高校で声楽を学び、LAに渡って本場のR&Bやヒップホップ、ジャズやポップスなどに触れたRISA KUMON。帰国後はプロデューサーのROROとともに〈R2 Recordz〉を立ち上げ作品をリリースするとともに、『R2 RADIO』というラジオとしても映像としても楽しめる番組を制作するなど、一人のシンガーソングライターとして、良質な音楽や日本文化を世界に発信するナビゲーターとして、インディペンデントな活動を続けている。

そんなRISAがニューシングル“Free”をリリースした。シルクが舞うような美しさと包容力に満ちた歌声に、心と体が癒され解けていく。今回はこれまでラジオで誰かにインタビューをすることはあっても、自身のことはあまり言葉で話してこなかったRISAに、経歴や音楽に携わる者としての考え方、“Free”の魅力などについてインタビュー。取材に同行していたROROにも話を聞くことができた貴重な機会となった。

INTERVIEW:RISA KUMON

インタビュー|佐世保からLAへ、“私らしさ”を求めたRISA KUMONの音楽の道 interview220906-risakumon-04

視力の低下、音楽専門学校、そしてLAへ
RISA KUMONの音楽的背景

──まずはRISAさんが楽器を演奏したり歌ったりするようになったきっかけを教えていただけますか?

RISA 3歳くらいのときに失明したことが最初のきっかけです。そこから少し視力が戻ってきた頃に、弱視なぶん聴覚に特化したほうがいいと、音楽好きの両親がピアノを習わせてくれたり、いろんな音楽を聴かせてくれたりしました。その頃はオールディーズ、なかでもバラードやラバーズレゲエなど、リラックスできる音楽が好きで、そこからさらにいろいろと聴き進めていくうちにジャンルを発見する喜びを知ったんです。「こういうテイストもあるんだ」、「こんなリズムもおもしろい」とか「言い回しにもいろいろあるんだな」といった感じで、新しい作品に出会うことがほんとうに楽しかった。

──なかでも印象的だった作品は何ですか?

RISA 音楽作品ではないのですが、小学校から中学に上がる頃に、映画『天使にラブソングを 2』を観てローリン・ヒル(Lauryn Hill)の歌声を聴いたことですね。すごくソウルフルで大きなパワーを受け取ったような感覚になって、全身に鳥肌が立ちました。そして劇中でフィーチャーされていた、ゴスペルやR&B、ヒップホップというジャンル/カルチャーを好きになったことで、子供の頃から家で流れていたそれらと繋がりの深いレゲエやジャズなどもさらに掘り下げるようになりました。自己主張のある音楽、伝わるソウルを持っている音楽に惹かれるんです。

──歌を始めたのはいつ頃からですか?

RISA 歌うことはずっと好きでしたが本格的に始めたのは高校に入ってからですね。音楽科がある学校で最初はピアノを専攻していたんですけど、自分のなかで「歌うことのほうが好きかも」と思うようになってきて。とは言えクラシックの学校だったので私の好きなR&Bなどを学校で学ぶことはできず、声楽を選びました。

初めて人前で歌ったのもその頃で、友達がピアノを弾いてくれて、マライア・キャリー(Mariah Carey)の曲を披露しました。あと、私の地元長崎県の佐世保はアメリカのカルチャーが根付いていて、ジャズなどを演奏している場所がけっこうあったので、私もバンドに混ぜてもらって歌っていました。

──佐世保はどのような町なのですか?

RISA 日本でいちばんベース(米軍基地)の人と地元の人の仲が良いと言われている町です。長崎は歴史的にカトリックが多いということもあると思います。海軍のビーフシチュー、レモンステーキ、全国的にもご存知の方も多い佐世保バーガーのもとになったハンバーガーなど、アメリカの食べ物も子どもの頃から食べていました。2kmあるアーケードや公園にはブロックパーティーじゃないですけど、ダンサー、スケーターやBMXをやっている人などが集まっていて、DJが音楽をかけている。私もそこでよく歌っていました。

──その後の渡米もある意味必然だったと言えますね。

RISA 私がいた高校の音楽専攻の人は基本的に音大に進むんです。でも私はクラシックを音大で学ぶより、並行して学んでいたフラワーアレンジの専門学校に進むことにしました。両親がお花関係の事業をしていたのもあり、お花や植物は私にとって音楽のように自然なもので好きだったんです。そこで両親の勧めもあってオランダ留学の話が出てきたんですけど……。

──長崎と言えばハウステンボス(オランダ村)、花ということですか?

