エレクトロニック・ミュージックとクラシック音楽~現代音楽の間を自在に行き来する、いまやポスト・クラシカルの代表的な音楽家となったニルス・フラーム(Nils Frahm)の待望の新作『All Melody』が2018年1月26日(金)にリリースされる。
『Spaces』(2013)以来、約4年ぶりのスタジオ・フルアルバムの魅力を味わうために、今一度ニルス・フラームのキャリアを振り返ってみようと思う。
ピーター・ブロデリックのようなポスト・クラシカルとフォークの狭間を渡り歩く音楽家から、クラークやDJシャドウといったエレクトロニック・ミュージックの寵児まで、ジャンルの垣根を越えたコラボレーションをしたかと思えば、バンドや音楽家が自身のフェイバリット・ソングをセレクトするミックスCDシリーズ『Late Night Tales』にて、フレンドリー・ファイアーズやジョン・ホプキンスがニルス・フラームの楽曲を取り上げるなど、同時代の音楽家たちに刺激を与える存在でもある彼が、どのような歩みを経て新作『All Melody』にたどり着いたか、彼のリリースしてきたソロ作品をいくつかピックアップしながらその音楽的変遷をクリアにしてゆこう。
ニルス・フラーム
最新作『All Melody』へ至る歩み
『Streichelfisch』
ニルス・フラームはドイツのハンブルグで生まれ、音楽家であると同時に〈ECM〉からリリースされる作品のカバーデザインを手掛けていた父、クラウス・フラームの影響下にありながら、同時代のヒップホップやエレクトロニック・ミュージックの刺激も受け、その音楽的な感性を磨く。
クラシック音楽の領域でピアノの訓練を受ける一方、コンピューターを使った音楽制作にも取り組み、自身の音楽的なポテンシャルを拡張していった。
その過程で彼が制作試行錯誤しながら作っていった初期の作品が〈AtelierMusik〉からリリースされた『Streichelfisch』だ。マシュー・ハーバートやフォー・テットを思わせる、実験的でありながらどこかフレンドリーな質感が魅力的なエレクトロニカがメインの本作は、電子音の扱いが非常に演奏的なのが特徴。
これはピアニストでありエレクトロニック・ミュージシャンでもある彼らしいともいえる。ウーリッツァーやモジュラーシンセなどを用いながら作られたサウンドからは、デジタルとアコースティックの間に境目など存在せずそれらはピアノと同様にただ単に楽器なのだという確信があり、そのアティテュードは現在にまで貫かれている。
『The Belles』(2009)~『Felt』(2011)
ポスト・クラシカルの中心地といってもいいレーベル〈Erased Tapes〉からリリースされた『The Bells』は、プロデューサーにピーター・ブロデリックを迎えて制作された。
ニルス・フラームが即興で弾いたものを録音した本作からは、彼が常にフェイバリットに挙げ続けている〈ECM〉の香りがする。ベルリンの教会にあった古いピアノを用いて録音された本作が奏でるサウンドが、『Streichelfisch』でモジュラーシンセをプレイした手で奏でられていることを考えると、彼の音楽家としての懐の深さを味わうことができる。
教会内の極めて美しい残響感を的確に捉えたその音響への敏感さから産み出されたサウンドは、優れたアンビエント・ミュージックとしても成り立っている。
その音響感覚が全面展開されたのが続く『Felt』だ。ピアノのタッチ・ノイズやハンマーの微細な音響とともにレコーディングされた本作は、その過剰なまでの環境ノイズへの肯定がニルス・フラームの本質であることを声高らかに宣言した作品だ。
本作が〈Mille Plateaux〉からリリースされていたグリッチ・ミュージックの記念碑的作品『クリックス&カッツ』に対するオマージュだという彼の発言は頷ける。ハンマー音=グリッチ・ノイズというわけだ。ピアノ曲の録音というよりピアノ演奏のフィールド・レコーディングともいうべきサウンドはパーソナルな質感を伝えるとともに、ポスト・クラシカル=心地よいBGMというテンプレートを決定的に裏切る。この感覚は続く『Screws』でも明確に現れており、左手の親指を怪我した彼が9つのピアノ曲を9本の指で奏でるという本作の魅力を聴き手に伝える。
『Spaces』(2013)
初期ニルス・フラームの集大成的作品、と言っていいのかはわからないが、デビュー時から彼が磨き続けてきた音楽性がひとまず完成を迎えたのが本作。
2012年から2013年の間に行ってきたライブの音源を丹念にエディットすることで作り上げたサウンドに耳をすませば、ピアニストとエレクトロニック・ミュージシャンという彼の二つの側面が有機的に混ざりあってることがわかる。
アナログ・シンセ(JUNO 60)やピアノ、ローズ・ピアノを駆使して紡ぎだされる魅力的な音響をデジタルだけでなく、オープン・リールやカセットで録音することで、様々なテクスチャーをコラージュ的に配列させることに成功している。
『Spaces』=「空間」というだけあって、音響的な気配りが隅々にまでいきわたっており、“An Aborted Beginning”におけるダブ処理や、アナログ・シンセのダイナミクスがリフレインの中で絶妙に変化してゆく“Says”、咳をはじめとした客席の環境音を楽曲に取り入れた“Improvisation for Coughs and a Cell Phone”、シンセサイザーの迫力満点のレイヤーからミニマル・ミュージック的なピアノ・フレーズへと移行してゆく本作のハイライト“For – Peter – Toilet Brushes – More”、ハーモニウムが荘厳に響き渡る“Ross’s Harmonium“を聴けば、ニルス・フラームという才能がポスト・クラシカルという枠に収まらないものだということを痛感できる。
Nils Frahm – Says (Official Music Video)
Nils Frahm – Toilet Brushes – More (Live in London)
『Solo』(2015)
ピアノが発する微細な音響から環境音まで、あらゆる音をレコードにパッケージングしてきたニルス・フラームは次のステージに乗り出す。
彼が持つ音響への貪欲な探求心はピアノという音響装置そのものの改良を目指した。彼の友人であるデヴィッド・クラヴィンスが当時制作中だった高さ4.5mに及ぶピアノ「Klavins M450」の試作品「Klavins-Piano Model 370」を用いて本作は録音されている。全高3メートル・総重量2トンあるこの楽器は、間違いなくピアノでありながら、我々が知っているピアノとは異なる奇妙な音色がそこにはある。
詳細は下記リンク先に譲るが、このピアノは鍵盤の数も音域も通常のピアノと変わらない。大きく異なるのは、弦の長さだ。通常のピアノの弦の長さだと、本来得られるべき音の倍音が削がれてしまっているため、理想的な長さを追求した結果がこの「Klavins-Piano Model 370」だそう。
時にチェンバロのような金属的な響きも内包しながら豊かなサウンドを奏でるこのピアノがニルス・フラームの手によって演奏されたとき、そこにはたしかにこれまでのピアノ・ミュージックとは異なる音楽が存在している。本作は新たなピアノ・エラのスタート地点だったと言われるようになる可能性すらある。