異なる視点や価値観が交差し、新たな気づきや関心が生まれる“創造の起点”としてオンライン上に構築された共創型プラットフォーム『RE:Connect™︎(リ・コネクト)』。モデル・アーティストとして注目を集める吉井添、ネイリストおよびSFX & 3Dアーティスト TOMOYA NAKAGAWAに続く第3弾では、00年代を中心に多くの支持を得るMANONにフォーカス。活動のきっかけやアーティストとしての原体験、影響を受けた人、印象深い“交差点”などから、彼女の魅力に迫るロングインタビューを前後編に分けてお送りする。

text by Qetic

MANONの現在に至る、クリエイティブの原点

──現在はどのような活動をメインにされていますか?

今は音楽活動をメインにやっていて、自分で歌うし、曲や歌詞も考えて作るので、メディアに出るときは“アーティスト”として紹介していただくことが多いです。でも音楽だけの表現にはとらわれずに、モデルであったり、少し前には女優としてNHKのドラマに出させてもらったりと、さまざまなことにチャレンジしています。

──もともとのスタートであるモデルを始めたきっかけを教えてください。

きっかけは母が福岡でやっていたセレクトショップで、私が生まれたときに「かわいい服を着せたい」という理由で始めたそうなのですが、子供服や輸入雑貨を扱っていました。そのセレクトショップの看板娘兼モデルとして、母がセレクトした洋服を着て、父が写真を撮影するECサイトモデルみたいなことをしたのが最初です。でも自分としてはそれを仕事としてはとらえていなくて、親の仕事の手伝いのような感じでした。

でもそれが今になって、すごく繋がってるんだなって思います。しかもそのときから自分のことを知ってくださっている方もいて、「お母様のお店のサイトで見ていた子がこんな大きくなったんですね」みたいなコメントをいただくことも少なからずあるので、そういうときはタイムカプセルを掘り出したときの気分みたいになりますね。

00年代のアイコン・MANONとは?  アーティストの“原体験”と“交差点”。 54I2636re-1920x2880

──自主的にモデルをやりたいと思い始めたのはいつからですか?

小学生になってからです。きゃりーぱみゅぱみゅさんが高校生のときに、『Zipper』や『KERA』のモデルをやりながら自分のライフスタイルをブログで発信しているのを見て、「学校に通いながらモデル」みたいな二面性に憧れました。そこからまず、自分は携帯を持っていなかったので(ニンテンドー)DSで撮った写真をパソコンに取り込んで、“学校コーデ”のようなブログを始めて。そうしたら少しずつ読者が増えて、仕事にしたいとはまだ思ってなかったけど、自分に合っているかもと思いました。

その少しあとに、母の知人にSNSに詳しい方がいて「インスタグラムっていうSNSがこれから流行るから絶対やった方がいい!」って言われてやり始めたら、自分の表現活動のフィールドのひとつになった。小学校6年生ぐらいのときは、“制服着崩し講座”みたいな内容を投稿していました。あるときにフォロワーが1000人を超えてすごくうれしかったけど、そのタイミングで垢バンされてしまって……私、年齢制限があることを知らなかったんです。それでも諦めがつかなくてまたゼロから始めたアカウントを、アソビシステムの社長さんがフォローしてくださって、さらにきゃりーぱみゅぱみゅさんの事務所だと知ってモデルを始めました。

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MANONがファッションや音楽などで影響を受けた人とは?

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Photo:Ryoma Kawakami
Interview&Text:ラスカル(NaNo.works)