2021年2月5日にオンライン配信というかたちで披露された音楽映像作品『戦慄せしめよ』は、音楽家の⽇野浩志郎と佐渡島の太⿎芸能集団 ⿎童とのコラボレーションによって生まれた楽曲を、映画監督の豊⽥利晃が映像化したものだ。
バンドやエレクトロニクス、オーケストラなど、様々なフォーマットを使って世界でも類を見ない独自の表現を突き詰める日野浩志郎と、結成から40年間にわたって太鼓の表現を深めてきた、名実ともに日本随一の太鼓芸能集団である⿎童。
現代音楽と伝統芸能。意外な組み合わせに思えたコラボレーションだが、制作された8つの楽曲は、いずれも両者が持ち寄ったものが自然なかたちで合わさり、非常に完成度の高いものに仕上がっている。
クリエイター同志のコラボレーションを成功に導く上で重要なのは、親和性よりも必然性だ。そして、親和性の有無は外野からも見極められるが、両者が交わる必然性のそれは当事者同志でしかわからない。
音楽史に名を残す過去の名作群がそうだったように、この作品も濃密な対話を経て、両者がその可能性を徹底的に掘り下げた末にできた越境の音楽だ。本記事では、日野浩志郎と、⿎童の若き俊英 住吉佑太の対談によって、その制作の一部始終を語ってもらった。
『戦慄せしめよ | Shiver 』予告編
Interview
日野 浩志郎(goat)
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住吉 佑太(鼓童)
「日本的なもの」に対する葛藤
━━共演のきっかけは、住吉さんから日野さんへのメールだったそうですね。
住吉 佑太(以下、住吉) 数年前に大友良英さんのラジオに日野さんが出演されていて、そこでかかっていたgoat(⽇野がリーダーを務める4人組バンド)の曲を聴いたのが、日野さんの音楽との出会いでした。
当時から僕は、リズムだけで勝負する和太鼓の音楽にもっと新しいものを持ち込みたいと思って、いろいろな音楽にアンテナを張っていました。その時興味があったのは、スティーブ・ライヒ(Steve Reich)やテリー・ライリー(Terry Riley)、フィリップ・グラス(Philip Glass)といったミニマルミュージックの作曲家。勉強がてら聴いていたそのあたりの音楽と比べてみると、日野さんの音楽は現代音楽的なアプローチがある一方で、とても踊れる。そのコンセプチュアルな部分と音楽的な部分とのバランスがすごく良いと思ったんです。ハイコンテクストなものではなくて、むしろ民族音楽的なパワーを感じました。
日野 浩志郎(以下、日野) 自分の中でgoatは踊れる音楽だとは思っていなかったんです。構造的には鼓童と逆で、エネルギーを向ける方向は内面。集中して聴いて、次第に脳内にエクスタシーが発生するようなものというか。踊れるものなのかどうかについては、諦めていたようなところがありました。
住吉 鼓童は自己発散型なんですよね。外に向かってエネルギーを発散する。そういうベクトルの表現しかなかったところが、それが日野さんとのコラボレーションによって、内側に向かう求心的な表現を新たに確立することができたんです。
━━住吉さんからのラブコールに対して、当初日野さんのなかで葛藤があったとか。
日野 バンドやソロで何度も海外ツアーを経験してきて、欧米の観客から向けられる 「⽇本の音楽ってこうでしょ?」というフィルターを通した聴かれ方に当時とても辟易していたんです。「Acid Mothers Templeや灰野敬二みたいだね」という反応がどうしても多くて、もちろんそういう日本のアンダーグラウンドミュージックからは大きな影響を受けているけれど、僕自身の音楽は全く違うものをやろうとしている。
ノイズや即興への憧れを強くもっていたからこそ、そうしたものへのカウンター的な意味合いもあって、完全なる作曲=抑圧を経て解放が訪れる⾳楽というgoatの⽅法論にたどり着いた。にも関わらず、一緒くたにされてしまう。
「和太鼓」という非常に(日本の)象徴的なものと一緒にやるのはそういった「日本フィルター」的な視線をより強めてしまうと思って、一度(住吉)佑太くんからのオファーは断ったんです。
そこで終わるかと思ったら、熱意のこもったメールが返ってきて。普通こういうのって一度断ったらやりとりが終わるのに、なかなか骨のある人だなと(笑)。そうして、音楽についての濃いやりとりを重ねていくなかで、自分が和太鼓に対して抱いている偏見にも自覚的になってきました。
(鼓童の演奏を)観ずに断るのは失礼かなと思って、まずは佑太くんが全編演出を手がけた『巡−MEGURU−』という演目を観に行ったんです。本当は観てから改めて断ろうと思っていたんですが、『巡−MEGURU−』の演奏は想像していたものと全然違って。
マリンバなどを使った楽器構成やポリリズムで構成された演奏など、いずれも伝統的な和太鼓に捉われない楽曲で、すごく挑戦的だなと思いました。作曲面のアプローチを実際に聴いて、佑太くんがやりたいことが分かったし、なぜ自分にオファーが来たのかが理解できた。
