ひとりの若きレゲエディージェイの修行日記──YouTubeチャンネル「Zenda Mi Zenda」を覗いてみると、目に飛び込んでくるもの全てを疑いたくなる衝撃の連続が襲ってくる。舞台となるのはジャマイカ。主人公ZENDAMANは超人たちと出会い、数々の困難を乗り越えてレゲエのエッセンス=ラガマフィンを体得していき、ジャマイカ版紅白歌合戦<STING>へと出演を果たす。

「Zenda Mi Zenda」のとある1日はこうだ。ダブを録りにスタジオに向かう。スタジオで待つ間に突然フリースタイルを仕掛けてきた男はやがてZENDAMANの師匠的存在になり(”ロッコン師匠”)、駐車場でたむろしている強面の男が突然歌い出すと(彼の名前は”Mark 10″というらしい)、予想外に美しい歌声に惚れ惚れしてしまう……。予想外、規格外なことばかりのこの国では、全てが歌になっていくのだろう。

ジャマイカ修行の始まり!ZENDA MI ZENDA 第1回目

このドキュメンタリーを撮影しているのは、ジャマイカ在住の日本人プロデューサー・GACHA。彼はヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)を始めダンスホールシーンのトップアーティストたちのトラックを手掛ける超敏腕だ。GACHAはベーシスト・CHALLISやセレクター・Bad Gyal Marieらとともにジャマイカを拠点とするレーベル〈MEDZ MUSIC〉を2016年に設立。ZENDAMANはもちろんのこと、RUDEBWOY FACEやDUNNS RIVER(どんずりばー)らが〈MEDZ〉から作品をリリースしており、ジャンルの垣根を超えて話題を呼んでいる。

そして2023年2月にZENDAMANが凱旋来日。〈MEDZ〉プロデュースアーティストたちが神戸・京都・大阪を回るツアー<EVERYTHING BLESS>は全公演ソールドアウト、ZENDAMANによる渋谷・THE GAMEでのワンマンライブは即完、大盛況に終わった。しかし、彼の物語はまだまだはじまったばかり。ツアー直前のタイミングにZENDAMAN、〈MEDZ〉のベーシスト/プロデューサー・CHALLISを迎え、話を伺った。記事の最後には、ZENDAMANのワンマンライブのフォトレポートをお届け。撮影は24young、SHIMADA SAEKAが担当した。

INTERVIEW:
ZENDAMAN&CHALLIS

レゲエに導かれて──ZENDAMAN&CHALLIS(MEDZ MUSIC)、インタビュー interview230317-zendaman-challis-medz-5
ZENDAMAN

──まずZENDAMANさんの生い立ちからジャマイカに修行に行くまでの話を教えてください。

ZENDAMAN 岩手県の矢巾町という、山の麓で育ちました。お父さんがジャパニーズレゲエ好きで、一緒にRYO the SKYWALKERさん、PUSHIMさん、MOOMINさん、YOYO-Cさん、FIRE BALLさんなどを小さい頃から聴いていて、それがレゲエとの馴れ初めです。岩手県で2004年から開催されてる<東北レゲエ祭>に小学2年生の頃から毎年連れて行ってもらってたり、気づいた時にはレゲエを好きになってました。2015年の<東北レゲエ祭>にジェシー・ロイヤル(Jesse Royal)、翌年にビーニ・マン(Beenie Man)というジャマイカのレゲエ・アーティストが出演していて、彼らのパフォーマンスを観た時に電撃が走るような衝撃があったんですよ。ずっと慣れ親しんでいた日本のレゲエとは全く違う表現と凄まじい勢いにやられた。それまで俺はただ一生レゲエが好きなだけだと思っていたけど、彼らのライブを見た時に自分もレゲエをやってみたくなりました。

