2020年9月、コロナ禍の真っ只中にあった米・ニューヨークにて、日本人ジャズピアニスト・海野雅威が8人の若者に暴行を受けたという報道が日本中を駆け巡った。

アメリカ大統領選挙を間近に控え、ブラックライヴズマター(BLM)運動が盛んになり、アメリカ全土で分断が進んでいた最中、凄惨なヘイトクライムに遭い、活動に支障をきたすほどの大怪我を負った海野だが、友人たちの助けもあり奇跡的な回復を見せ、活動を再開。

ミュージシャン仲間たちとともにいくつかのレコーディングを敢行し、ニューアルバム『Get My Mojo Back』を完成させた。コンガを基調にした軽快なパーカッションサウンドが特徴的な楽曲や、“Mojo(魔力・惹きつける力)”を冠するに相応しいナンバーまでをも収録した本アルバムは、海野がジャズから受けた愛を詰め込んだ作品だ。

今回Qeticではニューアルバムリリースを祝して、2020年の痛ましい事件をきっかけに彼を知ったという芸人の村本大輔(ウーマンラッシュアワー)との対談を実施。ニューヨークでスタンダップコメディアンとして舞台に立つことを夢見る村本が、ジャズの本場でもある同地で活躍する海野との対話で何を見出したのか。意外な組み合わせの2人がともに抱くタブー視することへの違和感とは。そして重傷を乗り越えたからこそ創り出せたニューアルバム『Get My Mojo Back』の“Mojo”にも迫る。

対談:
ジャズピアニスト・海野雅威
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コメディアン・村本大輔

対談:ジャズピアニスト・海野雅威×コメディアン・村本大輔|枠にとらわれない2人が感じるNYの“Mojo(魔力)” interview220405_unno_muramoto_01_2-1440x960

愛に溢れたNYジャズライフ

━━お二人は最初どういうきっかけで知り合われたんですか?

海野雅威(以下海野) 僕は村本さんと同じ1980年生まれなのですが、以前からテレビで拝見して面白い方だなと思っていました。自分の体験をああいうふうに語って笑いにできる人ってあまりいないし、政治的な発言も含めて勇気あるなと尊敬していました。その村本さんがニューヨークに来たいということで僕に連絡をくれて。

村本大輔(以下村本) 2年前に海野さんがヘイトクライムに遭ったニュースを見て、ショックを受けました。えっ、日本人がニューヨークの地下鉄の通路で襲われた? ピアニストなのに指とか大丈夫かな?って心配になって。

それから1年ぐらい経った頃、あのピアニストの人、今大丈夫かな?と思って、SNSで調べたら「フォローされています」って出たんです。えっ、俺のこと知ってくれてるの?って慌ててフォローして「すみません、村本といいます」って自己紹介から始まるメッセージを送りました。坂本龍一さんにも海野さんのことをメールしたら「彼のことはよく知ってるよ」と返信をくれて。

海野 坂本さんはニューヨークでお世話になったことがあるんです。ご自身の作曲した作品のデータベースを作りたいということで、知人の紹介で資料整理のお手伝いをしました。坂本さんは闘病中にも関わらずたいへん僕のことを心配してくださって、今回の僕の新しいアルバムもいち早く聴いてコメントをくださったり、本当に素晴らしい方です。坂本さんと村本さんが接点あることも何となく知っていました。

━━2020年9月、地下鉄の通路で海野さんが若者8人に暴行を受け、ピアニストの命とも言える右肩を複雑骨折した事件は日本でも大きく報道されました。長いリハビリ生活の中で「復活することは僕の新しい使命だと思った」とお話しされていました。

海野 本当に忘れたい記憶だし、二度と体験したくない恐怖だったとしか言い表せませんが、村本さんのように直接の面識がなくても僕のことを心配して、心を痛めてくださる人たちの思いが勇気を与えてくれました。

同じ時期にアジア人が襲われたり暴言を吐かれたりしていることをニュースで僕も知っていたので、いざ自分の身に起こった時も、これが聞いていたやつかという感じでしたね。心の準備もないまま理不尽に襲われることの悲しさだったり、なんでこんなことするんだろうっていう切なさだったり。

