16歳でデビューを果たし、国内外で精力的にライブを行いながら『報道ステーション』テーマ曲を担当するなど「新世代ジャズ」の代表格として第一線で活動し続けてきたサックスプレイヤー矢野沙織。今年で活動20周年を迎える彼女が、新たに始動したプロジェクトHouse of Jaxxのファーストアルバム『House of Jaxx』がリリースされる。

シンガー/プロデューサーのHiro-a-keyをフィーチャーした先行シングル“DiDi”や“Hot House”を含む本作は、自身のルーツであるビバップを基調としながらR&Bやローファイヒップホップなど様々なジャンルを横断する、彼女にとって集大成的な内容となっている。Qeticでは今回、本作のアルバム解説を担当した菊地成孔と彼女の対談を実施。作品を紐解きながら、「性差を楽しむ」ことをテーマに様々な話題で盛り上がった。

House of Jaxx – House of Jaxx

対談:矢野沙織 × 菊地成孔

対談:矢野沙織 × 菊地成孔 —— 性と音楽 interview-yanosaori-kikuchinaruyoshi-8

──矢野さんが菊地さんに、House of Jaxxの同名ファーストアルバムの解説をお願いしたのが今日の対談のきっかけになったそうですね。

矢野沙織(以下、矢野) 最初はコメントをいただこうと思ったんです。菊地さんと最後にお会いしたのは10年前だったので、ちょっと緊張しつつ連絡を差し上げて。それからひと月くらい、問診に近いようなメールのやり取りがあり、その流れで「ライナーもお願いできませんか?」と。その時の問診がとても興味深いものがあったので、それを「対談」という形で展開しようと。私たちはどちらもアルトサックスという楽器を吹いていて、なおかつ市場はあれどニッチなジャズを選択して演奏している。そこを踏まえて、菊地さんとは「性差」を楽しみながら今回お話しできたらと思ったんです。

菊地成孔(以下、菊池) 最初にお会いしたのは確かタワレコとサントリーのコラボでしたよね。「NO MUSIC, NO LIFE. NO MUSIC, NO WHISKY.」という広告企画(2010年)があり、誰が企んだのか僕と矢野さんが「ジャズ枠」としてそこに参加したんです。

矢野 それが初めましてでしたよね。

菊地 同じ頃、今は亡き瀬川昌久さんが編集した『ベリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー』というアルバムがリリースされたのですが、そこに僕と矢野さんが解説文を寄稿していたんです。その文章を読んだときに、矢野さんとはめちゃめちゃ話が合うなと思ったんですよ。

矢野 本当ですか?(笑)

菊地 ビバップを本気で愛しておられて、かつビバップを官能性の中で捉えていて。ビバップって、なんか小難しく語りたくなりがちの音楽なんですよ。「ビバップってめちゃくちゃ気持ちよくないですか?」なんて言おうものならバカかスケベ扱いされる(笑)。でも矢野さんが、ビバップについて「快楽の音楽」とはっきり書いていて、「この人は素晴らしい」と思ったんです。

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矢野 菊地さんが主催する<HOT HOUSE>(スウィングジャズに合わせて踊るダンスパーティー)に呼んでいただいたのは、その数年後ですよね。

菊地 そうです。他の出演者が全員大人しくて綺麗な演奏をしている中、矢野さんだけはナナハンのバイクに乗ってぶっ飛ばしているような演奏をされていて。あまりにも圧倒されてしまって、「褒め忘れた」んです(笑)。

矢野 そう、だから私しばらくずっと、菊地さんに嫌われたのかと思ってました(笑)。

菊地 ジャズの中でもビバップの演奏者は、アスリートみたいな人が多いんですよ。学校で丁寧に学び、アカデミックにアプローチしていくことがワールドスタンダードになっている。ジャズはどんどん「弱音化してきている」というか、アコースティックで小さく丁寧に奏でるものになっていて。

でも、例えばチャーリー・パーカー(Charlie Parker)のビバップって、ライブ盤とかは特にめちゃくちゃハードコアなんですよ。フリージャズのプレイヤーたちと同じくらいラウドに演奏している。ある意味では「快楽的」「官能的」というか。要するに「生きる」という意味でエロティックなんですけど、今そんなふうにビバップを吹く人なんて、矢野さんを除くと地球上にほとんどいない。あの時の感動はいつか必ず伝えなければいけないなと思ったまま時が経ってしまい、震災を経て時代はコロナに突入してしまったんですよね。いつか伝えられたらいいなと思っていたことも忘れてしまっていました。

矢野 あははは。

菊地 そして今回リリースされたHouse of Jaxxのファーストアルバムですが、これまたものすごく良くて。詳しくはライナーを読んでもらうのが一番いいのですが(笑)、このアルバム『House Of Jaxx』は、1983年にリリースされた清水靖晃さんの『北京の秋』と考え方やトーンが似ているなと思ったんですよね。おそらく偶然なんだけど、ゆったりとしたロービートの中で、ビバップフレーズを吹いていて、音がしっとりと濡れていて。最近のジャズのオーセンティストは音にディレイやリバーブがかかっているのは「フュージョン臭くてダメだ」という感じで、もっと生音に近いアプローチをしているけど、これはめちゃめちゃ厚化粧で(笑)。そこもすごく似ているんですよね。ビバップフレーズを官能性の中で捉えているというか。それって滅多にないことで。

