2010年代を目前に控え、東海エリアに荒々しく雪崩れ込んできた伝説のヒップホップグループ、TYRANTの始動とほぼ時を同じくして、その一員であったATOSONEが名古屋に設立したレーベル〈RCSLUM RECORDINGS(以下、RCSLUM)〉。2010年の本格始動以来、ヒップホップとハードコアを起点に、緊張感とエネルギーが渦巻く強烈な磁場から、TYRANTのYUKSTA-ILL、HIRAGENをはじめ、Campanella & TOSHI蝮、MIKUMARI、MC KHAZZ、HVSTKINGS、OWL BEATSといった現場叩き上げの突出した才能をもったラッパー、ビートメイカーの作品が次々に世に送り出されてきた。
ヒップホップのステレオタイプなフォーマットには目もくれず、音楽の未知なるスリルを追い求め、荒々しさ、歪さとストリートアートの鋭利な美しさが共存するその作品群は、「NEO TOKAI/TOKAI DOPENESS」という新たな価値観を創出。圧倒的な熱量と緊張感がみなぎる空間で、ラッパーたちがマイクを奪い合うような勢いで熾烈なスタイル・ウォーズを繰り広げた不定期開催のイベント<METHOD MOTEL>とそこから派生した2枚のコンピレーションアルバム『THE METHOD』(2011)、『THE METHOD 2』(2018)にも参加しているCampanella、C.O.S.A.、呂布カルマ、RAMZAはその影響を唯一無二のオリジナリティへと昇華し、キャリアを大きく切り拓いていった。
そして、2016、17年には、〈RCSLUM〉とその周辺で活動するラッパー、ビートメイカー、DJたちがSLUM RCの名の下に集結したクルーアルバム『WHO WANNA RAP』と続編的リミックスアルバム『WHO WANNA RAP 2』を発表し、2010年代後半に広範な支持を獲得すると、新たなディケイドの幕明けとともに〈RCSLUM〉は新たな動きを見せつつある。そんなレーベルの過去、現在、未来を繋ぐべく、レーベルオーナーのATOSONE、レーベルより3月にアルバム『CONFLICT GROWTH』を発表したCROWN-D、そして10月にEP『Paradox』をリリースしたnazcaとEPに参加したプロデューサーの一人、abentisに話を聞いた。
INTERVIEW:ATOSONE
──〈RCSLUM RECORDINGS〉の設立は?
ATOSONE TYRANTを始めた半年後の2008年。最初はTyrantのEP『KARMA』、次がYUKSTA-ILLのEP『ADDICTIONARY』(サウンド面はATOSONEが担った)で、その後がHIRAGENのアルバム『Caste』。当時日本で一番格好いいラッパーを世に出したかったというか、HIRAGENは世に出したらヤバいことになるだろうなって思って、流通に乗せたり、レーベル運営に本気になったのは2010年からだね。いろんな事があり過ぎて、結果として無茶苦茶ヤバいことにはならなかったけど、それに反応してくれたのがStruggle For Prideの今里くんだったり、CE$や〈WDsounds〉のMercyもそうだし、DOMMUNEをやってる宇川くんが褒めてくれてると伝え聞いたり、耳が肥えた人たちに伝わるところまでいった。
──2000年代後半、端から見ていて、名古屋、東海のシーンは際立った動きがなかったように感じていたんですけど、「俺たちの音楽はヤバいんだ」という最初の表明?
