いわゆる「ピアノ弾き語りソロシンガー」という括りに縛られない、自由かつ大胆な音楽活動を繰り広げながら、2019年の2ndアルバム『永久凍土』では、これまで以上にその「歌詞」に重きを置いた音楽制作を行ってみせた日食なつこ。その彼女が、2021年3月10日、「流されず。迎合せず。日食なつこの究道宣言。」という力強いキャッチコピーのもと、渾身の一曲を送り出す。

音楽のすゝめ”と名付けられたその曲は、音楽を鳴らす者、売る者、浴びる者……すべての音楽人が、このコロナ禍の中で「音楽」と言う名の夢を見続けるための「」のような一曲であるという。その制作理由についてはもちろん、同曲のアレンジを日本のポップス界の第一人者である武部聡志に依頼した理由、そして何よりもひとりのミュージシャンとして、このコロナ禍の中で感じた率直な「思い」と、その果てに彼女が選び取った「決断」について、日食なつこ本人に尋ねた。

日食なつこ -「音楽のすゝめ」MV

INTERVIEW:
日食なつこ

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-04-1440x2165

音楽を聴く行為は、
ある種自己中心的な行為でもあるなって

━━この“音楽のすゝめ”という楽曲は、いつ頃どんな思いのもとに書いた曲なのでしょう?

日食なつこ(以下、日食) この曲は、コロナ禍になる前からあった曲です。2019年の夏、<ROCK IN JAPAN FES.>に出させていただいたんですけど、自分の出番が終わったあと、普通にお客さんとしてGRASS STAGEを観ていたんですね。ちょうど、その日の大トリだった10-FEETさんが演奏していて、そのライブが本当にすごかったんです。「これがメインステージのトリをやる人のライブなんだ……」っていうか、もう会場にいる人たち全員の心を持っていくようなすごいライブで。「ああ、まだまだ自分はダメだな。ここまで届けられないや」みたいなことを思いつつも、そのときの会場の熱を忘れないようにしようと思い、その日家に帰って、そのままピアノの前に座って書いたのが、“音楽のすゝめ”のサビ部分の歌詞なんです。

━━《短い夢を/朝が来れば幻と化す夢を/後先もなくかき集めてしまう/馬鹿な僕らでいようぜ》という一節ですね。

日食 それを書いたときは、普通にフェスの楽しさを伝えたいと思ったんですよね。みんなもっと、フェスに行こうよっていう。その指南書のようなつもりで“音楽のすゝめ”の歌詞を書いたんですけど、そのあとコロナ禍になって、そもそもフェスっていうものができない状態になってしまって……。

━━日食さん自身も、2020年の2月24日に開催したツアーファイナルを最後に、予定されていたライブやレコーディングが全部白紙になって。その頃は、どんなことを考えながら、過ごしていたのでしょう?

日食 まあ、しょうがないかなという気持ちではあったというか、私はわりとそういうところはドライに捉えてしまうので、できないものはできないし、しょうがないなって思って。で、3月の頭ぐらいに、ちょっと用事があって、岩手県の実家に帰ったんですよ。

━━花巻でしたっけ?

日食 そう、花巻に帰っていろいろ用事を片付けているうちに、東京のほうがどんどん大変な感じになっていって。4月に入ったら、緊急事態宣言が出されてしまったと。なので、実はそこから4ヶ月ぐらい、ずっと岩手にいたんですよね。一度、東京に戻ったら、もう岩手には戻れないだろうし、今は動かないほうがいいだろうなって思って。

ただまあ、そのあいだ当然、家族としかほとんどしゃべらないので、その頃は自分が「日食なつこ」であることも完全に忘れていたというか。ピアノも全然弾いてなくて、普通に聴くことしかしてなかったんですよね。自分の好きなアーティストのCDを普通に買って聴くっていう。

ただ、そうやって久しぶりに「日食なつこ」ではなく、ひとりのリスナーとして音楽を捉えることができたところもあって……。やっぱり、音楽は素晴らしいなって思ったり、音楽を聴く行為は、ともすれば、ある種自己中心的な行為でもあるなって思ったり。

━━どういうことでしょう?

