四角大輔さんという人をご存知でしょうか?
元々はレコード会社に在籍し人気アーティストのプロデューサーを務めていた四角大輔さん。絢香・平井堅・Superflyなど、配信・CD販売合わせて10回のミリオンを記録した実績のある人物です。
そして現在は、ニュージーランドで「森の生活者」としてその生き様を活字にし、作家として、ベストセラー『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』、最新刊『LOVELY GREEN NEW ZEALAND 未来の国を旅するガイドブック』や『バックパッキング登山入門』、本田直之氏との共著『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』など8冊の著書を発表しています。
人生やらなくていいリスト
今回出版されて早くも6刷とヒット中の本『人生やらなくていいリスト』(講談社)は、四角大輔さんの幼少期からレコード会社時代、そしてニュージーランド移住までの道のりをまとめた本です。レコード会社時代の実績を見ればわかるように、彼はいわゆる仕事ができる人。そのため四角大輔さんの仕事術や考え方は社会人・ビジネスパーソンならば大いにヒントにすべきところがあると思うし、役に立つところがあると思うのです。
……ただ四角大輔さんは単なる「ビジネスマン」、単なる「ヒットメーカー」ではないのです。ニュージーランドに移住して自然と共に生きていますが、いわゆる「世捨て人」でもないし、いわゆる「ヒッピー」でもない。遊びも仕事も関係ない。本気で遊んで本気で仕事をする。好きなことをとことんこだわってやっている。そういう人なのです。
そして、びっくりするくらい様々なことに取り組んでいるし様々なことに精通している。その理由は彼が興味を持ったことを本気になって徹底的に追求するからです。
一例をあげると釣り、アウトドアブランドのプロデュース、冒険ルポタージュのアウトドア雑誌への寄稿、瞑想スタジオのブランドプロデュース、ライフスタイル企業やITスタートアップの役員、サステナブルな自給自足生活、世界中でのオーガニックジャーニー……。
もはや何が仕事で何が遊びかという垣根もないのです。自宅も仕事場も垣根がない。ニュージーランドの森に暮らすこともあれば世界を旅していることもあるし、東京青山にいることもあれば標高3,000mの山に張ったテントにいることもある。地球のどこかにいながら今日も仕事をしているのです。
その四角大輔さんが昨年ニュージーランドより帰国し、翌日にTSUTAYA TOKYO ROPPONGIで『人生やらなくていいリスト』出版記念トークライブを行いました。現場には著者の生き方、考え方に触れたい人で、多くの人が集まっていました。
『人生やらなくていいリスト』はこんな一文ではじまるので少しご紹介します。
「何でもデキる人」にならなくちゃいけない。
「誰かに勝つため」「期待に応えるため」にただひたすら頑張らないといけない。
そう思い込まされて心を殺し、「やるべき」と言われることを、
すべてやろうとしているうちに、
あなたは生きること自体が苦しくなっていないだろうか?
でも、ぼくは言いたい。
仕事や人生で「あなたの理想」を手にするためには、「誰か」と比較しなくていい、「すべて」をやらなくていいのだと。
(『人生やらなくていいリスト』 はじめにより抜粋)
「仕事ができれば良いのか?」「誰かと比べてお金持ちになれれば幸せなのか?」「理想の生き方を手に入れるためにはどうしたらいいのか?」
四角大輔さんは生き方や著作を通して、そういったメッセージや疑問を発信し続けているのです。そして、ここでは、トークライブの熱気を書き起こしレポートとしてお届けします。四角大輔さんの魅力が少しでも伝わればよいと思います。
2018.06.21
四角大輔 トークイベント@TSUTAYA TOKYO ROPPONGI
Photo by Shotaro Kato
山から妖精が降りてきてしゃべっている、
と思ってくれるとありがたいです
こんばんは四角大輔です。よろしくお願いします。
実はぼく、昨日ニュージーランドから帰ってきたばっかりで、普通だと「海外から帰ってきました!」みたいなノリになると思うじゃないですか。でもぼくは森の中に暮らしているので……、「久々に下界に降りてきた」みたいな感じなんですよ(笑)。
ぼくが暮らしているのは街から20キロくらい離れた森の中、湖のほとりの小さな集落。人口100人くらいです。だから大都会の東京に帰ってきてすぐは挙動不審になる。
ここ六本木を歩いていても「どこ見たらいいのだろう?」とオドオドしてしまうのです。だから山からちょっと変な妖精が降りてきてしゃべっている、と思ってくれるとありがたいです(笑)。
まずぼくの1年間のサイクルからお話します。
ニュージーランドの森に1年の7ヶ月以上います。残りの4か月は世界中を旅し、残り一か月弱はバックパックでテントを背負い山奥へ冒険をしています。
どうすれば身軽になれるのか?