ATOSONE うん。みんな初期衝動というのはそういうものでしょ? ただ、そうはいってもレーベルのヴィジョンはなかったし、ましてや、10年も続くのは思ってなかった(笑)。
HIRAGEN FROM TYRANT -『Caste』
──その翌年、2011年に出したコンピレーションアルバム『The Method』は、〈RCSLUM〉所属アーティストだけでなく、東海圏のラッパー、ビートメイカーの楽曲もフィーチャーして、東海圏で起きている新しい動きを立体的に伝える内容でした。
ATOSONE ハードコアとかヒップホップでは、昔は何かといってはVA(Various Artistsの略)、コンピレーションとかスプリットEPが出てたじゃない? そういう文化があることを知ってたから、同じノリでコンピレーション作るかって。その時には俺とヒロシ(DJ BLOCK CHECK)のイベント<METHOD MOTEL>を始めていたから、CROWN-Dとか呂布カルマ、BB9のBRAVOOとK.Lee、その時はPSYCHEDELIC ORCHESTRAとして活動していたCampanellaとZooとか、そういうやつらを集めたっていう。
──ただ、特徴的なのは、<METHOD MOTEL>にしろ、『The Method』にしろ、気の合う仲間を集めて、和気藹々としたものでは全くないというところ。
ATOSONE 俺ら(TYRANT)が最高であって、お前らなんて格好いいわけないじゃんっていうのは大前提。だから、最初の頃はバチバチだったし、みんなリハーサルから全力だった。
CROWN-D 俺は出番が朝方だった時、客一人一人に「朝6時ぐらいまで残っとってくれ」って言って回って。それくらい必死だったっすよ。他のイベントとは明らかに空気が違ってて、ケンカしにいく、みたいな、それが最高だったっすね。
ATOSONE だから、『The Method』も誰が一番格好いいんだ? っていう内容だよね。それくらいの時期から話が広まっていって、イベントにも客がどんどん入るようになっていった。
──尋常じゃなく空気が張り詰めていた<METHOD MOTEL>は、ラッパーやハードコアバンドのライブ、DJもヒップホップだけじゃなく、ソウル、レゲエ、ハウス、テクノ……音楽的にはそれらが混ざり合っていて、個人的にはその質の高さが衝撃で、なおかつ、男性、女性、近寄りたくない不良から音楽オタクまで、客のミックス具合も最高ですよね。
ATOSONE CROWN-Dもいれば、(豊田のハードコアパンクバンド)ORdERも出とって、そこにBUSHMINDもおって。もうめちゃくちゃだよね。〈RCSLUM〉が「快楽至上主義型先鋭利益追及集団」を名乗ったのはそういうこと。かたや、俺らが若い頃はパーケン売って人集める時代の最後の方だったじゃん?
CROWN-D そう。俺なんかビンゴ大会の後で歌わされたりしたからね(笑)。
ATOSONE センスのないヤンキーの先輩が仕切ってるパーティね。<METHOD MOTEL>では最初から画期的なことをやったんだ。まず、クラブの真ん中にステージを作って、客がそのステージを取り囲むっていう。自分たちでデザインした張り紙をクラブ中を埋め尽くして、あと、ちゃんとお香を焚く。そうやって環境を作ったから、演者もやる気になるし、客も初めて入った時、ワーッっとなるじゃん?
──そうやって環境を作って徹底して打ち出したのは音楽至上主義のスタンス。
ATOSONE はいはいって言うことを聞くやつだけを周りに置いてても仕方ないというか、俺らは言うこと聞かねえけど、格好いいだろ? って。年齢だとか不良か否かとか、そういったことを度外視して、音楽だけの話をしたら、お前は勝っているのか? だったら、それを示してくださいよ。そういう話以外、俺らは言うこと聞かないですよって。だから『The Method』のCD帯に『親愛なる東海地区の紳士、淑女、不良、売女の諸君、そして日本全国に3000万人いるという中毒者の諸君、そろそろ音楽の話をしよう』って書いたんですよ。
──その後、2012年にリリースしたCampanella & Toshi蝮の『Campy & Hempy』や2017年のNero Imaiの『Return Of Acid Kings』に象徴されるように、〈RCSLUM〉の初期メンバーより下の世代がラインナップに加わって。彼らやC.O.S.A.やRamza、Free Babyloiaは自分たちのパーティ<MdM>を始めるわけですけど、彼らは初期メンバーのように不良かというと……。
ATOSONE むしろ、ナードだよね。俺が『The Method』の帯でそう言った以上、下のやつらに対しても音楽で価値を計る。その時点で人気がなくても、聴いて格好良かったら、俺は作品を出すよっていう。そういうスタンスを明確に打ち出したからこそ、イベントにも色んな人が来るようになったし、作品も届くようになった。
──レーベルの作品、そのディレクションに関して、ATOSONEはどの程度関与するんですか?
