今年2月の軍事クーデター以降、ミャンマーは混乱を極めている。<Pwal! Pwal! Pwal! #1 -Stay with Myanmar->はそんなミャンマーの文化・芸術を紹介し、苦境に立たされている市民にエールを送ることを目的とするイベントだ。当初は9月3日(金)からの3日間、東京・青山のSPIRAL HALLでオオルタイチとコムアイ、大友良英 Cathode for Myanmarらがライブを行う予定となっていたが、新型コロナウイルスの感染拡大のためイベントは中止に。無観客・無料の配信イベントとして9月25日(土)と26日(日)の2日間で開催されることになった。
そのイベントに関連してミャンマー伝統音楽のリミックス集『Kalab Mixed Myanmar #1』もリリースされる。DJのShhhhhが監修を務めたこちらの作品には、CHURASHIMA NAVIGATORやバリオ・リンド(Barrio Lindo)、エル・ブオ(El Buho)など国内外のリミキサーが参加している。
これらの企画を主催しているのが、近年足繁くミャンマーを訪れている録音技師の井口寛。井口はこれまで記録されてこなかったミャンマー各地の伝統音楽をレコーディングするほか、ナガ族の村に通って映像作品も制作している。
軍事クーデター以降、ミャンマーの音楽・芸術関係者の現状はあまり伝えられていないが、市民生活がままならなくなることで、伝統音楽も存続の危機に晒されているのだという。その現状について井口に聞くととともに、イベントおよびリミックス盤に参加しているオオルタイチとコムアイにミャンマーへの思いを語ってもらった。
INTERVIEW:KOM_I×オオルタイチ×井口寛
Stay with Myanmar
夢の中でミャンマーと繋がるような感覚
━━コムアイさんとタイチさんがミャンマーの文化に関心を持ったきっかけを教えてください。
コムアイ 今回の(『Kalab Mixed Myanmar #1』の)リミックスのお話をいただいてから、井口さんからミャンマーの音楽について教えてもらう機会があったんですよ。そのときにサインワインの楽団が生活の中で音楽を鳴らしていることを知って、「まるで夢の国みたいだな」と思いました。しかも多民族国家で、それぞれの民族で異なる音楽を奏でている。果てしなく豊かな文化がひとつの国に詰まってると思いました。
━━それが軍事クーデターの前?
コムアイ そうですね。音楽を通してミャンマーに興味を持っていたこともあって、クーデターのことも知らない国で起きたことというよりも、「美しい国の美しい人々が危機に晒されている」という感覚で。ミャンマーの情勢をずっと苦しい思いで見ていました。
オオルタイチ 僕はサウンガウン(ミャンマーの伝統的な竪琴)が好きで、以前からよく聴いていたんですけど、井口さんからリミックスの声をかけてもらったときに他の音楽についても教えてもらって。最初聴いたときは理解できない感覚があったんですけど、向こうには向こうの音楽的ルールがあって、ちゃんと理解してみたいなと思いました。
━━井口さんは現地で伝統音楽の録音を続けてきたわけですが、ミャンマーの伝統音楽のどのような部分に魅力を感じているんでしょうか。
井口寛(以下、井口) ミャンマーには135の民族がいると言われていて、それぞれが個性豊かな音楽文化を持っているんですよね。そのなかで記録が整理され残っているのは、多数派民族のビルマ族だけ。少数民族の音楽はシンプルなものが多いですね。単調なリズムとメロディーを銅羅や太鼓、笛なんかで繰り返しながら、そこに歌が乗るようなスタイルが多いです。僕がずっと通っているナガ族の村では、フリースタイル・ラップみたいに複数人が即興で歌を紡ぐ習慣が残っているし、決まった歌詞が代々受け継がれている村もある。民族によってバラバラなんですよ。その多様なところも魅力だと思います。
━━井口さんはまさに歌や音楽が奏でられる現場に立ち会ってきたわけですが、なかでも一番印象に残っているのはどんなシーンですか。
井口 ナガ族の村では10メートルを超える巨大なスリットドラムを作る習慣が残っていて、その完成を祝うお祭りをやるんですが、祭りの冒頭に男たちが手を繋ぎながら歌い出したことがあったんですよ。音楽を聴いて涙を流すほど感動することってそうそうないことだと思うんですけど、そのときはいい歳こいて泣いてしまうぐらい感動してしまって。心から声が出ている感じがしたんです。
