1999年生まれの音楽家、松永拓馬が2ndアルバム『Epoch』をリリースした。本記事は同作においてプロデュース、ミックスに携わった篠田ミルyahyel)も同席のうえ実現したインタビューである。

「松永拓馬とは誰か?」に焦点を当てた前編に対し、後編では最新作『Epoch』について具体的に語ってもらった。冒頭の“July”からラストの“いつかいま”まで、制作過程や当時のフィーリングなどを詳細に聞いた。『Epoch』の感じ方が一気に変わる、そんな対話となっている。

前編はこちら

【INTERVIEW】
松永拓馬 × 篠田ミル

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松永拓馬
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篠田ミル

うわ、今この感じめっちゃいい

松永拓馬(以下、松永):『Epoch』のコンセプトみたいなのは冒頭の“July”からスタートしたんです。

篠田ミル(以下、篠田):夏のクソ暑い時に苦しみながら作って……。

松永:作れないんですよ、暑くて。だってアンビエントとか聴きたくないじゃないですか、暑い時に。ていうか音楽自体聴けなくなる。けど、そこで投げ出さなかったから秋とかに制作のフィーバータイムが来たっていうか。

“July”はケレラの去年のアルバム(『Raven』)とも並べて聴けるような感じがしました。レイヴのフィーリングというか。

松永:レイヴのフィーリングはめっちゃあるかもしれない。そこで共鳴してるのがみんなのきもちかもしれないです。コロナ以降のレイヴ観みたいなのを共有してるというか。けど、一般的にレイヴは夜に打ち勝とうとする感じじゃないですか。だけど、俺はもうちょっと素直な環境の時間の流れに身を任せたいって思ってる。友達のやまけん(今作ジャケ写の撮影者)とかミルさんとかと「2人レイヴ」をよくやってます。

2人レイヴ?

松永:2人だったらフットワーク軽いじゃないですか。だからバーンって行っちゃえばどんな環境でもレイヴできちゃう。2人ならキャパも関係ない。それをやっていくことで、レイヴのフィーリングを自分のものにしていくっていう。これはアルバムのためっていうよりは一昨年ぐらいずっとやってた遊びで、それがだんだんああいう形になってきたっていうか。「そろそろこの感じは自分たちのものになってきたからおすそ分けできるんじゃない?」みたいな。

篠田:拓馬が言おうとしてるレイヴって、夜通し音楽が流れ続けているダンスフロアとはあんまり関係ないレイヴだと思うんです。野外の環境にいて、そこで一晩なり時間を過ごすこととしてのレイヴを言ってる気がする。自然の中に一晩居ることで、刻一刻と移り変わってゆく環境に身を委ねる経験というか。それで、今だ!って瞬間にたまに音楽を聴いてみるくらいの感じというか。

松永:音の波って一定じゃなくて自由じゃないですか。ダンスフロアって、踊ることを強制させられるっていうか。だけど音楽ってもっと自由だからアンビエントで踊ってもいいわけじゃないですか。そういう自由なことができるのが「2人レイヴ」っていう感じです。自分がもし、イベントをやるならそういう感覚をみんなと共有できるような、そういう感じにしたいなって。

篠田:“July”は拓馬がケンちゃんとジャケを撮った川に行った時のフィーリングみたいなもの、野外で時を過ごすことで得られた感覚を拓馬が取り込んだものだと思います。

松永:で、後半はミルさんがもっと良くしてくれた。2人ですり合わせていった感じでした。

次の“Oh No”には《どこへでも行ける》という歌詞があります。レイヴは社会からの抑圧から来てるカルチャーでもありますが、松永さんの音楽は抑圧からの逃避というよりは、解放感に支えられたような印象を受けます。

松永:俺が普段感じるレイヴは「うわ、今この感じめっちゃいい」みたいなものなんです、本当になんとなくですけど。ちょっとした買い物のために外に出た時の空気の匂いがグサって来る時あるじゃないですか。そういうのに高揚するっていうか、それを音楽でやりたい。歌詞とかもそういうフィーリングが一番刺さるんじゃないかな。だからレイヴって言葉を使っていいのかは分からないですね。

歌詞はミルさんと共有されたりするんですか?