ATOSONE 俺が徹底しているのは、内容に関して口は出さない。あと制作途中段階の曲をちょこちょこ聴かせるのは止めてくれってこと。うちと契約して、アルバムを出すとなったら、全曲揃って、これがアルバムですっていうものを聴かせてくれって。デザインとかそれ以外のことは俺がやるっていうのがうちのやり方。
──作品をリリースするなかで、変化していった状況についてはどう見ていますか?
ATOSONE やりたいことしかやってないから、俺らは変わってないけど、雄一(Campanella)もC.O.S.A.も売れていったり、周りが変わっていっただけじゃない? ただ、2015年の『Who Wanna Rap』から拡がり方が一回り大きくなっていったというのはあるかな。
TRES RC HEY! CPF WELCOME TO RC
SLUM RC – TOO LATE – Pro. BUSHMIND
提供:ATOSONE
──SLUM RC名義でリリースした2015年の『Who Wanna Rap』は、ATOSONEにYUKSTA-ILL、MIKUMARI、MC KHAZZ、Campanella、Toshi蝮、Nero Imai、C.O.S.A.、Covan、Ramzaといった〈RCSLUM〉とその周辺のラッパー、ビートメイカーが集結したクルーによるアルバムですよね。
ATOSONE あのアルバムでは、俺が久しぶりにラップしているのと、あと、普段絶対そんなことやらないのに、みんな集まって曲を作ろうっていうことになった最高のエモアルバムだよ。完成まで1か月かからなかったからね。『Who Wanna Rap』とか2018年の(2枚組のコンピレーションアルバム)『The Method 2』はそれまでの〈RCSLUM〉の集大成であり、末期だよね。『THE Method 2』に“Kingdom Collapse”(王国崩壊)って付けたのは、そういう意味なんだよね。一回壊れて、また戻ってくるっていう。
──『THE Method 2』には、その先で始まる第2期〈RCSLUM〉で作品をリリースすることになる神戸のシンガーソングライター、UG Noodleに、今回EPをリリースするラッパーのnazcaの曲も収録されていますもんね。
ATOSONE 王国がついに崩壊して、暴力と金と女とドラッグを卒業して、そこから先は愛ですよ。だから、音楽も優しいものを聴くし、UG NOODLEをリリースしたのもそういう流れ。あと、若い奴らを集めて出した2020年の『Sooner Or Later』は、初期から〈RCSLUM〉をずっと追いかけてきて、京都で不定期にパーティをやってる<Clutch Times>と一緒に作ってみようかってことになったコンピレーションだった。今の若手はラップは上手いし、みんなすごいよね。不必要なストレスがないぶん、集中していい作品を作れるし、作品が出来たら、YouTubeやSoundCloudで拡散できる。まぁ、でも、玉石混合というか、全部がいいわけじゃないし、nazcaとhyunis1000はそのなかから見つけた才能だよね。どれだけ時代が変わっても、気に入ろうが気にいらんかは別にしてHIPHOPがなくなることは無いし、常にセンスの良い人たちが面白いことを始めて、コミュニティーが出来上がって、何かをきっかけにそれが崩壊していく。崩壊したからと言ってそれは終わりを意味するのではなくて、新しいものが生まれるきっかけに過ぎないわけで。そのきっかけになる土壌が豊かであればあるほど次に生まれるものが美しくなっていくのではないのかと。だから個人的には〈RCSLUM〉の今後の動きにも耳と目を傾けていただければと思いますね。
名古屋・有松をレップするCROWN-Dは、TYRANTのYUKSTA-ILL、HIRAGENと壮絶なフリースタイルバトルを繰り広げてきたラッパーだ。