アメリカ大統領選挙前で、その後も連邦議事堂乱入事件が起きたり、社会の歪みや分断された世界を象徴する事件だったなって自分のことながら思います。でも、同時に温かい声もたくさんいただきました。闇と光を両方見て、なるべく光の方にフォーカスするようにしていたので、どうにか絶望しないで済んだと思います。

村本 海野さんこそ僕にとっての光でしたよ。悪いニュースばかり見て、アメリカに行くのが怖くなった時期もありました。その中で海野さんがアメリカで再び立ち上がってピアノを弾く姿に震えちゃって。怖がってちゃダメだ、アメリカに行ってスタンダップコメディで俺も負けずに戦ってきたいと思えたのは、同い年の海野さんの姿に光を見たからです。カムバックできて素晴らしいと思いますし、その物語を運んできてくれたことに感動しました。

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海野 嬉しいです。ハッピーなニュースってネガティブなニュースにかき消されがちですけど、日常に目を向ければ、すごく幸せなこともいっぱい起きているわけです。だから僕もリハビリを積んで、いろんな人の復帰の願いを受けて、なんとかいいニュースにできないかなと思ったし、ここで終わらせたくない、負けたくないと思えたのはそうやって心配してくださる方がいたからです。日本人のピアニストが襲われて悲劇だったね、で終わらさず、それをなんとかバネに明るいニュースに変えてやろうと思いました。

村本 今日はニューヨークの話をいろいろ聞かせてもらいたいのですが、海野さんはアメリカに行ったばかりの頃はギャラがハンバーガーだったとか?

海野 そうそう。あと、ピザのときもありました(笑)。

村本 俺もありがたいことに日本で毎日仕事がある中、それを一旦ゼロにしてニューヨークのオープンマイク(飛び入りのアマチュアに店のマイクを開放するシステム)からスタンダップコメディをやりたいと思っているのですが、海野さんはなぜ日本で築き上げてきたものをいったん置いてニューヨークに行こうと思ったんですか?

海野 それは逆に村本さんに聞きたいところでもありますね。僕も日本で活動していた頃は結構忙しくしていました。365日のうち350日は演奏していたような年もありましたし、それだけ必要とされていることが嬉しくて、日本全国どこでも出かけていました。オーディエンスの人たちやジャズクラブに受け入れてもらったり、先輩ミュージシャンに可愛がってもらいながら、いろんな経験を積んで。でも、そういう生活を始めて10年経った27歳の時、もっと想像できない世界に飛び込んでみたくなったんです。

そもそもジャズはアメリカで生まれた音楽だから、本場の人と演奏してみたい。それができなければミュージシャンとしてはまだまだジャズを深く理解していることにはならないと思うし、胸を借りますとかじゃなく、日本でやってきたように対等に僕を必要としてもらいたい。それができなければ、ハッピーになれないと思うようになりました。

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村本 そう思い始めたのはいくつぐらい?

海野 24歳か25歳の頃から思っていました。自分が尊敬する80歳、90歳のレジェンドがニューヨークで現役で頑張っているのに、会えないままだとすごく後悔するんじゃないかって。僕の場合ジャズだからアメリカっていうのは自然な繋がりだと思いますが、村本さんはどうしてアメリカに行きたいと思ったんですか?

村本 僕もコメディです。子供の頃から日本の好きな芸人さんがいて、高校生になっても毎日テレビを見て、お笑い芸人の世界に飛び込んで仕事をしているうちに、だんだんと子供の頃のように腹抱えて笑っていた興奮がなくなっていって。そんな時、たまたまある人にジョージ・カーリンというアメリカのコメディアンを教えてもらって、そこからアメリカのコメディを見るようになりました。

ロサンゼルスのコメディクラブに行ったら日本の劇場とは全然違っていて、みんな野球を見に来る感覚でスカッとしにビール片手に観ているんですよ。若い女の子の出待ちもないし、大笑いしたら気持ちよく帰る。

