日本海の冷たい風が吹き抜ける秋田県の男鹿半島。映画『泣く子はいねぇが』は、ナマハゲの伝承地であるこの地を舞台としながら、ひとりの男の葛藤と成長を描いた作品だ。
主人公である後藤たすくを演じるのは仲野太賀。娘が生まれたものの、父親になりきれないたすくに限界を感じ、別離を決意する妻を演じるのは吉岡里帆。この2人を軸にしながら、寛一郎、山中崇、余貴美子、柳葉敏郎という実力派たちが脇を固める。監督と脚本は本作が商業映画デビュー作となる佐藤快磨。佐藤監督は5年間に渡って男鹿半島に通い続け、ひとりの男の成長とナマハゲという伝統的な風習を重ね合わせた1本の脚本を書き上げた。企画に携わった是枝裕和など、熟練の映画人たちがそんな佐藤監督をバックアップしている。
そんな『泣く子はいねぇが』の主題歌“春”を手掛けたのが、シンガーソングライターの折坂悠太だ。現在フジテレビで放映中のドラマ『監察医 朝顔』の主題歌“朝顔”を歌い、お茶の間にもその名が知られつつある折坂は今回劇伴も担当。強烈な歌声からシンガーとしてのイメージが強い折坂だが、初期2作品ではすべての楽器演奏をこなしていたほか、プロデューサー的な感覚も持つ音楽家でもある。そんな折坂は『泣く子はいねぇが』という作品から何を感じ取り、何を表現しようとしたのだろうか。制作時の裏話も交えながら、折坂にたっぷり話してもらった。
INTERVIEW:折坂悠太
「ここから何かが変わるかもしれない」
──まず、映画を見た感想から聞かせてください。
作品を作る過程も見ているし、そのなかで思い入れも強くなってきているので客観的に見れないところもあるんですけど、おもしろいバランスの映画だと思います。ナマハゲという秋田県男鹿の伝統行事をモチーフにしつつ、主人公である後藤たすくという人物の人間性は現代的でもある。豪快なダメ男という感じではないんだけど、何をしでかすかわからないところがあって、他人から共感を得られにくい人でもあるんですよね。何を考えているか分からないという人もいると思うし、逆にすごく分かるという人もいると思います。
──折坂さんはたすくの気持ちが分かるほうですか、それとも分からないほうですか?
僕はね、分からないほうなんです。現実の生活のなかでも理解し合えない人ってどうしても一定数いるけど、どうもたすくは何を考えているか分からないというか。
──この映画は「父親としての責任」がテーマのひとつになっていますが、折坂さん自身、父親でもありますよね。そうした視点から共感を覚えることはありました?
自分もたすくのように子供に会えない状況になったら何をするか分からないけど、主人公に自分を投影して作品を観るという感覚はなかったかな。じゃあ、僕はどの登場人物に自分を投影したかというと、それが余貴美子さん演じるたすくのお母さんだったんです。たすくを暖かく迎えているところがあれば突き放すところもあって、どこか生ぬるい視点で見ているんですよね。今回、音楽を作るうえでも、たすくに寄り添うというよりは、俯瞰しながら考えていたところはあると思います。
──それは少し意外ですね。というのも僕は劇中のたすくの佇まいに折坂さんに似た雰囲気を感じていたんです。
もしかしたら似ているから分からないだけかもしれないけど(笑)。
──社会と個人のどうにもならない関係性を描いているという意味でも、この作品は折坂さんの音楽性と共通するところがあるんじゃないかと思っていて。
この映画のおもしろいところは、最後にそうした関係性を飛び越えるところだと思うんですよ。最後に見せた「今こうするしかない」というたすくの行動には、彼なりの父性が現れているとも思いますし。たすくの行動に理解できないものを感じていた自分の前に、突然生身のたすくが現れたような凄みがあのラストシーンにはありましたね。
──共感とも違う感覚?
