UKダンス・シーンの中で多くの重要な作品をリリースしてきたシケインの来日公演がようやく実現する。僕のように15年以上も待っていた熱心なファンもきっと多いのではないだろうか? 彼はバレアリック、トランス、プログレッシブ様々なスタイルに変化してきたUKダンス・シーンでほんとうの意味でのジャンルのクロスオーバーさせてきた。そしてトランスというジャンルでしっかりとした知性と言葉にできないリアルなエモーションを表現することのできた数少ないアーティストだ。もちろんもっと早く見ることができたらという意見もあるだろうけど、ダンス・カルチャーが大事なものを失いつつあるいまだからこそ意味があると僕は思っている。これまで国内のメディアではほとんど紹介されることのなかった彼のインタビューを来日に先駆けて心待ちにしているファンに届けたいと思う。
Interview:CHICANE
Chicane&Ferry Corsten feat. Christian Burns – One Thousand Suns
――まずあなたの生まれた場所や子供時代、家族について教えてもらえますか?
生まれはロンドン郊外のバッキンガムシャーという小さな街で、男ばかりの3人兄弟なんだ。子供時代は毎日が楽しくって遊びまわっていたよ、いろんな遊びを考えたりするのが楽しかったよ、もちろん音楽もすきだった。でも僕は失読症だったから読書と算数の訓練がほんとに大変だった。それでもクリエイティブなことをやりたかったから、本格的に音楽に向き合う前はグラフィック・デザインをやっていたんだ。
――子供時代には音楽教育は受けてましたか?
もちろん、ギター、ピアノそれにバイオリンを習っていたよ、ほんとにレッスンが嫌だったけどね(笑)。でもそれは僕が作曲に興味を持つ前の話で、本格的に音楽に向き合うようになってからはレッスンがほんとに役に立ったよ。その時も失読症との戦いは続いていて譜面も読むことができなかったからね。
――はじめて買ったレコードはなにか覚えてますか? 10代のころ好きだったミュージシャンは?
はじめて買ったレコードはたぶんジャン・ミッシェル・ジャールの『オキシジェン』じゃないかな?彼は僕がエレクトリック・ミュージックにはまるきっかけとなったミュージシャンなんだよ。
――ティーンエイジャーの頃のヒーローは?
う~ん、特に思いつかないな…。その頃はホバークラフトに夢中だったんだ。
――1988年から1991年、アシッド・ハウス、マッドチェスター時代、セカンド・サマー・オブ・ラブと呼ばれた時代はあなたにどんな影響を与えましたか?
あの時代はすべてにおいて特別な時代だったね、あらゆるものがクリエイティブで多くの素晴らしい音楽が生まれたから当然大きな影響を受けたよ。なによりもインディー・ロック、ハウス、ヒップホップ、ジャンル関係なくミックスされて最高に刺激的な時代だった。僕も多くのプロデューサー同様スポンジのようにこのムーブメントからいろんなことを吸収して1996年の自分のデビュー曲のリリースに辿り着いたんだ。まさに僕にとってあの時代はその後のすべてにつながる正しい道の途中だったと思うな。
――はじめてのクラブもしくはレイヴ体験について教えてもらえますか?
そんなにグラマラスな体験ではなかったよ、サウスエンドのクラブでN.Joyがライブをやっていた。でもそれからイギリス中のクラブに行きまくったよ(笑)。
――“Offshore”リリース以前のあなたのフェイヴァリットDJは誰でしたか? フィヴァリット・トラックも教えてもらえますか?
ポール・オークンフォールドとスティーヴ・オズボーンのプロダクションはほんとに好きだったよ、とくにU2のリミックスはどれも最高だったし当時のオークンフォールドはほんとに素晴らしいDJだった、DJとしてはサシャとディグウィードが好きだった。特にサシャとディグウィードは“Offshore”にほんとに大きな影響を与えているよ。
――“Offshore”のオリジナリティー素晴らしいと思います、この曲ができた時のことを教えてもらえますか?
“Offshore”は1996年の夏の終わりに降りてくるようにできた。僕はその時なんとかして夏の終わりの言葉にならないフィーリングを閉じ込めようとしていた、夏の終わりの夕暮れに心にひろがるメランコリーのような、言葉にできない感情をつかみ取って封じ込めようとしたんだ。その時にひらけたアイデアは“Offshore”ができたそのあとも、そしていまでも僕を捉えて離さないよ。
――1stアルバム『Far From The Maddening Crowds』はダンス・トラックだけでなく様々な要素と表情を持っていますね。まるでクラッシックや映画のサントラのようであったりとても知的な構成となっています。タイトルはどこからきているのですか?
タイトルは言葉遊びなんだよ、もとはトーマス・ハーディーというイギリスの作家の『Far From Madding Crowd』(邦題『遥か群衆を離れて』)という有名な本からとったんだけど、現代のクレイジーな日々の生活から離れるっていう意味を込めてあるんだ。自分の音楽についてよく話すことなんだけど、僕の音楽は多くの要素が込められているダンス・ミュージックでありワイドスクリーンのようなヴィジョンのあるものなんだ。このアルバムには僕の音楽観の重要な要素がすべて詰まっている、でもそのひとつひとつは言葉にできないものなんだ。そしてアルバムを通して、一曲目からラストまでの流れにも意味があるんだ、それは個別にダウンロードされるいまの音楽にはないものだよ。
――そうですね、アルバム全体が一つの物語のような印象ですね。どんなことからインスピレーションを受けたんですか?
