35歳を迎えた孤高のエンターテイナー・高岩遼が、自身の誕生日に放った一発録りのブルースナンバー“なにもない”。ピアノと声だけで紡がれたその叫びは、ジャズと人生を重ね合わせてきた彼の現在地を鋭く刻みつけた。そして9月26日、7年ぶりとなるフルアルバム『TAKAIWA』がついにリリース。SANABAGUN.、THE THROTTLE、INFといったプロジェクトを経て、ジャズ、ブルース、ヒップホップ、ロック、テクノ……あらゆるジャンルを飲み込み続けてきた高岩が、原点のジャズに立ち返って放つ最新作。今回は『TAKAIWA』の全曲解説のみならず、自身の過去・現在・未来を、これまでに例がないほどに包み隠さず吐露するロングインタビューをお届けする。
INTERVIEW:高岩遼

自ら広げた風呂敷ゆえの葛藤
辿り着いた“JAZZLIFE”の現在地
──少し前ですが35歳の誕生日おめでとうございます。節目の年を迎えたわけですが、まずはアルバムの話の前に近況を聞きたいです。何か大きなトピックはありましたか?
大きなところで言うと、引っ越しですね。大学を卒業してから川越に1年いたあと、都内で10年暮らしてきました。そんな中で先日、上京後初の長期間、実際は10日間にわたって地元(岩手県宮古市)に帰ったときに思うところがありまして。俺はもともと(身近にあったのは)海だし、山だし、東京で10年暮らしてきたし、やっぱり住むなら自然のある場所じゃないかと。宮古から帰ってきたときに、自分自身の魂のエネルギーが枯渇していることに気づきました。
そこからすぐに物件を探して、都心から離れた自然豊かな土地に引っ越しました。9月からもう暮らしていますが、スタジオは引き続き都内にあるので行ったり来たりしています。
──かなり大きな変化ですね。McGuffinの動画(【高岩遼に密着】故郷・岩手県宮古市を巡る旅)を拝見しましたが、引っ越すことは地元に帰る前から考えていましたか?
いやまったく。出勤みたいな感じでスタジオに行けるのもいいなと。あとクルマとバイクが好きだからっていうのもあります。という、今回のプロローグです。
──驚きました。このタイミングで環境を変えようと思った一番の理由は?
McGuffinの動画の中でも言いましたが、“なにもない”けど“なにかがある”っていうのが、すごくワイルドだなと。俺は高3まで市外で暮らしていましたが、おじいちゃんおばあちゃんが亡くなってから移った母の家があって。母がどういう暮らしをしていたのかは、今まで(地元に帰ったときは)弾丸だからよくわからなかったけど、改めてその背中を見てイケてるなと。
なにもない日常だけど、すごく丁寧に暮らす姿があって。一方で自分は、東京の排気ガスと喧騒にまみれて。家とスタジオの往復みたいなのもミュージシャンって感じがしていいですけど、そもそも俺のDNAにあるものは、母みたいな暮らしだなと思ったところが大きいです。
あとミュージシャンとして、とても大事な選択が近くなってきている気がしていて。住まいを変えることは、これからの自分のためにというところが大きいですね。ただ隠居暮らしをしたいわけではないので、都内に出て来られるところにはしようとは考えていました。

──今回のインタビューは、過去の高岩遼を振り返りつつ、最新アルバムの『TAKAIWA』に繋げたいと思っています。まず、20代のころの自分を思い返すことはありますか?
全然。それに過去の話をすげえ忘れている俺がいるという。よくないですね。
──なるほど。ただ今回の『TAKAIWA』を完成させるにあたって、ソロ名義でのメジャー・デビュー・アルバム『10』(2018年)は改めて振り返ったのかなと。『10』のときもインタビューさせていただきましたが、当時の自分を客観的に見てどう思いますか?
あのころはデカいことをしたいみたいな気持ちが強かった。大学のときにRyo Takaiwa With His Big Bandというビッグバンドを組んでいて、そのときにメンバーでいたのがSANABAGUN.の(髙橋)紘一や(谷本)大河、あと今回の作品でも叩いてくれた(橋詰)大智や、“ロジィータ”っていうオリジナル曲でサックスを吹いてくれた(市川)海容とか。上京して初めて組んだビッグバンドスタイルでデカいことをやりたいという流れで、『10』を出した経緯があります。
当時はサナバもガッと来ていて、今の俺ならすべてが手に入るみたいな、そんなイメージがあったのかもしれない。驕っているつもりはまったくなかったけど、注目されることが当たり前になってきたときに、人間って調子こく。当時の俺は100%で音楽と向き合えていなかったというか、自分としては向き合っていたつもりだったけど、どちらかというと「スタイルとかも含めて高岩遼でしょ」みたいに、セルフプロデュースをしていた部分が大きかったかもしれません。