INISHALL-L、SITY-HIGH、KATCHA-MANからなるヒップホップグループDRAMASICK、BASE、梵頭とのユニット、東海喰種でも活動してきた彼は、2012年のUMB名古屋予選で呂布カルマを破って本選出場を果たしたほか、<KOK 2019 GRAND CHAMPIONSHIP>のファイナリストとなるなど、MCバトルで高い評価を確立。数年の空白期間を挟みながら、『THE METHOD』や『METHOD MOTEL』に参加するなど、長らく共闘関係にあった〈RCSLUM〉から初のソロアルバム『CONFLICT GROWTH』が今年3月に発表されたばかり。
アブストラクトやダブ、ジャズの要素が混在するブーンバップを基調に、フリースタイルで研ぎ澄ませたラップ、リリックにダークなユーモアを交え、欲望と後悔、絶望と希望が交錯する終わりなき葛藤を赤裸々に描き出すこの作品は、本来、RCSLUMの第1期を飾るはずだったというが、設立前後のレーベルを知る名古屋生え抜きのラッパーは変わりゆくシーンを前に、何を語るのだろうか。
INTERVIEW:CROWN-D
──ATOSONE、〈RCSLUM〉との最初の出会いについて教えてください。
CROWN-D もともと「TYRANTっていうヤバいグループがおる」っていう話は聞いていたんだけど、DRAMASICKでライブをやってた時に「誰だこの人?」って、目についたやつがいて、それがソウタくん(ATOSONE)との最初の出会い。当時は名古屋しか、自分しか見てなかったし、音楽を中心として動いてなかったんですけど、(TYRANTの一員だった)YUKSTA-ILLにフリースタイルバトルで負けて、そこで音楽に火が付いたんですよ。
──じゃあ、TYRANTや〈RCSLUM〉というのは……。
CROWN-D 俺らは名古屋、TYRANTは名古屋、桑名、鈴鹿でしたし、最初はバチバチにライバルでしたよ。名古屋の人間というのは最初会った時は冷たいというか、最初は様子を見るんですよ。そこから徐々に仲良くなって、ソウタくんのイベントに呼んでもらうようになっていったっすね。
ATOSONE CROWN-Dはずっと格好よかったから、ホントはもっと早くアルバムを出すつもりだったんだけど、契約した直後に……(笑)。
CROWN-D そう。「よし出すぞ。やろか」って一人で盛り上がってた時にぽんと……そこから3年半(笑)。
ATOSONE その間の流れとしては2018年に出した2枚組のコンピレーション『THE METHOD 2』を節目に、〈RCSLUM〉は第2期に突入していくんだけど、自分のシナリオとして、CROWN-Dのアルバムは、本当だったら第一期に出したかった。でも……第2期に入っちゃったという(笑)。
CROWN-D それでソウタくんが焼肉食わしてくれて、「アルバム出すぞ」って声かけてくれて。こっちはヨレヨレだったんですけど、「自分にはこれしかない。だからやるしかない」って。
──では、今年3月に〈RCSLUM〉から出した初のソロアルバム『CONFLICT GROWTH』は、色々止めて、音楽をやろうと臨んだ作品なんですね。
CROWN-D 曲によっては、ホントに止めようと思って歌ったリリックもあれば、別にいいでしょっていうリリックもある。その時々で俺は気分が偏るというか、今日は気分がいいけど、日を改めたら、カッチカチになっている時もある。作品にはそういうものが反映されているんじゃないですかね。
──アルバム前半はこれまで快楽にどっぷりだった人の自問自答やどうしようもなさが詰まっていますよね。
CROWN-D そう。でも、作ったアルバムは後から自分で聞くことになるじゃないですか。だから、後半は、我慢しようと自分に言い聞かせるように歌った曲。そんな時に後輩で絵を描いているm.j.k(aka aReK)経由でGreencrackのトラックをもらって、「これはDくんにしか歌えんと思う」って。だから、“なんもわかっとりゃせん”は東京にいるm.j.kに心配すんなっていうつもりで歌いましたね。
CROWN-D – “なんもわかっとりゃあせん Pro. GREENCRACK”