RISA そうですね、父もオランダにネットワークがあって、でも私は留学をするなら英語を勉強したいから、アメリカに行きたいと話しました。

──そこでなぜLAだったのですか?

RISA NYと迷ったんですけど母がNYは大都会すぎて心配だって。とりあえず行くならLAに3カ月ほど、ということになりました。でも3カ月では足りるはずもなく、いったん帰国するもすぐに戻って3年くらいいました。結果、LAでよかったと思います。私は長崎という西の出身。アメリカの西と東も日本の感じと似ているんですよね。西のLAは九州のようにレイドバックしていて過ごしやすい。フレンドリーな人も多い。東のNYは大雑把に言えば東京みたいで、街も人も忙しいイメージですね。

──音楽性の違いもありますよね。

RISA そうですね。ウエストはレイドバックしていて開放的。イースト/NYはコンシャスとかスタイリッシュといった言葉がはまるような音楽が多い。サウスはベースが強くて跳ねていてダンサブルみたいな。

──LAではどんなことを学んでいたのですか?

RISA 大きな音楽学校ではなくパサデナにあるプライベートスクールに通っていました。音楽の理論的なことはクラシックを学んだ段階で程度わかっていたので、自分の好きなジャンルにおける実践的なことを勉強しました。K-Ci & JoJoのバンドメンバーに作曲のディレクターとしてついてもらい、曲をコンポーズするやり方を教えてもらったり、現役のゴスペルシンガーからパフォーマンスやボーカルアレンジについて学んだり、とても充実していました。

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ROROとの出会い
共通した音楽と向き合う感覚

──帰国後ともに〈R2 Recordz〉を立ち上げたROROはサウスのフロリダ出身ですが、どこで出会ったのですか?

RISA ROROとは沖縄で出会いました。ミックスの孤児をサポートするチャリティーイベントがきっかけで、出演者同士音楽の話をしていたらすごく気が合ったんです。ROROはプロデューサーで私はシンガーソングライター。じゃあ一緒に何かしようという話になり、曲製作や共演しているうちに自然の流れで〈R2 Recordz〉を立ち上げました。

──ROROとは好みが似ていたのですか?

RISA 好みもそうですけど、音楽と向き合う感覚が近かったんです。ちょうどそのときソウルジャ・ボーイ(Soulja Boy)がヒットしていて、ROROに「どう思う?」と訊かれたことはよく覚えています。ソウルジャ・ボーイが世に出てきた頃、彼のスタイルはヒップホップやラップの歴史・カルチャーと向き合い、コンシャスな表現している人からすると異質というか、受け入れ難い存在でした。

──ネタみたいな感じですよね。

RISA そうですね。子供向けでダンスも誰でも真似できるようなことをやっていた。それに対して私は「彼が受け入れられない理由はよくわかるけど、自分の個性をうまくマーケティングしていると思う」と答えたら、「そういうところまで見ているんだね」と言ってくれました。お互いどこかに偏ることなく、一つの物事をいくつかの角度から見るタイプなんです。そしてソウルジャ・ボーイが来日した時に私たちがオープニングをすることになったところまで、今思うと我がことながら興味深い展開だったと思います(笑)。

──そして2013年にはRISAさんも共作者に名を連ねるROROのファーストアルバム『Road To Success』をリリース。ミュージックビデオにもなっているRISAさんがフックを歌う“Doesn’t Mean I’m Lost”は、熱のこもったROROさんのラップとスムースなRISAさんの歌のマッチが印象的なヒップホップとR&Bのコラボナンバーです。

RORO この曲は私がまだアメリカと日本の間を行ったり来たりしていた頃にビートを作って、フックのメロディをRISAに歌ってもらうようにお願いして、というやり取りを繰り返して制作しました。「ネバー・ギブ・アップ!」と叫んでいるところは、実際に釣りの大会で大逆転優勝して興奮している人の声を録って使っています(笑)。

RISA 負けそうな状況でもまだ負けと決まったわけじゃない。その熱がユーモラスに、表現できていると思います。

Doesn’t mean I’m lost feat. Risa Kumon

──そういった作品のリリースだけでなく、『R2 RADIO』のような、カルチャーを伝える取り組みもされています。

RISA 『R2 RADIO』はもともとROROが福岡のLOVE FMでやっていた番組「RORO RADIO」の延長版です。

RORO エンターテインメントは音楽を作ることだけじゃない。アーティストから見た音楽やアートの魅力を伝えることができたら面白いと思いました。

RISA 例えば、かつてのヒップホップのファッションと言えばオーバーサイズというイメージがあるじゃないですか。それは誰かのおさがりだからとか、帽子の被り方は気分のサインだったりチームの分け方だったりするとか、そんなHIPHOPカルチャーの話をしていました。