──それからレゲエディージェイとしての人生を歩み始めたと……。

ZENDAMAN そうでもないんですよ(笑)。最初は友達に誘われて、ONE OK ROCKのコピーバンドでベースを始めたんです。とにかくなんでも音楽をやってみようと思って。ベースを始めて3ヶ月くらいで初めてライブをして、その時にMCを担当したんですけど、20分の持ち時間で15分話しちゃったんですよ。ライブハウスの人に怒られちゃいましたけど、MCはかなり盛り上がったんです。それがきっかけでライブが終わった後にすぐベースをやめて、マイクを持ち始めました。自分で曲を作り始めてから、自分のアイデンティティとか生い立ちを見つめ直す機会や改めて気づくことが多かったんです。そんな時、レゲエがいつも道標になってくれました。幼い頃からレゲエのヴァイブスを吸収していて、それに救われたことが何度もあった。だから自分も歌うならポジティヴなメッセージを届ける、道標になるような作品を作らないと意味がないと思いました。それで決心を固めて、いずれはジャマイカに行こうと思っていたんですけど、岩手でかなりライブをやったりして、気づいたら高校を卒業してました。

──どういうところでライブしてたんですか?

ZENDAMAN ライブハウスでやってました。同世代の人がたくさん来る場所だったし、同世代に自分のメッセージを伝えたかった。ジャマイカの現行のダンスホールのインストゥルメンタルをYouTubeで探して、それで曲を作って、勝手にライブで使ってました。とりあえず曲を作って歌いたかったんですよ。

──意志はもう固まっていたんですね。ジャマイカに行く前からGACHAさんと面識はあったんですか?

ZENDAMAN 全く認識はなかったです。ジャマイカに行って1ヶ月目にDON KIXXという同世代の日本人とたまたま会って。「1年住むんだったら絶対にGACHAさんとリンクした方が良い」って言われたんです。

CHALLIS その時はもう1年住むつもりで行ってたんだ。それが初めてのジャマイカ?

ZENDAMAN そうです。

CHALLIS おお。

ZENDAMAN でも自分は正直、〈MEDZ〉のこともあまり知らなかったんですよ。ただGACHAさんのことは知ってたんです。GACHAさんが組んでいたGACHAPAN(GACHAとPANCHOによって結成されたプロダクション)がジェシー・ロイヤルのジャパンツアーで一緒に回っていたし、アルバムも持ってた。ジャマイカに行くきっかけになったジェシー・ロイヤルと一緒にやっていた人だと。導きを感じましたね。

JESSE ROYAL JAPAN TOUR 2015 GACHAPAN最初で最後の全国ツアー

CHALLIS そのアルバムで何曲か一緒にベースを弾いてるよ。

ZENDAMAN やっぱりそうなんですね!

CHALLIS 俺がジャマイカに行ったのと同時期にGACHA現地にいた。ジャマイカに行かなくちゃ始まらないというか、ジャマイカ志向だったから。その当時、ジャマイカで本気でレゲエをやろうとしてたのがGACHAとかマリエ(Bad Gyal Marie)で、その2人との絆が特に強かった。

──今の〈MEDZ〉の原型ですね。そう。ちなみにCHALLISさんの初ジャマイカはいつだったんですか?

CHALLIS 俺は二十歳前後の時に大阪にいたけど、その時の大阪はレゲエ以外音楽じゃないくらいの勢いだった。それでレゲエの現場でよく遊んでて、25歳くらいの時に、RED SPIDERが大阪にシズラ(Sizzla)とファイヤーハウス・クルー(Firehouse Crew)っていうバンドを連れてきたんですよ。そこでファイヤーハウス・クルーを観て、俺も音楽をやってみようと思った。それからレゲエバンドをやることになり、いろんな経緯があってベースを弾くことになったんだけど、当時はジャマイカに行ってない奴がレゲエをやるのは結構寒いって風潮があったから、とりあえずジャマイカ行って、それから年に数回行くようになった。

さっきZENDAが「ビーニ・マンとかジェシー・ロイヤルを観て本場の衝撃を受けた」って言っててちょっと興味深いなと思った。俺らが二十歳くらいの頃、サウンドマン達はみんなジャマイカに行って、アーティストに直接ダブを撮りに行ってた人達ばっかりだったんだ。MIGHTY CROWNはもちろんそうだし、他のサウンドマンもジャマイカにいっぱいいた。特に俺らは本場のレゲエが好きやった。だけど、リディムを日本人が作るようになって、だんだんジャパニーズレゲエが発展してきて、<横浜レゲエ祭>や<ハイエストマウンテン>、<東北レゲエ祭>とかのレゲエフェスが基本的に日本人アーティストで成り立つようになった。そういう時にまだ若かりし頃のZENDAがジャパニーズレゲエを観に行ったけど、ジャマイカのアクトにやられた。その話はつながるものがある。俺らも本場志向だったからジャマイカにしょっちゅう行ってるうちにGACHAやマリエ(Badgyal Marie)たちと仲良くなって、数年後に〈MEDZ MUSIC〉っていうのやろうって言ってやりだした。そこにZENDAが現れたんだ。