松永:いや、歌詞はバーって1人で書いてます。あんま予定決めないで遊びに行ってみるとか、そういう中で受けたインスピレーションをもとに歌詞にしていくって感じです。

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松永:次の“u”はこの前出させてもらったみんなのきもちの後ぐらいに作った曲。本当に曲そのままのフィーリング。音楽が最高で、それ以外はどうでもいいみたいな感覚になるじゃないですか。そういうことなのかな。

篠田:そのときはあまり意識してなかったけど、ここまでは点やサイン波(前編参照)のフェーズでしたね。

ここまでは点のフェーズでソフトシンセを使用しているとのことでしたが、具体的な機材名を教えてください。

松永:“u”は全部の音を自分のUDO AudioのSuper 6で録ってます。今っぽいっていうか、シャキッとしてカッコよくなる。

篠田:Super 6(の見た目)はハードのシンセサイザーなんですけど、根本的にはデジタルシンセなんです。アナログの挙動を模したデジタルオシレーターで、わりとモダンな作り。

松永:アナログシンセで使ってるのはミルさんのProphet-10です。ProphetとSuper 6は相反してる感じがあって、そこが良かったです。

イベントの記録としての『Epoch』

4曲目は“森”ですが、これはどこの森なんですか?

松永:漠然と森。概念としての森ですね。

この曲ではラップしていますが、このフロウってどこから来るんですか?

松永:昔はラッパーの真似をめっちゃしてたんですけど、ラップで結局一番良いのは頭あんま使ってない感じっていうか、素直にやることだと思うんです。KOHHとかもそうだし。KOHHの源流的なので言ったらエイサップ・ロッキーのラップです。フリースタイル的というか、ラップが嘘じゃない感じ。自分もそういう感覚だったり、フロウを大事にしてますね。

これまでの蓄積から出てくるフロウなんですね。

松永:そうですね。けど普段そんなにラップはしないし、いわゆるラップの曲は少ないじゃないですか。だからこの拙さが逆に良さかな、はめ込みすぎないっていうか。

でもフロウはとても滑らかで、曲に合ってる感じもします。韻も綺麗に踏んでいますね。

松永:曲作り始めた時に一番聴いてたのがヒップホップだから、普通の歌の部分でも韻は踏んじゃう。全曲踏んでる。それは自分の歌詞の作り方だから逃れられない。韻踏まなきゃとは思ってないんですけど、踏まないと気持ち悪く感じる。

次の“もっと”はニューエイジ色の強い一曲ですよね。

松永:これは1人で頭で考えずに、「こうなったからこうじゃない?」みたいなのを軽く組んでから、ミルさんに持っていって、デモを他の機材で録り直したりとかして仕上げました。

篠田:“もっと”とか“森”ぐらいからアナログシンセサイザーフェーズに入ったんです。それまではDAWに縛られた制作をしていたというか。この小節はこういう展開にして…みたいなことを目で見て頭で考えてやってたんですけど、それって別に面白くないし本質的じゃないなと2人で思って。音楽を聴くときに、DAWの編集画面を目で見たりして鑑賞しないじゃないですか。ピッて録音ボタンを回しながらシンセのパラメーターをいじっていくとより有機的にDAWのグリッドから離れて曲の時間軸や構成の変化を捉えることができるし、その時にお互いが感じていることやそこで起きたことも落とし込めるんじゃないかっていう話になったんです。それでツマミを触りながらポッと録ってみようみたいなヴァイブスがだんだん芽生えてきた。“もっと”とかは拓馬が用意したフレーズがなんとなくあって、それを実際に2人でツマミをいじりながらシンセで鳴らしてみて、「今良いテイクだったよね」みたいな感じのプロセスでした。

松永:“森”のコードのフレーズはめっちゃ良い音っすよね。あれは一発録りの結晶。

篠田:そうだね、 ちょっとノイズのってたから録りなおそうとしたけど再現できなかったよね。

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色々聞いてる中で、「この瞬間」というのを曲にっていう。

松永:そうですね。一発通しでシンセを鳴らしながらつまみとかをちょっとずついじっていくことでスタートから終わりまでの大きい波が作れる。

篠田:要はAbletonからMIDIをシンセに送ると我々がフレーズを弾く必要はないから、その分自由に音響を時間的に彫刻する作業を手と感性でやっていく。だからインプロヴィゼーションの発想はかなりありますね。DAWから音楽はじめた人間が、演奏や録音の一回性に逆に新鮮さを見出しているというか。特に“森”以降は。

