ひどく衝撃を受けたさまを「雷に打たれた」と表現することがあるが、その昔、比喩ではなく雷に打たれまくった男性がいた。35年間のあいだに7回もの落雷を受け「人間避雷針」と呼ばれたその人物の生涯は、雷ではなく失恋のショックによる拳銃自殺で閉じたといわれている。これほど数奇な人生であれども幕引きだけは天にも譲らなかったとは実にあっぱれ、と言ってしまうのは無慈悲だろうか。
「青春」「死生観」といった普遍的なテーマを独自に織り上げ作品を描いてきた脚本/演出家・濱田真和。彼が率いるSuperendrollerの新作舞台『雷に7回撃たれても』は、人間避雷針と呼ばれた男の人生を現代日本に生きる青年に置き換えた物語だ。
過去、自身が脚本・演出・主演を務めた『sea,she,see(2015年)』をはじめ、『blue,blew,bloom(2016年/古舘佑太郎主演)』、『hammer & hummingbird(2018年/磯村勇斗主演)』など、Superendrollerプロデュース作品では一貫して「残された者の物語」「葛藤と変化」といった自身の実体験を落とし込んだ人間模様を描いてきた濱田だが、実在した人物を源流とする今作では“雷に7回撃たれた男が拳銃自殺をはかるまでの、記録には残らなかった日々”にフォーカス。「災害と再生」「生と死」「夢と現実」「人間と自然」など複合的なメッセージを描く。
壮絶な半生を送る主人公・田中八起(たなか・やおき)を演じるのは、俳優・大下ヒロト。高校卒業後、2017年に現所属事務所「オフィス作」ワークショップオーディションを経てキャリアをスタート。同年発表の映画『あみこ』(山中瑶子監督)でのデビュー以来、映画・ドラマ話題作への出演を重ねるとともに、映画愛好家の視点で綴るコラムを執筆。はてな、羊文学ほか、アーティストのMVに出演するほか、Official髭男dism『Choral A(2022年)』では映像ディレクター・鴨下大輝氏とのMV共同監督を務めた。映像・文筆の分野で自身の表現を多彩に拡張してきた彼にとって、本作は舞台初出演にして主演作となる。
ヒロイン・清澄美波役を務めるのは、今作で本格的に俳優デビューを果たす元BiSHのセントチヒロ・チッチこと加藤千尋。2023年6月、東京ドーム公演を最期に解散した“楽器を持たないパンクバンド”BiSH。その後、ソロプロジェクトCENT(セント)を本格始動。今年8月には、峯田和伸(銀杏BOYZ)、真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)ら豪華アーティスト陣が参加したセルフプロデュース1stアルバム「PER→CENT→AGE」をリリース。11月14日(火)からは初となる全国ツアー『Hello Friend Tour』もスタート。俳優「加藤千尋」名義については今作出演発表にあたり「新しい表現の世界へ飛びこみ お芝居という道への決意を込めて加藤千尋という名前で活動します」とコメントを綴っている。
大下と加藤、互いに舞台初出演となる『雷に7回撃たれても』で初の共演を果たすふたりだが、プライベートでは長い付き合いがあるという。この記念碑的作品の上演に向けて稽古に没頭する10月某日、心境を記録するべく対談取材の機会をもらった。
INTERVIEW:大下ヒロト×加藤千尋
目と目を合わせたときに感じられることが
いろいろあって芝居が楽しくなる予感がした
──おふたりは意外にも付き合いが長いそうですね。
加藤千尋(以下、加藤) これまで仕事で一緒になる機会がなかったので別に言ってこなかったんですけど、お互い音楽好きっていう共通点もあって5〜6年くらい仲良くしています。大下さんは「今」を生きている人。自分にしかない表現があって私は勝手に尊敬していたので、共演できると知って嬉しかったです。
大下ヒロト(以下、大下) いや、僕のほうが嬉しいです。加藤さんは本当に自分にまっすぐ。今を生きているって言ってくれましたけど、「今を生きる」と「今を考える」は同じだと思っていて。加藤さんといろいろ話をしていると社会に対する考え方や距離感が近い部分があって、そこにすごく安心したし、なんとなく昔からお姉さん的な存在という印象がありましたね。
