あらかじめ言っておくと、このSeihoのインタビューは、3月の<靉靆(あいたい)>が終わったすぐ後に行い執筆したものだ。ご覧いただければ分かるように、<靉靆>をこれからどうしていくのか、Seiho自身も模索している段階であった。
その後、偶然の点と点がつながるように、6月にメディア芸術祭で<雲霓(うんげい)>が上演されることとなり、それもあってこのインタビューはお蔵入りとなっていた。
<靉靆>はアートとライブと映像とダンスが渾然一体となった動的なステージ。対して<雲霓>は、淡々とした静的なステージ・パフォーマンスだった。
そして今回、六本木ヒルズ展望台東京シティビュー内、東京カルチャーリサーチにて行われている展示<霖雨>は、これまでの一連の活動をアーカイヴした作品であり、また、京都市とアンスティチュ・フランセ関西が毎秋開催するニュイ・ブランシュKYOTO 2019での展示<Indulge in Reminiscences>は、Seihoがその場にいなくとも成立しうるいわゆる「展示作品」でもある。テーマは、「物との対峙」に視点が置かれている。壊れたもの、物との対話から生まれる自己存在の不確実性。
時間や見る主体によってそれは相対的に変化する。時間に伴って記憶が生まれ、物との対峙や情感もおのずと変化する。それはまさに「たなびく」ような何かであり、捉えようもない一瞬の心のゆらぎだ。
ここから分かるのは、<靉靆> <雲霓> <霖雨> <Indulge in Reminiscences>といった作品群は、成長し変化していくものであるとともに、一環したテーマに裏打ちされたSeihoによる新たな表現行為である。彼はそれを「総合芸術」なのだと語っていた。
このタイミングで以前のインタビューを発掘し、Seihoの「総合芸術」のアーカイヴの一端にすることに何か意味があるのではないか、と筆者が思った理由はそこにある。
Interview:Seiho
──<靉靆>の雰囲気とかコンセプトは、どうやって組み上げていったんですか?
いちばん大きいのは、まずメンバーありきだということ。MIKIKOさん、Rhizomatiksの花井裕也さん、上條慎太郎さん。もともと上條さんや花井さんと飲んでいる時に、僕の映像作品とかライブアクトの映像を作りたいよねって話になって。
それとは別で、MIKIKOさんたちとお茶してる時に、真鍋大度さんに2人でユニットやったらって言われてユニット名を「ところてん」ってつけてくれたりしてて。そういうことの延長線上に<靉靆>はあります。
──Seihoさんが核になって、いろんなことがつながっていった共同作業というわけですね。
終わった後にMIKIKOさんとも話したんですが、好きな友達と作品を作ったら仲が悪くなるか良くなるかどっちかだねって。やってみてほんとに良かったのは、改めてこの人たちすごいんやなとか、彼らの作品づくりがほんとに好きやなって思えたことで。作品がどうという以上に、スタッフも含めて関わった人のことを「めっちゃこの人たち愛せるな」って感じられたのが収穫ですね。
──それだけ一流のクリエイティビティーだったってことですか?
というのもありますけど、今回の作品はMIKIKOさんでないとわからない僕の感情とか、もう1人のダンサーのsayaさんの感情とか動きとかがあった。
上條さんもまだライゾマに入る前に東京のイベントに呼んでくれたりして、僕が大学を卒業した22、23歳の頃から知っている。そもそもがそういうチームでやったってことが大きい。
──それによって表現できた感情があった、と。
やっぱりMIKIKOさんがすごいなって思ったのは、そういう感情を引き出すスイッチみたいなのをいろんなところに置いていて。演出ってこういうことかって思わせるんです(笑)。
例えばみんなそこまで意識はしてないけど、リハーサルの日数とか休みとか。偶然僕が休みのリハとかSAYAさんが休みのリハとかあるんですけど、SAYAさんが休みでこのシーンを教えられてるってことはこういう狙いかっていう気づきがあったりする。なんか偶然とは思えない。そういうスイッチみたいなのがいっぱいある。
──原案/脚本を書いている森崎進さんについては?
