MAJOR FORCE BE WITH YOU – 30TH ANNIVERSARY –
REPORT BY 二木信

〈MAJOR FORCE〉の30周年記念のレポートという本題に入る前に少し話のまくらにお付き合い願いたい。

改めて指摘するまでもなく、2015年以降のフリースタイル/MCバトル・ブームを機に、近年、日本においてヒップホップやラップの音楽文化は、かつてないほど急速に大衆化した。この意見に異論を差し挟む余地はないだろう。あれはヒップホップではない、これはラップじゃない、あるいはグラフィティについては全然知られていないとか、そもそもヒップホップの思想が伝わっていないとか、意見はさまざまあるだろう。

けれども、ヒップホップというNY発祥の音楽文化が日本に輸入された80年代初頭から約35年間のあいだ、少なくともこれほどラッパーが市民権を得たことはない。いまやラッパーが、企業向けのワークショップでプレゼンでラップが使える、というような講義をする時代だ。スチャダラパーと小沢健二の“今夜はブギーバック”が大ヒットした25年ほど前に、まさかそんなことはなかった。

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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

時代は変わる。たしかに、過去を振り返らずとにかく前進あるのみ、という精神はヒップホップのひとつの美学である。アメリカでは若いラッパーが時おりビギーや2パックなんて知らねえよとか、40歳過ぎてまだラップしているジェイ・Zはダセえよとか反抗的な暴言を吐いて、ベテラン・ラッパーと激しいビーフを勃発させている。逞しい。それはそれで健全だ。一方で、チャンス・ザ・ラッパーやケンドリック・ラマーは、ヒップホップやアメリカの黒人の歴史、つまり過去の遺産を尊重して創造力に結びつけ前進しようとする。知的だ。

少々前置きが長くなったが、ここからが本題。この列島でアメリカの黒人の苦難の歴史に対応する歴史は何かという一筋縄ではいかない問いはここでは手に余るので措く。日本でヒップホップのルーツを辿ると何にぶちあたるか。その答えが〈MAJOR FORCE〉である。

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So Hasegawa / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

この日本が世界に誇るクラブ・ミュージックのレーベルは、1988年に中西俊夫、工藤昌之(K.U.D.O.)、屋敷豪太、藤原ヒロシ、高木完という錚々たる面子によって東京で結成された。今年の1月に亡くなったラッパー、ECD、そしてあのスチャダラパーも〈MAJOR FORCE〉からデビューしている。だからと言って、もちろん、あなたが〈MAJOR FORCE〉を知らなくてもラップもDJもダンスもグラフィティもできる。だが、〈MAJOR FORCE〉の自由な表現、クロスオーヴァーあるいは越境していく感性に触れることは、とても重要なヒントになるのではないか。

9月30日、東京・ラフォーレミュージアムで、都市型音楽フェス<RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2018>のプログラムのひとつとして行われた<MAJOR FORCE BE WITH YOU – 30TH ANNIVERSARY ->を観た僕はそう感じたことをまず伝えておきたい。というのも、この日、大型台風の接近にもめげずに会場に足を運んだ人たちの多くは、長年の〈MAJOR FORCE〉のファンや熱烈な支持者だったに違いない。会場を見渡せば、1981年生まれの僕が平均年齢を下げているような印象だった。であるからして、僕のここでの使命は若い音楽ファンにこの日のことを伝え、〈MAJOR FORCE〉への入り口を作ることである。

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Keisuke Kato / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Keisuke Kato / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Keisuke Kato / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

イベントは、DJ/音楽評論家の荏開津広が聞き手となり、高木完が〈MAJOR FORCE〉の成り立ちを語る15分ほどのトークからスタート。高木は日本における最初期のラッパーであり、DJであり、プロデューサーだ。そして、この日のステージを仕切ったのは彼である。高木は手元にあるPCを操作しながら、時にラップをして、時に歌い、時にギターを弾き、そして次々現れるミュージシャン、パフォーマーを紹介して、冗談も言った。演奏に失敗しようが、段取りがちょっと上手くいかなかろうが、終演まで軽妙洒脱とも言うべき魅力的な振る舞いを崩さず、この日のライヴの和やかなムードと緊張感を絶妙に作り出していた。

1曲目は、高木がひとりで、Tycoon To$h & Terminator Troopsの“COPY’88(U SUCKERS!)”をパフォーマンスする。続いて、同じくTycoon To$h & Terminator Troopsの“ACTION”をドラマーの屋敷豪太と工藤昌之と共に披露した。昨年、この世を去った中西俊夫と工藤が組んだヒップホップ・グループ、Tycoon To$h & Terminator Troopsで中西は英語で切れ味鋭くラップしていた。それを高木流に解釈してパフォーマンスする。原曲とは異なるアレンジだ。誤解を恐れず言えば、この日の高木のラップやヴォーカルには冒険的アマチュアリズムというものを感じた。技量よりスピリット。つまりパンクの精神である。そしてそれは、〈MAJOR FORCE〉という集団のひとつの構成要素でもある。

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So Hasegawa / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

