text by Michelle Sorry(ex.ミッツィー申し訳)
第3章
「申し訳ナイト2001年・第3期黄金時代始まる!」
すっかり連載が遅れて申し訳ないです!
実は山手線内でウッカリ居眠りしたらリュックごと置き引きに遭い、1月に買ったばかりのパソコン・現金など総額30万円相当の被害をこうむりました。そのパソコンの中にはこの原稿と資料が入っており、別のパソコンでの復旧と再度集めるのに時間が掛かってしまい、この有り様です。盗んだヤツ、呪うよ!
さて、前章での「宇多丸さん2001年以降は毎月自腹で宇都宮までDJ修行に来ることになる」ところから始めます。今考えると2000年に渡した一枚のMIX CDが自分の人生をも大きく変える分岐点だった訳です。
渡した時に宇多丸さんが「今度、ブブカで連載が始まるんですよ!」と熱く語っていたが、その時は雑誌ブブカのことはつゆ知らず、紀伊國屋書店に行くが探しても見つからず、店員さんに「ブブカってありますか?」と尋ねると店員さんも分からず、どんな雑誌かと逆に聞かれ「AERAのような雑誌だと思います!」と返したことを覚えています。後日コンビニで発見、参考までに手に取ると「男道コーチ屋稼業編(全裸でJRの改札をブッちぎれ!)の記事に愕然とし、そのまま棚に戻しました。
どうやらこれから始まる物語の伏線だったようです。では激動の第3期目に突入します。
2001年1月6日新春<申し訳NIGHT> ゲスト宇多丸 from RHYMESTER記載のマンスリーフライヤー
宇多丸申し訳Jr.の入団フライヤー(確かコレでTシャツも作ったはず)
ここから申し訳Jr.制度が始まりました。多分ジャニーズJr.のような定義だったと思います。新譜中心のJ-POPをクラブマナーでMIXするイベントが宇都宮にしかなかった(当時、東京の箱では出来なかった)ので、宇多丸氏は毎月自腹で来て修行に勤しんでいました。この時からハウスっぽいJ-POPを中心にプレイしてましたね。
なおイベント中の写真は残っていませんでしたので、代わりに翌日ヤナと温泉に行った画像を掲載。