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矢野 それを伺ったあとから、菊地さんのおっしゃる「官能性」「エロティシズム」の定義はなんなのか? をよく考えていて。私個人は中東音楽やサルサ、タンゴのような音楽に異国情緒、もっと噛み砕いていえばエキゾティックなものを感じるんです。それをチャーリー・パーカーも実は感じていたのではないか、行ったことはないけど「憧れ」があったのではないかと考えているんですよね。

菊地 僕が矢野さんのエロティックさで言うのは、「チャーリー・パーカーにエロティシズムなんてない。もっと高尚なものだ」と言う言説が半ば定説化されてきている現状で、「そうじゃない」と主張するには知的にアプローチするか、感覚的にやるしかない。清水靖晃さんの『北京の秋』はそれを、ポストモダニストとしてものすごく知的にやっている。そこにエロティシズムを感じるし、なんらかの「傷」が内包されているんです。矢野さんのアルバムは、それとほぼ一対というか。すごく似ているんだけど、知的というよりは感覚的にやっているように感じました。

矢野 菊地さんのいうエロさって、私が素でやっていることなんですよね。菊地さんは男性だということもあるので、やっぱりエロティシズム、エロティックだということをずっと音楽で発散し続けることができると思うんですよ。私は気が済んだらもしかしたらエロくなくなるかも知れなくて。その辺が性差として面白いなと感じています。

話は少し変わりまして、私は来年デビュー20周年を迎えるのですが、いまだに「女子ジャズ」というコンテンツがありますよね。いくら女性のジャズミュージシャンが台頭してきたとはいえ、そういうコンテンツがなくならないということは、まだまだ珍しかったり少数だったりするからだと思うんです。しかも、そこにアイドル性を求められることも多分にある。

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菊地 そうですね。

矢野 ジャズミュージシャンにアイドル性を求める行為について、菊地さんはどう思いますか?

菊地 まだまだ男性的な世界なのだなと思います。希少性ということでいえば、例えばジャズミュージシャンの男女の比率が現在でフィフティフィフティとは決していえない状況ですよね。しかも女性の表現者に対して「女を売り物にしている」的な、とても卑劣な言い方がされることがままあります。常に女性はそういう視線に晒されているわけです。

矢野 ただ「男性性」も女性に消費されている世の中になってきているなと思う時もあって、女の子が「女子ジャズ」などと言われて傷ついた人がいるのと同様に、「イケメンジャズ」みたいなワードで一括りにされた男性ジャズミュージシャンの方が、はるかに大きな傷を負っているという話はよく聞いていました。おそらく今50歳くらいになって「ようやく実力を見てもらえるようになった」という話を、インタビューとかでもめちゃくちゃしているんですよね。

菊地 なるほど。確かにそれは興味深いですね。そういえば僕は当時、「メガネ男子」と「イケメンジャズ」、どちらも取り上げてもらったことがありました(笑)。要するに、「さほど実力がないくせに、イケメンなだけでお前は客を集めているだろ」みたいなことですよね。それで傷つく人が多いのもわかります。アイドル業界ではすでに議論されていることなのかもしれないですけどね。「消費される側」が傷つく可能性があるとき、ファンはどういう態度を取るのがいいのかということについて、ジャズ業界ではまだまだ答えが出ていない状況です。

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矢野 あと、菊地さんとのやり取りで興味深かったのは、「女性ジャズボーカルは『女子ジャズ』に含まれない歴史がある」とおっしゃっていたことです。

菊地 ジャズに限らず女性ボーカルというのは、ゲートが開いた段階でフィフティフィフティの存在でしたよね。ジャズボーカルの歴史だけでも、「カナリア」と呼ばれる、ビッグバンドの演奏の中に女性ボーカルをフィーチャーする習慣がありました。ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)とかもみんなそこから出てきているわけですよね。男性も「カナリア」とは言われなかったけど、そこで何曲か歌う機会があった。なので、プレイヤーほど女性ボーカルには「希少性」もなかったはず。ロックもフォークもジャズもシンガーソングライター、もっといえばボカロさえも。ボカロは女性の方が多いくらいですよね(笑)。そこは、女性プレイヤーと明確な違いがある。

矢野 やっぱり楽器そのものが男性向けなのかもしれないですね。主に体力の問題で女性の体の仕組みと器楽ってあんまり合ってないのかな、とか考えることはありますね。考えても意味がないんですけど(笑)。

その中でもサックスは比較的長く吹ける楽器だとは思います。ルー・ドナルドソン(Lou Donaldson)やメイシオ・パーカー(Maceo Parker)もおじいさんであまり吹かなくなっちゃいましたけど、ちゃんと彼らの音が出ている。私、師匠がジェームス・ムーディ(James Moody)なのですが、86歳くらいまで鬼練をしていましたから(笑)。なので、自分もどのくらいまで吹けるのか楽しみです。