ぼくは小さいころから縛られる、制約されるのが大嫌いだったのです。「自由になるためにはどうしたらいいか?」とずっと考えていました。身軽にならないとダメだなと考えました。
ぼくは幼少期からずっと登山をやっていて、いまではライフワークになっています。登山では衣食住、全部自分で背負わなければいけない。誰かが運んでくれるわけでも、スーツケースを引っ張って行けるわけでもない。全部バックパックに入れなければいけないわけです。
「もっと荷物を軽くすれば、もっと山を長く歩けるだろう」と、子どものころから考えていました。
荷を最小限にし、すべての持ち物を把握することで、登山も、旅も、人生も、楽に自由に歩き続けることができることを知ります。
……ただ旅と登山は、荷物が軽くなると間違いなく自由になれるけど、どうも人生ではそれだけでは自由になれないぞ……。そのことに中学、高校くらいからなんとなく気づきはじめました。
ぼくらは目に見えない制約や常識、制度やルールに、実は激しく縛られています。
「そういうものから自分を解放しないと、本当の自由は得られないのではないか?」と思うようになったのです。
Photo by Shotaro Kato
Photo by Shotaro Kato
依存しないこと
ぼくが1つ考えたのは「依存しないこと」。
ぼくらは何に依存しているのでしょう?
学生時は学校や親に依存しています。社会人になったら会社に依存してしまう。ほかにも組織とか国とか貨幣制度とか、気づかないうちにたくさんのものに依存して生きている。
どうすれば「依存先」を減らせるのか? 真剣に考え始めたのは大学生くらいの頃です。若からしぼくが導き出したのは「3つのサバイバル能力」を身につけなくてはいけないということでした。
1つ目は、大自然や災害の中を生き抜くためのサバイバル能力。
2つ目は、炊事や洗濯など身の回りのことができるサバイバル能力。この発展形が、食料や水を自分で調達する能力ですね。
3つ目は、ビジネスの世界や資本主義社会でのサバイバル能力。
現代社会を生きる上では、3つ目がとても大事になってくるのは言うまでもありません。
人生やらなくてもいいリスト
今回出版した『人生やらなくてもいいリスト』は、ぼくの会社員時代の100%リアルな体験をベースに、働き方と生き方のノウハウすべてを公開した本です。とにかく音楽業界はきつかったのです (苦笑)。好きだからやれる世界です。
でも、学べることはたくさんありました。この世界はものすごい大金が飛び交います。だから、クリエイティブだけでなく、ビジネスの勉強にもなりました。
そして『人生やらなくていいリスト』の中でも書いていますが、ぼくが会社員時代何をしていたか少しお話します。
新卒でソニーミュージックに入社し、営業、宣伝、新人発掘を経てプロデューサーに。連続ヒットを記録する中、プロデューサーとしてヘッドハンティングされてワーナーミュージックへ。そこで6年働いたので計15年音楽業界にいました。20組近いアーティストのプロデュースに関わりましたが、アーティストを少しご紹介します。
ソニーミュージックのダメプロデューサー時代に平井堅。そして、デビューから3年担当したCHEMISTRYでやっとヒットを経験できるように。あと忘れられないのは、アシスタントプロデューサー時代に携わった、夏の間だけ活動するバンドTUBE。
ワーナーミュージックでは絢香。デビュー前からプロデュースを手がけ、辞めるまで担当していました。ぼくの会社員としての最後の仕事が、2009年紅白歌合戦の絢香がピアノ1本で歌った「みんな空の下」でした。
それと、チーフプロデューサーとしてSuperflyもデビュー前から関わっていました。あとシンガーソングライターの河口恭吾くん。彼はぼくがプロデュースする埼玉県小川町のオーガニックフェスでも3年連続で歌ってくれています。
