さまざまな民族音楽の要素を混ぜ合わせながら、世界でここだけの音を奏でる音楽集団、滞空時間。「ディスクユニオンで知らない国のコンピレーションアルバムをジャケ買いしたら大当たりだった」というコンセプトのもと制作された新作『Majo』は、色鮮やかで彼らならではのフォークロアが詰まっている。

主宰の川村亘平斎はインドネシアの伝統打楽器であるガムランや影絵人形芝居ワヤン・クリットを現地で学んだという人物で、近年は日本各地を回りながら地域住民と影絵を制作するワークショップも行っている。滞空時間にはそのほかにもジャワガムランのプシンデン(女声歌唱)としても活動するさとうじゅんこ(ボーカル)、OOIOOのメンバーでもあるAYA(ベース)、冬にわかれてや片想いにも参加するあだち麗三郎(サックス、パーカッション)など、個性豊かな音楽家が集結している。

地域芸能、ポスト・ワールドミュージック、現代の民族音楽としての「フォーク」、そして魔女。さまざまなキーワードが飛び交う川村亘平斎との対話をお届けしよう。

INTERVIEW:滞空時間・川村亘平斎

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地域の物語を繋ぎ直すために

――コロナ以前、川村さんは通常どれぐらいのペースで地方を回っていたんですか。

作品数でいうと、コロナ前までは月に1本影絵の作品を作ってたんですよ。コロナになってからはそれでも2か月に1本、小さいものを入れれば年間10本は作りました。この前は富山に行ってましたけど、その前は小豆島。去年の暮れは宮崎に行きました。現地にフィールドワークに入って、民話や風習を調査し、それを踏まえて地元の人たちとのワークショップを通して影絵を作っていく。そういうことをやっています。

僕はバリでガムランをやってきたわけですけど、ガムランというのは自然や宗教と人間、社会と芸術を繋ぐ要にあるものなんですね。日本でもコミュニティーを再接続させるために芸術や芸能が何か役割を果たせないかと考えてきて、ここ20年ぐらいそれを大命題として活動してきました。

――いつごろから地方での作品制作が活発になってきたんですか。

ターニングポイントとなったのは2015年に南相馬の方たちと作った「ヘビワヘビワ」という作品です。これは原発の居住制限区域内にある古いお寺に残っていた大蛇の伝説を元にしていて、その地域に住んでいる人たちと上演しました。そういうことを続けているうちに、「私の住んでいる村の神社の縁起物をもう1回作り直したい」と、とある神社の氏子総代の方から話がきたり、さまざまな地域から声がかかるようになったんです。

ヘビワヘビワ~南相馬市小高区大悲山の大蛇伝より

川村亘平斎とオオルタイチの影絵と音楽2019@原美術館

――影絵に関しては、アート作品を作っているというよりも地域の芸能を作っているという意識のほうが強い?

アートをやっているつもりは全然ないんですよ。美術マーケットの中で何か作ってるというよりも、古いものと新しいものを各地で再接続する作業をしているんです。どちらかというと修理工に近い。

最近フィールドワークを繰り返していて思うんだけど、戦後、もっと言うと1960年代になって日本のどの地域においてもそれ以前の古い文化と断絶してしまって、経済活動や祭りのあり方が大きく変わりましたよね。昔は自分たちの経済活動と芸術活動が一致していたわけだけど、それがある時期から思い出みたいに何か心許ないものだけでしかお祭りが継続できなくなってしまった。記憶でしかないんですよね。自分たちのフィジカルな社会インフラとお祭りとの本来の関係性が崩れて、実はちぐはぐになっている。

――たとえば、農耕儀礼を元にした祭ではあるんだけど、その地域自体が宅地化されてしまってすでに農地自体がまったくない、そういうことは日本中で見られることですよね。現実に生きている世界と地域で伝わってきた風習が断絶されたことで、祭りのリアリティーがなくなってしまった。

そうですね。どこかの神社で行われていた祭りを無理やり「お祭りは必要だ」と100年前にやっていた形のまま再現しても、リアリティーがない場合もありますよね。今の僕たちに合う形で、しかも過去と今がちゃんと繋がるオルタナティヴな形というものを提案しなきゃいけない。民話も地元の古い史実も今生きてる僕らと関係なくなっちゃっているから、影絵を使ってそれをもう1回繋ぎ直すというのが一番ボトムにある考えなんです。

――自分の表現を実現する場所として地域を捉えるのではなく、マレビト※として地域を訪れ、住民と共にひとつの芸能を作っていくということですよね。そのことによって地域に自然な変容をもたらすという。