RORO あとは日本人が持っていたヒップホップに対する固定概念を崩したかった。声の大きな人が「Yo! Yo!」みたいな。

RISA 実際ROROはラップもするけどすごくチルな性格ですし。そういうウンチクって、私もそうなんですけどけっこうみんな好きじゃないですか。だから番組は好評で、東京のInterFM897でやることになったんです。そしてROROは引き続きヒップホップやトレンドの話、私はソウル、R&Bやジャズの話をよくしていました。

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国際的な活動を経て“Free”に込められた「私たちらしさ」

──そして、その『R2 RADIO』をLAのヒップホップレジェンド、The Pharcydeの『Pharcyde TV』からも発信するようになりました。彼らとの出会いはもしかしてRISAさんがLAにいた頃ですか?

RISA いいえ。日本に帰ってきてからです。彼らがBillboard Live TOKYOに来た時に、『R2 RADIO』でインタビューさせてもらったんです。そこで、『Pharcyde TV』はUKやオーストラリアで作った番組も流していたので日本でも何かやろうという話になり、『R2 RADIO』を映像化することになりました。

──アメリカのミュージシャンは、音楽を作ること以外の企画やビジネスを考えることも上手なイメージがあります。

RISA その背景にはアメリカの環境やカルチャーが影響しているように思います。日本では私たちの時代も、たぶん今もまだ、個性を出さないように教えられる、というのは言い過ぎかもしれませんが、普通に、安全に敷かれたレールの上をみんなで歩くことが正しいという風潮は強いと思うんです。一方、アメリカは、多民族の文化からか、独自性や個性が注目されますし、互いに意見を発言しあう教育をします。だから個性や独自のアイディアや発言が尊重されますし、逆にそれが出来ないと置いてけぼりになる。その分、発言や行動の先は自己責任という厳しさはありますが、自分で考え、納得した道だからこそ自信を持って実践していける。ミュージシャンの場合、誰かについていくのか、自身で道を作るのかの選択になったときに音楽だけのことを考えていては可能性が限られてくる場合が多い。成功のためにとるべき行動を考えれば、もっと広いビジョンを持って可能性を広げていく行動や思考は自然の流れになるのでは?と思います。特にアーティストは表現者であることから自由な発想も得意ですしね。

──RISAさんは海外のアーティストやROROとのコミュニケーションのなかで、どんなことを得ましたか?

RISA 私は両親から音楽がある環境を作ってもらい、佐世保出身でインターナショナルな交流の場もある環境で育ちましたが、同時に子供の頃から学校や世間での日本独特な常識や規則に対して疑問を感じることも多くありました。ありがたいことに、進学や留学することに対して私の意思を尊重してくれる両親の理解があったので、世界に出て物事をみるしかないと思い、新しいことに一人でチャレンジすることにしました。
そこでLAで出会った人達や経験から多くを学んだんです。私の場合は、型にはまらない、自由な表現者であり集団行動に向いていない事から、私がやりやすい方法で、私に向いた思考で活動をすることで自分が何者かを受け入れるようになりました。独自の道づくりは楽ではないけれど、チャンスやチャレンジをいかにプラスに変えていくか、ということを常に考えるようになりました。その面は、ROROとも意識が似ていますね。自身を受け入れ、個性をプラスに伸ばす。皆と違うことは短所ではなく個性である。

RORO 話は少し逸れるけど、外国人という目線から、日本人はもっと日本らしさを世界に打ち出していって欲しいと思います。その余地が、まだたくさんある気がするんです。と言うのも、私のような外国人が日本にしかない素晴らしい文化や音楽に興味を持っても、あまり知る術が少ないと感じます。日本らしさを大きく堂々と海外に見せつけて欲しいですね。

RISA そこで私の最新シングル“Free”では、衣装やミュージックビデオから和やアジアを感じられるようにしました。

Risa Kumon – FREE | Official MV

──『Pharcyde TV』でも和楽器をフィーチャーしていましたよね。今回はなぜ“Free”を選んだのですか? 原曲はデニス・ウィリアムス(Deniece Williams)で、多くのアーティストがカバーしていますが。

RISA 私はシャンテ・ムーア(Chante Moore)のバージョンから入って、原曲もよく聴いていました。提案してくれたのはROROで「RISAに合うんじゃない」と言ってくれたんです。選曲を決めている時期がちょうど緊急事態宣言中だったので、“Free”というタイトルや私のパフォーマンスから心の解放を感じてもらえたら嬉しいなとも思っていました。