最後は、絢香×コブクロ。コブクロ単体は関わっていないですけど、このユニットではシングル2枚出して、両曲とも大ヒット。
最終的に、配信で3回、CD7回、合計10回ミリオン達成し、CDの累計売上は2,000万枚を超えました。
プロデューサーとして、音やビジュアルのクリエイティブだけでなく、アーティストのブランディングとマーケティングに打ち込みながら、ビジネスやお金の流れを徹底的に勉強しました。
ポジティブエスケープ
20代後から30代後半にかけて、ただ働くだけでなく必死になって勉強したからこそ、ニュージーランドに移住後、フリーランスとしてどこにも依存せず自由に仕事ができるようになりました。
ただ、当時は会社員だったから、形の上では会社に依存していたと言えるでしょう。
でも、完全に依存しないよう、いつ辞めても大丈夫なように努めていました。譲れない信念を曲げたり、極端に自由を奪わたりしないようにです。
例えば、教員免許を持っていたり、ニュージーランドへの移住もこのころから視野に入れていました。すでに、アウトドアを極めていたので、家がなくても野外で生きていけるスキル、前述の1つ目のサバイバル能力は身につけていました。
先輩や上司にどんなブラックなことを押し付けられても断れたのは「いざとなったら非常勤でもいいから教員になればいい。ニュージーランドに行っちゃえばいい。無料のキャンプ場でテント暮らしすればいい」と本気で思っていたからです。
会社員の人がつい会社の言いなりになって、利益のために人や自然環境を傷つけたり、自分の健康や家族との時間を犠牲にしてしまう理由が、「給料を減らされたくない」とか「仲間はずれにされたくない」、「クビになるのが怖い」といった理由からだと思うんです。
これこそが会社に依存している状態ですね。
ぼくは自分なりに考えて、そうならないためのいくつかの「逃げ道」を作ったのです。本の中では「ポジティブエスケープ」という言葉を使っています。つまり、自分を失わないための「前向きな逃げ道」です。
当時ぼくは上司に呼び出されて理不尽なお叱りを受けても、納得いかなければ「じゃあ明日から辞めます」と本気で言えた。
会社員の頃から、自分の意思と自由度に重点を置いていました。
そしてニュージーランドに移住
そこでの生活
そんな感じで、超ハードなレコード会社勤務時代を経て、資本主義社会を生き抜くビジネススキル、3つ目のサバイバル能力を身に付けて、2010年にニュージーランドに移住します。
ぼくは今、ニュージーランドで自給自足ベースの持続可能で循環的な、低消費生活をしています。本当に森の中に暮らして、2つ目のサバイバル能力を究極レベルまで習得しているのです。
そんな大自然に囲まれながら、畑仕事や釣りをする自給自足ベースの暮らしを営んでいると言うと、昔だとヒッピー扱いですが(笑)、実際には、心からやりたいと思える仕事をしたり、言葉を使って表現活動をしたり、オンラインサロンの学長を務めたりしています。
ここは水道が来ていないので、家の前の湖の湧き水をポンプで汲んみ上げて使っています。細々と電線と電話線は来ているので、インターネット(ADSL)を使って仕事ができるわけです。言うまでもなく、今はネットさえあれば何でもできます。発信や執筆活動、クライアントとのコミュニケーションも問題ありません。
Photo by Shotaro Kato
ぼくの身体は海や湖、畑や森からのいただき物でできています。
知的労働の生産性の高い午前中を仕事にあて、午後からは運動をしたり畑仕事や釣りをしています。
うちでは数十種類の野菜・ハーブ・果物を育てています。それに加えて、周りの森からもたくさんの収穫物をもらえます。くるみ・洋ナシ・ブラックベリー・りんご・木の子・クレソンなど、ぼくにとって森は天然の大きな畑です。