━━話に出てきたので、リミックス盤『Kalab Mixed Myanmar #1』の話からしましょうか。井口さんがこの企画を立ち上げた経緯を教えてください。
井口 制作が具体的に始まったのはコロナ禍に入ってからなんですよ。去年の4月とか5月。ただ、構想としては結構前からあって。
ミャンマーの音楽をたくさん録音してきたので、それらをモディファイしてみたいという考えがあった。構想としては結構前からあったんだけど、制作が具体的に始まったのはコロナ禍に入ってから。コンピュータベースで音楽を作っているトラックメイカーにお願いするのが最初のトライとしては一番いいんじゃないかと思って、DJのShhhhhくんに相談したところから話が始まりました。
━━タイチさんとコムアイさんのリミックスはどういうプロセスで作っていったんですか。
コムアイ アルバム4枚分の音源を井口さんからいただいたんですが、まずはどれをモチーフにするかが大問題で。悩みながら「これは骨子になるかな」というものを選びました。それ以降でタイチさんの中で熟成されていく期間があって、関西で実際に会ってレコーディングしました。インドの歌唱法に近いものをやってみたり、喉を鳴らしてみたり、ウィスパーっぽいものであったり。エストニアのカンネルという伝統楽器を持ってるんですけど、そのカンネルを弾きながら歌ったこともありました。
オオルタイチ 井口さんからいただいたものを聴いていたら、「これを一定のBPMに収めてしまうのはもったいないな」と思ってしまって。ぱっと聴くと、拍子がないように聴こえるものでも、後ろで鳴っている鉦が拍子になっていることがだんだんわかってきて、それに合わせて自分の音を入れたり。後半はそれでも打ち込みを入れてたんですけど、だんだんBPMの決まったリズムが入っていることに不自然さを感じるようになってきて。だから、いわゆるリミックスになっているかというとよく分からないんですよね。
━━伝統音楽に規則正しいキックを入れただけのものってリミックスのひとつの手法ではあるけれど、伝統音楽の持つ揺らぎやその土地で育まれてきた身体性を削り落とすこともありますよね。その土地の風土と結びついた固有の時間感覚を地均ししてしまうというか。でも、このリミックスは明らかにそういうものじゃないですよね。
オオルタイチ 今の自分がそういうモードなんですよね。ミャンマーの伝統音楽って歌が主体になっていて、周りの演奏はそれに合わせていくというやり方なんですけど、それってすごく理想的だと思っていて。人間の時間感覚ってふだんからバラバラじゃないですか。ミャンマーの伝統音楽を通して、伸び縮みするような時間感覚を感じられるし、それは大事にしたいと考えていました。それが伝統として残っていること自体が素晴らしいことだと思いますし。
━━コムアイさんの歌もミャンマーに寄り添っていくような歌ですよね。
コムアイ 同化していくなかで自分が分からなくなっちゃうというか、周りの環境に飲み込まれやすいんですよ。タイチさんとやってるときも一緒で、自分で声を出しているんだけど、半分ぐらいタイチさんが歌ってるような感覚で。なので、いつも違うものと違うもののぶつかり合いみたいなことにならないんですよね。
━━同化でもあるのかもしれないけど、元のものにチューニングを合わせていくような感覚でもある?
コムアイ あ、そうかもしれない。この歌をレコーディングしていたときは歌いながら半分ぐらい眠っていて、夢うつつみたいな感じだったんですよ。それもあって、終わったときの達成感が全然なくて。タイチさんは「これだ」と言ってるけど、「私、寝てたしな」と思って(笑)。でも、私は歌っていてすぐ力んじゃうので、これぐらいのほうがいいのかも。
制作を始めたのはクーデターの前だったけど、もしも始めるのがもう少し遅かったら、ミャンマーの現実に引っ張られて意味や気持ちを込めすぎていたかもしれないし、このリミックスを作っていたときは夢の中でミャンマーと繋がるような感覚だったんですよ。
音楽が消えた町
━━井口さんは今もミャンマーの音楽家と連絡を取れているんでしょうか。
井口 今はできていますね。電話もできるし、Messangerも使えます。一時期は軍が全国的にネットを遮断したこともあったようですが。
━━音楽・芸術関係者はどのような状況に置かれているんでしょうか。活動できない状態?
