インド・ムンバイのスラム街で育った青年がヒップホップと出会い、人生を変えてゆく物語『ガリーボーイ』。「インド版『8 Mile』」とも評される本作は、映画批評サイト「Rotten Tomato」で満足度100%(2019.9.25時点)を叩き出し、2019年公開のインド映画で世界興収入第2位を記録するなど、すでに高い評価を得ている。
『ガリーボーイ』予告編
Qeticでは、10月18日(金)の日本公開を記念して来日した監督のゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar 以下、アクタル監督)に単独インタビューを行い、本作を貫くふたつの軸、すなわちヒップホップと格差社会についての考えを聞くと同時に、制作の裏側についても語ってもらった。
Interview:ゾーヤー・アクタル(映画『ガリーボーイ 』監督)
Naezy(ネィズィー)とDivine(ディヴァイン)には繋がりを感じた
━━本作は、インドの人気ラッパー・Naezy(ネィズィー)とDivine(ディヴァイン)をモデルにしたストーリーです。この2人について映画を撮ろうと思ったきっかけや決め手は何だったのでしょうか?
ネィズィーは私にとって、初めて出会ったムンバイのアンダーグラウンドラップシーンの当事者だったんです。まずは、彼のずば抜けた作詞能力とフロウのテクニックに惹かれました。そして2人目に出会ったのがディヴァインでした。インタビューをしたら両者共に、すごく説得力があって話に引き込まれたんです。2人ともすごく正直で、なおかつ才能に溢れていて、それが手に取るようにわかる。彼らとは繋がりを感じました。だから、この2人を中心に映画を進めていくことにしたんです。
━━「繋がり」というのは、監督と2人の繋がりですか?
私と、私たちチームと彼らの繋がりです。他のラッパーにインタビューをする時は、いわゆるQ&Aみたいになることが多いんです。でも、彼らとは本当に会話をするようにインタビューができた。彼らは、自分たちが育った場所やいつも遊んでいるところ、友達がいるところなど、非常に個人的なことを教えてくれたんです。それから、お互いのアートに関する話ができて打ち解けた面もあったと思います。アーティストとして互いに惚れ合ったということ、それがいちばん大事だと思います。
━━アクタル監督は、普段からよくインタビューをされるんですか?
インタビューはよくしますが、題材によりますね。今回は私がそれほどインドのアンダーグラウンドラップシーンに明るいわけではなかったので、まずはネィズィーとディヴァインの2人にインタビューをして、それからどんなストーリーが作り出せるかを考えました。
Mere Gully Mein – DIVINE feat. Naezy
コピーではなく、自分の正直な真実をラップすること
━━ちなみに、アクタル監督はいつ、どういうきっかけでヒップホップを好きになったんでしょうか。
やはり90年代からですね。最初はスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、フージーズ(The Fugees)、2パック(2Pac)あたりから聴きはじめて、その後エミネム(Eminem)やサイプレスヒル(Cypress Hill)へ行き、近年はケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)、カニエ・ウェスト(Kanye West)、ナズ(NAS)、リル・ウェイン(Lil Wayne)なんかをよく聴いています。 彼らは非常にオリジナルですよね。本当に何もないところから、自分の生い立ちなどを歌ってラップする。そこに凄くストーリーを感じます。それは、当時の主流の音楽シーンでは誰もやっていなかったことだと思うんです。ネィズィーとディヴァインに関しても同じで、インドのポップカルチャーでは誰もやっていなかった手法であり、こういうストリートのキッズがいるということは発見されていなかったことでもありました。そうした彼らの経験を多くの人たちとシェアできたらどんなに素晴らしいだろうかと考えたんです。
CNas – Nas Is Like
━━映画の冒頭には、車内で流れるパーティーラップに対してムラド(ランヴィール・シン)が「これがラップか? お茶濁しのリミックスだ」と切り捨てるシーンがあります。このセリフは、アクタル監督自身のインド音楽に対する批判でしょうか。
まさにその通りです。インドのメインストリームのラップは、アメリカのラップをコピーしたものが多いんです。つまり、女の胸がどうだとかケツがどうだとか、クスリがどうだとか……。そういう題材ありきなんです。結局それはただのコピーですよね。アンダーグラウンドシーンのラップは、社会経済の状況や自分にとって本当に身近なことをラップしています。つまりそこには正直な真実がある。アメリカの真似をしているだけのラップは私にとって違うんだ、という想いを冒頭のシーンに込めました。
━━ムラドは英語を話せるのに、ほとんど英語でラップしませんよね。自分の言葉で語りたいという強い意志の表れなのでしょうか?