そうですね。共感すら飛び越えてくるような感覚というか。いつからか「共感」という言葉がよく使われるようになったし、僕もその範疇でものを作りがちだけど、自分が映画で観てきたものって必ずしも共感を得るためのものばかりじゃなかったと思うんですよ。僕は今回のラストシーンに(マーティン・スコセッシ監督の映画)『タクシードライバー』の最後を思い出したところもあって。
『タクシードライバー』の主人公が最後に取った行動もとても褒められたものじゃないけど、「そうするしかなかった」という凄みみたいなものがあるんですよね。ああいう善悪を超えたところの説得力を見せてくれるのが、自分にとっての映画でもあって。今回の映画もまさにそういうものだと思います。
──ところで、今回折坂さんに主題歌と劇伴を依頼するというのは、仲野太賀さんの発案だったそうですね。
そうなんですよ。太賀さんとは対談をやらせてもらったことがあって、その後、僕のライヴに何度か来てくれたんです。オファーをいただいた後、太賀さんからLINEが送られてきたんですよ。この映画がどんな言葉とどんな音楽で終わるのか、それによって主人公が物語の後にもう一歩踏み出せるか変わってくるんじゃないかって。それで僕に依頼してくれたということだったんですね。すごく嬉しかったし、これはやらんとなという気持ちになりましたね。
──折坂さん自身、本格的な音楽活動を始める前はシナリオライターを目指していた時期もありましたよね。そんな折坂さんにとって、映画の主題歌と劇伴を担当することについてはどんな思いがありましたか。
今思い出したんですけど、そういえば昔もシナリオを書く前に、シーンごとに流れる音楽のことをまず考えていたんですよね。ここでどんな曲がかかるのか、そのためにはどんなシーンがあって、どんなセリフがあるのか。イメージしている音楽に向かってストーリーを書いているような感覚だったんです。
──今回、劇伴の制作はどのようなプロセスで進めていったんですか。
僕が話をお受けした段階では、撮影はほぼ終わっていて、仮編集もできあがっている状態だったんですね。それを見ながらMIDIの鍵盤で音をメモするところから始めていきました。ちょうど外出自粛期間中だったので、監督とはリモートで打ち合わせをしましたね。そこでMIDIで作ったメモを聞いてもらったり、方向性を確認し合ったり。
──この作品は登場人物の沈黙がすごく多い映画だと思うんですね。その代わり、沈黙の部分に男鹿を吹き抜ける風や浜に打ちつける波の音が入っている。そういった作品に劇伴をつけることについては、どのように考えていましたか。
そこなんですよね。仮編集を観た段階で、劇伴がなくても成り立つ映画だと思ったんですよ。そう考えると、やることはすごく明確だったんですよね。まさに風や波の音に近いものを作ろうと。今回は和太鼓も使っているんですけど、男鹿の音頭を聞いて拍子を参考にしました。そういった伝統的なものと、現代を生きる人ならではの郷愁が共存したものをイメージしていました。
あと、物語としては報われないシーンの連続じゃないですか。主人公の感情を説明するというよりは、「こういうスタンスで観ればいいと思います」という感じというか、それぞれの場面の見方を提示するものにしたいと考えていました。
──シーンの解説ではなく?