あと、太鼓という楽器の持つパワーにとにかく驚きました。 大きな会場でも生音のまま腹に響かせる迫力に圧倒されました。これは生楽器なのか? と信じがたいくらいの低音。自分は和太鼓のことを知識としてしか知らなかったんだなと気づかされました。
━━日野さんが指摘したような、海外で期待されるいわゆる「日本的なもの」に解釈が回収されてしまう場面があることについては、住吉さんは鼓童として活動するなかでなにか思うことはありますか。
住吉 我々も海外公演を多く経験してきましたが、海外の観客のほうが和太鼓に対して持っているイメージがフラットで、音楽として聴いてくれていると感じています。
日本人は和太鼓と聞くとどうしても「お祭りで叩くドドンがドンのあれだろ?」という目線を向けてしまうことが多くて、僕はいまだにそれがとても不満で。もっと音楽として扱ってほしいんです。
日本の大きなイベントに出演するときに多いのが、我々だけリハーサルが無いこと。ほかのミュージシャンにはリハがあるのにも関わらず。和太鼓が、ただそこにあればいいものみたいなシンボライズな扱われ方をされているんだなと。音楽をやっているんだということをもっと分かってもらいたいです。
━━なるほど。一方で日野さんは、ご自身の音楽が例えばクラブミュージック的な解釈をされてしまうことに抵抗があったりしますか。
日野 快楽的に受け止められることについての葛藤は一切ないです。僕自身、快楽に忠実に作っているつもりです。でも、それは自分にとっての快楽であって、最優先するのはお客さんではなく自分。誰かに合わせるのではなく自分がまず楽しめるものでないとクリティカルなものは作れないと思っている。
初コラボ作“Games”のリベンジ
━━お互いの音楽観を交換するような対話を重ねるうちに、実際にコラボレーションのプロジェクトが動き出した。その最初の成果が2019年の<アース・セレブレーション>で披露された、日野さんが作曲し鼓童が演奏した“Games”だったわけですが、これはどう振り返りますか?
日野 そうですね……(苦笑)。準備期間に対して難しいもの作りすぎちゃったかなと。goatではやれないことを鼓童のみなさんとやるというのがテーマのひとつとしてあったんですが、そのためにはもうちょっと時間が必要だった。鼓童へのミュージシャンとしての信頼度はすごく高いんですが、いろいろ詰め込みすぎてしまいました。
住吉 はじめはYPY(日野浩志郎のソロプロジェクト)と鼓童のコラボレーションでなにかできないかと思って、日野さんのドラムマシーンと僕と鼓童の中込健太の3人で合わせてみるところから始めました。そこから鼓童のメンバーを増やしていって、曲作りもセッションではなく作曲のほうがいいだろうということになり、コンセプトを固めていきました。“Games”のデモを初めて聞いたときは、めちゃくちゃかっこいいと思ったんですが、実際に叩いてみたらめちゃくちゃ難しくて(笑)。
日野 誰がどのパートをどの楽器で叩くかといった振り分けなどは基本的に佑太くんにやってもらいながら、手探りでかたちにしていったのが“Games”でした。
━━“Games”の初披露から時間をおいて、今回の『戦慄せしめよ』の制作の話が持ち上がったわけですね。
日野 『戦慄せしめよ』の話をもらったときに思ったのが、まず“Games”のリベンジをやろうということで。
住吉 (<アース・セレブレーション>での初演後も)日野さんとは遠隔でレコーディングをして作品を作ったり、やりとりを続けていて。機会があればなにかしっかりプロジェクトをやりたいね、と言っていた矢先に来たのが今回のプロジェクトでした。
楽しいけど苦しい、苦しいけど楽しい
━━『戦慄せしめよ』は和太鼓以外の楽器をメインに用いた前半の4曲と、和太鼓を中心に据えた後半の4曲の計8曲で構成されています。作曲や演奏の方法について教えてもらえますか。
日野 曲ごとに作曲方法は違って、例えば一曲目の“Woodblock”はグラフィックスコアのようなものを楽譜として使っています。ジョン・ゾーン(John Zorn)が作った「コブラ」という即興演奏法を参考にして、演者は僕のハンドサインを見て演奏を変えていきます。 ハンドサインは大まかに6~7種類あって、シンクロはしてもビートとして同期はしないことで自然現象に近い音空間を作っています。
━━歌が中心にある4曲目の“Duet in 7.5/4”は日野さんの作品としては異色の歌ものですね。
日野 実はメロディーやコードを使っての作曲は大好きで、歌ものの楽曲を作っていた時期もあるんです。Virginal Variationsなんかはコードの発展を主軸にした作曲のプロジェクトでした。この“Duet in 7.5/4”は、基本となるスケールだけ歌い手の二人に伝えて、あとは自由に歌ってもらっています。
住吉 普段、僕たちはお客さんが目の前にいて生音で演奏して、という表現が主軸なのに対して、今回は収録を前提とした録音作品だったので、それによるアプローチの違いっていうのは全然違って、新鮮でしたね。フレーズを繰り返す長さとか周期感とか。これライブだったらやばかっただろうな、と(笑)。
━━やばかった、というのは?