いや、やはり英語の単語はどうしても入ってしまいますね。英語はインドのカルチャーの一部として定着していますし、特定の単語は英語で言うことが多いです(※日本語におけるカタカナ英語のようなもの)。ムンバイには様々な人種がいて、歴史的にも英語は日常的に使われてきました。ヒンディー語と英語が組み合わさった言葉は「ヒングリッシュ」と言われています。
「スラム」と言っても、汚いところから綺麗なところまで色々ある。
━━劇中の会話においても、裕福層は英語メインで話しているのに対し、そうではない層はヒンディー語ないしはヒングリッシュで話していたように思います。その対比が見事でした。一方、スカイ(カルキ・ケクラン)やMCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)は本名ではないですよね。彼らは本名を隠したがっているのではないかと感じられる節もありました。彼らは本名を明かされた時、ちょっと気まずそうな表情をするからです。
「スカイ」はアーティスト活動をするにあたってのニックネームですね。あのシーンは、家の管理人が彼女の活動を知らないことを示すために入れたシーンでした。ラッパーに関しては一般的に、本名で活動することの方が少ないのではないでしょうか? 「シェール」というのはライオンという意味で、「母が僕のことをライオンと呼んでたんだよ」というセリフがありますが、たとえばパフ・ダディー(Puff Daddy)だってエミネムだって本名ではないですよね。そういったある種の別人格のようなものを持つことがラッパーのカルチャーだと思うんです。ムラドも自身をガリーボーイと名付けることでイメージを投影しています。
━━では、出自を隠したい気持ちや何らかのコンプレックスが反映されたものではないと。
否定しているとか恥ずかしいとかいうことではなく、ラッパーとして別の人格を出したいということですね。良い例がディヴァインで、これは「神」や「神々しい」という意味を持つ名前なんです。彼はクリスチャンで、母親が彼のことを「ディヴァイン」と呼んでいました。ネィズィーには「クレイジー」という意味合いもあって、言葉遊びの側面もあります。こういった名前は、アーティストとして自分がこうありたいという思いの反映なのです。
━━この映画を見ていると、インドではヒップホップに対して、社会からの厳しい視線があるようにも感じられました。たとえば、ムラドの叔母が「歌いたいなら古典にしなさい」とムラドをなだめるシーンなどは象徴的です。一般にインドでは、ヒップホップはどのように認知されているのでしょうか?
インドでジャンルとしていちばん大きいのは映画音楽で、現在も商業的に成長しています。でもインディペンデントでいちばん成長しているのはヒップホップだと思います。ヒップホップはストリートから生まれた音楽であり、お金がない人たちでもできる。ビートをダウンロードすれば、自分でリリックを乗せて、さらにYouTubeにアップして発信もできるわけですよ。
━━「ストリート」という言葉が出ましたが、「ガリー」という言葉は「ストリート」よりももっと狭くて密集している感じがしました。それこそ、ムラドの家には仕切りすらほとんどありません。ただ同時に、清潔な印象も受けました。この映画のダラヴィ(スラム)は、10年前に公開された映画『スラムドッグ$ミリオネア』のダラヴィよりも綺麗に見えます。スラムの現実は、どの程度正確に反映されているんでしょうか?