──良くも悪くも固まっていた高岩遼というイメージにとらわれていたと。
はい。ただその重荷が取れたときに、今度は「なにを歌ったらいいんだ俺は」って自暴自棄になって、ここ1年はすごく悩みました。それは相方がよくわかっていて、「こんなに悩んでいる高岩は見たくない」って言われたくらい。自問自答、葛藤の1年で。
『10』にもありますけど、「35歳で死ぬ」っていう予測が俺にはあって。今35歳イヤーなので慎重に生きようと思いますけど、そもそも35歳まで生きられるかどうかを疑問視しつつ、35歳になったら俺は死んで生まれ変わるっていう感覚もあったりしました。だから今は、いろいろなものがこの1年で取れて、すっきりして、けっこう最強モードに入っている気はします。

──過去にしたインタビューの中で、もうひとつ記憶に残っているものがあって、それはコロナ禍のとき。あのときは30歳で自叙伝を出して、翌年に三軒茶屋で「Brother」をオープンして、YouTubeも始めて、“何兎も追う”みたいな時期だった印象があります。
そうですね。振り返ると高岩遼という風呂敷を広げて、SANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZ、KMKやって。そこからdown by law 梯もあって、30歳で自叙伝を書いて、Brotherを始めておもちゃ屋もやっちゃって。NSRCとかもあった。めちゃくちゃやったじゃないですか。しかも俺の場合、浅く広くじゃなくて深く広く、本格的に全部やって。
──コロナ禍以降、しばらくなんでもやるみたいな流れは続きましたよね?
続きました。結果、体と心がぶっ壊れた。別れもそうだし、Brotherがなくなってしまった結果も含めて、カッコばかりつけていたってことですね。結果的にそういう迷惑が、バンドにもいって。でもまぁ「余裕でしょ」っていう気持ちもあったし、そこまで鬱的ではなかったかもしれないけど。別に誰のせいでもないし、俺のせいだから。自分で風呂敷を広げてきただけなので。
改めて振り返ると、カッコつかないなっていうことをずっと避けていたのかもしれない。そこが一番の弱さであり強さであり、カッコ悪い部分を見せられなかったことで、自分の首を絞めていた。その意味で今回の『TAKAIWA』は、まったくカッコつけないものを出せた。これが俺だって思えたので、ようやく次のフェーズに突入みたいな感じじゃないですか……しょうもない!

──「しょうもない」と言えることが大きな変化ですね。これまでの高岩遼は“JAZZLIFE”の表現方法ということでさまざまなことを回収していたように見えましたが、今は“JAZZLIFE”に真っ向から向き合い、音楽のみで表現したのが『TAKAIWA』という作品だと感じました。
うれしいっすね。まあ逃げ場がないし、これが俺にとって歌うことなのかなと。『10』で歌うジャズのスタンダードでは出せない深みが出たし、人生だなと歌って思いましたね。

INFを1年半やって、ダンスミュージックもジャズだという落としどころが見つかった。それで言うと、35歳になったからジャズをやろうっていう考えはまったくなかったです。今までの俺だと35歳でジャズをメモリアルで出すのがおいしいだろうっていう考え方だったかもしれないですけど、音楽的にさまざまなものを経て、「俺の歌って何なんだ?」と考えたらジャズだったっていうだけで。そこが今までと大きく違うかもしれない。自由がそこにはありました。

シネマティックな原点回帰と伏線回収
高岩遼は「スターになると思います」
──ここまでの話を聞いていると、35歳のタイミングで『TAKAIWA』に辿り着かない、またはまったく別の活動の仕方をしている世界線もあったかもしれないと。
あったと思います。特に今回、“My Way”をレコーディングしましたが、後期のシナトラを僕は嫌いなのでこれまでは歌いませんでした。ただし今回は日本人のジャズボーカリストとして、“My Way”を歌おうと。ここまでの経験からカッコつけも剥がれて、「お前35のペーペーだけど、カッコつけずに“My Way”もレコーディングすればいいんじゃない?」って感覚です。
──『TAKAIWA』の制作が本格的に動き始めたのはいつ頃ですか?
構想は春前くらいからありましたが、実際に着手したのは宮古に行く前。ただ何も出なくなってしまった。「俺のソロで何をやる?」って考えたときに、「武器がいっぱいあると思っていたのに、なにもないのかも」って思いました。なにが高岩らしいのか、出てこなかった。それで静養も兼ねて宮古に行っていいですかって。ただ東京に帰ってきてもなにも出てこない。
それでSAKIちゃんに相談したら「頭でっかちに考えずに自分のルーツを辿ればいいんじゃない? ピアノに向かってみなよ」って言われて。「OK、じゃあレイ・チャールズだな」って感じで作ったのが“なにもない”です。この街と今の俺の心境が合わさった瞬間がありました。