そこからミックスやマスタリングにもとことん拘りたくなって、アメリカのリスペクトしているエンジニア達にお願いしたんです。ミックスはちょうど今年にグラミー受賞されたIrko(註:2022年度グラミー受賞ミキシングエンジニア(アルバム“Donda” by Ye (カニエ・ウェスト))に、マスタリングはローリン・ヒルやTLC、アリシア・キーズ(Alicia Keys)など多くのスター達の作品を手掛けたベテランのHerb Powers Jrです。ミキシングが大変だったんですが、最終的には先ほどお話したROROと私の共作“Doesn’t Mean I’m Lost”でご一緒した方がうまく仕上げてくれました。

──原曲のテイストを大切にしつつ、お二人ならではのグルーヴが出ている。そしてRISAさんの歌声がシルクのように美しく、包容力があってまさに心が解放されます。

RISA まずは原曲の浮遊感から感じる自由を膨らませたかった。そこにちょっとジャジーなピアノアレンジを入れたり、グルーヴを出すためにベースを上げたり、細かいところにこだわることで私たちらしさを出していきました。

──私たちらしさとは?

RISA 私たちはいつも、曲の発するバイブスや波動を大切にしています。なぜならクオリティタイムに聴いてほしいから。今回は、誰かの大切な時間を邪魔しない角のないウェーブと、それでいてしっかり伝わる強さを両立できたように思います。

RORO RISAの声はバラエティ豊かなところが魅力。それに対して今までの曲は、比較的トーンが安定的だったというか、もっともっと彼女のボーカルとしてのポテンシャルを引き出せると思いました。そこでしっとり歌っているバックグラウンドに高音を入れるなどの工夫を凝らし、すごく豊かな声が堪能できるシングルになったと思います。

──音源については、2016年の『Christmas Covers』と今回の“Free”、あとはYouTubeで聴けるカバーなど、ゆっくりマイペースにリリース/公開されていますが、ここから先、考えていることはありますか?

RISA まずはFREEのシングルに続いて、アルバムをリリースする予定です。私がこれまでに影響を受けた音楽やカルチャーを吸収したサウンドが詰まった作品となる予定です。その他にも、溜めている楽曲やアイディア企画があるので、ROROとのコラボ曲も含め、タイミングを見てお披露目していきたいと思っています。そして、グローバルアーティストとして、私が思う日本らしさを海外に伝えていきたいですし、日本・海外でのツアーもしていきたいです。

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Text:TAISHI IWAMI
Photo:柴崎まどか

PROFILE

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Risa Kumon

実力派の日英バイリンガルシンガー・ソングライター。

「声」と「エネルギー」で独特な安定感と壮大な世界感を表現するインスピレーショナルアーティスト。主にR&B/Soul/Jazz/Pops/Worldなど幅広いジャンルを独自にアレンジしている。出身は長崎県佐世保市。幼少の頃、麻疹により一度失明し、その後、奇跡的にわずかな視力を回復するが、後遺症として二次性網膜色素変性症(弱視・視野狭窄・夜盲症)を持つ。両親の意向によりピアノレッスンと普通教育を受け、専門学校卒業後、単身でロサンゼルスへ留学し、現地の音楽家やプロデューサーと音楽活動を経験。米国R&Bグループ K-Ci & JoJo のバンドメンバーにレコーディングのディレクションを受ける。帰国後、売国HIPHOPアーティストのROROと共に国際音楽レーベルR2レコーズを設立し、音楽製作、国際番組製作「R2 Radio」「Risa’s Select」を開始。

また、FOXジャパン企画フェスや米軍基地・米大使館などでのイベント他、中洲ジャズフェス、福岡アジアンコレクションFACo等にメインアクトとして出演するなど国際関連イベント・メディアにて活躍。2016年にリリースされたクリスマスEPでは、iTunes StoreのJAZZトップソングにて1位を獲得。総合トップソングにおいては20位にランクインし、海外での人気度を上昇させている将来性が高い今注目の国際アーティストである。2022年6月にデニース・ウィリアムス「FREE」をアレンジして配信リリースすると、日本とアメリカのR&B/ソウルチャートにおいて、iTunes Storeではトップ10、Amazon Musicではトップ3にランクインした。

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INFORMATION

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FREE

2022年6月22日(水)
RISA KUMON
JAN code: 4595641630014
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