松永:自分たちの制作の手段としてこの発見は大きかったですね。これがうねりの作り方なんだって。“森”でそれを発見しました。“もっと”は”森”で発見したことをやった感じ、8曲目の“いつかいま”でさらにその先に行けた感覚かな。

次は“Boys Lost in Acid”ですが、今作では一番キャッチーですよね。

篠田:これが一番最初にできた曲ですね。

松永:これはもうキャッチー過ぎるし、ボツにするかずっと2人で悩んでました。もっと良くできるんじゃないかっていうのもあったんですけど、結局耳触りが良いし、抗えないポップさを感じちゃって。

篠田:拓馬は今日一貫して言ってるんですけど、やっぱ『Epoch』って拓馬の自己表現っていうよりは作る過程で巻き込まれた人間たちがいて、そこで発生したイベントの記録の側面があるなと。それで言うと、この“Boys Lost in Acid”ができた日っていうのは、拓馬と僕とやまけんの3人で湯河原にほぼ遊びみたいな制作合宿に行って、その時にたまたまポンってできた曲なんです。やけにキャッチー過ぎるかな、みたいな感じで2023年の頭にボツにした曲たちと一緒にボツになりかけてたんです。だけど振り返った時に、アルバムの起点としてこの合宿があったし、あそこでできてしまったものだから。

松永:そうそう、できちゃったものはなかったことにはできない。

篠田:日常の中で起きてしまったこと、イベントの記録としての『Epoch』の側面を考えるんだったら、これはむしろ欠かせない曲。

「嘘がつけない」ってことでもあるんですね。確かに良い曲だなと思うけど、不思議な並びという感じはします。

松永:ここだけ違うけど、なんか外すことはできなかった。

自分とその先の繋がりまでぐらいまで想像できたらいいのに

その次が“Owari”で、これもアンビエントというか。

篠田:“Owari”はわりと終盤にできた曲で、夏をなんとか乗り切って秋の気配来てるなぐらいの時に、2人で集まってる時に、ポンって拓馬とフレーズを弾いたり並べたりしながら、パッと原型ができて、それをまたシンセで最後仕上げたって感じですね。

松永:個人的にはめっちゃ気に入ってます。想定はしてなかったけど作った当初は最後の曲だねって話だったから、じゃあ“Owari”だみたいなことを言ってたんですけど、その後に“いつかいま”ができた。

“いつかいま”でループしているピアノのフレーズはエモーショナルな感じが強めというか、『Epoch』の中では良い意味でやや浮いてるようにも受け取れます。

篠田:これは僕的にはドラマがあって。自分の作品用に作ってる曲の中のピアノループのフレーズが元々あって、なんとなく良いなと思いながらあたためてたんです。うまく眠れない夜更けなんかに一人で部屋の中に閉じこもって、制作したり何かにぼんやり思いを馳せたりしているときに、大いなるものに接続される瞬間というか、なんだかよくわからないけどハッとする瞬間がたまにあって、自分にとってはそういう瞬間に紐づいたフレーズだったんですけど、これを拓馬に渡したらおもしろいかもしれないとふと閃いたんです。それでこのループからちょっとした音を作って、拓馬にポンって投げたんですよ。

松永:普通に集まってる時に聞かされて「俺、歌はめれるかも」って思って、ミルさんがタバコ吸いに行ってる間にパーっと録った。だからこの曲だけは歌詞を書いていないんです。唯一歌詞を書かないでフリースタイルで成立した。

篠田:そしたら、《でかいなにかの一部》とか言ってるから、「ヤバッ、伝わった」みたいな(笑)。

アルバムは“July”から始まって、“いつかいま”までの8曲で、わりと時系列順ですね。

松永:そうですね、“Boy’s Lost in Acid”以外はわりと時系列順になったかもしれない。曲順は相談しながらやったけど、悩むことはなかった。「これはこうだよね?」みたいな。曲数は少ないけど、実際に作った曲は膨大にあったし、アルバムって言えるぐらいのプロセスは踏んだから、「これで1個にまとめられるんじゃない?」っていう 。

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1stアルバム『ちがうなにか』の曲名は番号が振ってあるだけの曲も多くて、ぶっきらぼうな印象があります。今作は全曲にカラフルなタイトルが付いていますが、どういう心境の変化があったんでしょうか?