アメリカの笑いは考え方としてinterest(興味)の先にfunny(面白さ)があって、人種についてとか広いテーマで笑いを取っているから、彼らと横並びでコメディっていうのをやってみたい。人生一回だったら彼らと同じ土の中に埋まって自分がどんだけ育つのか体験したいなと思うようになりました。

海野  僕もまったく同じで、ジャズが好きだから憧れていた人たちと演奏できたり交流できるだけで最高に幸せなんです。収入が増えるとか有名になるとか全く考えてきませんでした。

人によっては「勇気あるね」とか「無理じゃない?」とか言われたこともあります。「日本でせっかくやっているのになんで捨てちゃうの?」とか。一緒にやってきた人に言われてショックだったこともありますが、自分の心に正直に生きることが何よりの幸せだから、一度そう思ったら止まらないですね。レジェンドが同じ空間で演奏しているのを耳で聴いて、細胞レベルで吸収した気になるだけで行ってよかったと思っていました。とにかく憧れの気持ちがあったから行けたとも言えますね。

村本 ニューヨークは今年で何年目ですか?

海野 15年目です。

村本 向こうに行って、日本との環境の違いでは何を一番感じました?

海野  さっき村本さんが言ったことと似ていますが、ジャズの世界でも日本だと内輪でウケれば満足みたいなところがあって、それで収入も得られれば安泰だし、年を取ればそれなりのポジションを得られるという日本の社会の仕組みみたいなものがあると思うんです。

駆け出しの頃はお互い切磋琢磨しながら成長していく仲間がいても、ある程度仕事ができるようになると我関せずで、あまり他者と交流しないミュージシャンもいることを感じてました。

だけどアメリカでは、畏れ多くて近づけないと思っていたレジェンドもとてもフレンドリーだし、僕のことを同志として受け入れてくれました。素晴らしいミュージシャンであるほど、新人に対して俺が先輩だみたいな態度は絶対しません。ジャズピアノの神様、ハンク・ジョーンズ(Hank Jones/1918-2010)は当時90歳近くでしたが、6時間以上も一緒にセッションしてくれるなんて思ってもいなかったですし。僕は本当に恵まれていて、素晴らしい人たちに会えたなと思います。

一緒にアメリカに行ってくれた妻にも感謝していますし、とにかく自分の信じることをやったおかげで、思ってもいなかったような夢が少しずつ叶った15年でした。2年前の事件はほんの一部であって、受けてきた愛の方が断然大きいんです。だから“いいこともあれば悪いこともあるさ”みたいな気持ちになれたってこともあります。

村本 なるほど!

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タブー視しないコメディとジャズ

村本 そもそも海野さんは何がきっかけでジャズに魅了されたんですか?

海野 小さい頃、父親がアート・ブレイキー(Art Blakey)とかオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)といったレジェンドが来日するたび連れてってくれました。子供だからただピュアに“この音楽かっこいい、ウキウキする”みたいな感じで9歳からジャズピアノを始めて、今に繋がっています。

ジミー・コブ(Jimmy Cobb/1929-2020)とかロイ・ハーグローブ(Roy Hargrove/1969-2018)のバンドで日本人初のレギュラーメンバーになることができて、ディープなところに行けば行くほど──例えばロイのグループだと黒人の歴史をちゃんと理解していないと恥ずかしい気持ちになるし、彼らが誇りを持って演奏している中に僕を迎え入れてくれているわけだから、今まで以上に彼らの歴史に対してリスペクトが増してきて。頭では理解していたつもりだけど、実際の現場で僕を必要だって言ってくれる人たちの中に入ると、さらにいろんなことに共感できるようになりました。アメリカに行ってよかったなと思えたのはそこなんですよ。黒人が作った音楽というものを、ひしひしと感じました。

━━海野さんがハンク・ジョーンズ、ジミー・コブ、ロイ・ハーグローブといったレジェンドたちのバンドで演奏できたことは、何事にも変えがたい経験ですね。

海野 そうですね。彼らが亡くなってしまった今となっては、経験したくてももうできないことなので。

村本 僕がアメリカに行きたいと思った理由のひとつに、日本は「誰に言ってるんだ?」って言葉がすごく多いんです。これが「何を?」ならまだ分かるけど、「誰に?」は権威だったり目上の人に文句を言うな、みたいな意思を感じるんです。