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レゲエに導かれて──ZENDAMAN&CHALLIS(MEDZ MUSIC)、インタビュー interview230317-zendaman-challis-medz-1
CHALLIS

──流れが作られていたんですね。そうしてZENDAさんはGACHAさんと出会うわけですが、その時からすでにYouTubeをやる話はあったんですか?

ZENDAMAN 最初の1年はまだYouTubeをやってなくて、ただ曲だけずっと作ってたんです。その1年の滞在が終わってから半年日本に帰ってきて、バイトしたりしながら今後のことを考えてました。その時はただ今の世代のダンスホールを作ろうと思っていたけど、それを作るには昔のレゲエを知らなくちゃいけない。レゲエの根本を知らないと、より明確に今のレゲエを理解できない。新しい音楽を作るために一度原点回帰しなくちゃいけないと。それから半年後、またジャマイカに帰ろうと思った時、俺は昔のレゲエを知らないから勉強しようということで、外からの視点も取り入れる、強制的な意味も持たせてYouTubeを始めたんです。

YouTubeを始めてすぐ「10人の超人シリーズ」っていうのをやってて、このシリーズのテーマは「レゲエのシーンを築いてきた超人たちに会いに行く」ことだったんです。一人目がトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ(Toots and the Maytals)のトゥーツ・ヒバート(Toots Hibbert)でした。その時、トゥーツはもう70歳という情報だけ知らされてスタジオに行ったんです。それでスタジオではトゥーツがラム酒とかヘネシー、めっちゃ強いお酒を飲みながら、極太のスプリフを咥えていて(笑)。歳を疑うレベルの若さに驚きますよね。そうして、日本に行ったことがある、日本の女の子がめっちゃ可愛かったって話をしてから、しれっと歌い始めたんですよ。それまではノリの良いおじさんだなって思っていたけど、マイクチェックで「イエー!」って言っただけなのに、脳みそが揺れるくらい凄まじい声に圧倒されたんですよ。“今の音楽”とは全く違う力がある。この人はこの人だけで成立する。トゥーツという圧倒的な音楽が存在する。とにかく食らったんですよ。その後、一緒にトゥーツとダブ録りをしました。その一年後に亡くなってしまったんですけど、本当に出会えて良かったです。

それと、YouTubeのテーマの一つに「ラガマフィンを知る」があるんです。ラガの起源は諸説あるんですけど、「ラガという言葉はトゥーツから生まれたという説がある」と言われてるくらい、説得力を感じました。キングストンにあるボブ マーリー博物館で色々なアーティストが歌を歌うイベントがあって、基本的にはみんなバンドでやってくるんですけど、トゥーツはギター1本で来たんですよ。それにみんな10曲くらいやるのに、トゥーツは1曲のみ。その曲を披露する時「この曲はボブがめっちゃ好きな曲だから」とだけ言って、歌って帰って行った。その話を聞いた時、「この人がラガだ!」と思いました。

今は亡きTOOTS & the Maytalsとのラバダブ!

──すごく粋な話ですね。

CHALLIS ラガの意味にも諸説あるけど、ZENDAが言ってるラガマフィンはまさしく粋という意味だね。

──体験しないと分からないもの、ということでもありますよね。ちなみにCHALLISさんにとってラガの原体験は何ですか? ZENDAMANさんが参加しているRUDEBWOY FACEさんの“MARIWANA MEDZ REMIX”のフックにはアール・チナ・スミス(Earl “Chinna” Smith)さんのリフレインが使われていますよね。CHALLISさんにとって、アール・チナ・スミスさんが師匠のような存在だとお伺いしました。