僕はほとんど本が読めないから映画が多いよ、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』の大ファンなんだ。
――1997年の『Far From The Maddening Crowds』から2001年のセカンド『Behind The Sun』までの5年間は多くのダンス・レーベルが活躍し、UKダンス・シーンが最高に盛り上がった時期でした。当時あなたが注目していたクリエイターやDJは誰でしたか?
この時期はオーキーとサシャの時代だったよ。彼等が時代をリードしていたんだ、多くのレーベルやクリエイターのクオリティーも素晴らしかったしね。
――セカンド・アルバム『Behind The Sun』は全世界で大きなヒットとなりました、またこの時期のシーンの盛り上がりはとても印象に残ってます。アルバムの成功はあなたの人生を変えましたか? またこの時期の思い出などあれば教えて下さい。
僕自身は人が思うほど成功したと思ってないんだ、自分ではファースト・アルバムの完成度にまだ満足できなかったから『Behind The Sun』ではより高い完成度を目指しただけなんだ。結果はまた別の話だと思っている。これは僕の意見だけど、アーティストは常に前進していなくてはいけない。より良い作品を目指し前を向き続け、次の作品のことを考えていないとならない。僕は1996年よりプロデューサーとして進化している、そしてさらに先に進むことに集中しているからあまり過去を振り返ることをしないんだ。いま一番気になっているのは次のアルバムのことだよ。
――『Behind The Sun』の世界的な成功のあとメジャーである〈WEAレーベル〉と契約しますね、しかし完成していたアルバム『Easy To Assemble』はついに発売されませんでした。なにが起きていたんですか?
非常に興味深い時期だった、僕が〈WEA〉と契約している間にすべてがゴミのようになって終わってしまった。このアルバムのプロモがメディアに配られる少し前に〈WEA〉と契約していたアーティストやスタッフの多くが〈WEA〉を離れてしまったんだ。突然のできごとで、その後、そのことを知らない人達が契約も終わっているのにプロモを配りインターネット上に流れてしまった。ロシアでは海賊版までリリースされたんだ。その後もなんとか使えるパーツを整理したりこのひどい状況から抜け出す努力をしたんだけど、そんなことがあったからアルバムはだめになってしまった。僕としては思い入れのあるアルバムだったから、『Easy To Assemble』をオリジナルの曲順でやるスペシャル・ライブをやろうと思っているんだ、まだアイデアの段階だけど。
――2007年には正式なサード・アルバムである『Somersault』を自身のレーベルである〈モデナ〉から発売しますね、多くのメジャーがあなたのリリースに興味を持っていたと思いますがインディー・レーベルでのリリースを選んだのはなぜですか?
ほんとに多くのオファーがあったんだけど、メジャーとの仕事はほんとにクリエイティヴではないんだ。この時期、もうすでに多くのオファーはレコードの契約としてでのものではなくアーティストとしての活動すべてに渡るものだったんだ。やはり僕は自分の運命は自分で切り開きたいと思うから自分ですべてのことを決断できる方法を選んだだけだよ。
――そうですね、それではちょっと質問を変えて制作について聞きたいと思います。1995年、あなたが本格的に制作を開始した時はどんな機材でスタートしたんですか?また現在の制作スタイルも教えてもらえますか?
当時はローランドのS750というサンプラーと初期のCubaseだったよ、すべてのことに慎重にやらないといけなかったから集中力が必要だったね。いまはマックでLogicを使っている、もちろんソフト・シンセもプラグインも大量に使うよ。当時との最大の違いはなんといってもトータル・リコールがすぐに可能なことだね、だから6曲ぐらい同時に進行することができるし、思いついたアイデアをその場で試すことができる、1曲を最後まで完成させないといけなかった当時では考えられないよ!
――PCスペックとソフトウェアの進化で誰でも簡単に制作ができるようになったことについてはどう感じますか? また最近のEDMのようなダンス・ミュージックについてはどう思いますか?
音楽に関わらずテクノロジーの進化はいつも人々に多くのことを可能にする、簡単に制作ができるようになったのは悪いことではないと思うよ。僕の今までの経験や感性は僕自身のものだからね、自然とEDM(なんて間抜けな名前なんだ!)みたいなものから距離は追いてるしね。ダンス・ミュージックが金儲けの道具になっている、それがいまアメリカで起きていることだよ。でもどんなにダンス・シーンがひどいことになっても僕は自分の音楽に集中するだけだよ。
――ありがとうございます、最後に僕を含め多くのファンがあなたの来日を15年(笑)! 待ってました。ライブを楽しみにしているファンにメッセージをお願いします。
ようやく日本に行けることになってほんとに嬉しいよ!ライブをするのが待ちきれない、みんなで最高のパーティーを一緒につくろう!
interview&by YODA
interview&translate&construct by YODATARO
Event Information
THE WONDERLAND 2013.06.18(土)@ageHa OPEN 23:00 DOOR ¥4,000/REGULAR ADV ¥3,500/ageHa MEMBER¥3,000 Ticket Information ARENA『MAGNIFICENT presents CHICANE』 WATER『SENSE』 BOX『KONNEKT』 ISLAND『ABSOLUT』 |