いや、しかし、この時、何よりも素晴らしかったのは、屋敷の強靭なドラムと工藤が叩き出す打ち込みのビートを同期させた、そのブレイクビーツの圧倒的なカッコ良さである。実際、〈MAJOR FORCE〉を世界中(特にロンドンなど)に知らしめたのは、ブレイクビーツ、ビートのカッコ良さとエディットの類まれなるセンスだった。UKのグループ、ソウル・II・ソウルのメンバーとしてグラウンド・ビートを発明した屋敷、一方工藤は、藤原ヒロシとHiroshi+K.U.D.O.名義でDJマイロとともに「THE RETURN OF THE ORIGINAL ART FORM」というカットアップとエディットを駆使したオールドスクール・ブレイクビーツのクラシック(名曲)を生み出している。藤原ヒロシの半生記『丘の上のパンク』の中で高木は、「メジャー・フォースのレコードで世界的に有名になったのは、『THE RETURN OF THE ORIGINAL ART FORM』だよね」と語っている。80年代後半のことだ。

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So Hasegawa / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

いまはヒップホップと言えば、ラッパーが最も注目される。しかし、〈MAJOR FORCE〉は、そのブレイクビーツとビート、カットアップの妙技、つまりそのサウンドの革新性で、世界のクラブ・ミュージック・フリークを踊らせたことは強調してもし過ぎることはないだろう。ブレイクビーツで国境を越えたのである。「THE RETURN OF THE ORIGINAL ART FORM」は、2000年にアメリカのDJ/プロデューサーのカット・ケミストがリミックスしたヴァージョンが発表されたことも付け加えておこう。そして、この日、僕の耳を最も刺激したのは、屋敷と工藤のコンビが叩き出すしなやかで強靭なビートだった。その音だけで〈MAJOR FORCE〉は何たるかを示しているように思えた。

この時ふと思い出していたことがあった。いまから2年前、いとうせいこう&TINNIE PUNX(高木完×藤原ヒロシ)名義でリリースされたアルバム『建設的』(1986年)の30周年を記念して、いとうせいこう&リビルダーズ名義で『再建設的』というトリビュート・アルバムがリリースされた。『建設的』には、初期の日本のヒップホップの成果と言える“MONEY”と“東京ブロンクス”というラップ・ミュージックが収められている。この時音楽雑誌『ミュージック・マガジン』で、いとうと高木の対談記事を担当したのだが、そこで両者が語った東京のヒップホップの黎明期についての見解が印象に残っている。

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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

「TINNIE PUNX周辺はパンク上がりと言われるけれど、テクノの進化形、ポスト・テクノ・ポップの流れの中で当時僕らがやってた動きを捉える方が合ってる思う」という高木の見解にいとうは同意しつつ、当時の高木のアディダスとヴィヴィアン・ウエストウッドをコーディネートしたファッションを踏まえた上で、「あの時の東京のヒップホップはニューヨークとは切れていたし、独自の面白さがあったよね」と述べた。

そんな風にヒップホップ視点でばかり考えていたが、この日は特にヒップホップ色が強かったわけではない。もちろん、レゲエがあり、アフロ・ファンクがあり、ロックがあり、ニューエイジがあり、ポエトリー・リーディングがあった。高木が積極的にヒップホップを作っていたころのオリジナル曲である“フッドラム東京”や“恋のフォーミュラ(BRIXTON BASS MIX)”のパフォーマンスもあったが、アレンジは変えられ、また後者には“新生ORCHIDS”の2人の女性ヴォーカルも参加していた。

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So Hasegawa / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

藤原ヒロシが登場してギターを弾き歌い披露した“It’s a new day”、藤原ヒロシと高木が並んで、彼らのラップ・ユニットTINNIE PUNXとしての姿を見せてくれたことも強く印象に残った。またEGO-WRAPPIN’の中納良恵が歌ったラヴァーズ・ロック“Touch me, Take me”、さらに躍動的なアフロ・ハウス“TRIBE OF LOVE”も本当に素晴らしかった。そしてこういう雑食性こそが〈MAJOR FORCE〉というレーベルがやってきたことだった。

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So Hasegawa / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Yasuharu Sasaki / Red Bull Music Festival Tokyo 2018
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Yasuharu Sasaki / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

高木は、1時間半ほどのライヴのあいだ、昨年亡くなった〈MAJOR FORCE〉の中心人物・中西俊夫の名前を何度も口に出した。頭からの2曲がTycoon To$h & Terminator Troopsの曲で、アンコールではその中西の娘の花梨と、彼と共にPLASTICSのメンバーだった立花ハジメを迎えて、PLASTICSの“TOP SECRET MAN”のレゲエ・カヴァーを演奏したことも非常に示唆的だった。

「THE MAJOR FORCE BE WITH YOU」というタイトルが示すように、またいみじくも高木が「今日集まっている人たちは大家族のようなものだから」と語ったように、終始穏やかな雰囲気のイベントだった。〈MAJOR FORCE〉を知れば、いろんな世界につながる。僕はイベントのあと、Tycoon To$h & Terminator Troopsを聴き直して、中西の英語のラップの先駆性に改めてやられている。

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Suguru Saito / Red Bull Music Festival Tokyo 2018

取材・文:二木信

【永久保存版】伝説のレーベルMAJOR FORCE 初のドキュメンタリー映像

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