8枚目のアルバム『新しい人』以来、約3年半ぶりとなる新作EP『家の外』を完成させたOGRE YOU ASSHOLE。『家の外』は、バンドが3月に開催した大阪・東京のワンマンライブ会場限定で先行発売され、観客は『家の外』の楽曲をはじめてライブで体験することに。だがそのライブは「何かがおかしかった」ーー。2023年3月18日、渋谷・Spotify O-EASTで開催されたワンマンライブを、音楽ディレクター/評論家の柴崎祐二はどう捉えたのか。約5,000字に渡るレポートをお届けする。ライブ写真の撮影は山谷佑介が担当した。(Qetic)

OGRE YOU ASSHOLE LIVE 2023
2023.03.18(SAT)@Spotify O-EAST

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正直に言うと、ライブを観てからこちら、今机に向かっているこの瞬間まで、あの夜に抱いた感覚をどのようにして言葉にすればよいやらすっかり思い悩んでいた。当日演奏された曲目をたどりながら、ただそこに出現していた「音」について粛々と述べていくこともできるかもしれない。あるいはまた、各メンバーのステージングをつぶさに報告し、熟しゆくライブバンドとしてのOGRE YOU ASSHOLEの「生の姿」を描き出すのも可能かもしれない。しかし、そういった言葉を実際に書き連ねてみても、あの日の演奏が浮かび上がらせていた何かを、おそらくOGRE YOU ASSHOLEというバンドの現在を特徴付けている何かをうまくお伝えできるような気がしないのだ。

この日のOGRE YOU ASSHOLEの演奏は、何かがおかしかった。いや、もちろん、演奏は相変わらず卓越しているし、開演から終演までの構成も文句なく素晴らしい。駆けつけた観客はみな上気してあの空間を楽しんでいたし、私自身バンドの繰り出す轟音に取り囲まれて幾度も興奮を味わった。……けれど、何かがおかしいのだ。ライブ演奏とはそもそも、その言葉どおり、「生(なま)」の、もっといえば、その場において一回限りで繰り広げられる、代替不可能な音の躍動であるはずだ。ギターやドラム、ベース等を伴った一般的なコンボスタイルのロックバンドにおいては、そうした一回性が、更には、メンバー自身の身体を介して発されるサウンドが拡張され観客を巻き込んでいくというその空間のあり方こそが、ライブの現場における無二の価値であるといえる。……けれど、この日のライブは、何かがおかしいのだ。

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ライブ序盤は、本公演に合わせて会場で販売された新作EP『家の外』収録の4曲“待ち時間”“家の外”“ただ立ってる”“長い間”を、曲順通りそのまま演奏する形で進行した。まず興味を惹かれたのが、かねてより導入されてきたシンセサイザー等の電子楽器類が、もはやギターやベース、ドラムと主従が逆転したかのようにステージを占拠し、実際に楽曲を基礎づけるサウンドを鳴らしている様だ。この日は、上手にBuchla Easel CommandやMoog Mother-32をはじめとしたアナログシンセサイザー、リズムマシンROLAND TR-08、下手にアナログシンセサイザーROLAND SH-1000が鎮座し、各メンバーは、ときに本来の担当楽器を放擲してそれらの筐体と対峙する。

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“待ち時間”のビートは、(かつて彼らの音楽がそう称されたような)ジャーマンロック的な律動感を超え出て、もはやテクノミュージックのそれと同化している。そこへ勝浦隆嗣のタイトなドラムが絡んでいくと、なんとも不可思議な温度感(の無さ)を湛えた冷え冷えとしたファンクが立ち上がってくる(ここで出戸学のヴォーカルがようやく現れ、知らぬ間に次曲“家の外”へ「ミックス」されていたことを知る)。

次の“ただ立っている”のビートは、勝浦がキューを出したシンセサイザーのサウンドに導かれ、そのリズムへ合わせるようにバンドが付き添っていく。馬渕啓のリードギターはいつもながら豪放なトーンを伴っているが、アンサンブルを「リード」するというよりも、電子音が作り出す律動の上にあてどなく滑るごとく音色を加えていく。

続く“長い間”は、バンドが得意とする生ドラムのハンマービートが主導していくが、ビートが勝浦の肉体によって牽引されていくというよりも、自動化したビートの中に肉体的な揺らぎが解消されていくような、逆転的な感覚を抱かせる。同様に、マシナリーなリズムを送り出す清水隆史のベースは、この曲では一層ミニマルなリフレインに終始し、つとめてその身体性を制御する。