井口 サインワイン楽団(註:太鼓やゴングや笛で構成されるミャンマー伝統音楽の演奏形態)の場合、得度式(註:仏門に入り僧侶になるための儀式)であるとか村の祭りだったり、あるいは村の有力者が楽団を呼び、音楽と料理を村人たち無料で振る舞う「アルー」という風習のためだったり、庶民の生活に寄り添う形で成り立ってきたんですね。軍事クーデター以降、そうした活動がまったくできない状況で、伝統音楽に携わる音楽家は演奏をする場所が消滅しています。
━━ということは、当然収入が途絶えているわけですよね。
井口 そうですね。「生活費が足りないので助けてくれ」というメールを送ってきた友人もいました。
━━じゃあ、街中でまったく音楽が鳴っていない状態?
井口 3か月ぐらい前の話ですけど、テレビ番組を制作している現地の友人は「街中から音楽が消えてしまった」と言っていました。バンドがライブをやったり、サインワインの音が街中で流れるということは今はないでしょうね。
━━たとえば、一般市民が家のなかで音楽を聞いていて拘束されるようなことはあるんでしょうか。
井口 それはないと思います。クーデター以降、軍に不利益になる情報を発信すると逮捕されるという法律ができたんですけど、軍の批判をしなければ、音楽を奏でたり聴くことで拘束されることは現状ないはずです。
━━かつてのカンボジアのように、音楽家であることを理由に拘束されることはないわけですね。
井口 そうですね。文化そのものを根絶やしにしようという動きがあるわけではないと思います。
━━今回のリミックス盤『Kalab Mixed Myanmar #1』のリリースには、活動がままならない音楽家たちを支援するという目的もあるんでしょうか。
井口 どういう形でミャンマーのアーティストたちに貢献できるのか、今はテストを重ね模索している段階だけど、次に繋がる活動に今回の売上を使っていければと思っています。売り上げをそのまま寄付するというよりは、新作の制作費を売上から提供するような方法が持続性があるとは思っています。ミャンマーの伝統音楽家って、自分たちが受け継いできたフォーマットを崩すことに抵抗感がある人が多いんですよ。なので、リミックスをよく思わない人もいるかもしれないけれど、国外にいる僕らがミャンマー文化を発信することは喜んでくれると思うし、外からの働きかけで新しい創作の可能性を示したいと考えたんですよね。
━━彼らの中には「世界から孤立するんではないか」という不安もあるんでしょうか。
井口 めちゃくちゃあると思います。ミャンマーの若い子たちは「自分たちの未来は真っ暗だ」「自分たちの未来が壊されている」と言ってますしね。
━━ミャンマーは2011年に民主化して、ようやく未来に希望を持てるようになったわけですけど、それから10年経って、前の時代にもう一度引き戻されようとしている。民主化以前の時代を知っているからこそ、希望を持てなくなっているんでしょうね。
井口 そうですね。「あの時代に逆戻りするのはいやだ」「命をかけても戻りたくない」と口にする若者も少なくありません。そういう子たちが命懸けで抗議活動をしていたわけですけど、それすらも理不尽な暴力に晒されて難しくなっています。
有事のなかで音楽にできることもある
━━そういえば、以前井口さんからいただいたメールのなかで、クーデター下のミャンマーにおける音楽の役割について書かれていましたよね。
井口 そうですね。コロナ禍以降、日本でも音楽フェスを開催するか中止にするかという議論のなかで音楽の必要性/不必要性について話されることがありますけど、有事のとき、音楽にできることはないのか考えさせられたんですね。
ミャンマーでは抗議活動の一つとして大勢の市民が一斉に鍋なんかをガンガンと叩いていました。それは鍋叩きの音で悪霊を追い払うという習わしがあるためです。あと、1988年の民主化デモの際、ミャンマーで象徴的に歌われていた歌があるんですけど、今も市民が一致団結するためにそれを大合唱したり。そういう活動を知ったとき、有事のなかで音楽にできることもあると思いました。
━━タイチさんとコムアイさんはコロナ禍で以前のような活動ができないなかで、音楽の意味や意義について考えたことはありましたか。
オオルタイチ コロナ禍の初期の段階ではそうでもなかったんですけど、途中落ち込んだ時期があって。毎日コロナで重症になったり亡くなったりする人がいるということが自分の中でクローズアップされちゃって。ニュースだけ見てると人数ばかりが気になるんだけど、ひとりでも亡くなっていたらとんでもないことで。そんな状況のなか、なんで自分は意地になって東京でライブをやってるんだろうと思ってしまって……。
━━とてもよくわかります。
オオルタイチ それ以降、自分の感情のおもむくままに音楽をやることに少し抵抗が出てきてしまって。今、コムアイちゃんとのプロジェクトで熊野に行ったりしてますけど、何かを理解しながら音楽を作っていくとか、何かとの相互作用のなかで音楽を生み出していくとか、そういう方向に向かっているんですよ。ゼロから生み出すよりも「知りたい」という欲求のほうが強いというか。
━━コムアイさんはどうですか。
コムアイ 私も「もっと知りたい」とか「勉強したい」という気持ちが強くて、それも必ず人と結びついています。インドの古典音楽やアイヌの歌を習ってるんですけど、それぞれの先生のことが大好きで習ってるんですね。タイチさんと熊野に行くのも一緒。コロナ禍に入ってからはフィールドワークをする場所があるということにも助けられたし、私の表現において、人とのコミュニケーションが核になっているということにも気づかされました。
━━今回のリミックスも音を通じてミャンマーの人たちとコミュニケーションしているような感覚?