CHALLIS 2度目のジャマイカに行った時、俺はベースを始めたばかりだった。その時にやっていたチャリスクルーというバンドのキーボード・Mi-3と一緒に行ったんだけど、その問い住んでいた家の隣にもう一人、サウンドマンの日本人が住んでいて、彼が「アール・チナのところに“HOME GROWN”という曲のダブを撮りに行くから一緒に行こう」と言った。それで楽器を持って一緒に行ったことが、アール・チナとの最初の出会い。その場に行った時、まさか本当にアール・チナがいるとは思っていなかったし、アール・チナの前で演奏するなんて恐れ多いと思った。けど、俺が楽器持ってるものだから、アール・チナは「弾いてみろ」と。それからセッションするようになって、毎日のように彼の元に通っていたら、色々な曲やベースラインを教え込んでくれた。まずはロックステディを教えてくれたんだ。そして全てのレゲエのスタイル、レゲエとはどういうものかを全て叩き込まれた。ある時にはワンフレーズを45分間ずっと弾かされたこともあった(笑)。そういう経緯があって、ジャマイカに行ったら彼に絶対に会う。

その時期はとにかくベースを持ち歩いて修行していて、ミュージシャンに会うために街をうろついてた。ある時、ベースを担いでスタジオがたくさんある街のコーナーを歩いていたら、急に電動のゲート(ジャマイカは警備が厳しいため、電動ゲートがついている家が多い)がバーンと空いて、すごい背の高いドレッドの人が出てきた。その人に誰かミュージシャンがいないか聞いてみようと思って、声をかけたら「俺がミュージシャンだ」と言う。そのまま「うちにスタジオがあるから来い」と言われ、スタジオに入ったらそこは「KOKスタジオ(King of Kings)」という場所だった。「KOKスタジオ」はその当時大ヒットした“Coolie Dance Riddim”が生まれた場所で、その彼は“Coolie Dance Riddim”を作ったスキャタ・バレル(Cordell ‘Scatta’ Burrell)というプロデューサーだった。スタジオにはもちろんゴールドディスクがめっちゃあって、ジャーラスタファーライの劇画もある。中庭に出たらアンソニー・ビー(Anthony B)が木の下で極太のブラントを巻いていて、20人くらいと一緒にワーワーやっていた。そこには若きポップカーン(Popcaan)や当時スキャタと一緒にアルバムを作っていたヴァイブス・カーテルもいた。アール・チナとの出会い、KOKスタジオでのこと、この2つが俺のジャマイカであったルーツかな。

ジャマイカ最高峰のギターリストChinna Smithのご自宅におじゃまします!

ボブマーリーのギターリストは親日家

MARIWANA MEDZ REMIX feat. ZENDAMAN – RUDEBWOY FACE

──強烈な話です。気になった点があって、ダブを録りに行ったり、スタジオに行ったりするのは大体飛び入りで行くことが多いんですか?

CHALLIS 飛び込みで行くくらいのがっつきがないとレゲエは学べないっていう文化が日本にまで届いてたし、サウンドマンも大体飛び込んで行ってた。レゲエはそのがっつき文化がかなりあるかもしれない。行ってみれば意外と行けたりする。全然受け入れてくれる。

──先ほど、アール・チナさんからいきなり「ベースを弾いてみろ」って言われた話がありましたけど、ZENDAさんもロッコン師匠に初めて会った時、サイファーを仕掛けられてましたよね。

CHALLIS ジャマイカでは、マイクが回ってきたのに歌えない、リズムがかかってるのに踊れない、そういったことが寒いんですよ。絶対にやらないといけない。いったらんかい!という感じ。

ZENDAMAN 最初は応えられなかったけど、その経験がラガになりたい気持ちを強くして、成長に繋がっていったと思います。それを全てYouTubeに曝け出すことによって、良いところもダサいところも外に出て行くんですよ。ジャマイカ人は感情だったり、気持ちをあまり隠さない。だからまず曝け出すこと、本当の自分を出していかないと、磨ける部分がない。カッコつけてたり、シャイのままだと吸収していけない。

──YouTubeの活動は自己成長的な意味合いも込められていたんですね。

CHALLIS それと、ジャマイカでの「超人たち」との出会いだったりを最初にYouTubeに残し始めたのはZENDAが最初だったと思う。レゲエを目的にジャマイカに行った人はほぼ全員がそういう体験をしていて、例えば俺やGACHAもそう。それを初めて映像にした。