──それで言うと『TAKAIWA』に関しては、「ジャズでアルバムを作ろう」ということではなく、「なにもないからジャズのアルバムになった」ということでしょうか。
そうですね。なにもない俺が歌うならジャズしかない、愛したジャズのスタンダードを歌おうと。宮古に6月中旬に行って、そこから帰ってきてほぼ1ヵ月で仕上げて。そもそもコンボのジャズでやるなら一発録りなので、レコーディングも2日間ですべて終えました。
──制作のスタートはオリジナル曲(“なにもない”と“ロジィタ”)からですか?
いや、俺が今のテンションで歌いたいスタンダードから選んでいきました。“ロジィタ”はINFが発足してすぐ、SAKIちゃんがデモで持ってきた曲。俺はすごく好きだったけど、INFの方向性とは違うということで表に出なかった曲で、実はそのタイミングで歌詞もありました。実は「ロジータ」って、とある町にある喫茶店の名前。マスターがコーヒーを出すのに5分くらいかかる喫茶店でしたが、すごく素敵なお店で、そこで思うことがあって書いた歌詞です。
──今回は高岩遼の今を凝縮したようなアルバムですし、それぞれの楽曲や曲順にも注目すべきポイントが多そうなので、この機会にぜひ本人の口から語ってほしいです。
先ほど過去は振り返らないと言いましたが、俺としては7年前の『10』を引っ張った先にあるのが今回の『TAKAIWA』。というのも俺は、映画的な「伏線」がすごく好きで。
『10』の最後が“My Blue Heaven”という曲で終わり、『TAKAIWA』は1曲目が“The Verse”という俺の語りのみ。そこで何に触れているかというと、「私の青空ってジャズだよね」ということ。“私の青空”ってエノケン(榎本健一)さんの昭和の歌でありますよね。あれは家の歌で、俺にとってはジャズがルーツでありホームだということを、まず1曲目で語っています。
そこから2曲目の“Blue In Heaven”はブルースで、メンバー紹介のイントロとしての役目を担っていますが、実は『10』の最後の“My Blue Heaven”のメロディーを弾いています。さらに音像が “My Blue Heaven”のコンボジャズから、“Blue In Heaven”のコンボジャズになっていく。そうやってジャズが移り変わっていく流れを自分の中でプロデュースしました。
3曲目の“They Can’t Take That Away From Me”はフレッドアステアの曲で、フランク・シナトラがカバーして再ヒットしたミュージカルソング。意訳は“誰にも奪えぬこの想い”で、曲の中に「I love you」という言葉が一切ない。パートナーのティーの淹れ方やハットの被り方が、変だけれども忘れられないっていうラプソディです。それが俺にとってはジャズで、「I love you」とは言わないけど誰も奪えぬ想いということでこの曲を入れました。あと曲の最後にハミングを入れていますが、あれはジョン・コルトレーンの“You are too beautiful”というスタンダードの1節で、歌詞は言わないけど、ジャズマンが聞けば“You are too beautiful”とわかるはず。
次の“愛のテーマ(From “Spartacus”)はトラックメーカーのNujabesがサンプリングして有名なテーマですけど、これはある方からのリクエストで入れた曲です。“They Can’t Take That Away From Me”のオブラートに包む愛をまんま言うという。“Spartacus”がどういう曲かを知る人なら、この曲の決定的に違う部分がわかると思いますが、それはここでは言えません。
5曲目の“One For My Baby”は、これもフレッドアステアのミュージカル曲です。夜中の3時に酔っぱらった男が店に入ってきて、バーテンダーに「話は長くなるけどちょっと聞いてもらっていいか」という話。その中に“One for my baby And one more for the road”という歌詞があって、これからの長い人生と俺の失恋に、お前と俺しかいないけど乾杯してくれよっていう曲で。だからここに俺がBrother閉店など終わらせてしまったものへの想いを託しています。あとシナトラで有名な曲でもあるので、そこへの愛をコンボではなく、ギターとデュオでやりました。