海野 村本さんは、針が振り切れた感じのスタンスが非常にアメリカっぽい(笑)。そういうことを言ったら相手が傷つくかもしれないような発言でも、果敢に笑いに変えていきますよね。人を批判して憎しみを増幅するようなやり方ではなく、ユーモアで包むことでタブーとされている話題に触れつつ、嫌な気持ちにさせない笑いというのもあると思うんです。日本じゃあまりそういうのはないですけれども。

村本 勇敢と無謀が一緒になった感じで、日常では喧嘩になっちゃうからテーマにしない題材にあえて手をつけて、さらに笑いを取るのがコメディアンであるべきだと思うし、常に社会の外にいて何かに属したくないという思いもあります。

“みんなに好かれる”というと肯定的な概念に見えますが、コメディアンは敢えてその外にいてほしいなと僕は思うんです。例えば「それ言ったらあかんで」の「それ」がすごく狭いじゃないですか? 内輪の悪口とか楽屋話に終始するんじゃなく、もうちょっと広い「それ」に触れて爆発を起こしてみたいと思うようになりました。

以前、原発のネタをやった時、ある先輩芸人に「村本、それテレビで使われへんやつやで」って言われたんですけど、彼はこれまで一度もテレビに出たことなかったんです(笑)。出たことないし、テレビ番組を作ったこともない彼がなぜ「テレビで使われへん」という言葉を使ったんだろうと思うと、すごく面白くて。

海野 あはは!

村本 一般の人も「それ言うたらあかんやつ!」とか「アブない!」とか結構使うじゃないですか? 空気を読み過ぎて。そういう会話を意味も分からずにしているせいで、言論の自由の輪がどんどん狭くなってきている感じがします。

さっきの話の続きですけど、俺、笑っちゃったから我慢できずに「いや、あなたテレビ出たことないじゃないですか」って言ったら、横にいた芸人が「言うたらあかんやつ!」って(笑)。それが一番のタブーだったという。タブーは身内の中に潜むというけど、身内の範囲が狭い。もっと世界が広がればいろんなものを多角的に捉えたうえでコメディとしてひと刺しすることができると思うんですけどね。

海野  なるほどね。

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海野が実感するジャズの本場NYの「サラダボウル」

━━村本さんから海野さんに聞いてみたいことは?

村本 ジャズはアメリカで生まれたものだって普段実感することはあるんですか?

海野 正確に言うとアフリカから連れてこられた奴隷が生まれ持っていたリズムやメロディー、ハーモニーが、ヨーロッパから来た白人たちの持ちこんだ音楽と混ざって洗練されてジャズになったという歴史があるから、原点を正すと人類の起源だってアフリカだし、アフリカ抜きにしては何も語れません。

ある日突然奴隷船に乗せられて知らない国に連れて行かれるって、そんな理不尽なことはないし絶対あってはならないことだけど、皮肉なことにそういう悲しい歴史があったことによって音楽的には人種が混ざり合って豊かなものが生まれた。悲しみの中から唯一花開いたものが、ブルースだったりジャズなんです。

村本 うんうん。

海野 苦労を重ね、自由や発言を奪われてきた黒人の人たちが、これだけは絶対渡せないと思った魂の音楽。ジャズがアメリカで生まれたとされているのは、そういう土壌ですよね。混じり合うための要素としてアメリカが必要だったわけで。実際にニューヨークに行くと、いろんなことを感じますよ。このバンドは白人しかいないなとか、黒人しかいないなとか。アメリカに行ってもやっぱりグループに分かれているんだと思いつつ、他のバンドを見たら、あっ、混ざっているなとか。それはお客さんを見ても分かります。

せっかくジャズという音楽は人種を超えると思って来たのに、結局分かれているんだと思うと悲しくなるけど、考え方によってはそれぞれの人種が楽しめる何かがあるんだとも言えるし。