住吉 普段やっている曲と体力的にも精神的にも要領が全く違うので、緊張感がすごいんですよ。“Games”なんて、レコーディングするのに半日ぐらいかかりました。『戦慄せしめよ』を経てレコーディングの感覚がおかしくなっちゃって、それ以降、いつもやっているような曲を録るスピードはめちゃくちゃ早くなってて(笑)。昨日は1日で11曲録りました。
日野 すごいね(笑)。
住吉 今までやってきたような曲であればポンポンできるんですけど、日野さんの曲は体力と精神を削ってなんとか一曲、というかんじで全く別軸の音楽。演奏は難しいし、生み出すのも苦しみをともなうけど、新しい道筋が見えてくるものでもある。
豊田(利晃)監督はじめ撮影部隊のみなさんが現場入りしたタイミングで通しで演奏を披露したんですが、あそこが緊張感のピークでしたね。日野さんと作り上げてきたものを監督に見せつけるわけで。
日野 すごくエモーショナルで思い出に残る瞬間でもあったよね。終わった後は、よっしゃ! 打ち上げだ! みたいな感じだった(笑)。
━━日野さんも、8曲を作曲する上でgoatやVirginal Variationsでの方法を踏襲しつつも、やはり和太鼓という楽器を用いて大人数のアンサンブルを組み立てるのは、かなり要領の異なる作業だったんじゃないですか?
日野 そうですね。すごく難しかった。アンサンブルの作り方やバランスのとり方は本当に0からのスタートだったので、そこは佑太君に頼りました。
具体的な話をすると、6曲目の“Quartets”はケチャ(インドネシアの男声合唱および舞踊劇)をベースにして膨らませていくとどんなことができるか、というアイデアから作った曲なんですが、初めはベーシックなリズムだけ作ってそこから発展させていこうと思って現場に行ったんです。そこで何も思いつかない、思いついてもそれが全部うまくいかない、という絶望を味わって。
4人の太鼓が合わさって波打つようにメロディが連なっていくかたちを想像していたんですが、そういう僕のイメージを佑太くんが汲み取ってくれて。こっちの太鼓を使った方がいいんじゃないか? みたいに入ってきてくれて、最終的に完成させることができた。この曲が1番チャレンジングな要素もあって、『戦慄せしめよ』の中で最も気に入っている曲の一つです。
住吉 そういう演出法みたいなことは結構やっていたので、日野さんのイメージがベストな形で音楽になるといいなと思いながら、前提として僕が日野さんの音楽を好きなわけですから、進む方向がクロスしてしまうことはまずなくて。鼓童で積み重ねてきたアンサンブルの基本の部分を少しサポートしたっていう感じです。
日野 鼓童とやるってこと自体にすごいプレッシャーはありましたよ。だって、これまで鼓童が一緒にやってきた人達って、プロ中のプロ、人間国宝みたいな人たちなわけじゃないですか。
当たり前ですけど、鼓童のみなさんの演奏技術のレベルって本当にすごくて。現場でリズムを渡して、仕上げてもらうのにこれくらい時間かかるだろうなと算段して、その間にそれを聞きながら次のアイデアを練ろうかなと思ったら、あっという間に「できました! 次、何したらいいですか?」みたいな感じで。そういうスピード感だったから、早くアイデアを出さなきゃ、っていう緊張感、プレッシャーがものすごくありました。
━━なるほど。7曲目の“越島”は、パッと聞きは比較的オーソドックスな和太鼓のアンサンブルに聞こえますが、演者側の感覚はどうだったんでしょうか。
住吉 肌身になじむ感じもありつつ、意外と全部同じ楽器というアンサンブルってやったことがなくて。全員が宮太鼓を一気に叩くっていうのは新鮮でしたね。
━━あの音量で、個別にモニタリングもせずにそれぞれ微妙に異なるフレーズを繰り返すのは、隣の音に引っ張られてしまったりという難しさもありそうです。
住吉 ありますね。クリックも聞いてないですし。演者間は結構目で話してコミュニケーションをとってますね。
日野 “越島”に関しては、演者間の距離は離れた方が音の効果としては面白いだろうなとは思っていたけど、演奏がし辛いだろうからぎゅっとしたフォーメーションにしようと思ってたんです。だけど、距離をとっても全然問題なくできてしまった。そのおかげで“越島”は見た目にも音的にも理想的なアンサンブルの形になって、結果生演奏でもすごく映える曲になったと思います。
今回は録音作品として良いものをっていう意識のもとでやってきたので、本当は“Quartets”のあとに“Games”をやって終わらせる流れだったんです。だけど、なにか一発観客をビビらせるような曲をここに入れたいなと思って。今回のチャレンジのなかで、自分が鼓童のスタイルに寄り添った作曲をするとしたら何ができるんだろうと思って作った曲ですね。
━━そして最後を飾るのが“Games”です。リベンジの手応えはどうでしたか?