※稀人、あるいは客人。民俗学者の折口信夫が使ったことで広く知られるようになった用語。海の彼方など外部から来訪する神や聖なる存在のことを指す。秋田のナマハゲも来訪神の一種。

僕はバリ島に長く住んでいたので、自分が外国人であるという経験をしているんですよ。だから日本のどこに行っても、世界の他の国でワークショップをやっても、あくまでも外国人であると思ってるんですね。

僕は触媒でありたいと思っているんです。その地域に波紋を作るというか、作品によって土地の人たちが何か反応してくれればいい。そのときの波紋によって起きた現象が地域の助けになればいいし、そのことによってもうちょっと生きやすい世界になればいいんじゃないかと思っていて。

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音楽だけで成立するものにしたかった

――そうした地域での活動を経て、滞空時間のアルバム制作に対する意識は川村さんのなかでどのように変わりましたか。

今までの3作品はプレイヤーとしての自分が出すぎていて、「僕はガムランを使って新しいことをするんだ」という気負いがすごくあったんですよ。それだけで精一杯だった。でも、2017年に1年間かけてバリ島で影絵の勉強をしたことも影響しているのか、今回は「リスナーとして自分が一番聞きたい音楽とは何か?」という視点が軸になってるんです。

――もうガムランを演奏しなくてもいい?

そう、ガムランじゃなくてもいいんです。実際、今までの作品に比べてガムランの分量はだいぶ少ない。ただ、あくまでもガムラン的なものを経由しないとできない音楽じゃなきゃいけないと思っていました。今回のアルバムには今までの作品同様、コンセプトみたいなものはあるけど、哲学的な部分はできるだけ排除したんです。音楽だけで成立するものにしたかった。

――「リスナーとして自分が一番聞きたい音楽」とはどういうものだったんでしょうか。

アーティストとして尊敬する人は現在のミュージシャンもいっぱいいて、最近久々に買ったCDはキセルのベスト(『Kicell’s Best 2008~2019』)ですね。ジム・オルーク(Jim O‘Rourke)の『Eureka』は昔からものすごく好きで、自分の中のひとつの理想形ともなっています。あと、〈SMITHSONIAN FOLKWAYS〉(スミソニアン博物館の非営利レーベル)が90年代に出していたインドネシアのフィールドレコーディング・シリーズが20タイトル全部Apple Musicに上がっていて、めちゃくちゃいいんですよ。フィールドレコーディングのコンピレーションは好きなものがたくさんあって、今回のアルバムではそのイメージがありました。いろんなものが雑多に入っている感じというか。

――カセットテープみたいな音質の曲もありますよね。ただ、レトロな感じというよりも、そこに今っぽさがある。80年代のアフリカで発売されていた打ち込みのカセットテープ音源が最近レコード化されたりしていますが、そうした意味での捻れた今っぽさというか。

今はどこの時代のアウトプットを使っても古くならないところはありますよね。昔は最先端をやらないといけなかったけど、今はすべての時代のものがフラットに並んでいて、自分の趣味嗜好で音楽を選べるようになっている。

――最後の“Sihir”あたり、ニューエイジ~アンビエントのようなムードも感じます。

伝統的な民族音楽と現代的な西洋音楽のハーモニーをミックスしてダサくなっちゃった音楽って腐るほどあると思うんですけど、僕らもダサくならないバランスをずっと探してるわけですよ。“Sihir”はもともとガムラン的なメロディーが入ってたんですけど、最終的にそれをカットしました。それはリスナーとしていらなかったから。そうすると、ニューエイジみたいな感じが出てきたんです。

――なるほど。全体的に音数が整理されていて、すごく風通しがよくなってますよね。

それは嬉しいですね。今回の楽曲って「あの人の曲を自分たちでやるとどうなるだろう?」という発想が元になっているものもあるんです。表題曲の“Majo”は僕のなかでこの20年間ガムランやってきて、「これができたらもう新しい曲を作らなくていいな」ぐらいの曲なんですけど、自分のなかでうっすらとユーミン(荒井/松任谷由実)が漂ってるんです。

――ユーミン?