家の前の湖ではサーモンのような大型ニジマスがたくさん釣れます。さらに、自宅近くの海からさらなる食料を調達します。
そのビーチでは、超美味の天然のハマグリが簡単に採れます。さらに、ニュージーランドの海では、ヒラマサ・タイ・シマアジ・カツオ・マグロ・ホーボーなど、日本とほぼ同じ魚が釣れます。
そう、ぼくの身体は海や湖、畑や森からの贈り物でできているのです。
Photo by Shotaro Kato
「釣りばかりしてないで漢字の勉強をしなさい」
勉強嫌いだったぼくは、子供の頃よく「釣りばかりしてないでもっと漢字の勉強をしなさい」と言われてました。
たしかに漢字の勉強や学校の勉強をしないと、日本で生きていけません。
しかし「好きなことをもっとやりたい、とことん極めたい」という心の声に従ったことが、今の自分の生活につながっています。執筆や仕事のやりとりは、MacBookやiPhoneを使う訳で、漢字が書けなくても「変換」というあたり前の機能を使えるわけです。
でも、釣りに必要な技術や、畑仕事に必須の体力は、当然「変換」が効きません。今のぼくの暮らしを支えているのは、漢字を書ける能力でも学校で教わった座学でもなく、今やプロレベルとなった釣りのスキルと、アウトドア活動で鍛えあげた身体能力なのです。
あの時にガリ勉になって「勉強だけ」をしていたら今のこの暮らしはなかったと断言できます。
ぼくが声を大にして言いたいのは、今から40年以上前の当時、ぼくに「勉強せよ」と言い続けた大人たちは誰ひとりとして、デジタルテクノロジーが将来、「漢字力不足」や「知識不足」を補ってくれるような時代が来ると予想できなかったということ。
もちろん、ぼくだって同様です。ぼくはただ、自分の心の声に耳を傾け、それに従っただけ。これって、現代でも同じことが言えると思うのです。多くの大人たちは、いろんなことを知った気になっていますが、40年後がどうなってるなんて誰も予想不可能ですよね。
ましてや、これまでの40年とは比べものにならないくらい、これからの40年は超高速で変化していくのは確実でしょう。たとえ10年後だって、世界的に有名な社会学者にも予測は無理でしょう。ちなみに、iPhoneが登場したのも、Twitterがリリースされたのも、わずか10年ほど前だということ、覚えていますか?
そんな現代だからこそ、シンプルに心の声に従うべきなんです。どんなに情報収集しても、頭で考え抜いても、今のあたり前や常識が10年後、40年後に通用するかどうかなんて、決してわからないですからね。
ぼくは、あてにならない他人の助言や、真偽がわからない外部情報に依存するのではなく、自分の直感や感性、つまり自分の本当の心の声だけを信じて生きて行きたいと思っています。きっとそれだけが「正解」と言い切れるからです。
そして、前述した3つのサバイバル能力をさらに鍛えあげて、依存先を減らす努力を続けることで、さらなる身軽さを身につけ、自由と自分らしさを追求して生きていきたいのです。
「依存しない生き方」
これこそが、ぼくが生涯をかけて追求したいライフスタイルと言えるでしょう。
最後に。
「依存するな」「少しでも依存先を減らせ」とぼくは言い続けてきましたが、結局のところ人間は、地球だけには依存しないと生きていけません。つまり、ぼくらが唯一依存していいのは、ずばり地球環境です。なのに、人間は平気で自然を壊し、環境を汚してきました。
もしこのまま地球が、人類が住めない環境になってしまったら、資本や貨幣なんて無価値となりますよね。だからぼくは、自由に自分らしく生きるために、自然や地球を大事にしたいと本気で思い、森の生活を営んでいるのです。