加藤 まあ、仲間内のノリで私がケツを叩いていた感じです。
大下 今作のメインビジュアル撮影は海辺で芝居をしながら進めたんですけど、その時の感覚が本当に面白くて。今まで会ってきたチッチさんではないし、一緒に仕事をするのもはじめてだけど、目と目を合わせたときに感じられることがいろいろあって芝居が楽しくなる予感がしたんですよね。
──いい関係ですね。
加藤 はい、すごく。やっぱり主演だとセリフも多いし大変なはずなんですけど、大下さんは一番ケロッとしていて。みんなの士気を高めてくれるので、共演者と制作チームのみなさんも含めて、いいカンパニーになってきていると思います。私、わりと役を引きずっちゃうので、ほとんど毎日「疲れてる?」って聞かれるんですけど、「そんなことないんだけどな、でもやっぱり明るいだけじゃない清澄の人生を生きているからなあ」って。だから、稽古が終わるとちゃんと芝居と自分を客観視できている大下さんをはすごいなと思ってます。
大下 今回、主演というありがたい機会をいただきましたが、あまり主演ということを意識していないかもしれないですね。舞台ってみんなでつくる芸術だから感覚を揃えていたいなと思っています。とはいえ、怖いですよ、初めてのことなので。稽古が進むにつれ身体も心もついていかないシーンがあったりして、最初は本当にどうしようって感じでした。今は稽古後に大下ヒロトの客観的な視点を働かせつつ、半分は田中八起の視点で物事や社会を見ています。普段から八起になって生きていくのは絶対に無理だけど、できるだけ感じ方の距離を近づけていく。そのために、とにかく見る。人ってなにかを真剣に見ていると疲れてくるし重たくなったりもするんですけど、それでもとにかく見る。それしか方法がないということに気づいたんです。
加藤 ずっと自分と対話しているよね。私も、ここまでしっかりお芝居するのは初めてのことだから最初は本当になんにもわからなかったんだけど、もう飛び込むしかない!って。今までいろんなものに触れて、いろんな表現をして生きてきたけれど、自分がどれだけアウトプットできていなかったか、お芝居をとおして気づいたことがたくさんあります。想像力は働くほうなので、たくさん想像して清澄美波の人生を捉えられているかなって思っていたんだけど、濱田さんに「その人が生きてきた身体にしないとね」って言われたときにハッとさせられて。どれくらいの鼓動で心臓が動いていて、風をどう肌で感じているのか。そこからお芝居に対する感覚が変わりました。
観てくれる人たちの反応を受けて出てくる
感情や言葉が音楽にも舞台にもある
──加藤さんにとって「誰かの人生を生きる」というのは、ご自身の音楽活動と真逆の表現方法ですよね。
加藤 BiSHも含めて、これまではどれだけ自分の生きざまを見せられるか、そこに対して返ってきたものにどう応えるのかということをしてきたので、誰かの人生を生きることについては私が考える正解だけでは絶対うまくいかなくて。ただ、葛藤しながらでもどうかたちにしていくかっていうのが面白いところだし、観てくれる人たちの反応を受けて出てくる感情や言葉が音楽にも舞台にもあるので。その共通点は最近になって感じるようになりました。今は「私はこう感じた、でも清澄だったらきっとこうする。だったら、ここにエネルギーを向けよう」っていうふうに、エネルギーの転換をうまくできるようにがんばっています。
──今作では、田中八起の親友・楠本春一役にマヒトゥ・ザ・ピーポー氏(GEZAN)初監督映画『i ai』で主演を務めた富田健太郎さんや元andymoriのドラマーの岡山健二さん(classicus)がドラム生演奏&俳優として出演するなど、存在感のあるキャスト陣との掛け合いも大きな見どころ。instagramにあがっている稽古場の様子から、いい空気感が伝わってきます。