日食 自分の好きなアーティストに理想像を張り付けて、自分の都合よく解釈して、勝手に力をもらったり。音楽を聴くことは、すごい自己中心的な行為だなっていうのを、その数ヵ月間の体験を通して、すごく思ったんです。もちろん、それは音楽の在り方として正しい在り方だとは思うんですけど、だからこそ、そこで忘れていけないことがあるというか、そこである種、教訓的なところを図らずも得て……「これこそ、“音楽のすゝめ”なのかもしれない」と思って、“音楽のすゝめ”の歌詞をちょっと書き直したんです。

たとえば、《一つ、知識や偏見をまず置いてくること》っていうのは、誰かがあのバンドはこうだよって言っていたとか、まずはそういう情報無しで聴くのが大事でしょうとか、その数ヵ月でいろいろ気づいた自己中心的な部分を羅列していくような形に書き変えました。それが今の歌詞なんですよね。

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-06

12年間、ピアノ一本で成り立つ曲、
ライブっていうのをやり続けてきたからできた

━━なるほど。しばらく実家のほうに戻っていたとのことですが、4月から5月にかけて「ファン投票による厳選20曲の宅録弾き語りアルバムの制作」という名目でクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げたり、6月には自宅から配信ライブをやってみたり、いろいろ活動もされていました。そのあと、山奥の一軒家に引っ越しをされたとか?

日食 あ、そうですね。今はもう、月イチぐらいで東京にきていますけど、6月までの上半期にいろんなことをやってみて、それが落ち着いたあたりで、いよいよ東京の家を引き払って、山奥に引っ越すことを決めて……所属事務所の人にも、完全に事後報告だったんですけど(笑)。

ただ、引っ越し自体はコロナ禍になるずっと前から考えていたというか、東京都内のピアノスタジオって結構高いんですよね。私の場合、時間を決めてできるものではないというか、曲を思いついたら8時間とか9時間とか全然やれてしまうので、そういうことを続けていると、安い家賃だったら家が一軒借りられるんですよね。

だったら「そのほうが良くないか?」って、ピアノを自由に鳴らせるような人里離れた場所にある一軒家をずっと探していて。で、こういう状況になって、音楽業界もビタッと止まって動かなくなってしまった頃に、これは何か一個ガラッと変えることをしないとダメだなと思って……それで引っ越しを決めたんです。

━━まわりのスタッフは、かなり驚いたんじゃないですか?

日食 まあ、そうですね。それは結局、レコーディングをしたくないっていうことなんじゃないかって、やんわりと探りを入れられたり、「そもそも、メンタル、大丈夫なんだろうか……」って心配されたりして(笑)。

━━その点について、本日同席されている日食さんのA&Rディレクターである阪谷さんに伺いますが、その決断を聞いて阪谷さんはどんな反応を?

阪谷 あ、はい(笑)。まあ、驚きはしましたよね。ただ、2019年の1月に『永久凍土』というアルバムを作ったときに、そこまでの一連の流れの中で、日食なつこの音楽が、ひと段落した感じがあったんですよね。なので、次はまたちょっと新しいところに行くんだろうなという意識は、私のほうでも持っていて。で、次にどこに向かうんだろうっていうときに、ある種の原点回帰じゃないですけど、そういうところに向かうのかなって思っていたら、世の中がこういう状況になってしまって……。

ただ、先ほど話に出てきたクラウドファンディングをやったときに私もすごく気づきがあったというか、日食なつこが「宅録の弾き語りアルバムを作る」ということに対して、思っていた以上に大きな反応があったんです。そのあと、配信ライブをやったときも、ピアノを弾く指先まで見えてしまうようなところに、ファンの方々がすごい反応してくれたりして。

何か日食なつこのアーティスト性というか、キャラクターや立ち位置みたいなことが、そこにうまくハマっているような感じがしたというか、そういう意味で、原点回帰に近いようなイメージを持ったところもあって。

永久凍土/日食なつこ

━━であれば、山奥の一軒家に引っ越すことも、無しではないのかと。

阪谷 まあ、そうですね(笑)。

━━(笑)。ちなみに、引っ越したあとの暮らしはいかがですか?