質疑応答
Q. フリーランスになって9年目ということですが、何年後くらいに安心してやっていけると思いましたか?
今、ご自身がフリーランスになろうかどうか、迷っている感じでしょうか? そんな感じの質問ですね。多分金銭的な心配をされているということですよね。
(質問者、うなずく。)
ぼくは「フリーランスになりたい」という相談を頻繁に受けます。そこでは必ず言うことが2つあります。
「慌ててフリーランスになろうとしないで、2〜3年はしっかり準備してください。いまの会社を飛び立つためのプラットフォームととらえて、使える人脈や設備をフル活用してください」
「フリーになってからやりたい仕事や、行きたい業界の人と、今の名刺を使って実際にどんどん会ってみてください」
ということです。
準備やシュミレーション期間をしっかり作ることで不安が少なくなります。逆に、やっぱり違うかも、フリーになるのやめようって思うかもしれません。
それからぼくの場合、フリーランスになって「収入をあげてやろう」という発想はまったくなかったですね。最初からシフトダウンする前提で考えていました。なぜなら「お金持ち」になるためではなく、「時間持ち」になってより自由を手にしたかったからです。
まずは「ミニマムライフコスト」といって、家賃や食費など最低限かかる生活費を算出しました。ギリギリまで生活レベルを下げると想定して判明したのが、もしぼく1人だけだと15万円あれば何とかなるということ。これによって「この金額ならどんなバイトでも余裕で稼げる」という安心感を得ることができました。
もし、フリーランスになる目的がお金だとすると「もっともっと…….」となってしまい、永遠に仕事が終わらなくなってしまうのです。そうすると結果、忙しさもストレスも会社員よりも激しいものとなってしまいます。
それと、「起業して大きなことをやり遂げたい」という人からアドバイスを求められることも多くあるので、その時はいつもこう言います。
「最初の3年はマネタイズを考えないこと。そのために、生活費は健康を害さないレベルぎりぎりまで下げて、3年間は破産せずに挑戦が続けられるように努めること」
「自分が心からやりたいことや、誰かの役に立つような、最高にワクワクできることを事業にしたほうがいい」
最初から儲けることだけを考えて起業しても、間違いなくショボい結果にしかなりません。大ヒットや世の中を動かすような大きなことって、仕掛ける側が本気になって感動していないと絶対に生み出せません。
今の世の中だったら失敗してもやり直しがききます。せっかく高い志を持って起業したりフリーになるのなら、思い切った挑戦をやってほしいのです。過去の偉人たちは間違いなく全員、そういった哲学を持って臨んだはずです。
最後に、『人生やらなくていいリスト』にも書きましたが、レコード会社勤務時代、アーティストと仕事をしていた時の話をして終わりにしたいと思います。
人間の集中力とクリエイティビティが一番高まる瞬間というのは「これが好きだ」「これがやりたい」と心底から思った時です。100万枚売れる曲や、ずっと歌い継がれる曲というのは、必ず誰か1人のために心を込めて本気で書いた曲です。
そういった、邪念のない純粋な感情から生まれたものだけが、結局は人の心を動かします。打算的に頭で考え出したものは、誰の心も打ちません。これは音楽に限らず、どのサービスでもどんなビジネスでも同じだと思っています。
(会場拍手)
ライター・白石健二郎
自営業者。西東京市で鍼灸院運営。音楽誌エレキングに寄稿経験あり。ゲーム音楽への楽曲提供を経てメジャーレコード会社から3枚アルバムをリリースした経験もある。趣味は読書(毎月十冊程度)ロスジェネ世代の中年。