──この人はどうなってしまうのかっていう前半を抜けて、後半はアガっていくじゃないですか。だから、他人事ながらホッっとしたというか、高揚感すら感じましたね。
CROWN-D それはありがたいっす。どういう作品を作るのか、自分は構想したりすることが出来ないし、自分の行動、私生活じゃないと書けないと思ったので、一番最初にINISHALL-Lと書いて、反省の念を込めた「GO FUTURE」をアルバムに最後に持ってこようと。どうせ日が経つにつれ、ダメになっていくのは分かっているし、そのなかで我慢して生きられる時間がどれくらい続くかといったら、何かのきっかけがないと難しかったりするだろうなと思いつつ、俺には仲間もいるし、良い方に変わっていったらいいなって。
──仲間と、そして音楽と。CROWN-Dにとって、作品からも感じられる音楽に対する熱意は大きいんじゃないかと思いました。
CROWN-D そうですね、確かに。音楽がなかったら、そっちの道に直行だったと思います。だから、音楽には救われてますね。
──「NO FUTURE」ではなく、「GO FUTURE」だと。
CROWN-D 俺らがやってるDRAMASICKっていうクルーが2014年に出したアルバムのタイトルが『NO FUTURE』、打ってたイベントの名前も<NO FUTURE>だったんですよ。その時は生き方そのものがNO FUTUREで、自分はまだよかったんですけど、周りでも色んなことが起こって。自分らはそれくらい腐っていたし、そういう連れも今は切磋琢磨しているので、裏切れないなって。
ATOSONE そういうアルバムだから、俺は聴きたくない(笑)。いや、もちろん、聴いてはいるけど、アルバムのなかには救いのある曲もあるし、特にCROWN-Dのいいところが出ている“ジョージ・バーニン”は今後の活動の道しるべになる曲なんじゃないかなって。
──こうして作品をリリースしつつ、CROWN-Dは<KOK 2019 GRAND CHAMPIONSHIP>のファイナリストでもありますけど、バトルでは若いラッパーがどんどん出てきていますよね。
CROWN-D 久しぶりにステージに立ったら、いきなり出てきた相手がめちゃめちゃ上手いし、昔、俺がYUKSTA-ILLとバトルしたSUPERBADでのエピソードも知っていて。後で聞いたら、18歳だったんですよ(笑)。そんなやつに、俺は何を真剣になって、アホなことまくし立ててんのとも思ったんですけど、そこまでいくと面白いなって。「クソガキ」じゃ終わらないのがバトルなんで。一時期は愛知でトップを取って、ライブを増やして、アルバムを出したいと思って、真剣にやってたんですけど、アルバムも無事に出せたので、またバトルに呼ばれたら行こうかなって。
CROWN-D『CONFLICT GROWTH』
配信はこちらから
『THE METHOD 2』への参加を経て、猛者揃いの〈RCSLUM〉に新たに名を連ねたのは、YNG JOE$との“Rainywood”が耳の早いリスナーの間で話題となった名古屋市緑区出身のラッパーnazca。
1991年生まれの彼は、CampanellaやC.O.S.A.らのライブをフロアから観ていたものの、〈RCSLUM〉の歴史に触れてこなかったというが、初のEP『Paradox』において、乾き、醒め切った眼差しと圧倒的なラップスキルで描かれたリリックの奥底でちらつく鋭利なセンスは紛れもなく〈RCSLUM〉を受け継ぐ者のそれだ。それに加えて、彼の幼馴染みであるabentis、〈Back To Chill〉に所属し、国内外のダブステップシーンで活動してきたkarnageの2人が手掛けた6曲は、トラップやドリル、グライムの化学反応から導き出されたオリジナリティも相まって、アップカミングな才能を強く印象付けている。
NEIやhomarelankaなどとともに、名古屋における新世代の到来を加速させるnazcaとabentisがヒップホップに見るものとは果たして?
