——ではそもそもの、<夏の魔物>を始めたきっかけを改めて教えていただけますか。

成田 もともと青森のライブハウスで、<夏の魔物>というタイトルのイベントを始めたのが最初です。というのも当時、好きなバンドが青森に来ないことに気がついて。ツアーとかをしても、みんな仙台で止まって、その次は札幌に行っちゃうみたいな。当時は高校生だったのですが、KING BROTHERSにホームページからメールを送ったら、来てくれて。遠藤ミチロウさんとクハラカズユキさんのM.J.Q(当時は2人編成)とかPOLYSICS、あと向井(秀徳)さんとかも呼びました。イベントも、春・夏・秋・冬と季節間隔ぐらいで定期的にできていたんですよ。俺はバンドもやっていたんですけど、あまり自分がやっているとかも言わずにやってましたね。

——え、それはどういう体でアーティストの方に連絡していたんですか?

成田 普通に「来て欲しいです」と連絡してました。「次は誰来るの?」って友達に聞かれた時に、「次は季節的に夏だから、フェスやるかな。」みたいな感じでファミレスで言ったのが始まりだったんですよね。でもやっぱり1番は、曽我部(恵一)さんが青森に来た時に、MCで「メールをくれた子がいて」みたいなことを言ってくれて。「あ、メール読んでるんだ。」と思ったんですよね。そういうのでアーティスト間の繋がりが増えていきました。繋がりって言っても、俺は社交的じゃないんで、誰と仲良いとかは無いんですけど、「本当に青森来て欲しい」、「フェスやりたい」という思いにアーティストの方々が賛同してくれたんです。

津田 やっぱり曽我部さんって<夏の魔物>にとって特別な存在ですよね。

成田 曽我部さんは1回出られなかったくらいで、最初からほぼ毎回出てくださってるんですよね。

【夏の魔物】曽我部恵一作曲「東京妄想フォーエバーヤング」

——成田さんの、「フェス」そのもののバックグラウンドとか原体験って何ですか?

成田 高校生の頃にたくさんフェスに行って、特に<フジロック>と<RISING SUN ROCK FESTIVAL>は思い出深いですね。<フジロック>を主催してるSMASHの代表の日高(正博)さんの本も読んだりもして。

津田 『やるかFuji Rock』でしょ? 読んだ読んだ。

成田 そう! 高校の時にその本を読んでなかったら、フェスをやっていなかったんじゃないかなって思います。<フジロック>に大変な思いをして行って、色々なことがあって感動したのを覚えていて、俺もフェスを作りたいなと思ったのが最初ですね。

——ではさらに遡って、「フェスに行こう」と思ったきっかけは何だったんですか?

成田 ↑THE HIGH-LOWS↓のライブホールツアーでスタンディングがあったんですけど、これを野外のデカいところでも観たいなと思って。それで高校の時に行ったのがきっかけだったかなって今思い出しました。雨が降ってて。雨とかあると鮮明に覚えてるんですよね。

——今みたいな「フェス」っていう感じではなかったんですか?

津田 僕らが高校生の頃は今みたいな夏フェス文化はまだなかった。僕も当時は<SUMMER SONIC>しか行ったことなくって、高校生にとっては関西から<フジロック>に行くのってかなりハードル高いので。でも、そんな時から<フジロック>に行ってて、そこからさらに青森で自分でフェスやろうと思ったのが凄い。ライブハウスでやっていることを「外でやりたい」と思ったんでしょ?

成田 そうそう。 99年に<RISING SUN ROCK FESTIVAL>の第1回目の時に、『rockin’on』の表紙がチバユウスケさんと、ベンジーさんと、UAさんのスリーショットで。その中身が、色々なアーティストの方のオフショットとか話している姿とかが載ってて、普通じゃあり得ない感じで。自分もそういう光景というか、そういう交流の場を作りたいなと思ったのもきっかけのひとつですね。例えば1回目の<夏の魔物>だと、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川さんが、あふりらんぽを袖で観ているとか、ギターウルフのライブを色々なアーティストが観ているとか。そういうシーンを結構作りたいというか、そこは今でも意識していますよね。他には無い景色というか、三上寛さんのライブを坂本慎太郎さんがみんなと観ているみたいな。

津田 僕も行ったときは遠くからこっそり見てますからね。とにかく<夏の魔物>は「他には無い感」が強い。ちょっと強すぎるところもあるけど(笑)。

フェスで人生が180度変わった!? 86年同世代フェス談義〜夏の魔物 成田大致 × Festival Junkie 津田昌太朗〜 MG_0028

——津田さんは、なぜフェスのメディアを始めようと思ったんですか?