こうした印象は、既発曲を演奏していく後半でもさして変わらない。というよりもむしろ、かつての姿形を大胆に変容され、同じ様にエレクトロニクスの律動へと投げ込まれた既発曲の演奏において、その印象はより一層強化されていく。出戸のヴォーカルは、明確な和音構造が霧消した電子音主体のアンサンブルの中で、当所を探すようにゆらゆらと漂い、いつの間にか消えていく。

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かつてクラフトワークは、「オートマン」=自動機械的な演奏を「Man-Machine」というコンセプトの元に具現化し、音楽の歴史に巨大な痕跡を残したが、この日のOGRE YOU ASSHOLEの演奏は、まさしくそうしたオートマン的なイメージを強烈に喚起させるものだった。しかし、彼らが仮に、そのクラフトワークを直接的にオマージュしているだけだったとしたら、すでに述べた「何かがおかしい」という感慨を抱くことはなかったはずだ。1970年代後期的な「オートマン」イメージの再現は、それが一種の懐古にはなりにせよ、奥底から立ち上がるあの違和感を醸成することはなかっただろう(もちろん、クラフトワークの音楽の射程がこの一例では顧みられない遠大なものであるのは間違いないが、ここでは立ち入らない)。彼らがこの日のステージで踏み込んでみせたのは、そうしたオートマン的なレトロフューチャー世界ではなく、むしろ、よりエッジーな問題系としてのテクノロジーとの対峙図式であったはずだ。

現在、人工知能技術の劇的な進展により、AIによる人間の創造領域の切り崩しが日々顕在化している。昨日の不可能事が今日は可能となり、明後日には新たな常識となるような急速なテクノロジーの伸長は、当然ながら、音楽創作の場においても同様の切り崩しを進行させている。事実、AIによる「作曲」はすでに一部フィールドでは常態的な手法として浸透しつつあり、その流れは更に拡大していくだろう。その時、ライブ演奏の場というのは、音楽の形が最後まで「人間的」あるいは「肉体的」でありつづけることのできる、一つの砦のような存在としてより一層前景化してくる可能性もある。観客を前にした当意即妙のライブ演奏は、その楽器を操り、その声を発する主体が生身の人間である限り当然人間的であり続けるはず、というわけだ。しかし、実のところそういう論理がこれから先も説得力を持ち続けるかどうかは疑問だ。なぜなら、人間の身体を介して音楽を奏でるという行為は(それが完全に人体のみで奏でられる場合は例外として)、常になにがしかのテクノロジーに取り囲まれ、必ずやそれらテクノロジーからの働きかけに直接/間接にさらされざるをえない(えなかった)からだ。ギターを抱えた人間は、自ずとギターの弦を「かき鳴らさせられる」し、ピアノを前にした人間は、鍵盤の形で具象化された音階をもとに「指を置かさせられる」。あるいは、シンセサイザー等の電子音を前にした人間は、オシレーターから発される音を、そのシステムが要請する電子的理論の元にサウンドを変調する行為へと従事「させられ」、更に、特定のインターフェースを通じてそれを制御「させられる」ことになる。いわば、テクノロジーが、楽器が、電子機器が、人間の身体をアフォーダンス的に規定していくのである。

とすれば、来たるべき未来においてジェネレーティブAIがライブ演奏の場へ大々的に導入されたとして、その演奏者がいかに自身を演奏の主体であると自覚していようとも、その身体は確実にテクノロジーの中に投げ込まれざるを得ないし、ひいては、自ら進んでジェネレーティブAIの奏でる音楽に、(当意即妙性に価値が置かれるライブ空間であるがゆえ余計に)アフォーダンス的に呼応「させられ」ていく事態もありうる。

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この日OGRE YOU ASSHOLEが見せた、様々なアナログ電子機器に同期していくオートマン的身体のあり方と主体性の放棄ぶりは、ある意味で、ライブ演奏現場へのテクノロジーのさらなる侵犯という来たるべき未来をあらかじめ上演してしまうような、そういった行為ではなかったか。

そして、そうした上演のためのもっとも効果的な舞台装置は、一般に想像されるように完全にデジタル化されたエレクトロニックミュージックのセットではなく、むしろ既存の身体のあり方がもっとも牧歌的に刻印されている(と理解されがちな)「ロックバンド」という枠組みとエレクトロニクスの相克関係なのではないか。テクノロジーの足音は、テクノロジーの内側からは聞こえない。これまでも、これからも常に、テクノロジーからの警笛は、身体がある場所で、身体が躍動する余地が残された場所でその身体によって覚知されるだろう。OGRE YOU ASSHOLEは、自らの身体を供物とし、そのようなテクノロジーの足音を文字通りアンプリファイするのだ。