そう。80年代初頭、母親が掃除機をかけているときにいつもユーミンの曲を流していて、そのときに刷り込まれちゃったんですよね。日本で音楽をやっている人たちはみんな無意識のうちに刷り込まれちゃってる日本語ポップスの記憶を駆動させて音楽を作ってるわけじゃないですか。そこは僕も変わらないんだけど、僕の場合はもうひとつ、ガムランという実地で見てきた民族音楽が駆動しちゃっている。これをどうやって楽曲の中で共存させるのかっていうのが大命題なんです。それがギリギリ成立した瞬間があの“Majo”にはあると思う。

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滞空時間 TaikuhJikang / 4th Album「Majo」 “Now on sale”

ポスト・ワールドミュージックとは

――収録曲にはそれぞれ架空のストーリーがついていますよね。しかも結構凝った設定の。

これは架空の南の島でフィールドワークを行なった誰かが書いたメモのつもりなんですよ。しかも時代の違う複数の人が書いたという。実は細かい設定があります(笑)。

――80年代から90年代のワールドミュージックの時代、架空の土地をテーマとした作品はたびたび作られましたよね。また、出身地を確信犯的に偽装・錯乱するケースもあった。たとえばワールドミュージックの中心的存在でもあった3ムスタファズ3(3 Mustaphas 3)は「バルカン半島出身」を謳っていましたけど、実際はイギリスのバンドでした。当時はそうした手法が有効だったかもしれないし、そこにおもしろさがあったわけですけど、現在だと文化的盗用(カルチュラル・アプロプリエーション)と紙一重ともいえます。

わかります。確かに危ういところですよね。

――では、滞空時間が今回のアルバムで描いた「架空の島」とはどういうものなんでしょうか。民族性を偽装する手段ではないわけですよね?

そうですね。以前、自分のおじいちゃんが戦中に従軍したインドネシアのハルマヘラ島にいったことがあるんですよ。1000年ぐらい前は大きな王国があった島で、オランダ東インド会社が拠点としていた島でもあるんですね。でも、今は世界の動きから完全に取り残されていて、みんなムスリムだからお酒も全然飲まないし、貧乏といえば貧乏。でもね、みんなむちゃくちゃ幸せそうなんですよ。椰子の木が生えていて、男たちは釣りをして過ごしている。ハルマヘラが自分にとって理想的な空間なわけです。さまざまなしがらみから逃れたサンクチュアリーというか。

――そうした島に対してユートピアのイメージを重ね合わせ、ある種のエキゾチシズムを原動力として世界観を構築することもできると思うんですが、今回の『Majo』というアルバムはそういうものではないですよね。

違いますね。そういうエキゾチックなイメージは消費されちゃうから。僕はあえてフェイクとしてやっているところもあるんですよ。3ムスタファズ3はある種のカウンターとしてアイデンティティーを偽装したわけじゃない? 今回はそうした偽装に対するカウンターとして作っているんです。フィールドレコーディング的なコンピを作りたいという発想もそこに繋がるのかも。

――なるほど。さまざまな文脈から切り離されていろんなフィールドレコーディング音源が詰め込まれた消費物としてのコンピレーションを偽装しているという。ワールドミュージックを偽装しているということでもあるのかな。

そうそう、あえてそうしている。滞空時間も3作目まではワールドミュージックの内部にいたんだけど、今はもう外にいるんですよ。でも、今はそうやって無意識のうちにワールドミュージック的なものをやってる人たちもいると思う。しかもワールドミュージックの外側から。

――それはよくわかります。肯定的であれ批判的であれ、僕らの世代にとって90年代のワールドミュージック的な観点は乗り越えていく対象だったと思うんだけど、そういったイメージがない世代がアフリカやラテンにフットワーク軽くアクセスし、ポスト・ワールドミュージックともいえる作品を無意識のうちに作り出していますよね。ゴム(Gqom)やアマピアノ(Amapiano)みたいな南アフリカのダンスミュージックに対する日本人DJの感覚とも通じるものがあるというか。

80~90年代にやっていた民族音楽の音楽家のなかで今はいなくなってしまった人も多いですし、そういう音楽家の演奏に触れたことがないという人も多いと思うんですよ。そういう人たちが無意識のうちにワールドミュージックに対するカウンターをやっていてもおかしくないと思う。

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現代のフォークロアとオルタナティヴ

――8年ほど前にインタビューした際、川村さんはこんなことを言ってたんですよ。「高田渡さんみたいになりたい。あの方もこのへん(西荻窪)に住んでて、このへんのものを飲み食いして音楽をやっていたわけで、僕も同じことをやってる」と。滞空時間もその意味で「フォーク(民俗的な)」音楽をやっているということですよね。現在の滞空時間の「フォーク性」についてはどう考えていますか?