住吉 ようやくできたって感じがしましたね。演奏する側としても、良い意味で曲がシンプルになることで、骨組みがガチンと固くなった感じがして。<アース・セレブレーション>の時よりも骨太な曲になりましたね。
日野 曲の複雑さは、最終的にそういう構造が必要だからそうなっているだけで、難しく聞かせるためにそうしているわけじゃない。僕は数学的な作り方をしてはいますが、計算が合わなくて誰か一人が曲の途中ではみ出てしまったりせず、全員がピタッと解決して終われるような辻褄が合うものを作りたい。
そういう譜面の美しさだったり、以前だったらもっと無理が生じていたような部分も今回はバシっとうまくハマった。演奏としても簡単になったし、なおかつかっこよくなった。作曲の上でレベルアップした手応えがありましたね。
住吉 “Games”はとにかく叩いていてすごく高まるんですよね。序盤の内省的なところから始まって後半の爆発に至るような、そういう曲に今まで出会ったことがなかったので。
━━演奏していて楽しいですか?
住吉 楽しいかと言われるとわからないけど(笑)。
日野 その気持ちはめちゃめちゃわかるよ(笑)。
住吉 楽しいけど苦しい、苦しいけど楽しいみたいな。その拮抗具合がすごく良いし、それ自体がエネルギーを生んでいるというか。オーケストラでストリングスがズバーンと入ってきた時の興奮ってあるじゃないですか? そういう現象がリズムだけで起きるのは、やっぱりすごい。
━━『戦慄せしめよ』のために作った曲は、今後の鼓童のコンサートでもレパートリーになっていく可能性はあるんでしょうか?
住吉 あると思いますよ。それもありえるし、今また新たに日野さんに作曲の依頼をしていて。鼓童には石井眞木(伊福部昭に師事し、1970年代から90年代にかけて活躍した現代音楽の作曲家。1999年に紫綬褒章を受賞)さんが作った“モノクローム”とか“入破”といった、もう40年以上やり続けている楽曲があるんですけど、そういう普遍的で深みがある曲を日野さんには作ってもらいたくて。
日野 すごく難しい課題ではありますけど、僕もやっぱり最初に“モノクローム”を聴いて鼓童のすごさを実感したから、目指していきたいところですね。
信頼関係がもたらした新しい表現の種
━━お話を聞いていて、今回の『戦慄せしめよ』の完成度の高さには、日野さんと住吉さんおよび鼓童のメンバーとの間に生まれた信頼関係が深く影響していたことがよくわかりました。
日野 そうですね。鼓童のメンバーの方々のマインドの部分とかミュージシャンシップには非常に感銘を受けました。吸収力が半端じゃないんですよ。あと、みんなと一緒にクリエイションと生活をともにしていくなかで、ものごとに対して素直に感動する感覚が蘇ったというか。例えばメンバーの方にエレクトロニクスでこんなことができるんですよ、だったらこんなことができるかもねっていう話をしている時間がすごく良くて。そういうやりとりを日々する中でなにか感化された部分は大きかったですね。
住吉 僕は日野さんのことがより好きになりましたね(笑)。音楽の向き合い方の部分で、自分が大事にしている音楽の芯の強さがすごくある人だなって。いくら演者側がグズグズになっても、これ絶対いいから、っていうことは曲げないで突き進んでいける。これ、無理なんじゃない? って俺は何度も思いましたよ(笑)。それでも理想をかたちにする姿に、ミュージシャンとして尊敬できる人だと思いました。豊田監督も同じく、確信的な自信を持ってバーンと突き進む人で、本当にすごいなと。
鼓童は、老若男女に等しく魅力を伝えていくために、表現をある程度丸くしなくてはいけないところがどうしてもある。公共性、公益性を持っているのは我々の魅力のひとつでもあると思うんですが、それによって音楽自体が丸くなってしまっている部分は否めません。
『戦慄せしめよ』の制作の日々で得たのは、自分たちができる表現がすでにある一方で、日野さんや豊田監督みたいな深く研ぎ澄ました表現をもっと追求したいなとシンプルに思うようになったことですね。
