の曲というか、分岐の曲になったような気がしていて。だからこそ、このアレンジはホントに慎重にいかないとダメだなって思って、今回n-bunaさんにお願いしたところもあったんですけど。見事に素晴らしいアレンジをつけていただいたので、すごく良かったです(笑)。
──“音楽のすゝめ”とはまた違った意味で、今、こういう爽快な曲が必要だっていう思いもあったんじゃないですか?
日食 そうですね。2021年の夏は、2020年以上にみんな我慢しなきゃいけないことが多くなるだろうな、と。だからこそ、そういうものを全部取り払った、スカッとした曲を出したいなっていうのは思っていました。
──現状を憂慮する曲も大事だけど、それだけではないというか。
日食 現状を憂慮する歌は、多分この一年ちょっとでみんなが山ほど書いてきたと思うので、もういいだろうというか、そろそろ違うモードに入ってもいいんじゃないかって思うんですよね。じゃないとホントにもう、心が先に死んでしまうので。
──確かに。ちなみにn-bunaさんは、このコロナ禍にあって、何か変化はありましたか?
n-buna 僕は基本的に変わらないですね。コロナ禍の前も後も、ただ家で曲作っているだけなので。アウトプットする量も変わってないですし、生活スタイルも変わってない……まあ、マスクするようになったぐらいですかね。
──(笑)。
n-buna もちろん、僕のまわりでも知り合いのミュージシャンだったり、それこそライブサポート系のミュージシャンだったり、仕事が全部飛んでいろいろ大変みたいだし、それは悲しい出来事だなって思うけど……ただ、その一方で、この状況じゃないと生まれなかった作品たちが、たくさん出てきているじゃないですか。それはそれで素晴らしいことだなって思っています。逆に、日食さんは、どうなんですか。何か変化があったというか、いろいろ思うところがあったりするんですか?
日食 感染した方々や医療従事者の方々の大変さは、もちろん承知しているんですけど、それとは別の次元で、このコロナ禍によって、世の中のいろんなことがバレてしまったなって思っていて……人間の手には負えない大きな力によって、汚いものが次々洗い出されていったというか。それは必ずしも悪いことではなかったというか、バレるものがバレて良かったなっていう。正直この一年ちょっとの間は、そんなふうに世の中を見ていたところはあるかもしれないです。
n-buna やっぱり日食さんは、その根底に社会への怒りとか人への興味みたいなものが、ちゃんとあるんですね。だからこそ、良い曲が書けるんだなって改めて思いました。社会への興味をしっかり持って、そこに向き合っているというか。
日食 そうなんですかね。
n-buna 僕、自分がちょっと恥ずかしくなりましたもん。僕の回答って、自分のことしか考えてなかったので。
日食 いやいや(笑)。n-bunaさんは、社会とか他人とかに、あまり興味がないタイプなんですか?
n-buna うーん、僕は自分を中心とした円の中にいる人間が幸せであればいいと思っているんですよね。なので、その円の外っていうのは、基本的に興味がないというか……人類の8割がゾンビになっても、多分自分は変わらない生活をしているんだろうなって。
──家で黙々と音楽を作っている?
n-buna そうですね。でも、そのときはそのときで変わるのかな? わからないですけど、家にこもって創作活動はしてそうですよね。というか、僕の社会との向き合い方っていうのは、ホントに作品そのものなんですよね。そこにすべて託しているというか、社会と接しているのは、僕じゃなくて作品なんです。だから、僕自身は、多分そんなに変わらないんだろうなって思います。
日食 面白いですね。私は多分、ゾンビがひとりでも出たら、すぐにシェルターを探すなり、あたふたしてしまうと思う(笑)。
n-buna あ、ホントですか。意外と生活変わらなさそうじゃないですか?
日食 私は意外と世の中にほだされるところがあるというか。電車とかに乗っていても、乗っている人全員のことが気になったりするし、ライブハウスは大丈夫なんですけど、映画館とかも実はちょっと苦手で。近くに人がいると、集中して鑑賞することができない人間で。
それこそ、曲を作るときとかも、となりの部屋に人の気配がしたりすると、途端に作業が滞ってしまったり、実はすごくまわりを気にしてしまう人間なので、そういう心配をしなくていいように、今、こうして山奥の一軒家に住んでいるっていうのもあるんですよね。
n-buna ああ、なるほど。そうなんですね。
日食 だから、そこはすごく真逆なところかもしれないです。
n-buna なるほど。繊細なんですね。
日食 そう、繊細なんですよ。あんな曲を書くくせに(笑)。
n-buna いやあ、曲も繊細だと思いますよ。
日食 ありがとうございます(笑)。今日はもうホント、目からうろこの話ばかりで……もう、感無量です。
n-buna そうなんですか。
日食 n-bunaさんのことは、ホントにすごいなってずっと思っていたんですけど、その正体がわからなかったというか。今まで好きになったアーティストさんの誰とも違う場所に位置しているような気がしていて。だけど、今日こうしてじっくりお話しすることによって、どんなことを考えて、それをどう音楽に昇華しているんだろうっていうことが、ちょっとだけ窺い知ることができたような気がして……もうホント、胸がいっぱいです(笑)。
n-buna や、こちらこそありがとうございます。僕もすごく楽しかったです。ちょっとしゃべりすぎてしまったかもしれないので、もう半分ぐらいカットしてもらっても全然大丈夫です(笑)。
日食なつこ – 真夏のダイナソー
Text by 麦倉正樹
PROFILE
日食なつこ
1991年5月8日 岩手県花巻市生まれ ピアノ弾き語りソロアーティスト
9歳からピアノを、12歳から作詞作曲を始める。高校2年の冬から地元岩手県の盛岡にて本格的なアーティスト活動を開始。緻密に練り込まれた詞世界と作曲技術は業界内外問わず注目を集め、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』、『FUJI ROCK FESTIVAL』など大型フェスにも多数出演。演奏スタイルはソロからバンドまで 多彩な顔を持ち、ライブハウスやホールを軸に、カフェやクラブ、お寺や重要文化財などでもライブを行い、数々の会場をプレミアムな非日常空間に作り変えてきた。強さも弱さも鋭さも儚さも、全てを内包して疾走するピアノミュージックは聴き手の胸を突き刺さし、唯一無二の爽快な音楽体験を提供する。
ヨルシカ
n-buna(Guitar/Composer) / suis(Vocal)
ボカロPであり、コンポーザーとしても活動中の”n-buna(ナブナ)”が女性シンガー”suis(スイ)”を迎えて結成したバンド。2017年より活動を開始。2019年4月に発売した1st Full Album「だから僕は音楽を辞めた」はオリコン初登場5位を記録し、各方面から注目を浴びる。文学的な歌詞とギターを主軸としたサウンド、suisの透明感ある歌声が若い世代を中心に支持されている。
INFORMATION
真夏のダイナソー
2021年6月23日(水)
¥2,000(+tax)
351-LDKCD
4580529530654
Living,Dining&kitchen Records
収録曲:
1.真夏のダイナソー
2.ワールドマーチ
3.泡沫の箱庭