フォークロアの意味合いがもはや変わってしまったから、僕は2013年に言っていた「フォーク」を多分やれないし、やらないと思う。1960年代以前の時代と今を生きる僕たちとが分断されてしまっていることに対してすごくリアリティーを感じるようになってしまったし、それ以前からのフォークロアを続けていくことはできないんですよ。僕個人の活動としても、オルタナティヴに何かを提案していかない限り、ある種の「フォーク」を維持していけないと思っています。

――「フォーク」を維持するためにはオルタナティヴである必要がある、と。

そうですね。与えられたこの人生において、オルタナティヴに生きることが僕の仕事だと思っているんですよ。フォークロア的なものを大切にしているからこそ、その対極にいるようにしている。フォークロアに落ち着きそうなときにあえて反対のことをやるようにしているというか。最近は特にそういう感覚がありますね。

――そういう意味で、日本における現代の「フォーク」を奏でていると川村さんが感じる方はいますか。

今度一緒にやる角銅真実さんは音源を聴いたときに驚きましたね。僕はceroの仕事もやったことがあるんだけど、角銅さんとはまだお会いしたことがなくて。あと、オオルタイチくんともやってる石田多朗くん。あのあたりの人たちはおもしろいですよね。

――タイチさんと石田さんがやってる雅楽のプロジェクト(どんぶらこ)も強烈におもしろいですよね。

そうそう、あれもすごいですよね。いま日本で音楽をやってるミュージシャンの多くは、自分の演奏を聴いているのが人間だけだと思いながら演奏しているわけじゃないですか。でも、それって音楽の可能性を限定していると思うんですよ。ガムランの音楽家は神様や虫、植物も自分の音楽を聴いていると思って演奏しているし、僕もそう思いながら作品を作っている。タイチくんも似たような思いがあって雅楽に取り組んでいるようなんですよね。

港まちで再会する映像プロジェクト プログラム1|角銅真実、大城 真/Program 1|Manami Kakudo, Makoto Oshiro

「みずかがみ」石田多朗 × オオルタイチ 雅楽プロジェクトどんぶらこ

――では、最後の質問です。『Majo』というアルバムタイトルをつけた理由を教えてください。

今回は最初からこのタイトルにしようと決めていました。魔女っていうとどこかヨーロッパ的な響きがあるけれど、インドネシアって魔女の国なんですよ。魔女とは森自身であり、自然や大地について語る人たちでもあります。

――インドネシアには魔女にあたる存在が実在するんですか?

実在します。黒魔術や白魔術を扱う人は今も存在していて、法律で禁じられるぐらいリアリティーを持ってるんです。白魔術になると民間療法だけど、黒魔術だと嫌いな人の家族なんかに魔法をかけたりするんですよ。

魔女はそういう危ない存在でもあるんだけど、地域の人たちから尊敬を集め、ある種の美しさがある。そういう存在って僕らの中に果たしてあるのか、そういう意味合いもこのタイトルに込められているんです。「僕たちのなかに魔女って存在するの?」という。

――今の世の中ではネットであるゆる情報が検索できて、目に見えない世界を一切信じないという人もいますよね。そういう世情に対して「いや、魔女はいるよ」と主張したい?

それもあるかも。「魔女はいるよ」と。僕が何十年も表現したかったことを端的に表しているのかもしれないんですよね、「魔女」という存在は。

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Text by 大石始
Photo by 中村寛史

PROFILE

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滞空時間 TAIKUH JIKANG

影絵師/音楽家・川村亘平斎の音楽ユニット。「架空の島の民謡」をコンセプトに、ガムランやスティールパンが響き合う唯一無二のパフォーマンスは、日本のみならず世界中から熱い支持を受けている。
2009年にスタートし、現在までに3枚のCDとライブDVDを1枚制作。2012年インドネシア/マレーシア2カ国ツアーを成功させ、バリライブDVD【ONEGONG】を発表。2013年に2nd album【RAINICHI 来日】を発表。小山田圭吾(cornelius),木津茂理(民謡歌手)等豪華ゲストが参加、音楽シーンに強烈なインパクトを与える。その年の鎌倉宮薪能では細野晴臣氏と共演し、その後細野氏の主宰するイベントに出演する。2015年、ALMA music boxのコンピレーションアルバムに参加し、漫画【宇宙兄弟】とコラボレーションしたPVに楽曲提供。2016年,3rd album【ウミトヨル】をリリース。常に変化し続ける彼等のお祭り騒ぎは、ますます目が離せない。西はアフリカ東は日本、広がる海のシルクロード、移ろい繋がる音の旅。2021年6月21日夏至、最新作である4th album【Majo】をmicroActionよりリリース。

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RELEASE INFORMATION

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Majo

2021年6月21日(月)
滞空時間
1: Kelimutu
2: Apa Uleh Uleh
3: Umitoyoru(traditional ver)
4: Mindd
5: Basweh
6: Majo
7: Walak elele 3
8: あべこべの花
9: Irienite
10: カベノムコウニオニガイテ(feat.OORUTAICHI)
11: Sihir
12: Majo(inst ver)

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