ック・シーン屈指のセックス・シンボル=ジム・モリソンを擁して、60年代後半のアメリカを代表する人気バンドのひとつになったドアーズ。彼らはサイケやブルースにジャズの即興性を取り込んだ音楽性と、当時の価値観の外側に突き抜けていくような挑発的/文学的な歌詞でロックンロールの「知覚の扉」を開いた。そして今回、彼らが68年に行なったライヴの映像作品『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル』の放送が決定! 68年と言えば世界的に有名な「20世紀史上に残る激動の年」。それは一体どんな年? ドアーズにとっての68年とは? バンドと68年の関係を、振り返ってみました。

・20世紀に入って初めて、自由を求める世界的なムーヴメントが台頭!?

この年、イギリスではビートルズが2枚組の大作『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』を発表。アメリカではスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が年間興行収入で第1位になり、ロバート・ノイスらが後にPCメーカーとなる「Intel」を設立。アンディ・ウォーホルが「未来には、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」と名言を残すなど、カルチャー界では次代に繋がる種が多数生まれていた。とはいえ長引くベトナム戦争が年始に最悪の局面を迎え、4月に公民権運動の父キング牧師が暗殺。6月にロバート・F・ケネディも暗殺され、アメリカでは反戦運動や黒人の公民権運動、学生運動が互いに結びつき大規模なカウンター・カルチャーに発展。「プラハの春」のチェコスロバキア、「五月革命」のフランス、そして学生運動が起こった日本などにも波及し、反権力/反体制/50年代的な価値観や親世代への反発/すべての人への公民権など、それぞれの立場から自由を求める世界的なムーヴメントを巻き起こしていった。つまり68年とは、20世紀に入って初めて「グローバルな暴動が起こった年」だったのだ(余談だけれど、日本でタカラが「人生ゲーム」を、明治製菓が日本初のスナック菓子「カール」を発売し、週刊少年ジャンプが創刊されたのも68年だ)。

The Doors“Light My Fire”

・サイケ、花、LSD―アメリカで巨大化した「ヒッピー、ドラッグ、ロックンロール」。

中でもカウンター・カルチャーの中心となったアメリカでは、前年にサマー・オブ・ラブが勃興してヒッピー文化の最盛期に突入。カラフルなライヴ演出/長尺のインプロヴィゼーションで人気を博したグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレンらサイケデリック・ロック勢も台頭し、フリー・セックス、マリファナとLSD、フラワー・パワーを手に自分たちの理想のユートピアを作り上げていった。また、急進的な若者の価値観を体現して、ロックの人気もさらに拡大。アメリカ初の巨大フェスとして前年の67年に行われた<モンタレー・ポップ・フェスティバル>ではイギリスでの成功を経て凱旋したジミ・ヘンドリックスがギターに火を放ち、オーティス・レディングが初めて白人の前でパフォーマンスを披露。69年の<ウッドストック>ではNYの会場に推定40万人以上の観客が詰めかけ、「世界は自分達の手で変えられる」という60年代のカウンター・カルチャーを象徴する愛と平和のメッセージはここで頂点を迎える。そのちょうど中間にあたる68年は、69年末にそうした理想が打ち砕かれる前の最後の1年間になった。

The Doors Live in Europe

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