INTERVIEW:nazca、abentis
nazca
──2人は小学生の頃からの幼馴染みだとか。
abentis はい。ただ、僕らはずっと一緒にいたわけではなく、一緒にいたり、離れたりがあって。高校生の頃、nazcaはメタルにハマってたんですけど、一緒にカラオケに行ったら、かなり難しい曲を高いクオリティで歌い出したりして、当時、バンドをやってた僕はそれを見て、バンドをやってるやつらより遥かに高いレベルの歌に食らったりとか(笑)。
──ヒップホップにハマったのは高校生以降ということ?
nazca いや、僕は小学生の頃からですね。それこそ周りの友達のお兄ちゃんたちがキングギドラを聴いてた世代だったんで、RHYMESTER、餓鬼レンジャーだったり、日本語ラップが好きになって。中学からはアメリカのヒップホップ、高校の時はメタル、そういう時期を経て、5lackなんかが出てきた大学生の頃にまたヒップホップに戻ってきて、20歳になった2010年からラップをやってますね。
abentis 高校の時からパンクバンドをやってた僕は、20歳くらいの頃、ジャズがやりたくて、ジャズクラブで働くようになって、やってる音楽とやりたい音楽の違いにフラストレーションを感じていた時、スチャダラパーをきっかけにヒップホップを聴くようになったんです。それでトラックの作り方を調べたら、自分でも出来そうだなって。ちょうど、その頃、nazcaと何人かの友達でやってたLINEのグループで、ひたすらリリックを書くことにハマっていたので、みんながラップするなら俺は音作るわって。
──2010年というのは〈RCSLUM〉が始動した年ですよね。後に、<MdM>や〈D.C.R〉に派生していく名古屋の非主流ヒップホップ、その強烈な個性が広く認知されるようになっていくわけですが、2人にとって名古屋のシーンとは?
nazca 僕は24歳から3年くらい東京にいて、CampanellaさんやC.O.S.A.さんの情報は入ってきてはいたんですけど、名古屋の状況がどうなっていたのかは実感がないというか、そこまでの影響は……うーん、考えたことはないかもしれない。
abentis 僕もnazcaも<MdM>でCampy(Campanella)さんやC.O.S.A.さんのライブを客として観ていたりはしたんですけど、当時はクラブで遊ぶ習慣がそこまでなかったというか、出演者次第で遊びに行くというような感じだったんです。でも、ソウタさんやRamzaさんたちと知り合ってから分かったのは、ヒップホップはもちろん大事な要素だけど、純度100%のヒップホップのなかでヤバいことをやってやろうとしているようには見えなくて。ヒップホップ以外でもヤバいものを色々見つけてくるスタンスというか、個人的にはそういうところに強く影響を受けていますね。
──abentisのトラックはヒップホップに収まりきらない異質さがあるというか、もっと言えば、ベースミュージックからの影響を強く感じました。
abentis これまでテクノやベースミュージックはよく知らなかったんですけど、去年辺りから周りの友達でそういう音楽を聴くやつが増えてきて、そういう影響もありますし、近いところでヒップホップの枠組で音響的に面白いことをやっているRamzaさんのようなビートメイカーもいたりしますからね。あの異質な音響がダンスミュージックやベースミュージックから来ていることが分かってきてから、ベースミュージックのパーティを始めたり、あちこちでDJをやらせてもらったり、今回のEPはそういう流れのなか、もう一人のビートメイカーであるKarnageくんと出会って、出来たものだったりするんですよ。
nazca そう。Karnageはアベから紹介してもらったんですけど、彼はGOTH-TRADが主宰する〈Back To Chill〉に所属するダブステップのビートメイカーで、知り合って以来、ビートを送ってくれるようになって。その中からその時の気分で選んだビートで曲を作るようになったことが大きくて。あと、アベのビートに関して、YNG JOE$なんかはしっとりとしたアンビエントっぽいものを選んだりするんですけど、逆に僕はトリッキーな、クセの強いものを選びがちというか、そういうトラックじゃないとリリックが全然思い付かないので、今回の3曲も不思議なビートを選びました。
──では、nazcaからしてみれば、トラップ以降のグライムやドリルだったり、新しいサウンドを強く意識したわけではなかった?