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──今日、対談をしてみていかがでしたか。

矢野 私がこうやって菊地さんとメールでやりとりをさせてもらったことが、ある種セラピーになったなと思う部分があって。メールのやり取りの中で何度も菊地さんが「矢野さんは素晴らしいアーティストですよ」「演奏がとても好きですよ、僕は」ということを書いてくださったのですが、でも最初は電話口で笑いながらそうおっしゃっていたから(笑)、本気でそう思ってくださっているとは思わなかったんです。

菊地 それは僕の不幸ですね(笑)。本気で称賛していても、そうとってもらえないという。

矢野 いや、それは私の不幸でもあります(笑)。何度も褒めてくださっているのに、それを本気で受け止められないわけですから。で、それに対してある段階で「何度もスルーしちゃったんですけど、褒めてくださってありがとうございます」といった趣旨のことをメールに書いたところ、菊地さんから「正しく褒めないと、人にはあまり通じない」と返してくださって。「正しく褒める」という言葉をあまり聞いたことがなかったので、「確かにそうだな」と。思い出してみれば、これまでの人生でもちゃんと褒めてくれた人っていたはずなんですよね。

菊地 そうでしょうね、そう思います。

矢野 「あなたの演奏が好きですよ」って。もしかしたら本気でそう思ってくれていたのかも知れないと。そう思い返せるきっかけに菊地さんからの言葉はなったので、すごく前向きになれたというか。それが一番大きかったです。

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Text:黒田隆憲
Photo:寺内 暁

PROFILE

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House of Jaxx

矢野沙織が始動させたプロジェクトである。
矢野は2003年のデビュー以来、20年間に渡り、主にBebopに主軸を置き国内外問わずジャズ言語でアルトサックスを演奏し続けた。
しかし矢野の音楽ルーツはもはや音以前に文学やアートにあった。
言葉とビートをベースにする音楽の代表を敢えてカテゴライズするならば、それはヒップホップとも言えるだろう。
ローティーン時代の彼女は、スケートボード文化、グラフィティアート、そういったストリートカルチャーの中にいた。
それでいてなぜジャズを探求し続けたのかと問いたい所だが、それは単純に、ジャズは彼女にとって「美しいと感じた言語」に過ぎなかったのかも知れない。

書き溜めた詞やメロディ、アイディアを共有し強靭な仲間を見付けた彼女は、それを音楽にした。

「House of Jaxx」はプロジェクトである。つまり変幻自在で未知なのだ。

その第一歩が本作品であり、今後永久に表現の幅を無限に広げることとなるのは明確である。

HP

矢野沙織

1986年生まれ東京出身。9歳のときブラスバンドでアルト・サックスを始める。ジャズの名門SAVOYレーベル日本人アーティスト第2弾として2003年9月、16歳でセンセーショナルなデビューを飾る。モダン・ジャズの起源である“ビ・バップ”に真摯に取り組み、日本にとどまらずニューヨークでもライブを重ねる一方、テレビ朝日系「報道ステーション」テーマ曲に起用され、世に新世代ジャズの到来を知らしめた。

2007年春、花王“ASIENCE”の新たなアジアンビューティとしてCMに登場。同CMで使用されたオリジナル曲「I & I」を収録した、20歳にして初のベストアルバムは、第22回日本ゴールドディスク大賞ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。ジャズの枠を超えて広く注目を集めた。2008年12月には、アレンジに斎藤ネコ氏を迎え、敬愛するビリー・ホリデイの得意としたレパートリーに取り組んだ『GLOOMY SUNDAY』を発売。2015年、SOIL&”PIMP”SESSIONSのメンバーである元晴(ts)とタブゾンビ(tp)、パーカッショニストの第一人者である大儀見元氏率いる日本のキューバンラテンの重鎮バンド”サルサスインゴサ”をゲストに迎え、機軸は“Bebop”にすえながらも、ファンキー・ジャズ、キューバンラテンを盛り込んだアルバム、『Bubble Bubble Bebop』をリリース。2022年、自身のプロジェクト「House of Jaxx」が始動!

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菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師
東京ジャズシーンのミュージシャン(サキソフォン/ヴォーカル/ピアノ/キーボード/CD-J)として活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、極度にジャンル越境的な活動を展開、演奏と著述はもとより、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、コラムニスト、コメンテーター、選曲家、クラブDJ、映画やテレビドラマの音楽監督、対談家、批評家(主な対象は音楽、映画、服飾、食文化、格闘技)、ファッションブランドとのコラボレーター、ジャーナリスト、作詞家、アレンジャー、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
HP

RELEASE INFORMATION

対談:矢野沙織 × 菊地成孔 —— 性と音楽 interview-yanosaori-kikuchinaruyoshi-2-1

『House of Jaxx』

House of Jaxx
2022.08.17(水)

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EVENT INFORMATION

矢野沙織 “House of Jaxx”
Release Live at COTTON CLUB

2022.10.20(木)
OPEN 18:00/START 19:00
※1日1.showになります。

MEMBER
矢野沙織(as,vo)
Hiro-a-key(vo)
宮川純(key)
シンサカイノ(b,ableton)
鈴木宏紀(ds)

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