松永:ガラッと変わりました。簡単に言うと、『ちがうなにか』までは自分のためにやってたんです。作ることで自分が精神的に癒されるっていう。だからタイトルを付けるっていう感覚じゃなかった。曲をファイルに書き出すと勝手に「プロジェクト」って表示されるんですけど、「このままでいいじゃん」って思ってそのままにしました。「タイトルこれだな」って思い浮かんだ曲はとりあえず付けるって感じ。

『SAGAMI』は無自覚で、『ちがうなにか』はコロナ禍だったから自分に向き合ってました。内省しまくるとその先の自分に繋がってる友達とかも自分の一部として考えられるようになっていく。今回は音楽作品を作るぞっていう感覚で、ようやくスタートラインに立てた感覚があります。そういう広がりがあったのが『Epoch』かな。

その「エリア」は「社会」とは違うものですか?

松永:まだ社会まで広げられてないですね。やっと友達まで来れたって感じ。どこまでを自分と捉えるかってあるじゃないですか。最近、ようやく周りの友達くらいまで考えられるようになってきた。バビロンには中指立てて生きてるし、声をあげたり行動する責任は感じてるけど、そこまで余裕がないというか、まだ自分のことで精一杯って感じで、けど自分の周りにいてくれる人には誠実に向き合いたいし、それが今の自分の社会との付き合い方なのかな。そこから生まれる時代性も大事にしたいです。今生きてて作品を出す意味というか。

時代性というのは社会とも関連しますよね。

松永:こういう時代で曲を作るってこと自体で社会性が出ちゃう。そこは素直に、抗うことなんて出来ないと思います。社会と繋がってない人なんていないですよね。

篠田:それぞれのポジションにおいて直接的なことを言わなくてもね。

生きていれば自然に社会的になる。

松永:もうちょっと広い、《でかいなにかの一部》というか、自分とその先の繋がりまでぐらいまで想像できたらいいのに。今の世界は自分とその先に対しての想像力が足りてない気がします。

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『Epoch』は暮らしの音楽

ここからは『Epoch』以降の予定についても伺いたいです。

篠田:2人で〈ecp〉ってレーベルというかプラットフォームみたいなものをやろうとしてます。2人で〈ecp〉っていう名義で電子音楽作品を作っても面白そうだねとも話しています。『Epoch』も〈ecp〉から出てることになっています。

松永:『Epoch』は俺のプロジェクトだったんですけど、2人での探求を深めていくことは続けたいなと。それならレーベルやプラットフォームを作って自分たちのやりたいことをやった方がいいから、それでデモが1つできました。

篠田:でもその〈ecp〉っていう名義は俺らの名義じゃなくて民藝的な感じ。俺ら以外の人も〈ecp〉って名前で出せるようにしたい。

松永:巻き込まれた人がどんどん加わって、コミュニティみたいになってけばいいなっていう願望はあるけど、まだ駆け出しなので。

ちなみに、リリース後に一緒に会って作品を作ったりしましたか?

篠田:あえて我慢してるんです(笑)。

松永:いや、でも1個できたよね。リリース日は決まってたけど、それまでの時間をどう過ごしていいか分からなくてソワソワしてたから。

篠田:そうだ、アルバムが出るまでの宙吊りの時期に2人で打ち合わせしようみたいな理由つけて、ただ会って遊んでるだけみたいな日があって。その時に拓馬の家で、飯食ったりダラダラしている延長で、「触ってみる?」みたいな感じでシンセ触ってみたら、ポンってできた。でもそれがあまりに良過ぎたので、それ以降プロジェクトファイルを開かないようにしてます。

松永:ちょっとああしたい、こうしたいって手を加えちゃうからね。

篠田:後から手を加えた瞬間に曲が論理的に洗練されて推敲される一方で、その曲にとっての核心部分の何かが損なわれていくから、できるだけ手を加えず、一発で作れるものを作ろうみたいなフィーリングが最近は2人の中にあるんです。

松永:それは坂本龍一の『12』の影響ですね。答えですもんね、一発目で出ることって。抗えない。頭で考えてないから。そこに答え出てる。

篠田:一発目ですごいものを出すためにチューニングが大事だよね。それは和ろうそく(注:前編を参照)との出会いもデカかった。

松永:いろんなプロセスを踏んでチューニングして、最高の一発を出して終わり。それがいいんじゃない?究極の答えはそれ。そこから頭でごちゃごちゃ考えちゃうと、ああでもないってなっちゃうから。

生活のサイクルの中で制作が進んでいくんですね。

篠田:最近の我々もやっぱ作る時は生活ベースというか、ご飯食べたりお茶入れたりコーヒー入れたり散歩したりみたいなとこでちゃんと整えてからやるよね。

松永:まず生活がないと作れないもんね。

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篠田さんはご自身のバンド(yahyel)のときもそうやって作りますか?