ZENDAMAN そうなんですよね。みんなが「Zenda Mi Zenda」を経験していた。

CHALLIS レゲエに限らずどんなジャンルや仕事でも、何かを学ぶことになった時、その懐に飛び込んでいく、がっついて吸収するのは基本だと思う。

ZENDAMAN そうしなきゃ自分が求めてる歌を歌えない。そのことに最初から気づいていたので、あとはやるだけなんです。

ZENDAMAN – アッテッテ(Prod by Gacha Medz)【Official Music Video】

──ZENDAさんにとって、その最初のアウトプットが〈MEDZ〉からリリースされた2020年のファースト・アルバム『ZENDA MI WORLD』ですよね。あの作品を出した時、どんな反響がありましたか?その頃からコロナの影響で日本に帰国できなくなっていたかと思います。

ZENDAMAN そうですね。本当は2020年の時点で日本でのライブが決まってたんですけど、キャンセルになりました。その後はオンラインライブなどもやっていたんですけど、今回、ようやく日本でライブができて。

──そうだったんですね。リリースで言うと、最近は全てパトワ語で歌っている曲を2曲出していますよね。その2曲はジャマイカ本国に向けた楽曲だと思いますが、どのような反応がありましたか?新聞で取り上げられてましたよね。

ZENDAMAN YouTubeの活動などを通して昔のレゲエを学ぶのと並行でパトワ語も話せるようになってきて、最初はビビってたけど今はもう余裕で歌えるようになりました。それでようやくこのインタビューの最初の方に戻るんですけど、やりたかった現行のダンスホールをパトワ語で歌うことになるんです。その曲が“Chop Shop”です。いま、ジャマイカではチャパダンスホールという、トラップに近いダンスホールでちょっと悪いことを歌うのが流行ってるんですよ。例えば悪いことしてお金を稼ごうとか、そういう内容なんですけど、自分はアジア人だから同じようなことを言ってもリアリティがないんです。実際、アジア人はジャマイカでお店をやってお金を稼いでる人が多いんですよ。だから自分はそのリアリティのなかでお金を稼いでるって歌ったら、話題を呼んで新聞に載りました。現地に住んでいたからこそ得られたリアリティから生まれたインスピレーションだったんです。この曲がTik Tokで広がったんですよね。

──そして<STING>へ出演ですね。GACHAさんがYouTubeでSTINGのことを日本でいう紅白歌合戦というほど、国民的なイベントで(<STING>出演までの道のりは「REGGAE ZION」に掲載中のOKAMAIさんの記事を是非ご覧ください! https://sd.reggaezion.jp/articles/ZENDAMAN_sting)。

ZENDAMAN そうですね。<STING>の事務所に直談判に行ったんですよ。その時、ラインナップが決まってるから無理って言われたんですけど、 「SNS担当の若いやつがいるから、多分無理だけどそいつに見せるだけ見せて」って言われて。それで自分のYouTubeやInstagram、Twitterを見せたら反応が良くて、出演することになりました。以前、ACKEE & SALTFISHという、パトワ語で歌う日本人のレゲエディージェイの二人組が<STING>に出てたんです。それで「お前も次のACKEE & SALTFISHになるんだったら出ていいぞ」って言われて、出ますと。

ZendaMan – ChopShop(Official Music Video)Japanese Trap Dancehall #Ghettokirk #Chopshop

ゼンダマンがジャマイカの新聞に載りました

日本人アーティストがジャマイカのフェスに出演するまでの道のり【STING裏側】

CHALLIS ちなみに<STING>にはむかしはDJクラッシュっていう対決があって、もうろくなことにならない(笑)。銃声が鳴り響いたりね。

ZENDAMAN 今回も銃声を聞くことがありました。やはり緊張感があって。

──……話は少し変わるんですけど、ZENDAさんが出演する時、MCの方が何度もZENDAMANの発音を確認していたシーンが印象に残ってます。それもアクセントの薄い綺麗な英語で。

ZENDAMAN ジャマイカは今、結構アメリカナイズされてるんですよね。

CHALLIS 俺らが行っていた20数年前に比べるとアメリカナイズされている人がかなり増えてるね。家族がアメリカにいる人も多い。昔は選ばれた人しかアメリカに行けなかったんだ。だいぶ時代が変わったのは、2000年頃にジャマイカのギャングのボスが逮捕された一件があって、アメリカが身近になった。それこそ、チャパダンスホールが生まれたのもその一つの流れだよね。

──そうなんですね。現地ではアメリカの影響だけじゃなくて、アフロ系の音楽も音楽の現場でプレイされていて、盛り上がりを見せつつあるとGACHAさんのTwitterで拝見したのですが、実際はどうなんですか?