大下 仲良いと思います。富田君とのシーンは自分の中ですごく苦戦していました。富田君の繊細かつ自由な芝居は、自分の心がすごく動いていく。同じシーンのはずなのに毎回全然変わってしまう喜びをしっかり感じつつ、少しずつ正解のようなものを二人で見つけている感じです。健二さんとは、休憩中に音楽とか漫画とか映画とか。そんなような話を永遠にしていますね。いろんな好きなものを交換しあっています。だけどやっぱり、この空気感を最初につくってくれたのは真和さんですね。ずっと稽古場で長いあいだ一緒にいるぶん、映画やドラマの現場とはキャスト同士の距離感が違う気がします。こんなに人と一緒にいるのって、僕にとっても初めてです。
加藤 私びっくりしましたもん。役者の人たちってこんなに仲良いんだって。絶対怖い人が一人くらいはいるんだろうなって構えて来たのに、毎日一緒にいられるのが嬉しいって思える人たちで。いいとこも悪いところもちゃんと見てくれている感じがあるし、実力がある人たちだからすごいものを見せられて自分もすごく底上げしてもらって、毎日「もっと頑張んなきゃ」って。
大下 今回、僕は劇中で雷に7回撃たれるわけですけど、そうした実体験がない身体表現も含めて振付指導のJP(島田惇平)さんが教えてくれて。彼の動きすべてが心の動きとリンクしているような、重力を理解しているような、とにかく不思議なんです。休憩中でもJPさんが動いている姿を見ちゃうんですよね。身体の動かし方を通じていろんなことを学ばせてもらっています。
そこにある真実を見つめる
ライブを求められる以上、ライブで返す
──今作には、「輪廻」「災害と人間」と、死生観に問いかけるテーマが落とし込まれています。生死にまつわる話題が日常に絶え間なく流れ込む昨今にあって、個人的には観劇により琴線を刺激されることへの怖さも少しだけあるのですが、同時に八起たちの人生の機微がどう表現されるのかとても興味深いです。
加藤 重たいだけではなくて、この作品にはすごく面白いところもあって。歌あり、ダンスあり、ちょっぴりアクションもあり。いろんな要素が詰め込まれた表現の幅が本当に広い作品で、出る側なのに「こんな舞台があるんだ」ってワクワクしているんです。あんなことやこんなこともあるので、怖がらずに生身の表現を楽しみにしていてほしいです。八起と清澄、それぞれどんな気持ちを持って帰って欲しいのかは違っているし、大下さんとしても今までやってこなかったことに一生懸命取り組んでいて。身体表現のイメージってないと思うし、そこにしかいない田中八起がいるので、きっとビックリしちゃうと思います。
──最後に、期待を寄せてくださる方々へメッセージをお願いします。
加藤 私は自分のことを生きる力を放って生きてきた人間だと思っているし、目の前にいる人の心を動かせなかったらその先にいる何万人の心を動かせないから一生懸命表現しているんですけど、応援してくれる人にも「生きたい」と思ってこの社会と闘って生きてほしいなと思っています。私も大下さんと一緒で、世の中のことを目を凝らして見ていきたいなっていう意識がずっとあって。でも素直にそれを言える世の中ではないからこそ、いろんなかたちで気持ちを伝えられたらいいなと思うし、清澄なりの生き方とエネルギーと、その日生まれた心で、なにか刺さるものがあったらいいな。
大下 僕は、映画が与えてくれる瞑想的な時間を人に与えられる存在になりたいと思っているんです。ただ、ずっと映画という芸術のファンとして生きてきた自分が舞台という土俵にあがるのは果たしてどうなのかって考えていました。今回この作品のお話をいただいたのはタイミングでもあったし、生のお芝居を求める人がいるということに今まで自分が経験したことのない可能性を感じたんです。自分にとっては修行をしているような感覚でもあります。そして、今言えることは、とにかく来て、観てくださいということ。シアターの語源になった「theōria(テオリア)」という言葉には、「そこにある真実を見つめる」という意味があるといいます。ライブを求められる以上、ライブで返す。あとは、感じたものを持って帰ってもらうだけ。それが一体なんなのかは、僕もまだ探している途中で、今思っていることも変わっていくかもしれないし変わらないかもしれない。だけど僕は、希望をもって生きています。
interview & text:野中ミサキ
photo:古郡勇斗
styling:佐々木翔
Hair & Make up:飯野梨那
Official Photo:Seiya Fujii(W)