nazca そう、意図したわけではなかったんです。ただ、自分がやれば、他とは違うものになるだろうなという自信があるので、周りを気にせず、ただただ好きなものを作っただけですね。
──その自信を裏付けるものというのは?
nazca 自分は服が好きで、高校生くらいの頃から自分のなかでこれだというスタイルがあるというか、自分の好きなスタイルで外に出るということを毎日していくなかで変な自信がついて、それが音楽だったり、自分の色んな側面に作用しているというか。
──abentisから見て、nazcaはどういうラッパーですか?
abentis 曲を作るにあたって、俺はこれを言いたくて仕方ないんだというものがあまりないんですけど、たまにふわっと強い意志のこもったフレーズが出てきて、ひやっとするというか、ゆるいのかシリアスなのかよく分からないところに独特なものがあるというか。でも、その強いフレーズというのは、nazcaが日頃から思っている確固たる自分の美学であって、それが曲を通じて透けて出てくる瞬間があるというか、その瞬間はどの曲にもあって、その瞬間こそがnazcaの音楽の核心部分という気がしますね。
──このEPの6曲を聴く限り、nazcaのラップは音遊び、言葉遊びに興じていたり、その語り口は全体的にのらりくらりとしていて、そんななかにセルフボースティングで聴き手をやんわり刺してくる“Pinokio”のような曲もあったりする。
nazca ははは。やんわり刺すか、確かにね。
abentis そういう感じはある。でも、刺す気があるのかどうかは怪しいですけどね(笑)。
──今回のEPで聞けるラップはどこか冷めたようなトーンであるのに対して、今年5月にMVを公開したYNG JOE$との“Rainywood”はメロディアスな、エモーショナルな曲だったじゃないですか。これはつまり、特定のスタイルにとらわれず、その時のトラックやテンションによって、エモくなったり、冷ややかになったり、色んなアプローチをしていくなかで、nazcaの一貫したセンスを際立たせていきたいということ?
nazca そう、まさにそれが自分の目指すところなんですよ。今回、作品についてやり取りしたり、色々教えてもらったりするなかで、ソウタさんがまさにそういう人だったんですよね。〈RCSLUM〉の方々とは挨拶程度でほとんど話したことがないので、レーベルについては語れないんですけど、ソウタさんはご飯作りにしても服着るにしても、何をやってもクオリティが高いし、センスが一貫している。そして、無骨なようで、描く絵が繊細だったり、文章も不良が書くような内容にナイーブな面が垣間見えたり、人としての振り幅が大きくて、そういうところが格好いいし、ぱっと見ただけで、そのヤバさがにじみ出ている人だなって。だから、そういう格好いい人が運営するレーベルから自分の作品が出せることになったのが嬉しかったです。
YNG JOE$ & nazca – Rainywood(Beat by BABY.M)MUSIC VIDEO
──同世代で共感を覚えるラッパーやビートメイカー、DJはいますか?