そうですね。「この人、こういう気持ちですよ」という解説ではなく、僕自身がこの映画をどう観ていたいかということを、音楽で表せるかなと思っていました。
──作品を観た感覚としては、折坂さんの劇伴がなければ成り立たない映画にもなっていると思いました。折坂さんの音楽が入ってくることで、場面の焦点が絞られるような感じがするんですよ。
劇伴を作るうえで最初に思い出したのが、(北野武監督の映画)『菊次郎の夏』でした。あの映画も抽象画に近いところがあって、人によって解釈や捉え方が違うと思うんですね。だけど、久石譲さんの音楽が入ることで焦点が絞られるような感じがある。今回劇伴を作るときも少しそのイメージがあったのかもしれない。
──映画の最後には折坂さんが手掛けた主題歌“春“が流れますが、この歌はどのように作っていったのでしょうか。
メロディーだけは仮編集したものを観る前に作っていましたね。太賀さんが主演のナマハゲをモチーフとする映画ということと、ラストシーンの話を少し聞いたぐらいの段階で。
現代の新しい歌というよりも、土着的な匂いのする伝承歌みたいなものにしたいなと思っていたんですよね。はっきりとした譜割りがあるものではなくて、一息で長く歌うような旋律のイメージ。歌詞については映像を観てから考えました。
──この歌では《確かじゃないけど/春かもしれない》というフレーズが繰り返されますが、この言葉はどのように出てきたのでしょうか。
制作に取り掛かった時期が、まさに外出自粛期間の最中だったんですね。人とも会えないし、これからどうなっていくんだろうという不安な気持ちがある一方で、「ここから何かが変わるかもしれない」という感覚もあって。「アラブの春」という言葉があるように、「春」という言葉は大きく社会が変わるときにも使われるじゃないですか。自分自身にちょうどそういう感覚があったのと、あのラストシーンの後にどんな歌が鳴ったらいいだろう? と考えたときに、《確かじゃないけど/春かもしれない》という言葉が出てきたんですよね。変に前向きなものにするのも違うと思っていましたし。
──先程の話だと、折坂さんは母親に近い視線から主人公を観ていたということでしたが、“春”はまさにそうした視線からの歌という感じがしました。
僕があまり話しすぎて解釈が狭まってしまうのも嫌なんですけど、確かにそうですね。主人公の立場から《確かじゃないけど/春かもしれない》と歌ったものだとすれば、「もうちょっとちゃんとしたほうがいいよ」って言いたくなるかもしれないけど(笑)。
──確かに(笑)。
あの映画の中で母親は誰とも違うスタンスなんですよね。決してたすくを溺愛しているわけではないんだけど、実家に帰ってきたらご飯ぐらいは作ってあげるという。そんな母親があの最後のシーンをどう観るか想像してみると、「何かが変わったらいいね」と思うような気がするんですよ。
──そう考えてみると、《確かじゃないけど/春かもしれない》という言葉には、すごく愛がある感じがしますね。
僕は歌でそういう愛情表現をしたいんですよね。この映画自体、主人公に対する愛の表現でもあると思いますし。
折坂悠太 – 春(Official Music Video) / Yuta Orisaka – Spring Comes
──折坂さんはドラマ『監察医 朝顔』の主題歌“朝顔”も歌っていらっしゃいますが、今回“春”を作るうえで、“朝顔”を書いた経験が活かされたところもありますか?
“朝顔”は自分の想像や意図を超えたところまでを踏まえて作ったし、聞き手に伝えるためにはどういう表現にするべきかかなり突き詰めたんですね。でも、“春”のほうは聴き手に委ねているところもあって、作り方としては真逆といってもいいと思います。普段の作品制作に近いやり方だったのは、断然“春”のほうですね。
ただ、タイプが違う主題歌を作ったということは、今後自分の制作にも活かされてくると思います。普段の作品作りでも、まったく何もないところから歌を作るというのは時間がかかるんですよ。何か寄り添うべきものがあると、すごくやりやすいんですよね。今回は今回で100%のものを作ったと思っているんですけど、自分としても今回の音楽作りは自然にできたし、またやってみたいですね。
──最後に、この映画を見る方に何かメッセージがあれば。
倫理だけに基づいた映画ではないと思うんですよね。ある人の生き様みたいなものを切り取って、そこに瑞々しさがある、そういう映画だと思います。ぜひ楽しんでいただきたいです。
映画『泣く子はいねぇが』本予告 | 11/20(金)公開
Text by 大石始
Photo by 横山マサト
スタッフクレジット
ヘアメイク:津嘉山南
スタイリング:永冨佳代子(NIGELLA)
INFORMATION
泣く子はいねぇが
11月20日(金)より、新宿ピカデリー他全国ロードショー
出演:仲野太賀 吉岡里帆 寛一郎 山中崇 / 余貴美子 柳葉敏郎
監督・脚本・編集:佐藤快磨
主題歌:折坂悠太「春」(Less + Project.)
企画:是枝裕和
エクゼクティブ・プロデューサー:河村光庸
プロデューサー:大日向隼、伴瀬萌、古市秀人
企画協力:分福
制作プロダクション:AOI Pro.
配給:バンダイナムコアーツ/スターサンズ
製作:『泣く子はいねぇが』製作委員会
©2020「泣く子はいねぇが」製作委員会