僕はロイ・ハーグローブのバンドだったら黒人の中で一人だけ日本人、ジョン・ピザレリ(John Pizzarelli)のバンドだったら白人の中で一人だけ日本人なのですが、日本人の利点でどちらにいても違和感がない。言い方は変だけど、どちらにも属さないお客さん的な民族なので、アメリカで生きていくうえでは入っていきやすいという面もありますね。

村本 ああ、なるほど。無垢としてそこにいる。

海野 そう。ただ、僕の事件の犯人が黒人8人の少年少女たちだったという事実だけを捉えて「だから黒人は怖い」的な主義主張する人がすごく多いことです。それは間違っていますから。一時期あった大坂なおみさんへのバッシングも、もともと彼女のことをよく思わない人が声高に叫んだだけで。

村本 BLMに被せて、ネガティブなイメージのニュースに使われたということですよね。

海野  その通りです。BLMには賛同しながら、同じ日本人が襲われているのに何も発言しない大坂さんは偽物だみたいなことを言う人がいましたけど、もともと彼女のことをよく思わない人が言ってるだけです。大坂さんからしたら全部のニュースなんてチェックできないし、僕のことを言うのも言わないのも彼女の自由だから全然構いません。

今もウクライナがこういう状況になって、ロシア人すべてを悪だと思う人がいることが本当に悲しいです。ロシアでも反対している人、抗議して逮捕される勇敢な人が大勢いる中、ロシア人全体が世界から非難を受けて、個人レベルで非難されているのを見ると、本当に切ないですよね。

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怪我の功名とも言えるニューアルバムの魅力

━━アルバム『Get My Mojo Back』は、療養中のピアノを弾くことができなかった時期に作曲されたそうですが、生命力に満ちた演奏がふんだんに収められた素晴らしい一枚ですね。ヴィクター・シー・ユーエン(Victor See Yuen)のパーカッションも、いいアクセントになっていました。

海野  ありがとうございます。録音が全部終わってから1曲目をどの曲にするか考え他のですが、僕はピアニストだからみんなピアノの音が最初に聴こえるのを期待しているだろうなと。だけどやっぱりジャズの原点はアフリカのリズムだから、原点回帰という意味でもヴィクターのコンガから入ってほしいと思いました。

Get My Mojo Back – 海野雅威

━━タイトルの“Mojo” は「魔力」とか「もともとその人が持っていた力」という意味ですね。

村本 僕は音楽にまるで疎くて、ジャズについても『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングが演じたジャズ好きの主人公から教えてもらっただけなんです(笑)。何年か前にマイルス・デイビス(Miles Davis)を知った時、感動して坂本龍一さんに「マイルス・デイビスって知ってます?」って聞いたぐらい。みんなに当たり前だろってめっちゃ怒られましたけど。

海野 あはは!

村本 そこから『バード』という映画を観て、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)を知ったのですが、いつもジャズを聴くと夜のイメージというか、暗い中にバーっと連れていかれる感じがするわけです。だけど海野さんのこのアルバムを聴いた時は昼のイメージで、心が軽快になりました。朝からずっと1日中聴いて、ジム行く時も、ランチの時も、夜の闇に連れていかれないというか。太陽も似合うし、昼から飲むビールにも合うし、すごくいい気持ちになれて。

ちょうど今日、報告会みたいな感じで定期的に会社に呼ばれてとうとうクビになるのかってドキドキしながら行ったのですが(笑)、このアルバムを聴いてたら結構痛み止めみたいになって(笑)。心がすごく軽くなったから、楽しく会社に行けました。

海野  よかったです。生活の中でいろんな方が思い思いに捉えてくれたら嬉しいです。一人一人違うように受け止めたとしても、そこで何か化学反応が絶対生まれているわけだし、それが嬉しくてたまらないですね。

僕は本当に大変なことを経験してレコーディング中も腕が痛くて辛かったのですが、完成したこのアルバムを今ヘビーローテーションで聴いています。よくこんなに飽きずに聴けるなってくらい。よくこんなソロを弾けているなとか、腕が痛いとか音からは全然分かんないなとか、自分自身が勇気づけられていて。

村本 へ──っ!