abentis 名古屋ローカルの話をすると、僕は、DJをものすごい本数やりながら、ビートを作っているBUSHMINDさんのスタンスに触発されて、月の半分くらいクラブにいる勢いで、自分のパーティをやったり、色んな箱、コンセプトのパーティでDJやっていて、そこにCampyさんがふらっと遊びに来たり、ソウタさんがDJやってくれたり、色んな人が入り乱れている感じですね。個人的にはその経験を作品に反映していきたいと思っていて、nazcaもそういうジャンル関係ない場で気まぐれにラップしたりするんですけど……。
nazca 僕はあまり夜遊びをしてないんですよ(笑)。ラッパーだと、YNG JOE$だったり、homarelankaと曲(“changez”)を出したContakeit、〈Pitch Odd Mansion〉のコンピに参加しているANPYOくん、ビートメイカーのFKDくんと一緒に曲を作ったりはしているんですけど、ラッパーやビートメイカーとの交流があまりなかったりするので、今回の作品をきっかけに、色んな人と繋がっていったらいいなって。
nazca『Paradox』
Spotify|Apple Music
〈RCSLUM〉──2020s
近年の〈RCSLUM〉は、2020年にドリーミーな多重録音を極める神戸のシンガーソングライターUG Noodleのアルバム『ポリュフェモス』、千葉出身のヒップホップユニット、ROCKASENのISSACによる初のソロアルバム『RESUME』を次々に発表しながら、地域性やジャンルを超え、さらに同年年末には京都在住で〈RCSLUM〉の熱烈な支持者が主宰するパーティ<CLUTCH TIME>とタッグを組んだコンピレーションアルバム『Sooner Or Later』を通じて、東海、関西の新世代ラップ/ビートミュージックを紹介。
UG Noodle『ポリュフェモス』
配信はこちらから
ISSAC『RESUME』
配信はこちらから
『Sooner Or Later』
配信はこちらから
この作品から派生する形で登場した名古屋のラッパーnazcaのEP『Paradox』に続き、来年1月には神戸のラッパーhyunis1000のアルバム『NERD SPACE PROGRAM』(来年1月予定)のリリースが予定されている。
今年9月にWarner Music Japan内のヒップホップ/R&Bレーベル〈+809〉よりratiffとのユニット、Neibissとしてフルアルバム『Sample Preface』をリリースしたばかりのhyunis1000が放つこの作品は、神戸の街で遊ぶ日々とそこで経験した気持ちのアップダウンをありのままに歌い綴りながら、スペーシーでメロウなタッチのトラック、そして仲間たちとアガっていこうというポジティブなマインドがまばゆい光を放ち、ここから始まりつつある新しい何かを大いに予感させる。
INTERVIEW FILE:hyunis1000【REPORT YOUR LOCAL KOBE】
これらの作品は、〈RCSLUM〉の変化をうかがわせるものであるが、音楽至上主義のスタンスは揺るぎない。かつて、『THE METHOD』のCD帯で表明した名文句そのままに、今までも、そしてこれからも音楽の話をし続けよう。
最後にATOSONEの言葉を紹介する。
レーベルを始めて10年以上の歳月が流れて、本当に色んな事があった。死にたくなる様な最悪な出来事や、落涙せずにはいられない様な最高の瞬間も何度も経験してきた。
Campanella、YUKSTA-ILLの様に誰が見ても理解できる結果を残してきた奴らもいるし、MIKUMARIやMC KHAZZ、NERO IMAI、TOSHI蝮のように地下で絶大な支持を得続けてるやつらもいる。BLOCKCHECKは相変わらずCOOLだし、あのHIRAGENだって帰ってきた。俺の4年間に渡る闘争も昨日、無事解決したし、名古屋の街から音楽が、HIPHOPがなくなる事があり得ないのなら、RCSLUM RECORDINGSはその先端にセンス良く、優雅に美しく居座り続けたいなと思っています(笑)。
Text by Yu Onoda
Photo by shogo folk sakai, TAKE, Tomoya Miura