津田 個人でフェスサイトというかブログみたいなのをやってる方がいて、そこで仲間を募集していたのがきっかけですね。フェス好きで成田さんと同じように10代の頃からフェスばっかり行ってて、せっかくだから何か発信してみようかなみたいな軽い気持ちで。フェス作るのは、ものすごい大変そうだけど、とりあえずフェスにはたくさん行ってたからそれを伝えることならできると思って。

——運営されている「Festival Life」は昨年大幅にリニューアルしましたよね?

津田 海外移住をきっかけに「Festival Life」から離れていたんですけど、日本に帰国したタイミングでサイトを買い取って、新しい仲間を募集しました。それまではブログメディア的な形だったんですけど、1年かけてちゃんとしたメディアに育てようと思って、毎日更新するようになってからちょうど今1年たったくらいですね。メディアを作るより、フェスを作る方が大変だとは思うけど、この1年でいろいろ苦労はしました。

——そんなに行ってたら自分でフェスを主催してみたくなりませんか?

津田 よく「フェスやらないの?」って聞かれるんですけど、未だにフェスの作り方って全くわからないです。まあでもいつかはとは思ってタイミングを狙ってます。そういう意味でも10代でそこに踏み込むってほんとすごいなあと。

成田 当時はフェスのやりかたもわからなくて。呼び方もわからないし、今もわかっていないんですけど。だけど、好きという事実と、自分が感動した出来事だったり、作品だったり、ライブだったりというのは本当じゃないですか。僕は10年間それを伝えてきたというだけなんですよね。そこに対して嘘は無くて、アーティストのことをリスペクトしているというか。

——それはすごく感じます。オーガナイザーとしての基本的な仕事を果たした上でも、きっちりラインナップに素直な「我」が出てますし、かと言って成田さんは「これをやって凄いだろ」感も別に全然出されていないですもんね。

津田 <夏の魔物>って成田大致の脳内を淡々と見せつけられているような感じなんですよね。「今年1年間こんなこと考えていました」というのを世の中に公開するというか。僕はフェスの主催はできなかったけど、そういうオーガナイザーの想いとかを伝えたいっていうのがあって。 日本にはこんな面白いフェスがたくさんあって、それを考えてる主催者の人生も含めて面白いんじゃないかって。

フェスで人生が180度変わった!? 86年同世代フェス談義〜夏の魔物 成田大致 × Festival Junkie 津田昌太朗〜 13041225_1079218475475851_391825985018512275_o-1

©Festival Junkie

——「Festival Life」は日本のフェス情報ですが、「Festival Junkie」では海外フェス情報を発信していますよね。

津田 それも基本的な考え方は一緒で、海外フェスも色んなものがあって、もっとまわりの日本人が知ってくれたらと思って始めました。

——海外フェスに行ったのがきっかけで脱サラしたんですよね?

津田 そうですね。2013年の<グラストンベリー・フェスティバル>に行ったことがきっかけです。ザ・ローリング・ストーンズってあまりフェスに出ないんですけど、50周年だったのでヘッドライナーとして出てて、それ目当てで参加してその帰りの飛行機で会社を辞めようってなっちゃって。

成田 突然ですか?

津田 突然(笑)。それでイギリスに移住して、ロンドンを拠点に海外フェスを回り始めました。海外フェスもさっき言ってたみたいに、色んな主催者がいて、色んなフェスがあって、そこでしか観せてくれないものを観せてくれるんですよ。それを自分の目でみたくってフェスを周ってるんですよね。10月にも<Desert Trip>というザ・ローリング・ストーンズとかポール・マッカートニーとかが集結するフェスに自腹で行ってきます。

——噂の豪華なやつですね。

津田 正直彼らをいつまで観られるか分からないし、1回1回が本当に特別なんです。そういえば今年の<SUMMER SONIC>でTHE YELLOW MONKEYの吉井(和哉)さんも2013年のザ・ローリング・ストーンズのハイドパーク公演を観て、メンバーにメールしたってMCで言ってたんですよ。同じ時期に彼らのライブを観て「バンドをまたやろう」と思う人もいれば、僕みたいに「会社辞めて海外のフェス回ろう」と思って180度人生が変わる人もいたりもするという。やっぱフェスとかライブって人生に衝撃というか、多大な影響をもたらしてくれるものだと思うんですよね。

次ページ;成田大致にとっての1番衝撃的なライブとは?