年5月にリリースしたファースト・アルバム『サイレンス・ユアセルフ』が高評価を受け、夏には<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>出演のため初来日、ここ日本でも一気に注目を集めた女性4人組=サヴェージズ。年が明けて実現した単独公演では、バンドのポテンシャルをさらに高次元なレベルで爆発させる素晴らしいライヴを見せつけてくれた。<フジロック>以降にはUSツアーを行なうなどライヴ経験を着実に積み重ねてきたことも大きいが、それ以上に現在の彼女達は凄まじい勢いでパフォーマンスにおける実力をのばしているのだと実感する。

以下のテキストは、再来日に際してギターのジェマ・トンプソンとベースのアイス・ハッサンに対して行なったインタビューで、バンドにとって大きな躍進の年となった2013年を振り返ってもらうのと同時に、あらためてサヴェージズというバンドの表現の核となっている部分について探ってみた。これまでの取材記事では、おそらくサウンド面でジョイ・ディヴィジョンやスージー・アンド・ザ・バンシーズなどと安易に比較されることが多かったせいか、「音楽的影響」の話をしたがらない様子も見受けられたが、ここでは音楽に限らず、カウンター・カルチャーを背景に持つ多様なアート全般から刺激を得ていることを素直に語ってくれている。彼女達がステージ上で放つ空気が、単なるスタイリッシュなムードでは終わらず、本物にしか生み出せない迫力を備えているのは、やはりそれだけの理由があったのだった。

Interview:SAVAGES(ジェマ・トンプソン:Gt、アイス・ハッサン:B)

いわゆるテクニックとかをきちんと勉強したいとは思わなくて、
自力で自分なりのスタイルを開発したかった

――昨夏<フジロック>で来日したあとは、アメリカ・ツアーに行きましたよね。手応えはいかがでした? 2013年はファースト・アルバムが出て、大きな注目を集め、たくさんのライヴをこなし、生活も激変したと思いますが、ここ1年を振り返ってみてどのように総括しますか?

ジェマ(以下、G) 確かに去年はハードな1年だったわね。<フジロック>の個人的な思い出は、日本に着いた日の翌朝にBO NINGENのステージが午前10時からあって、急いで朝食を済ませて見に行ったこと。彼らは本当にラウドなんだけど、朝の10時からテントいっぱいに人が集まって盛り上がっていて、そんな朝早くからBO NINGENみたいなバンドが大きな音でライヴをやってるなんて、すごくいいフェスだと思った。去年は他にもいろんなことがあって、アメリカ・ツアーもやったし、メキシコでのライヴも大きくて、たくさんの人が集まってて、あれほどエネルギッシュなオーディエンスは初めてだった。私達よりもノイジーだったと思うくらい(笑)。だから、うん、ここ1年は本当にいろんなことが起きた年だったよね。

アイス(以下、A) うん、本当に大変だったけど、エキサイティングでもあった。それに信じられないくらい素晴らしい会場でライヴをやってきて、すごく美しくて、最高の経験になったと思う。

――さて、ジェマとアイスは、サヴェージズ以前にも一緒にバンドをやっていたとか。どのような音楽をやっていたのですか?

G 当時アイスがやっていたバンドに私が入ったんだけど、私はノイズ・ギタリストとして加入したの。そもそもギターを弾き始めたのが、アトモスフェリック・ノイズを作るというか、ヴィジュアルに合わせたサウンドトラックみたいなものを作るためだったから。それ以降もっといろんなサウンドを出すようになったけど、その後ジョン&ジェン(※サヴェージズのヴォーカルであるジェニーが、ジョニー・ホスタイルとやっているユニット)と出会って、一緒にやることになったのよね。そこから今の感じになっていった。

【インタビュー】SAVAGESが影響を受けた音や本、アートとは? 彼女達の表現の「核」に迫る。 interview140214_savages_1-1

【インタビュー】SAVAGESが影響を受けた音や本、アートとは? 彼女達の表現の「核」に迫る。 interview140214_savages_2-1

――現在のサヴェージズにも通じるものが当初からすでにあったのでしょうか。

G そうでもないかな。私達ふたりがベースとギターを弾いてるっていう点では同じだけど。私達はあらゆる楽器の弾き方を学ぶようになって、そして常にパフォーマンスにフォーカスしてきた。アイスと一緒に引っ越してきてからはロンドンのあらゆるヴェニューでプレイしてきたし、照明も自分達で考えていたのよ。スモーク・マシーンもね。どんな会場でも、すごく小さなパブでも、そうやって自前の照明とスモーク・マシーンを使って、ライヴ全体をひとつのショウとして捉えながら演っていた。だからそういう要素をサヴェージズに持ち込んだってところはあると思う。でも私達2人でやってたときはただのアイデアだったというか……ジェニーが歌詞を書くようになって初めて曲として完成したんだと思う。彼女から『歌詞を書いているの。あなたのアイデアに合うと思う』とメールをもらって、私達2人とジェニーとフェイが一緒になってから初めて曲が生まれてきたっていう。つまり、これが生まれるためには私達4人が必要だったってことね。

――ちなみに、おふたりはどのようなことがきっかけで音楽に興味を持ち、それぞれギター、ベースを手にすることになったのでしょう?

A ベースを弾くようになったのは10代の頃で、それまでは音楽を聴くのを楽しんでた感じだった。両親が大の音楽好きで……と言っても必ずしも私好みの音楽じゃなかったけど(笑)、小さい頃から音楽にあふれた家で育ったってところはあったから。そして決心したの。自分が聴きたいと思うような音楽を作りたい、それをやるには楽器を弾けるようになりたいってね。ベースにはどこか惹かれるところがあって、ベースの音が好きだし、ベース・ラインを聴くのが好きだったから、それでベースに決めて、自分なりに弾き方を学んでいったの。いわゆるテクニックとかそういうのをきちんと勉強したいとは思わなくて、自分の力で自分なりのスタイルを開発したかった。それを今までずっと続けてきたし、これからも続けていくんだと思う。

G 私は美術を勉強するためにロンドンに引っ越して、その頃はパフォーマンスを基にした表現を目指すようになっていたんだけど、ミュージシャンの仲間ができて、彼らのためにフライヤーを作ったりもしていたの。ギターを手にしたのは、家にたくさん楽器があったからで、16㎜フィルムとか、そういう作品のためのサウンドスケープを作ろうとしていた時に手元にあった楽器を持ったという感じ。私がインスパイアされたのはアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのブリクサ・バーケルトみたいなアーティストによる楽器に対するアプローチ……それはつまりテクニカルなものではなくて、すでにあるものからどうやってノイズを作り出すかというアプローチね。何をどう使ってノイズを作るかっていう。特定のやり方を学ぶのではなく、自分が物理的にそれで何ができるかを追求していくか、そこに興味を引かれたの。

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