<フジロック>の目玉の1つとして、毎年オフィシャルグッズを楽しみにしている人も多いのではないでしょうか? 今年の<フジロック>でも様々なキャラクターとコラボしたオフィシャルTシャツが販売されています。大人気グッズのひとつに<フジロック’15>×岩盤と『鉄腕アトム』のコラボTシャツが登場しています! そしてフジロック・オフィシャルショップ岩盤による新たなウェブメディア「富士祭電子瓦版」では、そんな『鉄腕アトム』を生み出した手塚プロダクション取締役で、プランニングプロデューサーの手塚るみ子さんが登場。実は生粋のフジロッカーだと言う手塚るみ子さん、<フジロック>の魅力や手塚作品と<フジロック>の親和性等を語ってくれました。今回もインタビューの一部をチラ見せしちゃいます!
text by Qetic
各界のキーパーソンたちに<フジロック>の魅力を語り尽くしてもらうこの企画。今回登場するのは、手塚プロダクション(以下、手塚プロ)取締役で、プランニングプロデューサーの手塚るみ子さん。
手塚さんの父親は、日本の漫画の父として世界中からリスペクトされる手塚治虫氏であることはもはや説明不要だろう。手塚プロの作品といえば、『鉄腕アトム』をはじめ、『火の鳥』『ブラック・ジャック』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』など、どれもが名作揃い。手塚氏が亡くなった後、るみ子さんは現代のコンテンツマーケットにおける手塚作品のプランニングやプロモーションを国内外で果たしている。その一環として音楽レーベル〈MUSIC ROBITA〉を設立するなど、異業種とのコラボレーションも積極的に取り組んできた。すべては手塚作品を未来に伝えていくために。
そんなるみ子さんは、実は大の音楽好き。しかも<フジロック>の常連参加者であり、いわゆるフジロッカーなのだ。今回はるみ子さんの<フジロック>にまつわるエピソードだけでなく、手塚作品と<フジロック>の親和性について語ってもらった。まずはインタビューの前編からお届けするが、最後には後編の導入部として今年の<フジロック>についてあるトピックに触れられている。果たして、その内容とは?
Interview:手塚るみ子
朝から晩まで音楽漬けになれる。それが<フジロック>の一番の魅力。
——今年の<フジロック>、手塚さんは参加されるんですか?
もう3日間通し券を買いましたよ。
——先行で買っているんですね。
でも、3日間じゃ済まないですよね。前夜祭の木曜日から、日曜が明けた月曜日の帰りの締めは越後湯沢駅の前で蕎麦を食べて、ぽんしゅ館で日本酒を飲んで帰る。そこまでが私の<フジロック>なので。
——<フジロック>にはいつ頃から参加しているんですか?
1997年の最初からです。天神山のあの豪雨の<フジロック>から。野外フェスは<RAINBOW 2000>がはじめてですね。でも、あれはどちらかというとテクノフェスに近いじゃないですか。いわゆるロックフェスの最初は<フジロック>です。
——それから2年3年と連続で?
いえ、苗場に移ってからはしばらく行きませんでした。天神山で心が折れたというか。基本的に野外フェスは好きなんです。空が広がっている大自然の中に音楽好きな人たちがいて、周りを見渡すとアーティストが大音量でライブをやっている。この大地・人間・音楽・宇宙という構図がものすごく気に入って、それから野外フェスに行くようになったんですね。第1回目の<フジロック>にも当然それを期待して行きましたが、ご存知の通りの悪天候だったじゃないですか。まだお客さんはあの悪天候に耐えられる状況ではなかったですし、それから野外フェスに足を運んで雨の日も雷の日も体験して、自分をどう守るかを学んだと思うんです。第1回目の<フジロック>では主催者も参加者もすべてがまだ慣れていないところがあったので、いろいろな面でみんな痛い思いをしましたよね。
——では、何年前から苗場に参加するようになったのですか?
2003年にアンダーワールドを目当てで行きましたね。気持ちがロックフェスから離れてもクラブシーン寄りのフェスには行っていましたから、2003年にアンダーワールドが<フジロック>で来日するということにものすごく惹かれて。それで苗場に行くと決めてからは、ほぼ皆勤賞かなと。
——はじめての苗場はどうでしたか?
