さらに金銭面で苦労をしていたというラフィーはバンドの資金を盗んだ事がきっかけで、わずか3回のライブをしただけでバンドからクビを言い渡されてしまったのだ。ラフィーは共同生活をしていたアパートからも追い出され、クイーンズ区の安アパートに引っ越し、新しいルームメイトと共同生活を始めた。

ラフィーはメッセンジャーとしての仕事にありつけたが金銭面が安定する事はなかった。4畳程の部屋の床の上にマットレスだけを敷いて寝た。食事に困ったときは、ルームメイトからパンをもらって空腹を凌いだ。イランに残してきた母親の事だけが気がかりだったがニューヨークでの生活を続けたいと思った。しかし、当初は前向きに過ごしていたというラフィーだったがここ数ヶ月は落ち込んだ様子だったとルームメイトは証言する。さらに、ルームメイトの男性はラフィーが置かれていた状況についてこう証言している。

ビザの期限が切れそうになっていたんだ。でもイランには帰りたくなかったみたいだ。彼は絶望していたよ

イランからアメリカへとやってきたラフィーはビザが無ければ合法的に働く事はできない。ルームメイトはメッセンジャーとして働いているはずのラフィーの自転車が頻繁にアパートの前に停めてあるのを目撃している。

この頃から精神的に不安定になっていったというラフィーは、クビになってしまったバンドへもう一度戻りたいと周囲へもらしていたという。そしてラフィーは自身のフェイスブックにレディオヘッドの「モーション・ピクチャー・サウンド トラック」の歌詞の一部を書き綴っていた。
それは行き場を失ったラフィーの心境を現したものだったのかもしれない。

赤いワインと睡眠薬
僕を君の腕の中に連れ戻して
安っぽいセックスと哀れな映画
僕のいるべき場所に連れてって

そして犯行の日、ラフィーはライフル銃とおよそ100発の実弾をギターケースに詰め込み。アパートへと向かった。屋上からアパートに侵入したラフィーは被害者の部屋をそれぞれ回り発砲を続けた。そしてラフィーが訪れた最後の部屋にいたのは、あの日同じ飛行機でニューヨークへ渡り、同じバンドで活動をしていたホセイニだった。必死に命乞いをするホセイニに対しラフィーは落ち着いた様子でこう言ったという。

お前が俺をここに連れてきて、お前が俺をバンドに入れたんじゃないか

そしてラフィーは抵抗するホセイニに背中を向けて屋上へと向かい、自らの頭を撃ち抜いた。翌日、世界中のメディアがこのブルックリンのインディーズ・バンドの惨劇を報道した。

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ザ・イエロー・ドッグス

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亡くなった3人

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ラフィー容疑者

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しかしラフィーが死んだ今、犯行に及んだ本当の理由を誰も知る事はできない。
ラフィーがフェイスブックに書き込んだレディオヘッドの「モーション・ピクチャー・サウンド トラック」にその答えはあるのだろうか? 歌詞にはこんな続きがあった。

手紙を送るのはもうやめて
手紙はいつだって燃やされる
それは映画とは違うんだ
映画は小さなうそで 僕らを食い尽くす
君は狂っていると思うよ たぶんね
また来世で会おうよ

(text & photo by Tomota Ikawa[DAY AFTER DAY])