日食 申し訳ないですけど、最高ですね(笑)。東京って、文化にすごく溢れた街で、やっぱり魅力的なんですよね。しかも、いろんな種類の人がいるので、どういう表現をしても許されるようなところがあるじゃないですか。それは私の地元では、ありえないことなので。

だから私自身、そういうところに6年住んで、それをしっかり楽しんだつもりではあるんですけど、逆にちょっと惑わされてしまったところもあるんですよね。何でもできるっていうのは、逆に言うとすごい迷いやすいことでもあるから。和食でも洋食でも中華でも何でもいいよって言われたら、何を食べていいのか迷うみたいなことってあるじゃないですか。

━━なるほど。それが、東京の良さでもあり悪さでもあると。

日食 というタイミングで、山奥に引っ越して……うちにはもうお米しかありませんみたいな状態に追い込まれて、だったらお米で何が作れるか考えようっていう。そういう限られたところから逆にクリエイティブになるみたいなことが、この半年間はできたような気がするんですよね。

まあ、それは自分が「日食なつこ」を名乗ってから12年間ずっと、ピアノ一本で成り立つ曲、成り立つライブっていうのをやり続けてきたからでもあって。だからこそ、お米だけで何でも作れる技術があったという。そこはちょっと、自分を褒めたいと思っているんですけど(笑)。

━━ちなみにその間は、阪谷さんとのやり取りも、ずっとリモートでされていたんですか?

阪谷 そうですね。なので、ちょっと掴みづらくなっている部分は、やっぱりあって。ミーティングも全部オンラインでしたし、現場マネージャーが岩手にくるのも禁止みたいな状態だったので、もうある種の断交状態というか……。

日食 確かに、断交はしていましたね(笑)。

━━実際、また直接会えるようになったのは、いつ頃だったのですか?

日食 11月のレコーディングのときでしたかね。さすがに、そろそろ制作とリリースをしないとやばそうだよねっていう感じで。

━━かなり長いあいだ、直接会えなかったんですね。

阪谷 まあ、ちょっと状況が読めなさ過ぎたというか、秋ぐらいで収束に向かって冬頃には終わるのかなってみんな期待したと思うんですけど、今になってもまだ状況はそんなに変わってなくて。なので、何回か変更を重ねながら、ひとまず3月10日(水)にシングルを出そうということになって。

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-08
「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-07
「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-09

「流されない」っていうのは、
つまりは「変わり続けること」

━━それが今回の“音楽のすゝめ”になるわけですが、なぜこの曲をシングルとして出そうと思ったのですか?

日食 とりあえず、いくつか候補曲を挙げていって……。

阪谷 その中には、先ほど言ったような原点回帰じゃないですけど、彼女のインナーな音楽性を磨き直したような曲もあったんですけど、その範疇ではありながらも一曲、すごくポップチューンみたいなものも、やっぱり目指してみたいなと思って。それでこの“音楽のすゝめ”をシングル曲として、なおかつ武部聡志さんという日本のポップスの第一人者にアレンジをお願いすることにしたんですよね。

日食 そう、一度アレンジを武部さんにお願いしてみようっていう話は、結構前からあって。さっきの引っ越しの話じゃないですけど、今まで自分たちがやってきたことをガラッと変えるには、このタイミングがいいんじゃないかって思ったんです。

この曲は、そういう新しい挑戦に見合うようなエネルギーを持った曲だと思ったし、そうであるからこそ安心してお願いすることができました。これが、ただ爽やかでポップなだけの曲だったらちょっと躊躇したかもしれないですけど、この曲は日食なつこの曲として、その歌詞も含めてちゃんと腰が乗った曲になっていると思ったんですよね。