彼は僕の高校の同級生で、高校時代からずっとストーリーや小説の話を一緒にしている、めっちゃ変な奴で。いまだにずっと仲良くて、常に連絡とってる仲なんですけど、すぐ失踪したり、大学もかけ持ちして辞めたり、めちゃめちゃ狂ってる。森崎くんは大事なタイミングには絶対いるんですよね。僕がやっているおでん屋「そのとうり」の名前をつけたのも彼で。
──2人で一緒にストーリーを考えたんですね。
僕がざーっとストーリーを話すと、それに対してバックアップの小説が彼から返ってくるみたいな感じ。それって高校生の時から一緒で、部活帰りに2人でしゃべって、彼は小説を書いてきてくれて僕はそれを音楽で作ってとかしていた。そういう関係なんですよ。
それで大体完成されたストーリーを、MIKIKOさんや花井さん、上條さんにとりあえず伝えて、それぞれが思ったこととか浮き上がってきたものを全部作品にしてもらって大丈夫ですって感じで作っていきましたね。
だから今回は全くコントロールしてないっていうことが僕の中で大きいテーマだった。そこは意識した作品。通常の作品だとそこになにがしかの制約がありますけど、それをコントロールしないっていうのは、その人の運転する車に乗ってみたいっていう感覚。100%任せるってどういうことなのかってのを意識したのは大きかったですね。
──これまでそれに近いような表現や感覚ってありましたか?
それこそ矢野顕子さんや三浦大知くんのような、他のクリエイターと一緒にやるのが多かったのが3、4年前ですね。矢野さんと話していた時に「私が歌ったら小学生がピアノ弾いてもうまく聴こえるよね」って言われたことがあって。つまりコントロールするっていうのは自信のなさなんだ、と。
上司と部下の関係もそうだし、自信がないからコントロールしちゃうんです。そこでどんな問題が起こっても解決できる自信があったらなんとでもなる。なので<靉靆>は信頼できる人に100%任せるっていうところから発生してる。
──表現としてはダンスとライブ的な演出が渾然一体していて、アートであったり、舞台装置やテクノロジーもあって。いろんなものが要素として入ってましたけど、あれはみなさんのアイデアがぶつかり合ってるんですか?
そうですね。ほとんど必然的に決まって行ったって感じです。あんまりあれがいいこれが悪いっていうのはなくて、全員が意見を出したらああなった。
──作品として完成するかしないかっていうある種の不安と自信とが、創作過程でせめぎ合ったりはしたんでしょうか?
最初は、これ間に合うんか? というのはありました(笑)。日程も会場も決まってるけど、中身は何も決まってなかったから。最初のオールスタッフのミーティングの前日に、とりあえず飲みに行きましょう、ということになって。そこで本当に15分くらいで全部のアイデアが出て、これだ! みたいな感じでした。それで一回目のリハで「行けた!」と全員が思った気がします。奇跡みたいな感じで。だからノーヘルで爆走して事故らなかった良かった! みたいな感じですね(笑)。
──実際にステージではダンスシーンも多くフィーチャーされていました。
三浦大知さん、そのあとにELEVENPLAYでダンスに音楽をつけた時に、自分の曲が動きとして可視化されるっていうのにかなりびっくりしたんです。映像よりもダンスの方が僕にとって魅力的に見えた瞬間。
特に三浦大知くんがそうで、「この三連符に気づいてくれてる!」とか。僕がイメージしてるものがダンスと合わさっていく感覚とか、こう解釈するんだっていうときの面白さですね。
──Seihoさんの中で<靉靆>の表現って、自分の中のどの位置にあるかは気づいたりしましたか?
僕は本当に頭が悪いから、とにかくいろんな人に喋ってみたり、自分でやってみないとわからないんです。火に近づいて「これめっちゃ熱い、火傷する」くらいのことをやってみないとわからないタイプなので。
それで分かったのは、本当に自分が好きな人ってのは、才能もあっていい人ばかりで良かったってことですね。自分の好きな人で才能がなかったり、良くない人だったら不幸やったけど、もう本当に生まれてきて良かった!(笑)。
──<靉靆>の表現と、ご自身がトラックメイキングしたりDJしたり、Sugar’s Campaignやったり生け花をやったりすることは、全部一体的なものになってるんですよね?
ほとんど一緒なんですけど、<靉靆>が違うのはそれらを人から客観的に見られてアウトプットしてみたってことですね。MIKIKOさんには「Seihoの45分のライブがこういうストーリやったんやって見えるようにしてあげたい」ってずっと言って頂いていて。いつもステージで生け花やっているのが、実際は頭の中でこういうストーリーが走ってるってことを客観的な視点を含めてアウトプットしたってことなのかな。
──ある種狂気的な場面というか、Seihoさんが持ってるいろんな面がストーリーとして表現されていましたね。ここは森崎さんとの脚本がいい効果を出していると思いました。
彼とは話すとなったら本当にずっと話してるから。僕がめっちゃイリュージョン的な話をするんだけど、2人でストーリーを盛り上げていける仲で。本当にお互いがずっと嘘ばっかりついていて、彼はその嘘に付き合ってくれるから。
彼と会ったときに、「実は音楽やめて工場で働くことになった」ってずっと僕がしゃべってみたり。彼も、なぜか急に腕折られてたりとか意味不明。めちゃくちゃクレイジー。
──参加されている方々もみんな、人間として素晴らしい面とクレイジーな部分が同居していますよね。そこで生まれる表現というのも、狂気であったり、普段予期しない何かが出てきたりしますか?