ZENDAMAN 流行ってきてます。だけどまだ局地的で、ジャマイカのアップタウン、お金持ちの人が多い都市のエリアでのことですね。もちろんアフロビーツはもう世界中で流行っていて、ジャマイカでも人気があるけど、ジャマイカのゲットーだとダンスホールしかないんですよ。

アフロビートプロデューサー、Juls DJ Play Kingston Jamaica 2023

CHALLIS アフロビーツの歌い手の人たち、例えばバーナ・ボーイ(Burna Boy)とかのスタイルもジャマイカのダンスホールが元になっていて、パトワ語を使って歌っていたりする。ジャマイカ人の音楽をアフロビーツに落とし込んでるようなイメージかな。

ZENDAMAN バーナ・ボーイのスタイルはレゲエのフロウが出まくってますよね。

──アフロビーツや新しいジャンルといえば、ZENDAさんの2021年の作品『Mad!Sick!Zenda Good!』にドリルミュージックの曲“RADDA DRILL”が収録されていますよね。

ZENDAMAN そうですね。ドリルもGACHAさんに教えてもらいました。やっぱり自分の世代の音楽をやっていきたくて。次の作品は新しいダンスホールを取り入れたスタイルでやりたいなって思っています。

──ZENDAさんの同世代でいうと、Youth of RootsのKON RYUさん、〈MEDZ〉に加わったASOUNDのARIWAさんなど、レゲエシーンで活躍されてるアーティストがいますよね。

ZENDAMAN はい。KON RYUやARIWAの他にも、レゲエに近いヴァイブスを持っていて、ジャマイカでジャマイカで会ってすごい仲良くなったTEN’S UNIQUEっていう大阪・岸和田のラッパーがいるんですよ。自分は「Zenda Mi Zenda」を通して昔の世代のレゲエを好きになっていったけど、TEN’S UNIQUEは自分と同じくらいその時代のレゲエが好きだった。彼とは考えてること、見てる未来に共感することがあるんです。同世代のアーティストそれぞれが自分でできる最大限のことをやって、繋がるべきタイミングで繋がることが、自分たちで次の時代を作る上で一番大切だと思っています。気づいたメッセージで誰かを導いていきたいと使命的に感じてる人たちと繋がっていけたら、一緒に進んで行けたらいいなと。

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MEDZ presents -EVERYTHING BLESS|Live House ANIMAにて(大阪)
左からZENDAMAN、ARIWA、KON RYU

──とても心強いお話です。〈MEDZ〉の関西ツアーやワンマンライブを終えてからまたジャマイカに戻るとのことですが、次回の帰国は決まってるんですか?

ZENDAMAN この夏ですね。

CHALLIS もう次の計画があってね。

──夏、めちゃくちゃ似合いますね(笑)。最後に、今後の予定など少しお伺いできますか? 〈MEDZ〉ではこれまでZENDAさんだけではなく、DUNNS RIVERさん、ONEDERさん、RUDEBWOY FACEさんなどが作品を発表していて、最近だとASOUNDがレーベルに加入しました。

CHALLIS そうですね。いまPUSHIMさんやASOUNDのアルバムを制作していたり、GACHAとふたりで、ジャマイカで作ってきた音源のダブの作品も新しく企画しています。

──楽しみです! 昨年、猛烈に記憶に残ってることが2つありました。一つは昨年12月に渋谷WWWで開催されたYouth of Rootsのワンマンライブがソールドアウトして、大盛況だったこと。もう一つはDJ Quietstormさんの主催イベント<LIVING ROOM™>にRUDEBWOY FACEさんが出演して、フロアを沸かしまくってたことでした。というのも、正直、東京でレゲエアーティストのライブを見ることがあまりなかったので、とにかく新鮮に感じましたし、新しい世界がひらけたように思えたからです。