海野 今までそんなふうに思った作品は実はあまりないんです。ここ、もっとこうしときゃよかったなとか結構反省モードになるのですが、あの時できる最高の何かが生まれたなってことにすごく自信があって。それに腕の痛い中だからこそ生まれたって思いもあります。

村本 それはどういうことですか?

海野 絶好調だったら余計なことをやって、もしかしたら、よく思われようという演奏もしていたかもしれないけど、そういう余裕もないから逆によかったなって。

村本 できることを一生懸命やったと。

海野 そうです。できることにフォーカスして、持てる力の中で最大に爆発させる表現ができたなと思えるアルバムです。

━━その後、腕の回復具合はいかがですか?

海野  今もリハビリを積んでますが僕は結構ポジティブに受け止めて、前はこれだけ弾けていたのにとか比べることはしません。とにかく今ピアノを弾けている、生きているだけでよかったって。いろんな人も復帰への願いも力になったし。もともとそういうふうに考える性格だったので、よかったなと思っています。

海野雅威/Tadataka Unno – Get My Mojo Back

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枠にとらわれない強さある2人の個性

村本 ジャズって歴史があるじゃないですか? 例えば寿司だったら江戸前寿司みたいな伝統に対して、それを壊していくべきかどうかについては、どういうふうに考えているんですか? 『ラ・ラ・ランド』の中でも、ジャズはこうあるべきだ、いや変化させていくもんだってくだりが描かれていましたけど、時代に合わせていくべきなのか、それとも守るべきなのか?

海野 一般的にジャズって自由な音楽だと思われていますよね。もちろん自由に表現することはジャズの核だし、すごく大事な部分なのですが、自由ってそんなに甘くなくて。本当に自由に表現できる人はジャズの歴史をちゃんと踏まえているし、それが血肉となってもまだまだという思いで先人たちをリスペクトしています。それなのに昔の人の音楽は古いと思い上がったり、“俺は今を生きるから俺の時代の音楽をやるんだ!”って、まったく歴史を振り返らない人は、僕はジャズミュージシャンとは言えないと思っています。

ジャズって便利なワードで、何をしてもいいと勘違いしている人もいますが、そんな甘いものではありません。自由を得るためには、ジャズとどうやって向き合っているかを問われます。とにかくディープな音楽だし、僕自身、先人たちが苦労して築いてきてくれたおかげで好きになってやっているんだという気持ちを常に持っているから、そういう歴史を顧みないで俺はジャズミュージシャンですって言っている人がいると、腹立つこともありました(笑)。最近はあまりなくなってきましたけど。

村本 いっときあったけど、今はなくなった?

海野 ジャズをわかったつもりで、新しいことやりたいみたいな人がいるおかげで、自分が地に足つけてやってきたことが逆に際立つなと思うようになりました。聴く人が聴けば絶対分かることだから。

村本 確かに。お笑いでもみんな一生懸命いろんなものに手つけていった結果、芸人の定義がブレて、ぼやけちゃってるいる部分もあるんですよね。本来はマイク1本で笑いを取ることだったのに。でも、だからこそ自分のやっていることが逆に色濃くなるなと思います。

海野 別に人と違うことをやろうとしなくても、周りが全然違うことをやってくれているおかげで、自分の個性が引き立つことってあると思います。そういう意味では誰が何をやってようが関係ないし、心がハッピーで、自分がやりたいことを表現するのが一番なので、それで周りに左右されちゃうようだったら、まだ弱いと思います。そういう意味では村本さんとても強いと思います。今までも貫いてきているから、アメリカでもきっと大丈夫だと思うし。

音楽やってて何がよかったですか?みたいな話になる時、やっぱり音楽に自分が導かれたおかげで人と繋がったときが一番嬉しい。村本さんと今日こうしてお話しできたのも音楽をやってきたおかげだと思うし、村本さんもコメディをずっとやってきたから、こうして出会った。それも“Mojo”なんです。導かれるようにして会うべき人は会うし、偶然も実は必然だったりします。だから新天地でも会える日を心から楽しみにしています。