また、ステージ上に鎮座していたのが高度なデジタル機器類やラップトップPCなどではなく、個人用電子楽器黎明期を彩ったいにしえの筐体(やそのリイシューモデル)が中心であったということも示唆的だ。モジュラーシンセサイザーを代表格として、これらの楽器はその筐体上の特性からして緻密な操作を人間に強いてくるし、同時に、その構造ゆえに環境やセッティング次第で音色の面でもかなりの揺らぎを孕んでいるため、結果的に電子楽器の側へ人間が追従する構図も生まれる。テクノロジーによる人間の身体の逆支配という構図は、ある意味ではこうしたアナログ電子機器の「ヒューマニック」な性質を介することによって、より劇的な形で上演が可能になるのだ。

ところで、EP『家の外』に収められた各曲の歌詞を見ていくと、やたらに「待つ」「待っている」という表現が目に入る。しかし、語り部がいったい何を待っているのか、待っていたのかは判然としない。いつから待っているのか、いつまで待っているべきなのかもわからない。することといえば、ただ「立って、ただ待っ」ているのみだ(“ただ立ってる”)。

タイトル曲“家の外”の詞にはこうある。

庭に鮮やかな
人工の芝が生えている
まだ来ない
待っている
家の外
 
ここにいる犬はフェイクで
中身は樹脂でできている
撫でながら
待っている

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家の中から現れるものは一体何なのか。ここでもそれは明示されず、答えは宙釣りにされる。本論をここまで進めてきた私は、こうしたある種の認知症的心理状態の描写を、来たるべき(とされている)シンギュラリティに対して現在社会一般が茫漠と抱える不安/期待感へ重ね合わせてしまう誘惑に打ち勝つことができない。人工の芝、フェイクの犬。犬の中身=樹脂が、PEEK樹脂、PI樹脂、PEI樹脂、PVDF樹脂など、半導体を構成する樹脂なのだとしたら。この「もしも」は、聴くものに十分な戦慄を与え、その「もしも」から離脱するのを難しくさせる。

様々な分野でジェネレーティブAI技術の浸透が進むこの社会において、私達はもはや、私達の主体的な思考が侵食されていくのを予感せざるを得ない(という考えに取り憑かれている)。というよりも、今まさにそういった思考の侵食、断片化、極限化への不安が進行している。何が待ち構えているのか、何を期待しているのか、何を危惧しているのか、いつから待っていたのか、いつまで待っているのか、わからない。わからないけれど、待っている私達があるということだけがわかっている。待つという行為の前面化/全面化、この究極的な受動性への誘い。もしかすると、その受動に身を任せて不可逆の流れへと積極的に加わってしまったほうがいっそ快活になれるのかもしれない(≒テクノロジー的な加速主義)。もしくは、それを絶対に拒み、「ヒューマニティ」を護持し、形而上学的問いへと専念していこうじゃないか(≒ある種のスピリチュアリズム)……。もしかすると、“家の外”における「外」とは、そうした「外部」の意が託されているのかもしれない。

何かがおかしい。けれどそれが何であるのかがわからない。今OGRE YOU ASSHOLEのライブを観るという体験は、そのおかしさ、わからなさへと思いを致す体験と一体になっている。そして、そのわからなさは、この先いつ氷解するのかもわからない。テクノロジーはますます我々を取り囲み、答えは宙釣りにされ続ける。ただ、その時まで待つのだ。しかし、OGRE YOU ASSHOLEのライブを見ながら、OGRE YOU ASSHOLEを聴きながら待つのには、その「わからなさ」への自覚を通じて、私達が「外部」へと簡単に遁走してしまうのを先送りにしてくれる機能もあるはずだ。「何かがおかしい」ということを鋭く感知し続けること。今後私達に残される領土があるのだとすれば、その違和感を感知し続けていく空間なのかもしれない。

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OGRE YOU ASSHOLE
2023/03/18 Spotify O-EAST
セットリスト

1.待ち時間
2.家の外 
3.ただ立ってる 
4.長い間 
5.マット
6.寝つけない
7.フェンスのある家
8.朝
9.見えないルール

テキスト:柴崎祐二
写真:山谷佑介

INFORMATION

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アーティスト名:OGRE YOU ASSHOLE
タイトル:『家の外』
収録曲:
1.待ち時間
2.家の外
3.ただ立ってる
4.長い間

TOTAL TIME :25:22
形態:CD
金額:¥2,300(税込)

4月8日(土)正午12:00 〜 OGRE YOU ASSHOLE WEB SHOPで販売開始

OGRE YOU ASSHOLE