篠田:いやいや、そんなことないです。yahyelのときもみんなで集まって遊ぶ延長で作っているとは思うけど、どちらかというと感性をチューニングして臨むというよりは、議論しながら手を動かしてみんなで追い込んでいく感じです。

最近は自分のパーソナルな作品も作ってるんですけど、その方向性と精神性の部分で深くシンクロしてるのは拓馬との制作だと思っています。音響的な興味もですけど、拓馬から逆に教わることもあります。感性のチューニングの仕方とか、彼はすごいズバ抜けてる。他の方と制作してる時とは全然違うマインドセットです。その時のフィーリングに忠実にというか、ある意味その時々の欲求や感覚に素直に行く感じ。自分は頭でっかちでどちらかというと感性が鈍いタイプなので、すごく教わっている気がしています。僕は一緒にやる人全員それぞれの仕方でフィールしている気はするけど、拓馬とのフィールの仕方は特殊な感じがする。

松永:それは感じます。ミルさんがプロデュースしてるアーティストは多いですけど、作風も『Epoch』とは違いますよね。僕とミルさんはリズムが似てるんですかね。

篠田:大体最近作った美味しいご飯の話とかしてるよね。

生活が合ってるんですね。ちなみに朝型か夜型かで言うとどちらですか?

松永:俺めっちゃ朝型。

篠田:僕はだんだん朝型になりました。カントの生活リズムとか憧れますよね。

松永:けど作るのは午後かな。

篠田:午前中に作れないよね、それめっちゃわかる。午後に一発だよね。

松永:午前はチューニング。起きて、色々やって、昼に会って飯食って、ゆっくりお茶して、3時ぐらいから音を出し始める。

篠田:その生活感と似てるのかもしれない。『Epoch』は暮らしの音楽って感じがするね。

松永:そう思います。

なるほど。最後に、これから2人でライブをする予定はありますか?

篠田:一旦2人での制作の在り方は深めたから、そろそろ2人でのライブの在り方も深めたいよねという話はしています。

松永:自分たちもまだ『Epoch』を分かってないというか。自分たちの手触りのあるところから始めたい。それからデカいのを秋ごろにやろうかなと。時間帯にもこだわっていて、夜にやることに意味があると思ってます。『Epoch』に関わった人たちが全員で共有してる概念みたいなのがあるんですよ。言葉にできない。それが『Epoch』の力だと思ってて、みんな関われば関わるほど巻き込まれていく。それが答えだし、良い流れだと思うので、それをどんどん広げていきたい、セッティングも含めて。作品の広まり方としてそういうのが一番自分の求めてるものですね。

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Text:最込舜一
Photo:Leo Iizuka

INFORMATION

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Epoch

2024.01.31(水)
松永拓馬
1. July
2. Oh No
3. u
4. 森
5. もっと
6. Boys Lost in Acid
7. Owari
8. いつかいま
Written + Produced by Takuma Matsunaga & Miru Shinoda Mixed by Miru Shinoda(1-5,7,8) & Atsu Otaki(6)
Vocal Recording by Atsu Otaki (EVOEL Studio)
Mastered by Wax Alchemy
Art design by Atushi Yamanaka
Artwork by Kenta Yamamoto

配信はこちら

『Epoch』は暮らしの音楽──松永拓馬と篠田ミルが共有する、またとない時代のフィーリング interview240327-takuma-matsunaga-miru-shinoda10-1

2024/4/1
at Forestlimit
Open 19:00-
Entrance 2300(+1D)
Act:
Takuma Matsunaga
E.O.U+ Hue Ray
Ichiro Tanimoto
Flyer:
Reina Kubota

松永拓馬篠田ミル