日野 佑太くんは本当になんでもできる恐ろしい男で。彼が自分の好きなことを突き詰めていったら、すごいものが生まれるんじゃないかなという期待がすごくありますよ。
住吉 日野さんが“Games”で実践したポリリズムとかって、僕たちにとっては、ある意味バッハが初めて転調したみたいな大きな出来事だと思っていて。日野さんからもらったそのポリリズムの種を、後に続く我々がどうやって取り入れて発展させていくか。それを日々探していくなかで、自分たちらしい表現を見つけ出していけたらいいなと思ってますね。日野さんとの出会いが僕らにとって大きなターニングポイントになったのは間違いないです。
Text by Kunihoro Miki
日野浩志郎
「goat」、「bonanzas」というバンドのプレイヤー兼コンポーザーであり、電子音楽ソロプロジェクトYPYの活動の他、クラシック楽器や電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」の作曲、演出を行う。他にもカジワラトシオ、東野祥子によって設立されたANTIBODIES collectiveでの活動、元維新派による新たな舞台「孤独の練習」の音楽担当などを行っている。国内外のアンダーグラウンドミュージシャンのリリースを行うカセットレーベル「Birdfriend」、コンテンポラリー/電子音楽をリリースするレーベル「Nakid」主宰。
太鼓芸能集団 鼓童
佐渡島を拠点に太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、現代への再創造を試みる集団。1971年より「佐渡の國鬼太鼓座」として10年間活動ののち、1981年、ベルリン芸術祭でデビュー。以来52の国と地域で6,500回を越える公演を行う。劇場公演の他、小中高校生との交流を目的とした「交流学校公演」や、多様なジャンルのアーティストとの共演、国際芸術祭、映画音楽等へ多数参加している。2012年から2016年まで歌舞伎俳優・坂東玉三郎氏を芸術監督に招聘。近年は石川さゆり、初音ミク、AI、元ちとせ、BRAHMANらと共演。2019年は「ラグビーワールドカップ2019日本大会」開会式に出演。2020年、読売巨人軍とコラボレーションが実現。2021年、創立40周年を迎えた。
住吉佑太
1991年9月4日生まれ、香川県三豊市出身。小学2年生より和太鼓を始める。2010年研修所入所、2013年よりメンバー。舞台では主に太鼓、笛、を担当。軽やかなバチ捌きを得意とする。また「草分け」、「結」、「炯炯」、「綾織」、「歩」など、舞台の要となる数々の楽曲を生み出す鼓童のサウンドメーカー。2018年には新作舞台「巡 -MEGURU-」を初演出。2021年は鼓童創立40周年特別企画 鼓童浅草公演「歩」を演出。鼓童の舞台のこれからを創りだすキーパーソンの一人である。
INFORMATION
戦慄せしめよ
鑑賞料金:¥1,000(tax incl.)
配信期間:2021年3月31日まで
配信先:Vimeo
*別途、配信プラットフォームによる手数料がかかります。
監督・脚本:豊田利晃
音楽・演奏:日野浩志郎、鼓童(阿部好江、中込健太、小松崎正吾、住吉佑太、鶴見龍馬、小平一誠、前田順康、吉田航大、三枝晴太、渡辺ちひろ、小野田太陽、詫間俊、中谷憧)
出演:渋川清彦
撮影:槇憲治 照明:野村直樹 美術:松本千広 衣装:服部昌孝、江戸一番隊 ヘアメイク:白銀一太
音響効果:北田雅也 音楽録音:葛西敏彦 録音:高橋勝
スチール:大森克己 編集:沖鷹信
制作プロデューサー:沖鷹信
企画・製作:越島(安澤太郎、黒瀬万里子)
2021年/カラー/5.1ch/89分
©2021 越島
*本撮影は関係者全員のPCR検査の実施と、各ガイドラインに基づく感染対策を徹底して行い、関係者の感染は確認されませんでした。
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