『スラムドッグ$ミリオネア』は、やや誇張していると思います。実際はあそこまで汚くない。より汚く見せているので、私としてはやりすぎだなと感じていました。しかし、「スラム」と言っても、とても綺麗なところと、かなり汚いところまで色々あるんです。例えば、ムラドとサフィナ(アーリアー・バット)が落ち合う橋の下はドブ川で汚いけれど、家の中はとても綺麗。一概には汚い場所だとは言えないんですよ。スラム自体には、教育や治安、都市計画、自治の仕方、無関心などたくさんの問題があります。現在は政府が大規模で本格的な衛生活動に乗り出したので、うまくいくことを願っています。
貧困の中に生きていてもジェンダーバイアスに縛られない
━━この映画のもうひとつの軸として、生まれや貧困、職業、宗教などに対する差別というものがあります。こういったテーマで映画を作るに至った経緯は何だったのでしょう? アクタル監督自身は富裕層の芸術一家出身ですよね。
先ほどお話したように、ネィズィーとディヴァインに会って映画制作がスタートしたので、彼らのストーリーを聞くうちにそういった問題が浮き彫りになっていったんです。問題ありきではなく、彼らを知るにつれて、このようなテーマになりました。
━━アクタル監督自身、女性であるという理由だけで差別を受けたことなどはありましたか? この映画を見ていると、インドはかなり男性優位の社会なのかなと感じます。女性には恋愛や結婚の自由が与えられていないようにも見えます。
私の場合はアーティスト一家だったということもあって、両親はじめ周りのみんなはリベラルで進歩的な考え方を持っていました。だから女性であるという理由だけで何かを止められたという経験はありません。とても恵まれた環境で育ったと感じています。
━━ではアクタル監督は、ネィズィーとディヴァインと出会ったことでインドにおけるそのような問題を発見したということですか。
インドは家父長制が強い国なので、兄や弟に許されていることが女性という理由だけで許されていないという状況にある人は、私の友人にもいました。だからそのような問題が存在していたことは映画を撮る前からわかっていました。ネィズィーとディヴァインに出会って驚いたのは、彼らには女性蔑視的な考え方がまったく見られないことです。どちらかというとフェミニスト的であり、母親との関係も良好。貧困の中に生きていてもジェンダーバイアスに縛られないことがある、ということは、私にとって新鮮な発見でした。
大切なのは、自分が楽しいと思うことを探すこと
その先に、誰かに還元できる何かがある
━━この映画の登場人物たちのように、様々な差別に苦しんだり、あるいはムラドのように自分に表現の道があるということにすら気付かなかったりする人は日本にもたくさんいます。そうした人々が壁を壊すためには、何が必要だと思いますか?
才能といってもアーティスティックなものに限らず、得意なことを誰しもが持っていると思います。「家事に強い」とか「テーブルを作ることができる」でもいいですし、「共感力が高くて人を助けることができる」でもいい。どれも素晴らしい才能です。自分の関心を活かすことができれば、誰もが特別になれると思っています。だから、大切なのは、自分が楽しいと思うことを探すことではないでしょうか。その先に、誰かに還元できる何かがある。そう私は信じています。
━━とても力強いコメントで、背中を押される思いです。では最後の質問ですが、この映画を見た日本の観客にどんな反応を期待しますか?
理解を深めてほしいです。これまで知らなかったムンバイの若者たちの現状を知ってもらうと同時に、自分はどこから来たのかという問いを抱いてほしい。人間性や人間の精神というのは、文化は違えども根本は同じ。何らかの共感やつながりを感じてもらえたら嬉しいですね。
Photo by Kohichi Ogasahara
Text by Sotaro Yamada
ゾーヤー・アクタル
1972年10月14日ムンバイ生まれ。父は有名な詩人、作詞家で、『炎(Sholay)』(75)等ヒット作の脚本家としても知られるジャーヴェード・アクタル。母は脚本家のハニー・イーラーニーだが、両親は1985年に離婚、父はその後大物女優シャバーナー・アーズミーと再婚した。弟は、監督、俳優、プロデューサーとして活躍する、『ミルカ』(13)の主演俳優ファルハーン・アクタル。インドの大学を卒業後、ニューヨーク大の映画学校で映画製作を学び、1998年『Bombay Boys』(未)の助監督として映画界入り。その後、弟ファルハーンの方が先に『Dil Chahta Hai』(01・未)で監督デビューしたため、この作品や、次作『Lakshya』(04・未)で助監督を務めた。2009年『チャンスをつかめ!』で監督デビュー。続く『人生は一度だけ』(11)がヒットし、舞台となったスペインにインド人観光客が押し寄せる現象が起きたことから、その手腕が評価される。以後、アヌラーグ・カシャプ、カラン・ジョーハル、ディバーカル・バネルジーという個性的な大物監督たちと組んで、2本のオムニバス作品、『ムンバイ・トーキーズ』(13)と『慕情のアンソロジー』(18)を発表。その合間には、豪華スター競演の『Dil Dhadakne Do』(15・未)をヒットさせた。2019年に米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーより新規会員の招待を受けた。本作は、第92回米アカデミー賞国際長編映画賞のインド代表にも選ばれた。
INFORMATION
ガリーボーイ
2019.10.18(金)
新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ツイン
実在するアーティストの驚きの半生を描き、世界中で喝采を浴びた注目作が日本公開! 主演は、次世代のプリンス・オブ・ボリウッドと目されるランヴィール・シン! メガホンを取るのは、北インド映画界の実力派女性監督ゾーヤー・アクタル。プロデューサーはUSヒップホップ史に燦然と輝く数々の名曲で知られるラッパーNAS。ムラドはなぜ、ラップにのめり込むのか? 背景には、インド社会が抱える格差、宗教的差別から解放されたいと願う若者の現実が潜んでいる−−。