━━そう、この曲の歌詞には、現状に対する「怒り」のようなものも、しっかりと刻まれているわけで……。

日食 そうですね。そのあたりは、この曲に寄せたコメントで書かせていただいたことがすべてなんですけど、やっぱり今って、音楽がすごく扱いづらいものになっているじゃないですか。

そのコメントには、「音楽の居場所がすっかり限られてしまった今」って書いたんですけど、どこか他人の目を気にして楽しむようなものになってしまったというか、そうやって市民権をはく奪されかけている人たちにまっすぐ目を向ける曲が、一個ぐらい無いとダメだなって思ったんですよね。

2019年夏。某大型フェスに出演した際、自分の出番が終わった後に一番大きなステージの大トリ のライブを観に行きました。そのステージがそれはもうひっくり返るくらい素晴らしくて、この記憶は絶対忘れたらダメだと思いフェスから帰宅したその夜のうちに衝動に任せて4行だけの歌詞を五線譜の裏に書き殴りました。それが「音楽のすゝめ」サビ部分です。

あれから1年半。音楽の居場所がすっかり限られてしまった今、あの大トリのステージを観られた ことは僥倖だったと感じています。音楽業界総員が停滞した市場に苦しみまくっている今、改めて 「音楽ってなんか役に立つのか?」ということを冷静に考えた時、あのステージの光が音が、真っ 先に蘇ってきたからです。「理屈じゃねえ。手放せるわけがねえ。音楽が好きだからこんな苦境で も直感で音楽にしがみつくしかないんだ悪いか!」という、音楽馬鹿として超優等生な答えが腹の
底から跳ね返ってきました。業界総員、そう逆ギレしていてほしいと願いました。

音楽を鳴らす者、売る者、浴びる者…全ての音楽人に必ず再び訪れるべき夜明けの時まで、 幻でもいいから夢を見続けることだけはやめずに続けていてほしいです。そして、そのための 1本の旗のような目印が今は必要な時です。

今作「音楽のすゝめ」、その1本の旗として、世の中に堂々提示します。

大変な状況の合間を縫って原曲にすばらしき錦の衣を着せてくださったアレンジャー武部さん、 及びレコーディングメンバーの皆様、スタッフの皆様のご尽力に改めてお礼申し上げます。

日食なつこが“音楽のすゝめ”リリースに寄せたコメント

━━あと、そのコメントで印象的なのは、「旗」という言葉ですよね。音楽の夢を見続けるためには、今、一本の旗のような目印が必要であって、「今作、“音楽のすゝめ”を、その一本の旗として、世の中に堂々と提示します」と。これは、どういう心意気なのでしょう?

日食 私は今29歳で、今年30歳になるんですけど、何かもうすでに老後のことを考えていて……老後というか、死後ですかね。このコロナ禍の中で、自分が死んだ後の楽曲の在り方のことを、いろいろ考えるようになって。で、この曲は、私が死んだあとに、ちゃんと残ってくれる曲だなっていう自覚があったんですよね。

“音楽のすゝめ”の歌詞の内容は、多分100年後の日本人にも通じる信念のようなものが、ちゃんとあるんじゃないかって。そういう意味で「旗」という言葉を使ったというか、そろそろ自分が死んだあとも、この曲があるから大丈夫だよっていう「旗」みたいなものを見せるぐらいの貫禄があってもいいんじゃないかっていう。

もしかしたら、まだちょっと早いのかもしれないですけど、コロナ禍のせいでいろんなことがちょっと前倒しになったというか、自分が予定していたよりも人生プランが早く進んだようなところがあるんですよね。一軒家に暮らすのも35歳以降かなと思ってたし……そう、コロナ禍があったことによって、ガラガラと音を立てて物事が動いたことって、自分にも、世の中にも、いっぱいあるなって思っていて。