コムアイ そうですね。音楽を通じて直接繋がっているというかね。
━━9月のイベント<Pwal! Pwal! Pwal! #1 -Stay with Myanmar->を井口さんが企画した経緯を教えてください。
井口 もともとは、ミャンマーの古典音楽を日本の最高の技術者達の力を借りて、現地から世界へ向けて配信するイベントを実施するつもりだったんですよ。それがコロナとクーデターでできなくなって。こういう時期だからこそミャンマーの文化を紹介する必要性を感じて、このイベントを企画しました。
━━文化を紹介するとともに、ミャンマーで起きていることを日本の人々に伝えるという目的もあるんでしょうか。ミャンマーのことを忘れさせないというか。
井口 そうですね。それもあってイベントのサブタイトルに「Stay with Myanmar」と付けました。ミャンマーとの距離は遠くなってしまったけれど、遠隔で作品制作をやる方法も見えてきたし、僕自身、関わり続けようと思っていて。そうやって日本人が関わることは向こうの人たちにとっても嬉しいことだと思うし、きっと次のアクションに繋がっていくはずなんですよね。
━━タイチさんとコムアイさんも出演されますが、どんなライブになりそうでしょうか。
コムアイ クーデター後に生まれたヤンゴンの音にも興味があって、井口さんからいろんな音をいただいています。井口さんがさっき話していた民主化デモの鍋の音だったり、ヒップホップのトラックだったり。それをそのまま使うとメッセージ色が強くなっちゃうので、扱い方を考えています。音楽的にはミャンマーの美しい側面をたっぷり伝えたいなとも思っていて。
オオルタイチ 自分のできることって、できるだけ丁寧にミャンマーの音楽と向き合うということだと思うんですね。ミャンマーの歴史や今行われている悲惨な行為って本当に酷いことだと思うし、人が持っている良心みたいなところに音楽で力を与えるようなライブになればいいなと。
━━最後に井口さん、配信をご覧になる方々にどんなことを感じてほしいと思いますか。
井口 ミャンマーの音楽ってすごく魅力的で個性があるし、一度聴くと忘れられないと思うんですね。配信を通じてミャンマーのことを身近に感じてほしいですし、ミャンマーのことをぜひ自分の身体に取り入れてもらって、ミャンマーのことを忘れないでいてほしいですね。「Stay with Myanmar」でいてほしいです。
Text by 大石始
PROFILE
KOM_I
アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。
2019年4月3日、屋久島でのフィールドワークをもとにプロデューサーにオオルタイチを迎えて制作した音源「YAKUSHIMA TREASURE」をリリースし、公演を重ねる。2021年、新しい形の音楽体験「YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE from 屋久島」をオンラインにて公開。(https://another.yakushimatreasure.com/)現在はオオルタイチと熊野に通いながら新作を準備中。2020年からOLAibiとのコラボレーションも始動。北インドの古典音楽や能楽、アイヌの人々の音楽に大きなインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。
音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。
2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。
KOM_I Instagram | KOM_I Twitter
オオルタイチ
1979年奈良県三宅町に生まれる。『漂流する内的民俗』をキーワードに1999年よりオオルタイチとして活動を開始。電子音と非言語の歌が融合した音楽を展開する。当初は即興演奏を軸に楽曲制作を行っていたが、90’ダンスホールレゲエとの出会いによりトラック制作を本格的に開始。かねてから衝動的な即興表現として用いられていた声の要素がパトワ語の響きに触発され、さらに歌のようなものへと変化、現在のスタイルへと発展した。
国内に留まらず海外での活動も精力的に行う。2012年Japan Society(ニューヨーク)での単独イベント開催、2017年The Broad(ロサンゼルス)で開催された”Summer Happening”への出演をはじめヨーロッパ、アメリカ、韓国、香 港、台湾など各地のイベントから招聘を受けツアーや公演を行う。 2014年にはUSレーベルMATADOR傘下より2ndアルバム『Drifting my folklore』がライセ︎ンスリリースされた。