村本 ありがとうございます。……僕、なんでアメリカ行くの?って聞かれた時、「ちょっと差別されてみたい」ってことをずっと返していました。差別されたこともないし、日本で在日朝鮮人の人たちがヘイトクライムに遭っているニュースを見ると、自分も差別されたいなと。黒人の芸人が差別をネタにしてめちゃくちゃ面白かったことをなんとなく想像してました。

だけど海野さんの記事を見た時、これがリアルだと思いました。差別されてみたら面白いコメディができるんじゃないかという俺の絵空事が一気に吹き飛んで、恐怖に思えてきた。海野さんはまだアメリカでやっていくと言っていますが、どこかでもしまた万が一という怖さもある。

だけど俺はそれらと向き合いながら本当の痛みや不安を感じた時、いいコメディができる気がするんです。

海野 まったく同感で、いろんな人が心配してくれた中には僕のことを不幸だっていう人もいました。ただ、不運だったかもしれないけど、人からあなた不幸ですって言われるのは絶対違うと思います。幸せか幸せじゃないかは本人が決めることだから。僕は不運だったかもしれないけど不幸じゃなかったと思えるのは、自分の経験を音にできているから。何もかも恵まれて安定している人には出せない音を自分は出せると信じていますから。村本さんも同じで、いろんな経験をした人のやるコメディは、それだけいろんな人に必ず届くと思います。

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Text by 秦野邦彦
Photo by 中村寛史

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海野雅威
1980年、東京生まれ。
4歳からピアノを弾き始め、9歳でジャズピアノを始める。
東京藝大在学中の18歳からミュージシャンとして活動を始める。鈴木良雄・伊藤君子・大坂昌彦らシーンを支える多くのミュージシャンと共演し若い世代の旗手的存在であったが、さらにジャズのルーツや文化に触れる為、2008年にニューヨーク移住。ゼロから新たにスタートした新天地でもトップミュージシャンに認められ、故ジミー・コブ (ds) クリフトン・アンダーソン (tb) ウィナード・ハーパー (ds) 故ロイ・ハーグローヴ(tp) ジョン・ピザレリ (gt,vo) ジャズミーア・ホーン (vo) 等のバンドでの活動の他、自身のトリオでも演奏を行っている。

2013年にはヴィレッジ・ヴァンガードでジミー・コブ・トリオのピアニストとして 日本人初出演。その一週間公演は、オーナーであった故ロレイン・ゴードンをはじめ、耳の肥えた地元ジャズファンを唸らせ本場ミュージシャンの仲間入りを果たす。

2014年、敬愛する名ジャズピアニスト、故ディック・モーガンのトリビュートコ ンサートのピアニストに推挙され、古くからの地元ファンに歓迎された。以降ワシントンD.C.を中心にかつてのディック・モーガンのバンドメンバーと共に演奏活動も行っている。

2016年6月、ジミー・コブ・トリオのレコーディングで訪れた伝説のヴァン・ゲルダー・スタジオで、レコーディングエンジニアのパイオニア、ルディ・ヴァン・ゲルダー(当時91歳)にその才能を称賛される。その二ヶ月後、8月25日に惜しくも逝去され、ヴァン・ゲルダー氏の生涯最後のレコーディングピアニストとなる。 同年10月、現代の音楽界を支える多くのミュージシャンを輩出している名門ロイ・ハーグローヴ(tp) クインテット日本人初のレギュラーメンバーに抜擢され、ロイが亡くなるまでの2年間世界各地を回るツアーを行う。

2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ、重傷を負う。緊急手術後に一時帰国し、約半年に及ぶ治療を行った後、アーティスト活動を再開すべく、2021年に再度ニューヨークへ渡航。8月にブルーノートNYでジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰、秋には日本でも「奇跡の復活ツアー」を敢行し、ブルーノート東京で千秋楽を迎える。差別や暴力に屈せず、混沌とした時代だからこそ音楽の力を信じる姿は、NHKスペシャル「素晴らしき世界~分断と闘ったジャズの聖地~」でも取り上げられ、大きな反響が寄せられる。