━━なんとなくわかります。リモートをはじめ、いきなり未来がきたような感じがありますよね。

日食 そう。その変革は、直に受け取ったほうがいいのかなって思ったんですよね。たとえば、打ち合わせとかもリモートでできるんじゃんとか、通勤もズラせて満員電車も軽減できるじゃんっていう。コロナ禍が解決したあと、またもとの世の中に戻ってしまったら何の意味もないというか、そういう変革を自分でもちょっと早めに起こしたっていう感じですかね。

━━本作には、「流されず。迎合せず。日食なつこの求道宣言。」というキャッチコピーがつけられていますが、新しい空気を吸いつつ、変わるところは変わっていくと。

日食 そのキャッチコピーは、阪谷さんがつけてくれたんですけど、「流されないこと」は「変わらないこと」とイコールではないんですよね。たとえば、日食なつこというのは、ピアノを弾いて、ちょっといかつい歌詞で、ロングヘア―でみたいな見られ方をされていたからこそ、そこから動けなかったところもあって。

「流されない」っていうのは、つまりは「変わり続けること」なんですよね。常にお客さんの予想を超えたことをやっていかないと、お客さんも楽しくないというか、次はどこを曲がるんだろうっていう期待もあるだろうし、やっぱり一直線の道路じゃ飽きるよねっていう。

━━いずれにせよ、このコロナ禍の中で、ちょっと面白いところに辿り着いたような気がしますよね。

日食 まず、暮らす場所が変わったのが大きいですし、そこでちゃんと音楽ができることが証明されたことも大きいですよね。そう、今はみんな、コロナ禍の中にあって、さなぎの中のグチャグチャな状態みたいな感じというか、ある意味何でもありな状況、どの手段を選んでもオッケーな状態だと思うんです。

その中で、何を選んでも正当化できる準備を、今はしておく時期なのかなと。それは、私自身もそうですし、音楽業界の方全員が「今、自分がこの武器を選んだのは、こういう理由だから、行くぜ、止めるなよ」って言えるための時期かなって思うんです。

━━そう、この“音楽のすゝめ”には、「音楽よ、進め!」といったニュアンスもあるような気がしました。

日食 そうですね。メロディと合わなかったので採用はしなかったんですけど、最後「音楽よ、進め!」みたいな歌詞で締められたら「めっちゃカッコ良くない?」って思って。まあ、それはうまくいかなかったのでやめたんですけど、もちろんそういう意味合いも――「音楽よ、頼むから止まらないでくれ!」という思いも、この曲には込められているんです。

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-02

Text by 麦倉正樹(@mugikura
Photo by 柴崎まどか(@shibazakimadoka

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-010

日食なつこ
1991年5月8日 岩手県花巻市生まれ ピアノ弾き語りソロアーティスト
9歳からピアノを、12歳から作詞作曲を始める。高校2年の冬から地元岩手県の盛岡にて本格的なアーティスト活動を開始。緻密に練り込まれた詞世界と作曲技術は業界内外問わず注目を集め、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』、『FUJI ROCK FESTIVAL』など大型フェスにも多数出演。演奏スタイルはソロからバンドまで 多彩な顔を持ち、ライブハウスやホールを軸に、カフェやクラブ、お寺や重要文化財などでもライブを行い、数々の会場をプレミアムな非日常空間に作り変えてきた。強さも弱さも鋭さも儚さも、全てを内包して疾走するピアノミュージックは聴き手の胸を突き刺さし、唯一無二の爽快な音楽体験を提供する。

HPTwitterYouTube

RELEASE INFORMATION

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗|音楽のすゝめ interview210310_nisshoku-natsuko-011

音楽のすゝめ

2021年3月10日(水)
日食なつこ
344-LDKCD
LD&K Records
¥3,000(+tax)
1000枚限定スペシャルパッケージ(BOX仕様)- シングルCD + コロナ禍を綴った68Pブックレット-
収録曲:
1. 音楽のすゝめ
2. ダンツァーレ
3. 峰
詳細はこちら