僕の中のクレイジーさや狂気って、日常からの延長なんです。
日常から非日常みたいな瞬間を、僕はずっとテーマにしている。ステージで牛乳を飲むこともそうだし。牛乳って食卓にあったらやばいんですよ。白いし、他の動物のおっぱいだし、結構狂ってるじゃないですか。あんなものが堂々と朝の食卓に並んでる日常自体がやばいんです。それを花瓶に入れて飲むっていう、いわば日常が非日常になる瞬間に人はドキッとするから、それは逆に言うと、安全な日常があるっていうこと。
人間関係も一緒で、なんでそんなクレイジーさが引き出せるかと言ったら、僕がまともだからなんですよね。もし僕がまともじゃなくて、ここで突然あっーってでかい声出してたら、話にならない。
ある程度の信頼関係があってこそ、意味不明に急に腕折られてっていうのがドキッとする瞬間になるので。クレイジーさは信頼関係の上に出てくるから、信頼関係を大事にした仕事をしたいってのはそういうことなんですよ。
──とてもよく分かります。実際<靉靆>の観客もそういう信頼関係のうえに成り立っている、すごい不思議な空間でした。2回目とかはどう考えていますか?
ずっとやりたかったことでもあるし、「総合芸術」っていったら安っぽくなるけど。やっぱりこれだけの日数と予算で、これだけのものが作れるということが分かったから、また同じことを繰り返すよりは、同じ条件でまた新しいものを作りたいなと思います。その方が魅力的だし。だから同じ場所でも同じ公演は当分やらないかな。
──それぐらいあの熱は特別なものだったように思いますよね。
特別なものを特別にしておくことは大事じゃないですか。あの時にあの会場に行ったあの人たちが、あれは特別だった、特別な日だったって思ってもらうことこそが作品の意図だから。
時間と場所を公開しなかったのもそういうことです。一番最初にリーチしてくれた人、賭けてくれた人をどれだけ優遇できるかっていうのが、作品にとっては大事なんです。これをはっきりさせてあげないと楽しめないんですよ。金曜日の会社が終わってすぐに行かなくちゃいけないあの時間に自分がベットしたからこそ、みんな楽しみたいという熱量が高まる。規模を大きくするとそれができなくなっちゃう。
──会場の展示にしても、これなんですか?って聞く人が誰もいないというか。空間に身を委ねるように楽しんでいましたよね。
いまはみんな慣れてるから、お客さん姿勢になりがち。
例えばステージに出てくるのが遅かったら、お客さん姿勢で来てる人は文句言うけど、友達だったりベットして来てくれている人は文句いわないで、楽しもうとするじゃないですか。だからお客さんをいかに友達に変えるか、いかに自分のフィールドに取り込んで仲間にできるか。
そもそも作品って対話だから、相手にお客さんって態度でおられたらこっちも話しにくい。それはアーティスト側の責任でもあって、ちゃんと対等に話せる場所やフィールド、ものを作っていくのが大事なんです。例えばクラブではDJ終わってからフロアに行って話すとか、本当に単純にそういうことでお客さんから人と人の会話になる。それが大事だなって最近は思いますね。
Text by nakohji koshiro
Photo by 横山マサト
-もっと知りたい-
INFORMATION
ニュイ・ブランシュKYOTO 2019
2019.10.05(土) 19:00-00:00
2019.10.06(土日)10:00-16:00
場所:アンスティチュ・フランセ関西(京都市左京区吉田泉殿町8)
参加料:無料
霖雨-Indulge in Reminiscences-
プロデュース・映像・音楽:Seiho
システム設計:平#重行(京都産業大学)
アプリ開発:西上知里(京都産業大学)
-協力-
比留間太一
京都産業大学
詳細はこちら
霖雨
2019.09.20(金)〜10.20(日)
10:00 – 22:00(最終入館 21:30)
東京カルチャーリサーチ(六本木ヒルズ森タワー52階 THE SUN & MOON 内の小展示スペース)
参加料:無料
※ ただし、展望台への入館料(一般1,800円他)が必要です。
※ 3階チケットカウンターで参加券をご提示の上、
展望台の入場券と引き換え後、52階受付までお越しください。
主催:東京カルチャーリサーチ
企画:Seiho
協力:比留間太一/株式会社ツドイ/Qetic Inc./つむら工芸
詳細はこちら
Seiho