──全体を通してですが、『TAKAIWA』は映画的な世界観を感じました。
ありがとうございます。ちなみに“One For My Baby”は男の視点で書かれた歌詞で、続く“ロジィタ”は男女のデュエットで歌っても成立する歌詞。つまり“One For My Baby”の失恋から解放された男が、“ロジィータ”で男と女を歌えるようになるという流れになっています。
そして7曲目の“A Jazzman’s Nightmare”は、僕の“Mood Indigo”のオープニングテーマを持ってきました。これに関わっているのが、THE THROTTLEのギタリストで、僕の尚美学園大学ジャズボーカル科の先輩でもある向後(寛隆)さん。向後さんはTHE THROTTLEを辞めてから、宅録で1人全役ビートルズを演奏する活動をYouTubeで始めて。AIが本家と間違うくらいで、その向後さんのオープンリールで俺がオルガンを弾いたのが、“A Jazzman’s Nightmare”。ピッチが下がっていくのは、向後さんがピッチを落としてレコーディングしていたからです
向後さんは俺の兄貴的な存在で、ジャズボーカルもすごく上手くて。俺が上京してから単車とかキャロルとかの話をしてくれたのも向後さん。俺の中で象徴的なジャズマンなので、今回のアルバムには向後さんとのマーベラスな思い出を詰めておかなきゃいけなくて。あと向後さんは自分と同じ東北の青森出身で、ここから土地柄っていうかレペゼンの話になっていきます。
──その流れで、バースデーにリリースした先行シングル“なにもない”へ。
今回のアルバムのミックスをお願いしたエンジニアの福田聡さんが、“なにもない”もアルバム用に再ミックスしてくれました。彼はTHE THROTTLEのファースト(『GREATEST HITS』)や、SANABAGUN.の黒盤(『Sun of a Gun』)、あとINFの『DAHONDA』もやってくれた人です。俺の中での初期の人にミックスを頼んだ曲で、ここでアルバムが一区切りします。
そのあとの“You Make Me Feel So Young”は、シナトラがヒットを飛ばした曲で、「お前と一緒にいると若返るんだよな」という歌詞。曲の冒頭で「最近、若く見られるんだよね」と言っていて、実際に昔の俺って老けて見られていて、最近は意外と若く見られることもあるけど、それでも歳食ったなお前っていう、35歳からを生きていく自分へのバトンタッチの曲です。
あとジャズっていう常に進化していく音楽に関して、80・90になっても新しいことをやるし、オーセンティックなスタイルを崩さずにルールを守ってやっていくっていうスタイルも、俺は逆に新しいと思える。そのために入れました。ここで年齢っていう広義な意味が出てきて、「じゃあ振り返ってみようか35年を」ということで、My Wayを歌うということですね。長くなりましたが、そういうシネマティックな、高岩遼という映画のようなイメージで作りました。
──ありがとうございます。現在の高岩遼を存分に感じられたアルバムでした。同時に、“なにもない”という曲に、「残るぜ夢のかけら」という歌詞があって安心しました。
あそこに「夢のかけら」と入れるのが高岩らしいと、自分でも思います。俺の人生って最悪だと終わっていくのではなく、まだ残ってるよと。ジャズって……すげえな。

──ジャズってすごい、その言葉は重いですね。最後の質問で、このタイミングでこそ、今の高岩遼にこそ、聞きたいことがあります。「高岩遼はスターになりますか」?
まず奢っているつもりは一切ないし、鼻が伸びるつもりもないけど、今までの高岩遼は「スターになりたい」っていうワナビーだった。今は「スターになると思います」っていうことに変わりました。それと僕の中のスターの解釈が変わりました。それはスタンダードになることと、オリジナルであること。これからの高岩遼は、そこを突き詰めていく人生になるのだと思います。これをメディアで話すのは今回が初めてです。おかげさまでここまで辿り着けました。あとは結果を出すだけ。死ぬ間際じゃ遅すぎるけど、「あいつは違かったね」って言われたい。いや、俺が、そう思いたい。天国か、地獄か、その時に。

Interview & text by Rascal(NaNo.works)
Photo by Ryoma Kawakami
RELEASE INFORMATION
TAKAIWA
高岩遼
RELEASE: 2025.09.26
LABELS: HEROIC LINE
Tracklist
01. The Verse
02. Blue In Heaven
03. They Can’t Take That Away From Me
04.愛のテーマ (From “Spartacus”)
05. One For My Baby
06. ロジィタ
07. A Jazzman’s Nightmare
08. なにもない[Album Mix]
09. You Make Me Feel So Young
10. マイ・ウェイ
11. My Way [Bonus Track]
LIVE INFORMATION
高岩遼Live at Blue Note Place”JAZZ LIFE”
日時:10月19日(日)
時間:OPEN 18:00 / LIVE 18:45〜(前半) -休憩- 19:30〜(後半) / Close:22:00 (food L.O 21:00 / drink L.O 21:30)
※前半20分、後半30分程、合わせて50分程の公演となります。入替なし、showによって内容は異なります。
会場:東京・恵比寿BLUE NOTE PLACE
住所:東京都渋谷区恵比寿4-20-4
CHARGE:¥3,300(税込)
※料金は1名様あたりの金額となります。別途、お1人様1オーダー以上を頂戴いたします。