現在、コムアイとの熊野での楽曲制作や石田多朗との雅楽プロジェクト”どんぶらこ”などが進行中。2020年NHK総合で放映されたアニメ「映像研には手を出すな!」では劇伴音楽を担当するなど活動は多岐にわたる。
井口 寛
日本とミャンマーを拠点に活動する音響技師。2013年から日本とミャンマーを2拠点としながら、ミャンマーの伝統音楽1000曲を記録・保存するプロジェクト「Gita Yadana」(ギタ ヤダナ)に参加、7年の歳月をかけて全曲の記録を成功させる。自ら音楽レーベル「ROLLERS recordings」を立ち上げ、自身でプロデュース・録音をした作品の発表も行う。近年は、映像制作やダンス作品への楽曲提供、ミャンマーでのフィールドワークにも力を入れている。2016年に国際交流基金のフェローとして訪れたミャンマー北西部の丘陵地帯で少数民族・ナガ族に出会い魅せられ、以降ナガのユニークな文化の調査・記録を続けている。ナガ族の巨大ドラム作りを記録した映像作品「ナガのドラム」は2020年東京ドキュメンタリー映画祭で上映され大きな話題を呼んだ。
EVENT INFORMATION
Pwal! Pwal! Pwal! #1 -Stay with Myanmar-
2021年9月25日(土)、26日(日)
配信コンテンツは10月3日(日)まで同チャンネルにてアーカイブ
配信プラットフォーム:ローラーズ公式YouTubeチャンネルにて
視聴費:無料
クラウドファンディング:9月1日(金)よりCAMPFIREにて開始。イベント制作資金を募り、それを超えた分は現地音楽家の新作制作資金に充てる。
配信コンテンツ:
音楽 – 2021年9月25日(土)18:00〜
・Bo Thu Rain Group(サインワインと歌と踊りでミャンマー芸能を披露)
・ここが面白い!ミャンマー古典音楽(レクチャー、講師・丸山洋司)
・大友良英 Cathode for Myanmar(ミャンマーのゴングをキー楽器にした全曲書き下ろしの演奏)
9月26日(日)15:00〜
・Cho Cho Aye with 村上巨樹(ミャンマー古典音楽とマンダレー・ミョーマ楽団のレパートリーを演奏)
・栗コーダーカルテットwithビューティフルハミングバード(オリジナル曲とミャンマー古典を織り交ぜた楽曲を演奏)
・オオルタイチ, コムアイ(ミャンマーの音を題材にした新作パフォーマンスを披露)
オンライン展示コンテンツ:
写真 – 9月1日(金)からイベントホームページ上で展示
Zaw Min、⻲山仁、兵頭千夏、Spring Revolution in Myanmar
絵画 – 9月10日(金)からイベントホームページ上で展示
・The Room
The Roomはサンサンウー医学博士とアウンミン医学博士が主催するヤンゴンのアートセラピーです。セラピーに参加する精神疾患を患った患者が描く作品とアウンミン自身が描く自画像を展示致します。
主催・問い合わせ:mynameisrollers@gmail.com(株式会社ローラーズ)
RELEASE INFORMATION
Kalab Mixed Myanmar #1
2021年11月7日(日)
販売価格:¥3,960(tax incl.)
レーベル:ローラーズ・レコーディングス
トラックリスト
A1 Ar Chit Yee(OORUTAICHI, KOM_I Remix)
A2 Ka Chey There(Asa Tone Remix)
B1 Shwe Oh Si (Andi Otto Remix)
B2 Ka Chey There(Prabumi Remix)
C1 Aung Min Ga La (El Buho Remix)
C2 Burmese Piano Improvisation(Barda Remix)
C3 Ka Chey There(Barrio Lindo Remix)
D1 Ba Wa Than Tha Ya (Churashima Navigator Remix)
ミャンマーの民族音楽を国内外のアーティスト達がリミックス。プロデューサーShhhhhの呼びかけに、南米Shika ShikaからBarrio Lindo、El Buho、Andiotto、Bardaが、東南アジアからはAsa Tone, PRABUMI、そして日本からはOORUTAICHI, KOM_IとChurasima Navigatorが参加。数百年の歳月をかけて積み重なってきた摩訶不思議なミャンマー音楽を、今を生きる世界中のリミキサーが独自に解釈し、新たな地平を示す。