会場の環境としては非常に広くて、他のフェスと比べても解放感が全然違うなと。ステージ間の距離もありますけど、あの規模のフェスは他にはありませんし、そこが面白いところですよね。今振り返っても2003年のアンダーワールドとビョークが来日した回はものすごい数のお客さんが来ていた印象がありますよ。
——そこで<フジロック>の魅力を再発見してからは、ほぼ毎年参加しているんですね。
そうですね。3日間開催されるので、私は1日とか2日だけではなくて、とにかく3日間音楽三昧。朝から晩まで音楽漬けになれるというのが<フジロック>の一番の魅力なんです。毎朝起きたら「今日は何を観よう」とか頭の中に音楽のことしか入っていない状況が3日間も続く。<フジロック>の3日間だけは他のことを何も考えなくていい。それが一番の楽しみとしてハマりました。
——なるほど。3日間、がっつりとライブを見る感じなんですね。
最初の頃はタイムテーブルに赤線を引いて、ここの移動がどのくらいの時間とか計算しながら観ていましたけど、最近はすっかり年を取ってしまってきつくなりますね(笑)。<フジロック>は相当広いので、どうしても全部のステージを網羅できないですよね。希望通りにシミュレーションしていても追い付けなくて、「もういいや」って諦めることもあります。でも、そこがまた楽しいんだと思います。
——今まであの会場の中で印象的な事件とか出来事はありますか?
プライベートなことで申し訳ないんですけど、あれだけの人が参加しているので、友達と「現地で会おうね」って約束しても会えた試しがないんですよ。待ち合わせ場所に行ってもそこにすごい人がいたり、「●●のステージのモッシュピットで会おうね」と約束しても絶対に見つからない。でもなぜか、昔付き合っていた男の人には必ず会うっていう(笑)。しかも、それがアラヤヴィジャナ(AlayaVijana)というバンドを自分の〈MUSIC ROBITA〉というレーベルからリリースしていたときに、一度<フジロック>に出演させていただいたんですね。演奏が良かったので、ライブを観た人たちがCDを買いに集まってくれた中、ふとCDを渡したのが彼だったんです。それから必ず見かけるんですよ。キティ・デイジー&ルイスのライブのときも、C・J・ラモーンのモッシュピットにいたときも、ふと横を見るといるんです。リッチー・ホーティンのときもそう。
——特に言葉は交わさないんですか?
まったく。ちょっといい別れ方をしなかったので(笑)。もう別れて何年も経っていますけど、実はその彼が第1回目の<フジロック>に一緒に行った人なんです。2人で痛い思いをして帰ってきて、その翌年に別れたのに、2003年から苗場に行くようになって必ず見かけているっていう。ものすごくプライベートな話ですみません……。
——いやいや、貴重なエピソードをありがとうございます(笑)。手塚さんは地球環境のラジオ番組をされていましたが、<フジロック>は日本最大規模であると同時に、世界一クリーンなフェスとも呼ばれていますよね。環境という面で、参加者の中には大自然のロケーションを守りながら音楽を楽しむというのが浸透していると感じますが、手塚さんにはどう映りますか?
<フジロック>が発信するメッセージを多くのお客さんが学んでいますよね。環境問題は世界的に言われていることだけれど、いざ日常生活になると、頭では分かっていても身近な問題としてはそれほど感じられないと思うんです。ところが<フジロック>の会場に行って、「ゴミを分別してください」とか言われると、自分の問題として密接に、ゴミを分別して捨てる。<フジロック>という社会の中ですごく発信してきたことをみんなが守っているんですよね。ボランティア、協力団体の皆さんも一丸となって取り組んでいる姿勢に対して、お客さんには感謝の気持ちがある。ただ、少し飽和している感じがここ数年はあるかもしれません。海外のフェスに比べたら、まったくクリーンだと思うんですけど、10年以上も苗場で発信してきた中から学んで習慣づいてきた人とは違う、新しい世代のお客さんが来ていますよね。<フジロック>はこういうものだと先輩方から聞いていながらも、少しずつだらしなさが観客側に出てきてはいるんだろうなと思います。
——たしかに。
特に過酷な天候に戦いを挑むことになると、どこかでちゃんと律していられない部分が出てきますし、いいやと思ってしまう。そこに、ゴミの問題が出てきてしまうんだろうなと。浸透していた<フジロック>ルールが違う世代が入ってきたことによって、なかなか上の世代から下の世代に受け渡すという流れにはなっていないのかもしれませんね。
text&interview by Shota Kato[CONTRAST]
photo by Chika Takami
★手塚治虫にインスパイアされて新しい何かを作ることの面白さ。
インタビュー続きはこちら TALKING ABOUT FUJIROCK:手塚るみ子