また、惜しまれつつ世を去った日本の名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス & フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていた。2010年5月16日、世界中のジャズファンに愛され最後まで音楽への情熱を燃やし続けたハンク・ジョーンズ が 91年間の人生に幕を閉じる時、その最期に立ち会う。師の志を受け継ぎ、自己の音楽を追求することで本分を全うしていきたいと強く感じている。

これまでの主な共演者は、Roy Hargrove, Jimmy Cobb, John Pizzarelli, Frank Wess, Joe Wilder, Jimmy Heath, Houston Person, Slide Hampton, Clifton Anderson, Scott Hamilton, Harry Allen, Al Foster, George Mraz, Ray Drummond, Ralph Moore, Vincent Herring, Javon Jackson, Eric Alexander, Peter Bernstein, John Webber, David Williams, Curtis Lundy, Wallace Roney, Eddie Henderson, Hassan J.J. Shakur, Essiet Okon Essiet, Jim Cammack, Gerald Cannon, Willie Jones III, Annie Ross, Mary Stallings, Roberta Gambarini, Jazzmeia Horn, Steve Williams, Chuck Riggs, Steve Nelson, Dave Pike, Chuck Redd, Nicki Parrott, Russell Malone, Eddie Allen, Patrick O’Leary, Peter Washington, Kenny Washington, David Wong, Yasushi Nakamura, Jerome Jennings, Dezron Douglas, Jovan Alexander, Jonathan Barber, Ben Solomon, Kojo Roneyなどで、幅広い世代のミュージシャンに信頼を置かれている。演奏を通して様々な人と出会い、その人柄に触れながら日々学んでいる。

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村本大輔(ウーマンラッシュアワー)
1980年生まれ。
お笑いコンビ、ウーマンラッシュアワーのネタ作り、ボケ担当。
2008年に中川パラダイスとコンビを結成し、「THE MANZAI 2013」チャンピオンに輝いた。

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RELEASE INFORMATION

対談:ジャズピアニスト・海野雅威×コメディアン・村本大輔|枠にとらわれない2人が感じるNYの“Mojo(魔力)” music220124-tadataka-unno-1-1440x1440

Get My Mojo Back

2022.03.02(水)
海野雅威
SHM-CD仕様 UCCJ-2204 ¥3,300(税込)
Verve/ユニバーサルミュージック

1、イズント・ジス・ゲイト・ワーキング?
2、バードバス
3、タイム・イズ・ノット・ホワット・イット・ユース・トゥ・ビー
4、ゲット・マイ・モジョー・バック
5、モア・モジョー
6、サークル
7、ミスター・エレガント・ソウル
8、アンティル・ユー・ヒア・フロム・ミー
9、シークエル・トゥ・ザット・オールド・ストーリー
10エンジョイ・イット・ホワイル・ユー・キャン

海野雅威(p, celesta)
ダントン・ボーラー(b)
ジェローム・ジェニングス(ds)
エディ・アレン(tp)
クリフトン・アンダーソン(tb)
アンソニー・ウェア(as, ts)
ヴィクター・シー・ユーエン(per)

2021年7月&9月、ニューヨーク、ブルックリン・レコーディングにて録音

視聴・詳細はこちら

EVENT INFORMATION

Tadataka Unno Trio “Get My Mojo Back” Release Tour

2022.05.05(木)、06(金)
16:45〜20:30
東京・Blue Note Tokyo

2022.05.08(日)
13:30〜15:30
徳島・コスモホール 阿南市情報文化センター

2022.05.11(水)
19:30〜22:30
静岡・Life Time

2022.05.13(金)
19:00〜21:30
福岡・電気ビルみらいホール

2022.05.15(日)
16:30〜18:30
富山・富山県教育文化会館

2022.05.16(月)
17:30〜21:30
大阪・billboard live Osaka

海野 雅威 – piano
吉田 豊- bass
海野 俊輔 – drums

詳細はこちら