CHALLIS 電車の街・東京とレゲエの相性はどうなんだろう。ジャマイカには電車ないもんな。代々木公園で開催される<ONE LOVE JAMAICA FESTIVAL>にはすごい人が来ていたけどね。でも今はジャンルがどうのっていう時代じゃない。どんなジャンルと一緒にやっても通用するレゲエのアーティストたちを大きな世界に連れて行くこと、それが〈MEDZ〉としての俺たちの仕事だと思ってます。

ZENDAMAN これからが本番だと感じているので、楽しみでしかないです。

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取材・文・写真・編集/船津晃一朗
取材協力/QUINTET

2023.03.11(土)
ZENDAMAN LIVE in TOKYO@SHIBUYA THE GAME

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撮影/24young(DIGITAL), SHIMADA SAEKA(FILM)

INFORMATION

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Mighty Crown Final Season
横浜レゲエ祭 -The Final-
-Vibez of Yokohama-

復活にしてラスト!?
「横浜レゲエ祭」が12年ぶりにヨコハマの野外に帰ってくる。
MIGHTY CROWNが活動休止前に繰り広げる”俺たちの文化祭”。
音楽+アート+ダンス+スケートボード、そしてフード&マーケット。
横浜のヴァイブスを120%感じさせる2日間。
6/24,25は赤レンガ倉庫に全員集合!

2023年6月24日(土)Open/Start13:00
2023年6月25日(日)Open/Start13:00

[会場]
横浜赤レンガ倉庫 [赤レンガパーク+イベント広場](神奈川県横浜市中区新港1-1)

[チケット]
1日券 前売¥8,500(税込)
2日通し券 前売¥15,000(税込)
※12歳未満入場無料/ただし大人一人につき一人まで

[出演]
【Host Sound】
MIGHTY CROWN -the Far East Rulaz-

【Music Area】
<Live Stage>
■Reggae & Dancehall
PUSHIM
RYO the SKYWALKER
JUMBO MAATCH, TAKAFIN, BOXER KID from MIGHTY JAM ROCK
DOZAN11 aka 三木道三
HAN-KUN
RUDEBWOY FACE
CHEHON
J-REXXX
RUEED
AKANE
AICHIN
ZENDAMAN
YOYO-C
NANJAMAN
BOOGIE MAN
ACKEE & SALTFISH
PAPA U-Gee
Jr.DEE
RANKIN TAXI
HOME GROWN

■Band Set
CHOZEN LEE & THE BANG ATTACK
Rickie-G with 90’s Honch Session 
YOUTH OF ROOTS
ASOUND
DUNNS RIVER

■Future of Yokohama Hiphop
Leon Fanourakis
SANTAWORLDVIEW
ralph
LEX

<Sound System Stage>
■Sounds & DJs with Mighty Crown Sound System
SCORCHER Hi-Fi
UNITY SOUND
HUMAN CREST
KING LIFE STAR
JIGGY ROCK
DJ KENTA
DJ 帝
Dj TAKEFUNK

【Dance Area】
Dee & KING OF SWAG
FLOOR MASTERS
THE FLOORRIORZ
TWIGGZ FAM

【Skateboard Area】
curated by Lacquer
Shor West
三本木 心
柿谷 季輝
and more

【Art Area】
curated by Garden Grove
KensukeTakahashi
TadaomiShibuya
and more

【Food & Market Area】
ジャマイカンフードをはじめとしたフードトラックや横浜レゲエ祭、Mighty Crown限定グッズはもちろん、音楽、横浜、ストリートカルチャーゆかりのショップが集結した飲食&ショッピングエリアも充実。

※出演日割りは後日発表となります。
両日ともにMighty Crownは出演いたします。

[お問い合せ]
KMミュージック 045-201-9999(月・水・金(祝日除く)11時〜13時)
info@kmmusic.co.jp

主催:Mighty Crown Entertainment/KMミュージック
後援:横浜市にぎわいスポーツ文化局/ジャマイカ大使館/FM YOKOHAMA
企画制作:Mighty Crown Entertainment/KMミュージック/チッタワークス/NOMARS/GardenGrove
協賛:Hydro Flask

詳細はこちらZENDAMAN TwitterZENDAMAN InstagramMEDZ MUSIC